第6話 致命的な欠陥

 ぼんやりと、感覚が戻る。

 少しずつまぶたを開けていき、眼球に外の光を浴びせる。そこで見えたのは真っ白な天井。

 続いて耳をすましてみる。すぐそばで、ガラス瓶が軽くぶつかる音がした。  

 お次は鼻。2、3回空気を吸ってみる。妙な匂い。鼻の中がスースーする。これは……アルコール? 消毒液か? 

 半分以上沈んでいる意識の中、周囲の状況を掴もうとする。もっと目を開こうとまぶたに力を込める。すると突然、目の前に人の顔が飛び込んできた。


『あ、よかった。意識が戻りましたね』


 ……誰だ。

 知らない顔。濁りを含んでいる視覚で辛うじて捉えたその輪郭から、女性だということは分かる。


『大丈夫ですか? 今サザデーさんを呼びますから、ちょっと待っていてくださいね』


 そう言うとその人は視界から消える。かちゃり、ばたんと、扉を開け閉めする音がした。

 ……さざでーさん? さざでーさん……さざでー……。


 !! そうだ、サザデー! あの野郎!


 頭の中の霧が晴れ、俺は全てを思い出す。牢屋の床が昇り出したこと。そこに縛られていた化け物から逃げ回ったこと。そして命の危機にさらされた自分の声を無視し、終始眺めるだけをしていた女のことを。

 上体をがばりと起こすと、俺がいたのはベッドの上だった。目に映ったのは一面の白。天井以外、壁も床も。視線をずらすと戸棚があり、中には小瓶がいくつも並んでいる。そのすぐ横には3本の太いパイプがついた謎の機械っぽい何か。

 その景色、そしてさっきから感じている独特の匂いから、俺は昔入院したときのこと思い出した。


『病室……病院か……?』


 俺はふと、自分の身体に目を下ろす。右腕は肩から指先まで包帯でぐるぐる巻きにされており、ギプスで固定されているのか肘が曲げられない。胸にも何か固い布のようなものが巻いてある。そして所々に貼られた正方形の絆創膏。


『……夢、じゃないんだよなぁ』


 それらの患部に残る生々しい感覚から、これまでのことが全て現実のものであったことを実感する。

 別世界。魔力を凝縮したという光の球。ガネントと呼ばれる怪物。そして____


『魔術……』


 その怪物の頭を一撃で消し去った、凄まじい光。俺は包帯に隠れた右手を見る。

 あれを放った一瞬のことははっきりと覚えている。全身の血液を掌から噴出したような、全てを持っていかれる感触。身体の表面は燃えるどころか融けてしまいそうなほど熱くなり、逆に芯の部分は火傷をするほどに冷たい。うまく言葉では表せないが、決して気持ちのいいものではなかった。



『あっ、ダメですよまだ寝てなくちゃ!』


 記憶を蘇らせていた最中急に部屋の扉が開き、そこから入ってきた女性に身体を起こしていたことを咎められる。その声から、さっき自分の顔を覗き込んでいた人物と分かった。その女性は慌てた様子で俺に走り寄ってくる。


『え、あの』


『いいからホラホラ、横になって!』

 

 そのまま俺に喋る隙を与えず半ば強引にベッドに寝かせる。


 身長は160かそれ以下。ふわふわとした髪をボブカットにし、左のもみあげ部分に3本の細い三つ編みを作っている。髪色は夕焼けのような濃いオレンジだ。大きく真っ赤な瞳はルビーを彷彿とさせ、限りなく白に近い肌の中で存在感を際立たせている。

 服装は質素なもので、縦に縞が入った鼠色のセーターに、膝丈ほどの黒いスカート、その上から白衣を着込んでいた。また、黒のニーハイソックスを身につけ、革靴を履いている。

 服に関しては別段おかしなものではない。だがその髪と瞳の色は今までに見たことのないもの。目の前にいるこの人もここ別世界の住人なのだと理解した。


『じゃあお熱計りますね。ベロの下に入れてください』

 

 ベッドのそばにあった椅子に腰掛けた彼女はそう言うと、俺の口元にガラス棒のようなものを近づけ、咥えるように促してくる。そのガラス棒には目盛りがついていた。

 え、これ体温計?

 日本では割れた際の危険性などから製造及び販売が禁止され、そもそもそれ以前よりとっくに使われなくなっていた水銀体温計にそっくりだった。

 言われるがまま、それを咥える。

 

『35.8……ちょっと低めですね』


 その女性はその数値を紙に書き込み、俺はその様子を横目で覗く。

 顔立ちから判断するに、歳は俺と同じくらい。女性というよりまだ少女だ。そんな人が白衣なんか着て……医者、なのか? こんな子が? 

 そんなことを思っていると、またもや扉がガチャリと開く。入ってきたのは____


『よう』


『な……!』


 サザデーだった。


『丸1日も眠りこけおって。待たせられる身にもなってほしいな』


『なんだと!? 誰のせいだと思ってんだよ!! だいたいあんたが____』


『ナモセさん、静かに! 傷に響きます。サザデーさんも怪我人にそんなこと言うのはやめてください』


 俺が大声を上げかけたところを、白衣の少女が俺たち2人を静かに制する。


『はいはい、すまんな。まぁあれだけの傷と出血があったことを考えると、1日で回復したのはむしろいいほうか。ユリン、相変わらずお前はいい腕をしている』


『まだ完全に治癒できたわけじゃないですよ。特にこの右腕は、最低でもあと2日は動かせません。神経も一部切れたままですし……』


 サザデーは少女をユリンと呼び、親しげに話している。俺との時とは違い、その目はとても優しげだった。

 ……あれ。今この女の子、俺の苗字を____


『……名前、言いましたっけ』


『サザデーさんに聞いたんですよ。ユウヤ・ナモセ。あなたの名前ですよね?』


 普通に考えればそうだろうし、実際そうらしい。しかし俺の心の中に、変な違和感が立ちこめる。

 この感覚……なんか、前にも……?


