第10話 最悪の失態

『本部! こちら4-76952! 現在現場に急行中! 状況に進展あれば、随時報告されたし!』


 ユリンは片手でハンドルを握りながら、無線機に向かって大声を上げる。街にはいまだサイレンが鳴り続けており、雄弥は助手席でオロオロするばかりであった。


『お、おい! いったい何が起こっているんだ!? ちゃんと教えてくれよ!』


魔狂獣ゲブ・ベスディアが現れたんです! この警報はそのサイン……! 今はそのポイントに向かっているところです!』


魔狂獣ゲブ・ベスディア!? ガネントか!?』


『いいえ、今回出現したもののコードはエドメラル! 大きさはガネントとそう変わりませんが、戦闘力はまるで別物です!』


 それを聞いた雄弥は、サザデーの言葉を思い出す。かつて自身を捕食しようとしたあの怪物が、魔狂獣ゲブ・ベスディアという種族の中では最も弱い個体だと。

 

『なあ! 魔狂獣ゲブ・ベスディアを倒すのには基本どれくらいの人員が必要なんだ!?』


『……記録の中には、ガネント1体を倒すのに18人の一般兵士が犠牲になった例もあります』


 彼は信じられなかった。最弱のガネントですらそれほどなのだ。なら今回はどうなる。別物と言うからにはその倍、いや3倍の犠牲者が出てもおかしくない。

 しかし雄弥は同時にこうも思った。兵士18人分の強さを持つガネントを、自分は一撃で殺したのだ。自分の中にある莫大な魔力。これを使えば、今回のエドメラルと呼ばれる魔狂獣ゲブ・ベスディアもすぐに倒せるのではないか、と。反動の痛みは辛いが、ユリンがいればすぐに治してくれる。大した問題にはならない、と。


 車を走らせ30分。徐々に人気の無い場所に出始め、しばらくすると大きな森が見えてきた。


『ユウヤさん! ひとつ言っておきますが、私が戻ってくるまで絶対に車から降りないでください!』


 ユリンはいつものにこやかな表情とは打って変わった厳しい顔つきで、隣に座る彼に話しかける。完全に自分も討伐に加わる気でいた雄弥は驚いて彼女を見た。


『え!? なんでだよ! 俺だって戦えるぞ!』


『当然、危険だからです! あなたはまだ魔術を扱って1週間。単純な魔力量が大きくとも、知識や経験が圧倒的に足りません! それにまだ制御も全く出来上がっていない!』


『でも俺はガネントを倒した!』


『今回のは別物だと言っているでしょう! そもそもガネントを倒せたのだって運が良かっただけです! 実戦に博打を持ち込むのは愚か者のすることです!』


『じ、じゃあなんで俺を連れて来たんだよ!』


『知らない場所にあなた1人を置いて行くわけにはいかなかったからですよ! いいですか、約束してくださいね!』



 やがて2人の乗る車は、現場である森の入り口に到着した。

 その森は実に不気味だった。木の形はスギに似ており、かなりの高さがある。やたらと密生しているため、まだ真昼間だというのに中はひどく薄暗かった。

 森の奥からは時々爆音と、獣のような叫び声が聞こえてくる。

 

『いいですね、絶対ここを動いちゃダメですよ!』


 ユリンは俺にもう1度念を押してから車を降り、森の中に消えていった。


 それから10分ほどが経過。ユリンが戻る気配は無く、爆発音が聞こえる間隔もどんどん狭くなっている。それとともに木々が揺れ、あたりには地響きが起こる。

 俺は車の座席の上でずっとソワソワしていた。状況が気になってしょうがないのだ。それはたまに無線から出ている声が耳に入らないほどで、例えるなら、入学試験の合否発表を待ち続けている受験生のような気持ちだった。


『ちくしょう……ホントに何もするなってのかよ……!』


 確かに俺はまだ素人ではある。だが今では、自分の意志で自在に魔術を発動させることができるまでに成長した。ユリンの言うように制御こそ不安定ではあるが、彼女に治してもらえばいいだけのこと。

