第7話 ユリン・ユランフルグ
2日後の朝。俺はガネントに追っかけ回された場所、例の芝生の広場におり、そこの中央に足を伸ばして座り込んでいる。
この2日の間に分かったことだが、どうやらここは標高約200メートルの山の頂上であり、俺が療養した施設もこの山の中にあるものだった。聞くところによればこの山全体があのサザデーの私有地らしく、人前に姿を晒すことを避けるため俺はしばらくこの山の中で生活することになるらしい。なぜそんなことをする必要があるのかは、教えてもらえなかったが。
そしてもうひとつ。この世界の時間単位だが、どうも俺のもといた世界とほぼ変わらないらしい。1分は60秒、1時間は60分、1日は24時間、1週間は7日、1年は12ヶ月となる。12時間ごとに太陽、いや太陽のようなものが昇り沈みを繰り返す点も一緒のようだ。ただ少し違うのは、この世界での1ヶ月は一律に30日間を意味するということ。まぁさしてどうでもいいことではあるが。
右手の薬指が無くなってしまった以外は、身体の怪我はほぼ完全に治りきっている。あのユリンという女の子が1日に3回俺の病室を訪れ、懸命に治療を施してくれた。
一口に治療と言ったが、その際も俺には全く理解できないことが起こっていた。たとえば右腕の切り傷を治す際、ユリンはそこに自分の手を置くのだ。そして彼女の手がかすかに光ったかと思うと、その3秒後には傷はぴったりと閉じ、跡も残さずに消えてしまっていた。確かに怪我は治ったのだが、俺はそのあまりにも奇妙な現象に軽い吐き気を覚えた。
聞いたわけではないが、おそらくあれも魔術の1種なんだろう。どうやら魔術には攻撃の他にも様々な使い方があるみたいだ。
『遅いなぁ』
俺はぽつりと呟く。そもそもなぜ俺が今この場にいるのか。
昨日の夜、サザデーが病室に来て言ったのだ。今日から訓練を開始するから朝にこの場所で待て。お前に魔術の扱いを教える教官が来るから、分からないことはその人に教えてもらえ、と。
どうやら俺を呼んだ張本人であるサザデーが教えてくれるわけではなく、別の誰かに指南役を押しつけたらしい。まだ出会ってから3日ほどしか経ってないが、彼女が相当勝って気ままな人物であることはもう嫌というほど理解した。
しかし、遅い。俺がこの場所に到着してから体感ですでに1時間は経過しているが、その人物は現れない。
今日は少しばかり風が強く、周囲の木々がさわさわと揺れていた。
『ナモセさ〜ん!!』
突然前方から声がしたかと思うと、こちらに向かって走ってくる人がいる。あれ? あの声は……。
『ごめんなさい遅れちゃって……! 結構待ちましたよね……!?』
俺の前まで来たその人は、膝に手を置いて俯きながら息を切らしている。濃いオレンジ色の髪、160以下の身長、この2日間、ベッドの上にいながら聞き続けたものと同じ声。明らかに知っている人物だった。
『え? ユリン、さん?』
俺の怪我を治してくれた、ユリンである。俺は立ち上がると、彼女は顔を上げる。
『なんでユリンさんがここに?』
『え? なんでって……サザデーさんから聞いていないんですか?』
『聞くって……人が来るまで、ここで待てと……』
『へ? それだけ?』
『はぁ、それだけ』
それを聞いたユリンは呆れたようにため息をつく。
『全くサザデーさんは……いっつも大事なことばっかり伝え忘れるんだから』
そう言うと彼女は上体を起こし、羽織っているコートの襟をぱたぱたと整えつつ、俺に正面から向き合う。背丈の関係から、俺が見上げられる形になった。
『サザデーさんの命令で、あなたへの魔術に関する指導を請け負いました、ユリン・ユランフルグです。改めてよろしくね、ユウヤ・ナモセさん』
そう言うと彼女は右手を差し出す。握手? へぇ、この世界にも握手の文化があるんだ____って、え?
