第30話仲直り

 香澄さんが入ってきたことを由貴ちゃんは視界の隅に捉えつつも、決して顔を香澄さんのいる方へと向けはしない。その状態のまま、香澄さんは一歩だけ前に出る。私と峻輝はそこで空気を読むように端っこに避けると、二人の様子を見守った。

「……ねえ由貴」

 香澄さんはものすごく優しく問いかけるように由貴ちゃんの名前を呼ぶが、由貴ちゃんは俯いたまま何も反応しない。そこから沈黙が数十秒続き、またも香澄さんが口を開く。

「どうしたら……。どうしたら、もう一度、昔みたいに戻れるかな……」

 小さく、呟くようにそう漏らした香澄さんの言葉に、由貴ちゃんは立ち上がり力一杯声を張り上げて怒鳴りつける。

「自分で壊したくせに! 私は幸せだった、なのにあなたが私を捨てたんじゃん! ずっと待ってた。寂しくても、孤独でも、ずっと待ってた。なのに……なのに……!」

 大粒の涙を瞳に浮かべ、プルプルと小柄で小さな体を震わせながら由貴ちゃんは精一杯の声で香澄さんに怒鳴る。その様子だけで、彼女が今までどれほどの悲しみを抱えてきたか容易に想像できる。

 由貴ちゃんに強く言われ香澄さんが何も言い返せないでいると、追い打ちをかけるようにして由貴ちゃんは香澄さんを攻め立てる。

「私なんかどうでもよかったんだ! だから私を置いて、遠くに行けたんだ!」

「それは違う!」

 由貴ちゃんの発言を即座に大声で否定する香澄さん。

「それは違う……違うよ……」

 涙を流してしまいそうなほどか細い声で香澄さんがそう言うと、由貴ちゃんは一瞬だけ気圧されていた体を前に出し、

「何が違うの?」

 と問い詰めた。だから香澄さんは、震えるか細い声で、淡々と自らの過ちを悔いるようにして話し出す。

「ずっと迷ってた。何が正しくて、何をしたらいいのかわからなくて、ただひたすらに迷宮のような人生を彷徨ってた。

 由貴のお父さんに捨てられて、ずっと夢だった女優を志しても才能がなくて、何度も何度も死のうと思った。

 でもそんな無責任なことできなかった。だって私は、由貴のことを誰よりも愛していたから……」

 ぽつ、ぽつと涙を垂れ流す香澄さんの瞳は、まっすぐ由貴ちゃんに向けられていた。

「由貴のことをどうでもいいなんて思ったこと、私は今の今まで一度だって思ったことない。でも、私のわがままで由貴に辛い思いをさせたのに、そんな私がどの面下げて由貴の前に姿を表すんだって思ったら何もできなかった」

 涙を流し、ヒックヒックと嗚咽を漏らしそうになりながらも、香澄さんは言葉を紡ぐ。

「でも、ずっと後悔してた。あの日の選択を……」

 香澄さんは申し訳なさそうに一瞬だけ顔を地面に向ける。

「だから、もう一度やり直してくれませんか?」

 はっきりと力強くそう言い切った後に、続けて。

「もう一度、私のことを母親だと思ってくれませんか?」

 涙ながらに。

「もう一度私のことを、『お母さん』って呼んでくれませんか?」

 香澄さんは頭を下げる。すると由貴ちゃんは、プルプルと肩を震わせて。

「もう、次はないから……。だから、おかえり……お母さん」

「うん。ただいま!」

 涙して、二人は熱い抱擁を交わす。その瞬間、世界にひびが入ったかのようにして、世界が崩れていくのを感じる。涙を流して抱き合う二人を尻目に、グラグラと世界は崩壊していく。



























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