 やれるはずだ。俺の魔力なら倒せるはずだ。それは確実に俺の中にあるんだから。

 いや違う、そうじゃない。俺がやらないでどうする。そもそも俺は魔狂獣ゲブ・ベスディアといった敵と戦うためにこの世界に呼ばれたんだ。サザデーさんがそう言っていたじゃないか。つまり俺がここに存在する価値は、こういった場でしか見出せない。

 ここで働かなきゃ同じなんだ。もといた世界の、あの惨めな俺と何も変わらない。それじゃダメだ。この世界に残った意味が無い。

 力を得た。俺はもうあの頃の俺じゃない。なんの才能も持たないクズじゃない。それを証明するためにも。訓練で味わった進歩の実感を、より明確なものにするためにも……。


『……やってやる。俺だって、やれるはずなんだ……!』


 俺は車を降り、森の中に足を踏み入れた。



 そこはやはり暗い。進めば進むほどに光は薄れていく。地面はかなりぬかるんでおり、白いスニーカーがすぐにドロドロになった。

 だがそのおかげで、地面にはたくさんの足跡が残っている。間違いなく先に森の中に入った兵士たちのものだろう。これを辿れば現場まで迷わず行ける。

 俺は木の影に入りながら慎重に歩を進める。あたりには生物の気配が一切無く、コバエの1匹すらも見当たらない。それもまた、ここの不気味さを際立たせている要因のひとつだ。


『ハァ…………ハァ…………』


 どんどん近づいてくる恐怖に急かされるように、呼吸が荒くなっていく。

 それでも、初めてガネントを見た時とは違う。俺には妙な自信があった。根拠? そんなものは無い。むしろその根拠を得るために、俺は今こうして歩いているのだ。


『……ん?』


 しばらく歩いていると、1本の木が目に入った。木そのものは他の有象無象と変わらないものだが、その根本に何かがある。俺は目をこらしてみる。

 ……なんだ、肌色? 肌? 

 より気を引き締めつつそこに向かう。そしてそこまであと2メートルほどのところでやっと気づいた。

 人の……手……!?

 間違いない。5本の指だ。その木の影から人の手が見えているのだ。

 俺はごくりと唾を飲み込む。半ばり足状態でそこまで近づき、恐る恐る木の後ろを覗いてみた。


『うっ!!』


 そこにあったのは死体。人の死体が仰向けに倒れていた。それは首から上と左腕、下半身が丸ごとなくなっているというあまりにも無残なものだった。


『おっ……げぇえ!』


 俺は堪らず嘔吐する。

 吐いたのはもちろんその光景のせいもあるが、この死体から発せられている異様な臭いにも起因していた。

 皮膚、いや肉が溶かされているかのような強烈な臭い。なんとか吐き気を抑つけた俺が死体を横目がちに見てみると、その死体の来ている服と皮膚が溶けてぴったりと癒着している。


『酸でもかぶったみたいだ……! 魔狂獣ゲブ・ベスディアに……エドメラルにやられたのか……!?』


 俺の中で、怖れが自信を上回り始めた。ガネントと相対したあの時、もし魔術が発動できていなかったら自分もこれと同じ運命を辿っていたのだということを改めて痛感する。

 やっぱり戻ろうか。

 いよいよそんなことすら考え始めた、その時。


 再び爆発音がした。大きい。すぐ近くだ。


『ぎゃーッ!!』


 続いて聞こえてきたのは男性の悲鳴。目の前に迫る死に対する暴力的な恐怖心が込められた、鼓膜を引き裂くような断末魔だ。

 また誰かがやられた。街で警報が鳴った時にすでに1人が死んでいる。おそらくそれが、今目の前にいるこの死体なのだろう。これで把握した限り2人の者が殺されたのだ。この奥では、もうとっくに10何人がやられているかもしれない。


