第9話 散歩

『街に行ってみましょう』


 訓練を始めてから1週間後の朝。2人で机に向かい合って朝食を食べている際、唐突にユリンが言い出した。


『へ? 街?』


『はい。ユウヤさんも1年半後には私と同じ兵士になるんです。それなのに自分が住んでいる街の様子すらも分からないんじゃ話にならないですしね』


 確かに俺は転移してから1度もこの山の外に出たことがない。しかし、この世界はどんなところなんだろう、ということを考える余裕も無いほどに毎日が忙しいため、全く気にしていなかった。


『それに、ずっとこんな山の中で私なんかと2人っきりじゃストレスが溜まるでしょ? 気分転換も兼ねて、外を散歩しましょう。私が案内します』


『い、いや私なんかって。俺そんなこと全然思ってないぞ!』


『ふふ、いいんですよ〜? 気を遣わなくたって』


 ユリンは少しからかうように笑う。俺と同じ16歳のはずなのに、このどこか歳下の子供と接しているかのような雰囲気。なんだかこっちまで妙な気分になってくる。


『じゃあ今日の訓練は? 無し?』


『まさか。もちろん帰ってきてからやります。みっちりとね』


 おお、恐ろしい。今日も夜は一瞬で眠りにつけそうだ。


『でも俺を人前にさらけ出すのはまずいってサザデーさんが言ってたけど。大丈夫なの?』


 いまだに理由は知らないが、だからこそ俺は今この山に住んでいるのだ。

 しかしそれを聞かれたユリンは得意げに答える。


『心配無用! サザデーさんにはちゃーんと許可をもらいましたから』


 そういえば昨日の夜、台所の入り口にあるダイヤル式電話で誰かと話してたな……。どうしよう? ちょっと怖いな。でも確かに見てみたい気もするし……。


『う〜ん…………分かった、行こう』


『決まりですね、すぐに支度してください。ただひとつだけ……』


 ユリンは羽織っているカーディガンのポケットをごそごそと弄り、取り出したものを机に置く。


『ユウヤさんには、これをつけてもらいます』

 


* * *

 


 こうして俺は山を降り、別世界を初めてこの目で見ることになった。

 ユリンの服装はやっぱり素朴。カーキ色のロングスカートに、白のブラウス。

 対して俺は転移したときに着ていた、白いシャツと黒いズボン、藍色のパーカーに白スニーカー。そしてさっきユリンに渡された、眼鏡のレンズ部分を黒塗りしたもの、俺の世界でいうサングラスをかけていた。


『……ねぇ、なんでこんなモンをつけなきゃならないんだ?』


『それは訓練課程を全て終えたらお話しします』


 俺の左隣を歩くユリンに聞いても、相変わらず答えが返ってくることはない。わざわざここだけを隠すということは当然、周りの人に見られるとまずいのは俺の眼だということだ。……なんで? 


『そんなことよりユウヤさん。ここは、あなたの世界と比較してどうですか?』


 彼女はわきから覗き込むようにして聞いてくる。実際俺は今、周囲にの光景にかなり驚いていた。

 もとの世界と違うからではない。むしろその逆、あまりにも雰囲気が似過ぎているのだ。

 道は車道と歩道に分けられ、その両脇にガラス窓をつけた石造りの建物が並んでいる。走っている自動車はその形こそ俺のいた世界のものとそう変わらないが、タイヤの幅が細かったりエンジン音がかなりうるさかったりと、使われている技術的には少し古い印象がある。道には等間隔にガス灯が設置され、たまに遠くから汽笛のような音が聞こえてくる。


『あの音はなに? 船?』


『いえ、あれは汽車です。船をご存知なんですね。あ、汽車って分かります?』


『あ、ああ汽車ね。分かる分かる』


 知っているだけで実際に乗ったことはないし、実物を見たこともないけど。汽車……てことは電車はないのか? どうやらこの世界の科学力は、俺のもといた世界ほど進んではいないらしい。


 だが、俺たちとすれ違う人々。こちらはもとの世界とは全く違う。

 みんな赤だの青だのといったカラフルな髪色をしている。瞳の色も同様だ。テレビでチラッとだけ見たことがある渋谷のハロウィンパーティーを思い出した。

 確かにこんな人たちの中に入ったら黒髪黒眼の俺は逆に目立つだろうが、じゃあなぜ隠すのは眼だけなんだ? 頭は出しっぱでいいのはなぜだ? あれ、そういえばサザデーさんも黒髪だったな…………やめよう。どうせ分かんないし。


