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「ただいま」と言いながら玄関ドアを開けると、部屋の中からの返事はなかった。

 リビングに続く扉の向こうでは、暖色の照明の光に混じって、チカチカと点滅する別の色の光がおどっている。くぐもった銃声や爆発音が聞こえているところから察するに、ドアの向こうにいる相手はきっと、眠ってなどいない。現実からログアウトし、仮想現実の中で殺戮さつりくを繰り返しているのだろう。理央はわずかに溜息をつきながら、脱ぎ散らかされた男物のスニーカーを並べ直し、その隣に自分の靴をそろえて置いた。



 リビングのドアを開けると、テレビ画面に映し出された戦場の光景が「PAUSE」という表示とともに一時停止する。コントローラーを握っていた身体が、理央のほうに振り返る。高城雄平たかぎゆうへいはいつものように人懐こい笑みを浮かべながら「おかえり」と声をかけてきた。まだあどけなさが残る顔には、子供のような笑いえくぼが浮かんでいる。



「待ってた。ねえ、今日は何を作ってくれんの」

「秘密」

「ちぇー。まあいいや、お腹空いたから何でもうまそうだし」



 そう言うと、雄平はテレビの方へ向き直り、ポーズを解除する。再び、頭に響くような銃声や爆発音が部屋の中を満たしてゆく。やれやれ……と思いつつもそれを咎めるわけでもなく、理央は食料品が詰まったエコバッグを手に、キッチンに向かった。



 一年ほど前のある日、理央が勤めているアパレルショップに客として訪れたのが、当時はまだ大学生の雄平だった。その時は同年代と思しき彼女を連れていたが、理央が働く店に初めて来てから、程なくして別れたのだという。あいつが理央さんに見惚れてたおれに怒ったから……と本人は語っていたが、これほどまでに分かりやすい嘘もないだろうと思った。時折、テーブルの上で震える雄平のスマートフォンに来るLINEの通知によって、呆気なくその裏付けは取れた。店の中で雄平が得意げに呼んでいた「元恋人」の名前を、理央は覚えていたのだった。



 今日買ってきたものと、冷蔵庫に残っていたものを取り出す。玉ねぎを刻んで、合い挽肉や卵、調味料たちと一緒にボウルに叩き込んだ。両手で手早くね、タネを一掴みすると、お手玉のように両手で空気を抜く。ぱん、ぱん、と掌を打つ肉の塊の音が、まるでついさっきの男との行為を思い起こさせるようで、理央は手を止めないまま、わずかに俯いた。

 ハンバーグを焼き、同時に手早く作ったソースを添え、ライスなどと一緒にリビングに持っていくと、雄平は既にゲームをやめて、スマートフォンに指をすべらせていた。理央が手に持っている皿の中身を見て、目を輝かせる。黙っていればそれなりに大人びた顔立ちをしているのに、そういうところでまだ抜けきらない少年っぽさをのぞかせてくるのは天然の所作か、あるいは策略なのだろうか。深く考えることをやめて、理央は大人の女としての余裕を見せながら、テーブルの上に夕食を並べた。

 スマートフォンを伏せて置いた雄平が、声を弾ませる。



「ハンバーグだ。おれ、超好きなんだよね」

「出てきたのがお肉料理だったら、いっつもそうやって言うよね。雄平は」

「仕方ないよ。男はいつまで経っても、結局は"男の子"なんだよ。理央さんだって、そんなことわかってるだろ」

「まあね」



 ははは、と雄平は大きく笑ったあと「いただきます」と手を合わせて、もぐもぐと食事を平らげはじめる。作ったもののほとんどは雄平の皿にのせていたから、理央は茶碗によそったわずかな白飯、申し訳程度のミニハンバーグとサラダに手をつけた。



 読み書きができれば入学も卒業も容易い大学を卒業した雄平は、アルバイトや日雇いの派遣をやりながら食いつないでいた。しかしそれを咎めた父親と大きな喧嘩をしたことをきっかけに、実家を飛び出してしまった。友人たちの家を渡り歩いて、いよいよ誰にも頼れなくなったとき、雄平が訪れたのは、理央の働くアパレルショップだった。

 行くあても金もない、という雄平を邪険にできなかったのは、もともと押しに弱い理央の性格か、あるいは理央が付き合っていた恋人に振られたばかりだったというシチュエーションのせいなのか、今も答えは出せないままでいる。



 七歳下の男を居候させている……などと他人に言うわけにもいかず、かと言ってアパレルの仕事の稼ぎだけで二人分の生活費を賄うのも、辛いものがあった。すぐに、かつ簡単に金が得られる方法として、理央が自分が生まれ持った性別を使うことを選ぶまで、それほど長い時間はかからなかった。雄平はそのことについて知らないふりを貫いているが、うすうす感づいているに違いなかった。それでも雄平が再び仕事に就く気配は未だにないままだ。今となっては、理央の顔色を窺って就職情報誌を捲る姿もみられなくなった。最近はどことなく、破れた羽根で命からがら辿り着いた、理央という花の蜜を吸い尽くそうとしているようにも思える。


 そう思っていながらも、いつまでもこの男を家から叩き出すことができない自分に、少し腹が立った。口の中に自分への苛立ちも混ぜながら、やわらかい肉を噛む。理央の口の中で、しゃり、と肉に紛れた大きな玉ねぎの塊が音を立てた。




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