『それでだな、ユウヤ君』


 俺の思考に割り込むように、サザデーが話しかけてくる。


『最初の訓練はほぼ予想通りに済んだ。君が莫大な魔力を手に入れていることは確認されたし、魔術を撃った際の感触はまだ身体に残っているはずだ。つかみは無事に終えたというわけだ』


 あれが予想通り!? それに無事ってどこが! この人俺をおちょくってんのか!?

 

『その怪我が治り次第いよいよ本格的な訓練を始めるわけだが____それにあたり、ひとつだけイレギュラーが発生していることを伝えておこう』


『……イレギュラー?』


『君は右腕に大怪我を負ったわけだが、それはあの時に放った魔術の反動によるものだ。銃を撃つときは必ず、リコイルの衝撃で腕がぶれてしまうだろう? この怪我はそれと同類のものを威力のみ何百倍にも膨れ上がらせてくらった結果だと思ってくれ』


 銃なんか触ったこともないけどね。


『ここで提示しておくべき前提として、人が魔術を使う時は体内の魔力をエネルギーとし、それを加減することで術の威力を調節する。しかし、魔術を扱う際の1番の難関となるのがこの加減なのだ。詳しい説明は面倒だから省くが、結論から言うとこの世界のほとんどの者が、自分の体内にある魔力の1%ほどしか魔術として還元できていない。自分の本当の力を引き出せていないのだ』


 ……要は、火事場の馬鹿力、ってやつか? 人間の脳は普段、体力を急に消耗させないようにするために筋力を大幅に抑制しているとかいう話を聞いたことがある。ちょっと論点は違うけど、内容的にはこれと似たもんだろ。


『専門的な訓練を積めば、上方へのコントロールがある程度はきくようになるがな』


『あの、何が言いたいんですか?』


『分からんのか? 腕1本を失いかけてまで放ったあの超威力の一撃は、君に宿る魔力のうちの僅か1%分しか発揮されていない、ということだ』

 


 …………え? 



『いや、あれが生まれて初めて使った魔術だということを考えれば、もっと下、せいぜい0.5パーセントほどと見ていいだろう。つまりあの時放った魔術は、全開時の200分の1の威力しか出ていなかった、ということになる』



 ……馬鹿な……! あんな大砲何十発分とも知れないやつが、200分の1!? 



『イレギュラーというのはこれだ。君の体内に入った魔力は、私の予想を何倍にも上回って増幅されてしまった。発動した時の反動に君の身体が耐えられないほどに、膨れ上がってしまったのだ』


 俺は自分の右腕を見る。掌の部分を触ってみると、中指と小指の間の空間がやけに広い。おそらくだが、薬指が無くなっている。そして俺の隣で黙って会話を聞いているユリンさんはさっき、この腕の神経の一部がまだ切れっぱなしだと言っていた。

 1%、いや0.5%でこのザマなのだ。もしあれ以上少しでも威力を上げたら、今度こそ腕は根元から千切れるだろう。いや、下手をすれば全身がバラバラになるかもしれない。


『私はさっき言ったのと同じように、君への訓練課題は自分の中の魔力をより引き出すためのものを与えるつもりだった。しかしその内容を真逆のものに変更する。君はこれから、自分の中の魔力を極限まで抑制することを覚えなければならない。詳しいことは2日後に教えるが、それだけは頭に叩き込んでおけ。余計な怪我をしたくないのならな』


 話を終えた彼女は踵を返し、部屋から出て行った。



* * *



『頭に入れろったって……』


 部屋の中、雄弥はベッドに仰向けに寝転んでいる。

 あの後、ユリンと呼ばれた少女は彼の身体の状態のチェックを終え、あと2日はここで過ごすことになる旨を伝えて出て行った。

 

 部屋の窓から見える景色は暗い。今はどうやら、夜らしい。雄弥はこの世界にも昼夜の区別と同じものがあることを理解した。

 しかしここを、この状況を現実として受け入れるには、あまりにも突拍子のないことが立て続けに起こり過ぎている。この世界に残ることを決めたのは他でもない彼自身であり、ここが別世界であることを示す事実は既にいくつも示されている。だがそれでも、考えをまとめるのが全く追いつかないのだ。


 雄弥は眠りにつくため、目を閉じる。視界の全てが黒くなる。

 先は見えず、不安は耐えない。果たしてこれでよかったのか。もとの世界に帰らずによかったのか。ここに残ったのは、正しい選択だったのか。彼の未来はまさに今見ている光景と同じ、一点の明かりも無い闇そのものだ。



 結論から言えば、彼がここに残ったのは正解ではあった。しかし……彼自身が幸福でかどうかは、最後まで分からず仕舞いだったのである。

 






 


 


 



 


 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る