第13話 傲り そしてその自覚
『
中学2年生になって1ヶ月。母がそう言って俺に見せたのは塾のパンフレットだった。
『高い授業料払うんだからしっかりやってよね。あなたはこのままじゃロクな高校に行けないってことを頭に叩き込んでおきなさい』
俺の両親は2人とも筋金入りのエリートだった。高校・大学ともに一流どころを卒業し、日本人なら誰でも知っている大企業に入社。そこでも常に求められる以上の成果を出し続け、社員が1万を超える中での熾烈な競争を制し、30代後半で2人とも既に部長職に就いていた。誰も疑いようのない、盤石な人生だっただろう。
その彼らの人生における唯一の汚点が、俺だった。あらゆることが平均のレベルにすら届かない、一流どころか三流にすら及ばない。俺の両親は自分たちが何十年もかけて築き上げてきたキャリアを実の子供に傷つけられたのだ。
そして彼らは、高校受験でそれをひっくり返そうと思ったのだろう。どうにかして俺を一流の高校に入れさえすれば、終わり良ければ全て良し。俺が泥を塗り続けてきた一家の名を清めることができる。そんなことを考えたのだろう。
しかし、今のままの俺の成績では一流どころか平均レベルの高校にすら届かない。それをなんとかしようとした両親が取った手段が、その塾だったのだ。
そこは俺もよく知っている有名どころで、俺の同級生にも通っている奴が何人もいる。そいつらは全員もれなく入塾してから3ヶ月もしないうちに偏差値をうなぎ上りさせ、中には30代から73にまで駆け上がった奴もいる。今では同級生の学力トップ10のうちの8人はその塾の生徒が占めているのだ。うちの親が選んだのも当然というわけだ。
普通なら親に勝手にそんなことを決められたら反発するだろう。だが俺はむしろ喜びすら感じていた。
これまで独学で勉強を続けてきたが、常に成績は下位3割から抜け出せないレベル。中間、期末とテストが返ってくるたびに両親にはあからさまに嫌な顔をされていた。
これはチャンスだ。そう思った。そこに行けば俺は変われる。俺もみんなのようになれるはずだ。父さんと母さんが望む以上の結果を出して、2人を驚かせてやる。俺を見直させてやる。俺の自分自身への期待はどんどん膨らんでいった。
1年後、俺はその塾をやめた。
実に良い環境だった。丁寧な指導、充実した施設、自分に合ったカリキュラムを設定できる柔軟さ。噂に偽り無し、間違いなく一流の塾だった。
だが、俺の成績は伸びなかった。
死に物狂いで勉強したのだ。授業が終わるたびに講師に質問に行ったし、そこに通う友達に教えを乞うことも何度もした。
それなのに、それなのにだ。周りがどんどん先に進む中、俺だけが取り残されていた。遂には俺より半年も後に入ってきた奴にすら追い越されてしまったのだ。
両親に向けられたのは失望なんて生易しい感情じゃなかった。母親は怒るどころか机に突っ伏して大泣きし、そして父親はこの時から俺のことを居ない者扱いするようになった。
部屋にこもって1人で泣いた。唇を噛み過ぎて血が出てしまったほどに悔しかった。自分と他の者の何が違うのか、なぜみんなに出来ることが自分には出来ないのか、何度も何度も考えた。だが……俺の足りない頭では、どうしてもその答えが分からない。