『指導って、あなたが……!?』
『はいっ』
彼女はにこりと笑いながら答える。
『いや、ユリンさんは医者じゃないんですか?』
『ただの医者でも間違いではないですけど、私は正確には軍医なんです。医師の資格を持つ前から軍隊に所属しているので、戦闘に関するいろはもひと通りなら教えられます』
なぬ、軍隊!? 戦闘のいろは!?
彼女から出た言葉は、俺が勝手に抱いていた彼女のイメージとは明らかに違う。ぽわぽわとしたあたたかく柔和な雰囲気、俺と同じかそれ以下にしか見えないほどに幼い顔つき。純度100%の偏見ではあるが、ケンカどころか虫の1匹すらも殺したことがなさそうだ。それなのに……。
『……私が教官では、不満ですか?』
黙って考え込んでいると、彼女は少し心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
『い、いや違う! そういうわけじゃ……ない……んですけど……』
『よかった! なら、これから一緒に頑張りまししょうね!』
俺が言い淀んでいるにも関わらず彼女はぱっと明るくなり、差し出していた手で俺の右手をぱしっと掴む。彼女の掌は柔らかく、すべすべだった。
……俺、大丈夫なのか!? 本当に……!
こうして、俺の魔術訓練が始まった。
* * *
『さて、まずはあなたの今後のことについてお話しします』
現在、俺は再び地面に座っており、目の前に立つユリンの説明を受けている。
『あなたの訓練期間は全部で1年半です。最初の半年で魔力の制御及び魔術の使い方を、次の半年で兵士として最低限の身体能力を身につけ、残りの半年はその総まとめをしてもらいます。そしてそれら全てが修了したのち、あなたには私の所属する軍に一兵士として入隊してもらうことになります』
『俺が軍に? なぜですか』
『それが我々にとってあなたを1番管理しやすい方法であり、またあなたにとっても最も動きやすい立場であると判断したからです』
『誰がそんなことを……』
『提案したのはサザデーさんですね』
ここで俺の頭には、またひとつの疑問が浮かぶ。
『さっきユリンさんは、サザデーさんの命令で俺の教官を引き受けたって言いましたよね。その……ユリンさんとあの人の関係って……?』
『彼女は、私が所属している軍の元帥、最高責任者です。つまり私にとっての上官にあたります』
俺は心底驚いた。あのように適当かつ勝手極まりない人物が、一大組織の頂点に立っているというのだ。
だがひとつだけ納得のいったこともある。サザデーの、あの女性とは思えないほどに引き締まった身体。あれはつまりそういうことだったのだ。が、目の前にいる彼女がその同類だとは、やっぱり思えなかった。
『それと、ユリンさんなんて呼び方はやめてください。歳だって同じなんですから。ユリンでいいですよ』
『え? 俺、自分の歳言いましたっけ』
『え? サザデーさんに聞きましたよ。あなたの名前と一緒に』
なんだ、そういうことか。……そういうことか。
『この話は、今はとりあえずこのくらいでいいですね。それじゃあ____』
ふいにユリンがコートを脱ぎ、綺麗にたたんで地面に置く。下の服装は、上下白のジャージのようなものだった。
『さっそく、魔術に関する訓練を始めていくことにしましょう』
ついに来たな。といっても例の如く、どんなことをするかは見当もつかないのだが。
俺は地面から立ち上がり、緊張をほぐそうと息をひとつ吐く。
『ふふ、そんなに固くならないで。ではナモセさん、まずあなたにはやっていただくことがあります。4日前にあなたはこの場所で、魔狂獣ガネントに対して魔術を発動しましたね? それに至るまでのことをよぉく思い出してみてください。できる限り、細かいことまでしっかりと』
言われた通りにしてみる。あの恐怖を忘れるわけがない。今でも思い出すだけで汗と震えが止まらなくなるんだ。
車と変わらないスピードで走る化け物。そいつに後ろから喰われそうになる。そいつをなんとか避けてしばらく逃げたあと、太い腕で殴られてブッ飛ばされる。お次は避け損なった爪で腹を抉られる。そしたらいよいよワニみてぇな口が____
『うっ!?』
その時突然、右腕に妙な違和感が奔る。この感覚には覚えがあった。見てみるとやはり、右の膝から
『よし、そのまま! そのままですよ!』
そういうとユリンは急に背を向けて走り出し、俺から50メートルほどの距離をとった。そしてそこから大声で俺に呼びかける。
『ナモセさん! 私にその右の掌を向けてください!』
意味が分からないが、俺は言われるがまま離れた位置にいる彼女に向けて右手をかざす。
『そしたら、また思い出してみてください! 続きからでいいです! 魔術を撃つまでのことを!』
なんだよ、なにをしようってんだ!?
