世界の終焉から

第31話目ざめ

 由貴ちゃんと香澄さんが仲直りをして、世界が崩れ去り、夢のような時間が終わりを告げると、僕はパッと目を覚ました。滲んだ白い天井。ツンと鼻を突く消毒液の匂い。左腕に刺さった点滴の管。僕はすぐさま状況を把握する。視界が歪んでいるので、上体を起こして枕元に無防備に置いてある眼鏡を掛けると、色々とごっちゃになっている頭を整理する。

 多分僕は、他人に関する記憶をほぼ完全に失ってしまったことにより、最近問題になっている意識不明の重体とやらに陥ってしまったのだ。それで目を覚まさない僕を見つけた母さんか父さんが僕を病院に入れてくれたのだろう。そう思い、両親の顔を思い出そうとするが、何も思い出せない。ズキリと脳を引っ掻かれたような嫌な痛みだけが頭に走る。

 どんな人だっけ? 何をやったか、どういう思い出があるのか、そういう記憶はあるのに、まるで靄がかかったかのように名前や顔が思い出せない。本当にもう、誰も思い出せないのか……。そう思い、僕の薄っぺらい人生を思い返してみるが、やっぱり誰も思い出せない。みんなの顔にモザイクがかかっている。

 ……いや、違う。かかってない人がいるじゃないか。こんなところに長いこといるわけには行かない。僕と同じ状況なら、あの人は僕のことを今も待ってるんだ。

 だから行かなきゃ! 

 強く心に思い、僕は病院のベッドから立ち上がろうとすると、突然扉が開き、そこから老け顔の優しそうなおばさんが病室に入ってきた。誰だろうと首を若干傾げると、そのおばさんは優しく微笑を浮かべ。

「峻ちゃん。もう体は大丈夫なの?」

 ベッドの近くに置いてある木製の丸椅子に腰掛けてそう聞いてくる。”峻ちゃん”。

 その呼び方で、僕はこの人が母親であることを察する。まあ僕なんかのお見舞いに来てくれる人なんて、親以外いないから分かりきってたけど。心の中で勝手に卑屈になりつつも、僕は心配させまいと無理して笑顔を作る。

「うん。大丈夫だよ。心配かけてごめん」

 僕はいつも通り喋ると、母さんは心底安心したような表情でホッと胸を撫で下ろした。

「よかったー。昨日『ご飯ができたよ』って峻ちゃんを呼びに言っても全然起きないから、お母さんすっごく心配しちゃって。でもすぐに目が覚めてくれて本当に良かった」

 それから母さんと少しだけ雑談した後に、僕は窓の外に視線を向ける。空は雲ひとつない真っ青な世界が無限に広がっている。今何時だろう。キョロキョロと周りを見渡し、自分のスマフォを探すが見当たらない。

「ねえ、僕の携帯知らない?」

 母さんにそう聞くと、母さんは膝の上に置いていたショルダーバックから僕の携帯を取り出し、それを僕に渡してくれた。

「ありがとう」

 感謝の言葉を述べてから、急いでスマフォを開く。時刻は11時23分。時間を確認すると、僕は電源を落としてベッドから立ち上がろうとするが、すぐさま母さんに止められる。

「峻ちゃんどこ行くの? もう少し安静にしてなきゃダメじゃないの?」

「だ、大丈夫だよ。それよりも行かなきゃいけない所があるから」

「行かなきゃって、どこに?」

 聞かれて言葉が詰まる。なんて話せばいいんだろう。ある日突然不思議な世界に行って、そこで出会った女の人のところに行くって素直に伝える? でも果たしてそんな戯言を信じてもらえるのかな? じゃあ隠し通す? でも僕が記憶を失ってしまったのは事実だし、いつまでも隠し続けられることじゃない。それに、隠す必要もないし……。

 僕はなぜ意識不明になってしまったのか、自分の身に何が起こったのか、ここ数日間の出来事を大まかに話した。すると母さんは何も否定せずに、サッとお金を渡してくれる。

「え……?」

「あなたはバイトとかもしてないし、遠くまで行けるお金もないでしょ」

「でも……」

「いいから、行ってらっしゃい」

 お金を渡してくれた母さんの顔は、寂しそうに曇っていた。なんだかものすごく申し訳ない気持ちなる。僕がもっと充実した人生を歩んでいれば、今頃こんなことにはなってなかったのに。

 たらればをいくら考えたところで無意味なのに、僕はそれを考えずにはいられなかった。でも、何もかも失ったわけじゃない。失ったことで得られたもの、得られるかもしれない人がいる。だから、早く行かなきゃ。

 母さんからお金を受け取ると、左腕に刺さってる管を抜き、僕はベッドから立ち上がる。
























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