しかし俺は負けることが大嫌いだ。今まで他人に何かで勝ったことなどほぼ無いが、それでも敗北することが何よりも嫌いだった。塾をやめて再び独学に戻った俺はなんとか平均をやや下回る学力を有する地元の高校に合格した。高校では、次の新しい環境では必ず自分を変えてみせる。そんな思いを抱きながら……。
結果は、何も変わらなかった。
* * *
『ぐ……』
身体中からの痛みで目が覚める。
視界に入ったのは見慣れた光景。白い壁及び天井と床。俺がいるのはベッドの上。俺とユリンの居住施設にある医務室だ。
身動きがとりづらいと思い見てみると、全身に包帯が巻かれている。俺はアルバノの魔術で虫に喰らい付かれたことを思い出す。
『……5分経っていなくてもミイラになるんじゃねぇかよ』
アルバノ。奴は明らかに異常だった。エドメラルを一瞬のうちに葬り去ったサザデーさんも大概だが、奴もまた人には不相応な力を持っている。
魔術についてもだが、それだけではない。奴は5メートルの至近距離で俺の魔術を回避し、反動で20メートル後ろに移動した俺の隣に一瞬で移動した。あの段階ではおそらく魔術は使っていない。つまりあれは、純粋な身体能力によるものだ。
『……くそっ……』
こんな屈辱があるものか。言いたい放題言われた挙句、手も足も出ないでやられるなんて。
許さねえ。この恨みは必ず晴らしてやる。今回負けたのは経験値の差だ。魔術をもっと自在に使えるようになれればきっと勝てる。それにユリンは魔術の訓練が終われば身体能力を高める訓練をすると言っていた。そしたら今度は、あいつの腹に俺の膝蹴りをブチ込んでやる。
『起きましたか』
そんなことを考えていると、部屋にユリンが入ってきた。ベッドの脇に座り俺の傷の状態を触って確認してくる。
やはり態度は余所余所しい。表情は笑っているわけでもなければ怒ってもいないが、しかしどこか冷たいものだった。
『アルバノさんとケンカなんて、無茶なことしましたね。生きているのは奇跡ですよ』
彼女は俺の右腕の包帯を巻き直しながら、目を合わせずに話しかけてくる。
『……誰なの? あの人』
『アルバノ・ルナハンドロ。我が軍の最高戦力の一角を担う方です』
最高戦力。
それを聞いた俺の心は分かりやすく弾み始めた。
『なあ。魔力の量? ってやつなら、俺とあのアルバノって人とどっちが大きいか分かるか?』
聞いた瞬間、ユリンはピタリと手を止める。そして顔を少々困惑の色に染める。
『それは…………まぁ、ユウヤさんの方が何倍も大きいと思います』
『そ、そうか……!』
俺は歓喜する。訓練を積んでいけば奴に、軍の最高戦力保持者にも勝てる。今の言葉でそれを確信したのだ。
奴は俺にこう言っていた。「魔力が大きくても使い手がこのザマではなんにもならない」と。だがそれは裏を返せば、魔力を自分の意志で制御できるようになれば、俺は奴を超えることができるということだろう。
そうと決まれば1日でも早く身体を治してやる。そしたらどんどん魔狂獣を倒して、奴の言う「成果」を出す。その後に直接奴にこの怪我の仕返しをして、二重の意味で見返してやる。
『……無理ですよ』
不意にユリンが、俺の考えを読んだかのような一言を放った。
『無理って、何が?』
『あなたはアルバノさんには勝てません。絶対に』
彼女は今日初めて俺の眼をじっと見つめる。その瞳は真剣そのもの、俺を強く戒めようという意志を込めた厳しいものだった。
俺はその眼差しに軽く圧倒されてしまう。
『……なんで』
『あなたは、あなただからです』
は?