 そして俺が何より仰天したのは、所々に見かけるとんでもない人たちだ。

 たとえば上を見ると、人が上空20メートルのあたりをふよふよと飛んで進んでいる。スーツを着てネクタイをした初老の男性が、ひどく焦った様子で空を飛んでいた。どうやら会社に遅刻しそうなようだ。

 今度は前。そこにあるのは小さな屋台。肉を売っている屋台だ。店頭には全身の毛を除去されたよく分からない動物が丸ごと吊り下げられている。店主は髭をカールさせたダンディーなおっちゃんだ。

 今おっちゃんは吊り下がった肉を焼いているのだが、なんと自分の両手から炎を出している。時々手の位置を変えて、肉全体に火が通るようにしているようだ。

 お次は右。工事現場のようだ。そこでヘルメットをかぶったたくさんの人が働いているのだが、その作業員のうちの1人が、直径3メートルはあろう巨大な岩を片手で運んでいる。その人は確かに多少筋肉質ではあったが、ボディビルダーのようなガチムキでもない。にもかかわらず、彼はその岩を持ち上げたまま、他の作業員と笑って話しているのだ。


『ああいうのって全部魔術なのか……?』


『そうですよ。ユウヤさんも私を見て、魔術にもいろいろ種類があるっていうのは薄々気付いているでしょう? 私も同様ですが、自分の使える魔術をああやって仕事に活かす人は大勢います』


 空を飛んでる人は、仕事に活かしてるのとはなんか違う気もするけど。



 それから1時間ほど歩いて回った。


『ふぅ、少し休憩しましょうか。ここで待っててください。近くで飲み物を買ってきます』


 そう言うとユリンは走って行った。俺は道端に設置されているベンチに腰を下ろす。

 やはりどこに行っても、俺の生まれた世界と大した違いはなかった。だがこんなに似てるなんてことがあるんだろうか。

 店の広告などに使われているのは明らかに日本語だ。漢字も、平仮名も、カタカナもある。人名はカタカナ、横文字表記だ。まぁまだ名前を知っているのは2人だけだけど。

 それらを俺の先代の転移者が広めたという可能性もあるかと思ったが、しかしユリンに聞くところによれば、転移者とそれに関する情報はごく一部の者しか知らない機密事項らしい。つまり一般人はその存在を一切知らないということだ。それでは辻褄が合わない。


『……どういうことなのさ、いったい……』


 考えるのに疲れた俺は、地面を眺めながらボーッとしていた。


 その時、目の前でドサリと音がした。顔を上げると高齢の女性が地面に膝をついている。どうやら転んでしまったらしい。俺は駆け寄って声をかけた。

 

『おばあさん、大丈夫ですか?』


『ああ、大丈夫大丈夫ありがとう。ごめんなさいねぇ、あたしったらうっかり屋で……』


 その女性はゆっくりと身体を起こし、膝などを軽くはたいた。


『ホントに大丈夫よ。えぇと、私のカバンは……』


 その女性はあたりをキョロキョロと見回す。俺も周りを見てみると、俺の後ろにピンク色の手提げカバンが落ちていた。


『これですか?』


『ああ、それそれ。ありがとうねぇ』


 俺はそれを拾い、渡そうとする。


『え?』


 すると、奇妙なことが起こった。彼女の手に渡る寸前で、カバンが俺の手から消えたのだ。それと同時に、目の前にいる女性が叫び声をあげる。


『きゃーッ! どろぼーッ!』


 さっきまでののんびりとした口調が嘘みたいだ。……って、は? 泥棒?


 俺が彼女の視線の先を見てみると、そこには信じられない光景があった。

 カバンが勝手に動いているのだ。それも地面を這っているのではなく宙を浮いて進み、俺たちからどんどん離れて行っている。


 なんだ、この世界じゃカバンも空を飛ぶのか!? つーかなんでカバンが勝手に動いてるのに泥棒なんだ!


