第12話 如樹


展翅開帳てんしかいちょう____ "尽々蝱子つくつくぼうし"』



 アルバノの手に浮かんでいた青い魔力が弾ける。光の粒子となったそれは波紋状に拡散し、広場のみならず山全体を覆った。


『な……!?』

 

 無論俺もその粒子に触れたが、何も起きていない。身体に異常は一切無い。

 しかしアルバノの表情。あれは、ハッタリを使って少しビビらせてやろうなんて微塵も思っちゃいない。俺を本気で潰そうとしている眼だ。今のが本当に奴の魔術なら、何も起こらないはずがない。

 周囲を見渡してみる。だが何も無い。いつもの広場、そしてそれを囲む木々。ついさっきまで騒がしかった鳥や虫の声もいつのまにか静かになっている。

 

『何を……何をした……!?』


 俺は折れた右腕を押さえながら立ち上がる。


 その時、妙な感触があった。右腕に触れた左手がくすぐったかったのだ。見てみると右腕に小さな虫が留まっていた。ハエにそっくりな虫だ。

 俺はすぐさまはたいて追い払う。すると次は首がかゆい。触ってみるとまた虫が止まっていた。そいつもはらったが、今度は右頬と左耳たぶに同時に留まられた。


『くそっ、今日はやたら虫が多いな……!』


 今はそれどころではないのだ。奴の、アルバノの魔術がなんなのか突き止めなければ。

 しかし虫はどんどん増えていく。耳の中が周囲を飛ぶそれらの羽音で詰まってくる。考えに集中できない。


『ああもう! 鬱陶しいんだ____』


 その時、俺は自分の身体が何かの影に覆われていることに気がついた。

 ここは広場のど真ん中だ。木ではない。空に何かが浮かんでいるのか。


『……?』


 空を見上げると、そこにあったのは黒い塊。大きさは直径3メートルほど。なにか、表面がうごめいているように見える。

 さっきから俺の身体にまとわりつく虫たちは数を増す一方だが、それらは全てあの黒い塊から出てきているみたいだ。

 いや、違う。出てきているんじゃない。こっちに来る虫が増えるたびに、あの黒い塊が少しずつ小さくなっているように見え____



『……は!?』


 雄弥は気がつく。空に浮かぶその黒いものは、大量の虫が集まっているものであると。

 だが一瞬遅かった。彼がそれを理解したのと同時にその塊は弾け、密集していた虫の全てが一斉に彼に襲いかかる。何万、何十万という数が合わさったその羽音は、ヘリコプターのプロペラ音と聞き紛うほどのものだった。

 

 彼は逃げようとするが間に合わず、顔、胴、腕、脚と、次々に虫が留まっていく。やがて彼の身体の表面は虫で埋め尽くされて真っ黒になった。

 そしてその虫たちは留まったそばから、彼の身体をかじり始めたのだ。


『うぎあああああああぁあ!!』


 雄弥は堪らず地面を転げ回る。1匹であれば少々かゆみを覚える程度だろうが、それが何十万倍ともなると痛いなんてものじゃない。彼は叫び過ぎて徐々に呼吸すらできなくなっていった。


『うぐうぅッ! があッ! あぐあああぁあッ!』


『安心しなよ。毒を持ったやつはいないからさ。まぁ5分もすれば立派なミイラの完成だけどね』


 雄弥が激痛にのたうつ中、アルバノは彼を氷のように冷たい視線で眺めている。その瞳には哀れみや同情の類は一切宿っておらず、徹底した軽蔑のみがあった。


『ほら、どうする? 早く君の魔術でなんとかしてみなよ。まだ左腕が残っているじゃあないか』


 アルバノが話しかけるが、叫ぶことで精一杯の雄弥にはその声は全く届いていない。


『……おい、あれだけ大口を叩いた奴がただの虫に手も足も出ないのか? 情けない……』


 彼は失望を声に浮かべつつ指をパチンと鳴らす。

 すると雄弥に齧り付いていた虫たちが雲の子を散らすように離れていき、あっという間に何処かへと消えていった。


 解放された雄弥は息を掠らせながら地面に横たわる。

 服やズボンにも食い破られた無数の穴が空いている。その下の皮膚は真皮が剥き出しになっており、そこが空気に触れるだけでビリビリとした感覚が雄弥を襲う。


『で、どうする? ここまでか? それとも続けるか?』


 意識を朦朧とさせていた雄弥はその声で正気を戻し、全身の痛みに歯を食いしばりながらふらふらと立ち上がる。


『おい、どうするんだって聞いているんだよ』


『っんの……野郎ぉお!!』


 普通に考えればもはや勝つことなど100%不可能。しかし自分を散々罵り痛めつけた目の前の男に対する怒りで冷静な判断力を失った彼は、激情に駆られるままアルバノに向かって走り出した。

 アルバノは呆れたと言わんばかりにため息をつくと、再び青い魔力を纏わせた右手で地面に触れる。



展翅開帳てんしかいちょう____"渦葉頭錐うすばかみきり"』



『うっ!?』


 すると突然、走っていた雄弥が転んだ。

 彼が違和感を覚えて足元を見てみると、右足の土踏まずから足の甲にかけた部分から鋭い木の枝のようなものが突き刺さっていた。

 枝は地面から生えている。しかしさっきまでは無かった。雄弥はこの2つから、これも魔術であることを理解する。


『くそおおおッ!!』


 動きを封じられた彼は倒れた状態のまま左手をアルバノに向け、魔術を放とうとする。

 が、その瞬間またもや地面から生えてきた枝が前腕部分を貫き、最後の左腕までをも使用不能にしてしまった。



『大地に魔力を流し込み、その範囲に存在する植物・虫・動物、加えて鉱物から土の1粒に至るまでを支配し自在に操る。これが僕の持つ魔術特性、「如樹きさらぎ」の力だ』



 アルバノは雄弥に歩み寄り、倒れている彼の顔の前にしゃがみ込んだ。


『さて。もう1度聞こう、ユウヤ君。ここまでか? それとも続けるか?』


『……ッ!!』


 片腕片足を貫かれて地面に固定された雄弥は身体を起き上がらせることもできず、自分を見下ろすその男を仰ぎ見ることしかできなかった。


『こ……の……』


 せめて何かを言い返そうともしたが、溜まりに溜まった疲労と全身からの絶え間の無い激痛、そして貫かれた足と腕の出血により遂に限界を迎えた雄弥は、とうとう気を失い顔を伏した。




『……ふん。中身の伴わない威勢だけの男。全く心底反吐へどが出る』


 アルバノは右手の光を消し、術を解除する。


『理解したか? 自身を持つのと調子に乗るのとでは意味が違うってことだ。たかだか2週間足らずで人が変われるなんて思うなよ、ボウヤ』


 気絶している雄弥にそう吐き捨てると、彼はきびすを返して去って行った。


 広場に来てから数時間。いつのまにか日は頂点に到達し、真昼間となっていた。




 

  


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