『なんだよそれ。どういう意味だ?』
『……自分で考えなければ意味がありません』
ユリンはそれ以上は何も話さず、一通りの検査を終えるとそのまま部屋から出て行ってしまった。
『何言ってんだユリンのやつ……。勝てないだと? 俺は俺だから……?』
夜。俺はベッドに寝転んだまま、ぶつぶつと考えていることを呟いてる。
全身に巻かれていた包帯は枝が突き刺さった怪我が残っている右足と左腕以外の部分は取られている。あの後ユリンが食事を運んできてくれたが、その際も彼女は何も言葉を発しなかった。
疲れはかなり溜まっているし、なんなら今も睡魔の大群に襲われている。だが彼女が言っていたことが妙に気になって眠れなかった。
『俺は俺……なんだそりゃ。それが何だっていうんだよ。わざわざ口に出すまでもない、当たり前のことだろうが。そう、当たり前の____』
そこで突然、喉が詰まった。
『当たり、前……』
俺____俺という人間。
『……俺……俺は……?』
ならばその菜藻瀬雄弥そのものにとっての、当たり前とは。その人間の実態とは。
勝つ? アルバノに? 俺がこれまでの人生で、誰かに勝ったことがあっただろうか。
訓練をすれば? 1年積み重ねた努力が全く身を結ばないことだってあったのに。
『で、でも……ここはもう別の世界なんだ。あの頃の俺は、あの世界での俺なんだ。今ここにいる俺はもう全くの別人____』
16年生きてきて、周囲の環境がガラリと変わったことは何度もある。幼稚園、小・中・高校と上がる度にはもちろん、塾に通っていたこともある。1度引っ越しをして、転校したこともある。
……でも、それでどうなった。何か変わったことがあっただろうか。勉強でも、運動でも、何にでも他人に遅れを取る日々。当然、努力は継続した。睡眠不足でぶっ倒れたこともあるほどに。だが……俺という人間にへばりついた負け犬のレッテルが剥がれたことが、一瞬だってあっただろうか。誰かに認められ、褒められたことが、一度だってあっただろうか。
『……そんな馬鹿な話があるか。今回は環境が変わっただけじゃない、確かな力が俺の中にある……! もう元の世界の俺はいないんだ!』
だが、俺は既に失敗をしている。
自分が変わったことに確信を持とうと森に入り、化け物を倒そうと術を使った。しかし結果、何の役にも立たないどころかその場にいた人々を殺しかけた。
力はある。それは間違いない。そして訓練期間はまだまだ残っている。いずれは力をもっと自在に使いこなすことができるように____
なるのだろうか。本当に?
『……ちいッ!』
俺はベッドを飛び出し、右足を引きずりながら山頂に向かった。
外は真夜中でもう日はとっくに沈み切っているが、空に浮かぶ星々の光が山頂の広場を柔らかく照らしており、電灯の類が一切無いにも関わらずそこは足元がはっきりと見えるほどに明るかった。
広場の中央。彼はそこに立ち、右手を前に向ける。
魔力を解放。右手が眩い光を帯びる。そしてその光が掌の前に収束し、巨大な光線が放たれる。
強烈な閃光。広場が一瞬だけ真昼のようになる。光線は地面に着弾してその部分を抉り取り、できた穴からは煙が上がる。
……ただし、飛んで行ったのは前にではなかった。
撃った瞬間その反動で、雄弥の肘関節が砕けた。彼の腕は、折れた部分から右方向に直角に曲がり、光線はあろうことか右真横に向けてすっ飛んでいってしまったのだ。
『があぁ……ッ!』
彼の左腕はまだ動かない。ゆえに痛む箇所を押さえることもできず、雄弥は右腕を地面に押さえつけながら倒れ込む。
まただ。また、失敗した。
『あ、あ……そんな……!』
この時。彼はようやく理解した。
あくまでも凄いのは魔力であって、
今の彼を例えるなら、素手の喧嘩ではどうしても勝てない相手に対してナイフを持ち出し、それで自分が強くなった気でいるのと同じ。凄いのは彼自身ではなく、ナイフなのだ。
しかも今の彼はそのナイフをまともに扱うことすらできず、自分に突き刺してしまっている状態だ。より一層タチが悪い。
『ち、違う……! これは単に練習不足だからだ……! そのはずなんだ……』
心中では真実に気づいているが、彼は真逆のことを口にして無理矢理聞こえない、見ないふりをする。しかし、心の中から響いてくる他人の声はどんどん大きくなっていく。
____一生負け組のままよ
____あなたには無理だと言っているんです!
____君は
『俺は……どこに行っても俺のまま……?』
彼の最大の失態は、貰い物の力を自分自身の才能と履き違えたこと。そしてそれに自惚れ、本来の自分を見失ったこと。
そしてどんなに高性能な機械でも使う者が無能なら、それは等しくガラクタ同然となる。今の彼は、手に入れたその力すらも無意味なものにしてしまっているのだ。
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