『あなた、お願い! 捕まえて!』


 女性にすがるように頼まれた俺は、訳が分からぬままカバンを追って走り出す。しかしそのスピードはかなり速く、平凡な運動神経しか持たぬ俺の脚では追いつけない。カバンとの距離は開く一方だった。

 しばらく走っていると、カバンの先に人混みが見えた。

 まずい状況だ。あそこに紛れられたら見失ってしまう。しかし俺からカバンまでは現在約20メートル。おまけにさらに離されていっている。間に合わない。どうしたら____



慈䜌盾しらんじゅん!』



 その時、俺の背後から声が聞こえたのと同時にカバンの行く先に透明な円形の壁が現れ、カバンはそれにぶつかった。


『ぶぎゃッ!!』


 そしてなんとカバンが喋ったのだ。それはそのまま地面にぽとりと落ち、動きを止めた。

 俺がその意味不明な状況に混乱して足を止めていると、後ろから背中をポンと叩かれる。


『おつかれさま、ユウヤさん』


 振り向くと、そこにいたのはユリンだった。



* * *



『10時4分、窃盗により現行犯逮捕。まったく、タチの悪い泥棒さんですね』


 ユリンはそう言うと、おでこにタンコブをつくって地面にのびている男に手錠をかけた。その男の右手には、ピンク色の手提げカバンが握られている。


 どうやらこの男は、カメレオンのように自分の身体を周囲に同化させる魔術を使えるらしい。つまりカバンが勝手に動いていたのではなく、透明人間と化したこの男がカバンを持って走っていたのだ。


 そのカバンは無事持ち主の女性に返され、彼女はユリンにお礼を言って去って行った。……頑張って追っかけた俺のことを忘れて。

 ユリンは近くにあった公衆電話で連絡を取り、男を連行するための人員を呼んだ。今は2人でそれを待っている。


『……そりゃ、そうか』


『はい?』


『いや、魔術を犯罪に使う人もいるんだな、って』


『そうですね。ただ魔力の痕跡からすぐ足がつくので、件数はそんなに多くはないです』


『魔力は遺伝子レベルで固有のもの、か』


『その通り。だんだん理解できてきましたね』


 そんな他愛もない会話をしていると、俺たちの前に1台の小さな車が止まり、中から小太りの男が降りてきた。


『やあ、ユリンちゃん。お手柄だったね』


『お疲れ様です、チャーリーさん』


 ユリンはその人にペコリとお辞儀をする。どうやら彼女の同僚らしい。その人は気絶している窃盗犯を紐でさらに縛り上げ、助手席に放り込んだ。


『しかしいつこっちに帰って来てたんだい? あっちで何かあったの?』


『実はサザデーさんの直命を受けまして。帰って来たのは1ヶ月ほど前です』


『元帥直命、か……俺なんかが首を突っ込むことじゃなさそうだな』


 すると、その小太りの男はユリンの後ろにいた俺をジロリと見る。


『ところでそいつはなんだい? 彼氏?』


『まさか、ただのお友達ですよ』


『なーんだつまんないの。まぁユリンちゃんはこんなほっそい男には興味ないか』


 なんだこのおっさん。初対面の相手に向かって失礼な。


『じゃあ俺は行くよ。あとはこっちでやっとくから』


『はい、お願いします』


 男が運転席に乗り、車のエンジンを入れたその時。



 突然、街中に甲高い音が鳴り響いた。消防車のサイレンのような音だ。



 俺が驚き狼狽うろたえ、人々が騒がしくなる中、ユリンと小太りの男の表情が一気に険しいものになる。そして男は車の中にあった無線機のような機械を取り出し、そこへ向かって怒鳴り声を上げた。


『本部! こちら4-76952のチャーリーだ! 出現場所とコード、被害状況を教えろ!』


 少しの間の後、無線から返事がくる。


『こちら本部! 場所はノーム地区北にある森林! 現在確認した限りでは、死亡者3名、重傷者1名! 死亡者のうちの1名は兵士です!』


『コードは!!』


『待ってください! ……確認取れました! コードはエドメラル! エドメラルです!』


 それを聞いた男は、眉間のシワをより深くする。

 

『エドメラル……! また厄介な野郎が出て来やがったぜ……!』


『チャーリーさん、私は現場に行きます。すみませんが車を貸していただけますか?』


『分かった! 気ぃつけろよユリンちゃん!』


 小太りの男は1度助手席に乗せた窃盗犯と一緒に車から降り、その入れ替わりでユリンは運転席に座る。

 

『ユウヤさん、乗って!』


 そしてそこから、何が起きているのか分からずに固まっている俺に車に乗るように指示した。

 俺が言われるがままそこに座った途端、彼女は車を猛スピードで発進させるのだった。








 


 


 


 

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