不安が止まることを知らないが、従うしか道はない。俺は再び記憶を辿る。
デカい口が迫ってくる。抵抗は全く意味を為さず、サザデーは見てるだけで助けてもくれない。牙がおでこに刺さり、頭の骨に穴を開けられそうになる。その寸前に、この手から____
最後まで思い出しかけたその刹那、かざした掌から巨大な青白い光線が放たれた。
『なあっ!?』
あの時と全く同じ、大地を揺るがすほどの凄まじいパワーだった。俺は必死に足を踏ん張るがその威力に全く耐えきれず、身体はどんどん後ろに下がっていく。それを放つ右腕はまだ折れてはいないようだが、関節という関節が全て外れてしまいそうなほどの激痛が奔っていた。
『うぐああああああぁあッ!!』
身体がつんのめり始める。痛みが全身に広がり、腕の骨がみしみしと音を立てる。もう駄目だ____
と思ったのと同時に、光線が止まった。
『ハァッ……! ハァッ……! ハァ……!』
雄弥は全身から大量の汗を流し、膝から地面にへたり込む。
彼の眼前に広がる光景は実に凄惨だった。光線が通過した部分の地面は抉り取られて深い溝が出来上がっており、その周りの芝生も1本残らず消し飛んでいる。辺りには土煙が宙を舞っていた。
彼は大きく息を切らしながら、ズキズキと痛む右腕を確認する。筋をひどく痛めてしまったようだが幸い血は出ておらず、骨も折れた様子は無い。
『なんで……こんな急に……ッ!!』
雄弥は考える。なぜまた魔術が出たのか。記憶を辿っただけだというのに。こうなることが分かっていたのか? それを指示したユリンは。……と。
そして、彼ははっとする。とんでもないことに気づく。
『そ、そうだ! ユリン!』
そう。彼はユリンの指示を受けて、右手を彼女に向けていた。つまりあの光線が放たれた先に彼女がいたはずなのだ。雄弥は慌てて顔を上げ、彼女が立っていた場所を見ようとする。しかし周囲に浮かぶ埃のために、50メートル先の地点までは確認できなかった。
『そ、そんな……まさか……』
雄弥の焦りは最高潮に達する。立ち上がろうとするが、痛みですぐに転んでしまう。
どうしよう。彼女は死んだのか。いや、自分が殺してしまったのか。2メートルの怪物の頭が一瞬で消滅したのだ。もしくらってしまったら、死体だって残るはずがない。
彼の目の前が真っ暗になりかけた、その時____
『あ……!?』
今日は少し風が強い。それに流され、土煙が徐々に晴れていく。そして、50メートル先のそこ。その場所にユリンはいた。
彼女の前には、透明な円形の壁ができていた。直径は彼女の身長の3倍ほど。そして不思議なことに、その壁から後ろの地面は全く抉れていなかった。
雄弥が呆然としていると、その壁はフッと消えて無くなる。そして____
『ああ〜ビックリしたぁ……。ホントにすごい魔力ですね』
少女は何事もなかったかのように、笑顔を見せていた。
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