 ユリンは。ユリンはどうなっている。彼女は無事なのか。ここからじゃ分からない。

 ユリンにはあの防御魔術がある。この1週間1度も、俺の魔術を受けてヒビすら入らなかった強力な壁。あれがあればだいたいの攻撃は凌げるだろう。

 だがもし、もし彼女が死んだのだとすれば、エドメラルというのは俺の魔術以上の攻撃力を有しているということになる。考えたくはない。だが可能性はあるのだ。


『くそッ!! 大丈夫だ! 俺は大丈夫だ!』


 感情を力任せに無理やり捻じ伏せた俺は、悲鳴が聞こえた方向に走り出した。



* * *



『ハァ……ハァ……』


 息を切らしているユリン・ユランフルグの前には、身長2メートル半ほどの化け物が立ちはだかっている。


 エドメラルは、2足歩行。頭の形はまさにカエルそっくりだ。ただし目玉が異常に大きく、その2つだけで顔の面積の半分を占めている。口にはこれまたカエルとは違い、小さな歯が無数に並んでいた。それらは鋭いものではなく、人間の奥歯のようにすり潰すことに特化した平らな歯だった。

 腕の形状はカマキリそのもの。すでに何人も切り刻んだのだろう。膝にあたる部分から先が鮮血で真っ赤にに染まっている。そして下半身は膝から下が鳥の脚のようになっており、全身を芥子からし色の鱗で覆われていた。


『ゲルルルルルル……』


 エドメラルは涎を垂らしながら、眼だけを動かして周囲をギョロギョロと眺めている。


『っ……』


 ユリンはそれを睨みながら、この状況を打破する方法を必死に考えていた。


 彼女の防御魔術、「慈䜌盾しらんじゅん」は、間違いなく強力な術だった。それはたとえこのエドメラルが何千回と攻撃を加えようとも、表面が削れることすらないほどに。

 しかし彼女は自身の魔術を護りに特化させた分、攻撃系の魔術がほぼ使えないのだ。軽い衝撃波を発生させる程度のことはできるが、そんなものは目の前の怪物相手には何の役にも立ちはしない。そして今この場にいる兵士が持つ武器もまた、決定打とするには威力が足りなかった。

 

 私の魔力も残り少ない……慈䜌盾しらんじゅんはあと1回が限界……!


 ユリンは自身の周りにいる兵士を目で見て数える。


 生き残っているのは私を入れて9人。どうしよう。応援がいつ来るかは分からない。せめて、この人たちだけでも…………____っ!?


 突然、考えることに気を取られていた彼女の頭を目掛け、エドメラルが右手の鎌を振り下ろした。額まであと数センチのところでそれに気づいたユリンは、左に飛んで辛うじて回避する。鎌の先端が前髪をかすめ、オレンジ色の毛が数本宙を舞う。


『ユリンちゃん!』


『この野郎ォ!!』


 彼女の後ろにいた兵士たちがマシンガンやバズーカ砲を次々と乱射する。しかしそれらは全て鱗で弾き返され、エドメラルの皮膚を撫でることすら叶わなかった。

 するとエドメラルはユリンを無視し、その者たちを目掛けて走り出した。あっという間に距離を詰め、兵士の1人に斬りかかる。


『ひいッ!』


慈䜌盾しらんじゅんッ!』


 間一髪、鎌はユリンの魔術に阻まれる。しかしエドメラルはそれでやめず、目の前に現れた円形の壁を両手で何度も斬り付ける。


『くっ……!』


 ユリンが絞るような声を上げる。魔力は残りわずかだ。このままでは、防壁はいずれ消滅する。焦りが膨らみ、冷や汗が溢れる。


 どうすれば____



『おい、化け物! こっちを見ろ!』



 突然声が響き渡る。エドメラルは攻撃をやめ、声の方向に顔を向けた。

 そこにいたのは1人の男。身につけているのは泥だらけのスニーカーと黒ズボン、白いシャツに藍色のパーカー。そして、この薄暗い森の中では明らかに邪魔であろうサングラス。


『え!? ユウヤさん!?』


 ユリンは置いてきたはずの彼を見て驚愕する。


『よかった、無事で!』


『な、何してるんですかあなたは! 来るなと言ったでしょう!?』


『心配するなよ! 大丈夫だから!』


 そして雄弥は、カエル頭の化け物に視線を移す。

 醜いなんて言葉では到底足りない、異類異形のその姿。普通であれば見ただけで足がすくむほどの恐怖を覚えるであろうが、今彼が感じているのは安堵だった。


 ____ユリンが言っていた通り、大きさはガネントとほぼ変わらない。やれる。これならやれるぞ!

 

 エドメラルはキョトンとしており、動き出す気配が無い。彼は右手をそれに向け、魔術を撃つ姿勢を整える。すぐに手は淡い輝きを帯び始める。


 獲った……!


