5月29日 土曜日

【俺が創作論で伝えたいのは、ルールに従うことではなく、ルールを使いこなし、もっと自由に自分らしく表現することである。】


これは、主に創作論のはなし。


────真夜中の創作論より転載


【国文法から逆算して考える、創作論】

型に押し込める人ほど、自由発想から遠ざかるという話。


文章に関するルールというのは共通思想を持つためや伝わりやすくするため、相手との合致の為に存在する。つまりは統一に関する理念。


理念とはある物事についての、こうあるべきだという根本の考え。

ある意味、これが俺のレビューに対する姿勢である。


国語を専門に習うと、恐らく二つの道が開けると思う。一つは、ルールに従うという道。これは教える側。

もう一つは、表現法は合図でしかなく、表現自体は自由発想であるという事。


ルールを使って、合図を送るということが出来る言うこと。

例えば、詩と小説の書き方は違う。

特に重要になるのが句読点。


何故これが重要なのか分かる人は、変な創作論を掲げたりしない。


”、”は何処で切るかによって強調の度合いを変えたりニュアンスを変えたりすることが出来る。これを使いこなせる人が文章の構築において、最も優れた人である。


詩というものには”句読点”を付けない。その代わりに、リズムや言い回し、文字数、言葉選びなど沢山の表現法を駆使して作られるものである。句読点を付けないことにより、感じ方に自由を産むことが出来るのである。


例えば、小説でなら同じ言葉の繰り返しはシツコイと感じても、詩ならリズム。強調という意味合いも持つ。述語をつかわないのも詩の特徴。その代わりに倒置法なんかを使い、文を整える。

これは詩、そのものの書き方の話。


詩的な表現の仕方というのは、少し異なる。

詩のように自由に感じてくださいね、という合図であって、詩ではないという事。


最終的にこれが何を意味するのかと言えば、読む人によって感じ方が異なる、自由だが一つの答えを持たない小説。という事である。


それが、コンテストなどで小説でないと判断されるかどうかは、また別の話である。

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