第8話 芽生え
全身から力が抜けていく。
ユリンが立っている。俺の右手から放たれた魔術であろうものの射線上にいた彼女が無事だったのだ。その身体には傷どころか、埃のひとつすら全くついてはいなかった。
彼女が何をしたのかは分からない。しかし俺はそんなことよりも、自分が人殺しになってはいなかったことに、地獄まで覗けそうなほどに深い安堵を覚えた。
ユリンがこちらに向かって走って来る。そのまま地面にへたり込む俺のもとに寄り、視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
『ナモセさん、右腕を見せてください』
俺が言われた通りに差し出すと、彼女はそれを探るように撫で始めた。
わずかに動かすだけで骨に近い芯の部分がズキズキと痛むが、4日前ほどの惨事にはなっていなかった。出血は無いし、おそらく骨も折れてはいないだろう。
『上腕骨に3箇所、二の腕に1箇所ヒビが入ってますね』
……素人がテキトーなことを言うもんじゃないですね。
『筋もひどく痛めたみたいだけど……これくらいなら心配ないですね』
すると俺の右腕に触れている彼女の手が光りだす。あたたかく、どこか心地のいい光。干したての布団や毛布にくるまれているような気分。昨日一昨日の間に俺の重傷を癒した、あの光だった。
5分もするころには肘関節を違和感無く曲げられるようになるまでに回復した。
『……どういう仕組みなんですか? これ』
『う〜ん……多分、今は説明しても分からないと思います。自分で言うのもあれですけど、かなり高度な専門的魔術なので……』
今は? 時間が経てば分かるようになるのか?
『じゃあ、さっきのはなんだったんです?』
『さっきの?』
『俺のその……魔術を防いだやつ。あの透明な壁みたいなやつです』
『ああ、あれも私の魔術です。まぁ雑に言えば防壁みたいなものですね』
サラッと言ってはいるが、あれだけのパワーを持つ光線を丸ごと防ぎ切るって……。いやそれとも俺が勝手にそう思いこんでいるだけで、実はあれは全然大した威力じゃなかったのか? 魔術の強さの基準がよく分からんよ。
『でも私もホントに危なかったんですよ。術を展開するのがあと1秒遅れるか威力があの3倍くらいになっていたら、私はあの光線に飲み込まれていました』
どうやら、俺の魔術はやっぱり強力ではあるらしい。……てか逆に言えば、あれの2倍の威力でも耐えられるってことなの? あの壁……。
俺は目の前にいる彼女に対して、だんだん得体の知れない怖さを感じ始めた。
『まぁそれは置いといて。どうですか、ナモセさん。2度目の魔術を撃った今の気分は』
その言葉で、俺は先程の出来事が訓練の一環だったことを思い出す。
『そうだ。なんでまた急に……』
『あなたの身体が魔術を使うということを覚え始めたんです。それこそ最初に撃った時のことを思い出すだけで、反射的に出てしまうほどに』
『バカな! 今回でまだ2回目なんですよ? いくらなんでも早すぎる』
『あなたの身体に受け継がれた魔力。それが今あなたの身体にものすごいスピードで馴染んでいるんです。ましてやそれがより膨大なものとなれば、あなたの身体という器が満たされるのはあっという間。言うなれば、急激な成長期というわけです』
『成長期……』
『サザデーさんも仰っていたでしょうが、魔術というのは最初の1歩さえ越えてしまえばその先は早い。この世界では歩くことよりも先に魔術を使い始める者がザラにいます』
う〜ん……結局よく分からんが、まぁいっか。
俺が楽観的に考えているとユリンが立ち上がり、その顔つきが急に真剣なものになる。
『そしてあなたにとって何よりも大事なのはここからです。自分の中の魔力を極限まで抑え、自分の身体への負担を可能な限り軽減させる。これができなければ、あなたは魔術を使うたびに身体のどこかを失っていくことになります』
背筋がゾクリと音を立てる。
俺は、薬指が根本から綺麗に消えてしまった右手を見てみる。まだこの感覚には慣れていない。指が1本無くなっただけなのに、握り拳をつくるときにうまく力が入らないのだ。これまで薬指なんて全然使わないと思っていたが、失くしてみて初めてその重要性に気づく。人体に、余計なものなど無いのだ。
『……教えてくれますか。そのコントロールの方法を』
俺も立ち、彼女の目を見て尋ねる。すると彼女はにっこり笑い、
『はい、もちろん! そのために私がいるんですから』
と、元気溌剌に答えてくれた。
* * *
それからは毎日、同じことの繰り返しだった。朝起きてすぐに筋トレをし、終わったらユリンによる健康観察。朝食後に山頂の広場に行き、ユリンが作り出した防壁に向かって魔術を撃ち込み続ける。日が沈むんだら訓練終了。最後に広場の中でランニングをして、1日のメニューが完遂する。
俺が2日間療養したあの施設。そこがそのまま訓練期間中の俺とユリンの居住区となっている。病室以外にも、もといた世界でいうところの台所や浴室に似た人が生活するための各種部屋が備わっており、思っていたよりは快適だった。
ただ、入浴時は丸い石ころで身体を擦って垢を落とし、台所に設置されているガス台は自動点火式ではなく、使う時はいちいち自分で火を起こさなきゃならない。
食事はユリンが用意してくれる。見た目はそれほど変わったものではなく、味も少し不思議ではあるがそれなりにおいしくはあった。ただ俺が見たことのある食材はひとつもなく、肉っぽいもの、野菜っぽいものといった程度の区別しかつかない。
そして訓練の最大の目的である、魔力の抑制。これがもう泣きたくなるほど難しかった。
感覚としては手足を使うときと同じなのだ。思いっきり力を込めてブン殴るか、軽〜くコツンとこづくか。俺の場合はこれをコツン寄りにしなければならないのだが、いかんせん要求される度合いが違いすぎる。
例えるなら、賞味期限が明日に迫ってものすごく脆くなっている生卵の黄身を、潰さないようにつまみ上げろと言われている感じ。あるいは、4つに折り畳んだティッシュを水で濡らし、それを破らないように再び広げる、というのも近いだろう。繊細だとか緻密だとか、そんなレベルでは決してない。冗談抜きで気が狂いそうだった。
当然何度も失敗を繰り返し、そのたびに俺の腕はズタズタになった。ユリンがその場で治してはくれるが、彼女の魔術でもすぐには治しきれないほどの深傷を負ってしまうことも多々あり、俺の腕の表面はその傷跡でどんどん埋め尽くされていく。
それでもユリンの言う成長期なだけあって、4日もするころには自分の意志で魔術を放つこと自体はできるようになり、自分の中にとてつもなく大きなパワーの源があることもなんとなく感じていた。
俺は落ちこぼれである自分を、自分の人生を変えるためにここにいる。そしてまさに今、そのための道を本格的に歩みつつある。莫大な力と、それを徐々に我がものとしているという確かな実感。それさえあれば訓練中の痛みすらもすぐに忘れることができた。
だがそれは同時に、俺の心に小さな自惚れを芽生えさせた。
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