 雄弥は勝利を確信した。

 

 ____しかし、それはおごりだった。一握りの天才、百戦錬磨のベテラン。そんな者たちにすら、その感情は大きな失敗を引き起こさせる。無論、彼のような青二才の凡人には何があっても許されないもの。その気の緩みが、ただでさえ未完成である魔力の制御を疎かにした。



 雄弥の肩が、ぼきりと鳴る。



『……え』


 のだ。脱臼ではない。とんでもない力を加えられた彼の肩関節の骨が、丸ごと砕けてしまった。


『ぐあぁあぁああぁッ!!』

 

 固定部を失った彼の右腕はさながら水を出しっぱなしにしたまま放置されたホースのように暴れまわり、そこから放たれる魔術はその場をでたらめに破壊し始めた。


『うわあッ!』


『みんな伏せろォ!』


 兵士たちは狼狽うろたえ地に伏せる。

 巨大光線は周囲の木々の真ん中から上を横薙ぎに消滅させ、最終的にはエドメラルとはまるであさっての上空に向けて飛んでいってしまった。

 



『あ……が……!』


 くそっ! 何でよりによって肩なんだよ! こんな時に限って……!

 俺は右肩を押さえながら地面にうずくまる。状況は最悪だった。今の一撃で決めるつもりだったのだ。どこを怪我しようが、あの化け物を倒した後でゆっくり治してもらえばいい。そう考えていた。だが仕留め損なったどころか、放った魔術は標的にかすりもしなかった。


『ゲルアアアァァアア!!』


 エドメラルは今の一撃を見たせいかすっかり興奮し切っており、巨大な目玉は血走って真っ赤になっている。その視線は完全に俺を捉えていた。


『ゲボ……ゲボボ……』


 そして突如喉を膨らませたかと思うと、俺に向けて口から黄色い液体を吐き出した。


『ぐわっ!?』


 避け損なった俺はそれを左腕で防ぐ。その瞬間、腕の皮膚がジュウジュウと音を立て始めた。


『うがああああぁあぁアアッ!!』


 俺は絶叫を上げ、地面を転げ回る。

 強い酸性の液体、おそらくはエドメラルの胃液だ。ここに来る途中に見つけた死体が喰らったのも、おそらくこれだったのだ。

 皮膚はみるみるうちにただれ、真っ赤に腫れ上がっていく。神経が焼き切れそうになるほどの激痛が絶え間なく脳を襲い、あたりには肉が焼ける強烈な臭いが漂う。


『ユウヤさんッ!』


 ユリンの声に反応して前を見ると、エドメラルが俺に向かって飛びかかってきていた。両腕の鎌を振り上げ、俺を脳天から真っ二つにしようとする。ユリンがこっちに走ってくるが、もう間に合わない。


『わあああぁあッ!!』


 俺は身体を丸め、死を覚悟した。



 

 ____約10秒が経過。


 あたりは異様に静まり返っている。すぐそこまで迫っていたはずの化け物の声も、いつの間にか聞こえない。


 俺は怖々と上を覗き、そして戦慄した。

 エドメラルが消えていたのだ。いや正確には、膝から上の身体全てが綺麗に消滅している。


 身体の痛みのせいで頭もろくに働かない俺が余計に混乱していると、背後からざりっと音がした。

 振り返って目に入ったのは、浅黒い肌、黒髪のポニーテール、白の瞳に高い背丈。立っているのは1人の女性。


『……やれやれ。これだから餓鬼がきのお守りなんざまっぴらなんだ』

 

 サザデーはそう言うと、煙管をひとつぷかりと吹かした。

 

 

 

 

 

 





 

 


 

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