第27話 病状説明(ムンテラ)





「──マーシュ先生。相談したいことがあります」

「おや、スミレ様。こんな時間までどうしたのですか?」


マーシュ先生は本日、王都を離れて周辺の小さな村へ出張診察をしていたらしい。


診療時間終了から2時間は経過していたが、アンナさんのことをすぐに相談したくて待っていた。


「アンナさんについてなんですが……」

「パン屋のアンナさんですね。私もあそこのパンは買ってますしアンナさんともよくお話をさせてもらってますね。

しかしその真剣な表情、アンナさんに何かありましたか?」

「ええ。実は……」




マーシュ先生に私の疑っているアンナさんの病名について話した。


もちろんこの世界では解明されていないし、マーシュ先生の記憶といままで読んだことがあるという資料では前例がないという。





──その病気とは、筋萎縮性側索硬化症《ALS》。


簡単に言うと全身の筋肉が萎縮していき死に至る不治の病で、感染性は無く運動を司る神経の運動ニューロンに異常が生じてしまう病気だ。現代日本だけではなく現代の世界においても治療法はない。


そして、この病気の恐ろしいところは不治の病という事だけでは無い。



……ALSエーエルエスは、全身の筋力が徐々に低下していく。しかし、痛覚、触覚、感覚は低下することはなくそのまま残るのだ。


認知症併発や稀に低下する場合もあるが、比較的認知機能は保たれている方が多い。


つまり、“筋力が低下し寝たきりとなって身体が自由に動かせなくなっても意識はハッキリしている“状態になる病気。



……これは中々想像しずらい状況だろうが、ベット上で30分間大の字に寝て、手足を動かさずに待機して見ると簡単にではあるが体感ができる。


中々の苦痛である。これを私は楽だと言う人に出会ったことは無い。


それに加えて、このALSは呼吸筋機能が低下するため呼吸が出来なくなり死に至るので現代日本では人工呼吸器を装着する場合が多い。


延命の為、多くの方はこの処置を選ぶが……




喉を切り開き、管を入れ、管の刺激で痰が出て呼吸が苦しくて、身動きが取れない。




痛いのに動けない。


痛いのに伝えられない。


苦しいのに動けない。


苦しいのに、辛いのに、痛いのに……。





……そんな残酷な病気がALSだ。





「──なるほど。そのALSというものがアンナさんに疑われているという、スミレ様のいた世界に存在した病気ですか」

「そうです。私は医師では無いので確定診断が出来ませんが前の世界で看ていた患者さんと症状が酷似しています。恐らくこのまま病状が進むと嚥下機能は悪化し、構音障害という喋りにくくなる障害が生じます。そして、四肢の筋力低下を生じ動けなくなり、呼吸機能も低下していくと呼吸が困難となり……」

「治療法は無いのですね?」

「……はい。対症療法と経管栄養や人工呼吸器といった物を使用した延命のみになります」


現代日本には点滴治療で進行を遅らせるというのもあるが、この世界には点滴治療もないし、その薬品も私には作れない。仮に作れたとしても微かに進行を遅らせる程度なので、完全な治療薬とは言えない。



「確定できませんが、私が今まで関わってきたALSの方の初期症状と似ています。……アンナさんには時間がありません。症状を自覚してから1ヶ月程度と仰っていました。ALSは進行が早い方はとても早くあっという間に寝たきりになってしまいます」

「私も確定診断は出来ないですが、進行が早い疾患なので一刻も早く宣告をして残りの時間を有意義に使ってもらいたい……というのが本音です」


アンナさんが疑われるのは球麻痺型と言われるALSで、球麻痺症状(嚥下機能障害や構音障害のこと)が特徴的である。最も進行が早いと言われ、発症から3ヶ月以内に死亡する場合もあると言われている。


しかし、その“3ヶ月以内“というのは、現代日本前の世界での治療をフル活用した場合の話だ。人工呼吸器があればもう少し違うのだろうけど、ここはそんな物は存在しないし仮に使えたとしてもそれは僅かな延命処置でしかない。



「……明日、医師としてアンナさんに私から話してみましょう。私の知識で断定できる病ではありませんし、この世界で前例の記録がない疾患なので理解を得られるかどうか不明ではありますが……」

「すみませんお願いします。……私も同席しますので」



治癒魔法で怪我や体内の炎症の殆どが何とかなってしまうこの世界でも、病名は医師が診断するものらしく、アンナさんへの説明はマーシュ先生にお願いすることになった。


本当であれば言い出しっぺの私がきっちり責任を持って説明するべきだけど、私は異世界から召喚されてアンナさんは今現在前にいた世界で不治である病に罹患している可能性があります……だなんて、それこそ普通の人からしたら説得力は無くて信じて貰えるか分からないし巫女の存在はなるべく公には出来ないので仕方がないのだけれど、マーシュ先生に押し付けているようで罪悪感が募る。




──翌朝、アンナさんへ病状説明ムンテラを行うこととなった。



「おはよぉ。スミレちゃん!今日も頼むねぇ!!喉も相変わらずだから腰と一緒に頼むわ」

「おはようございます、アンナさん。あの、突然にはなるんですけど本日治療が終えたらマーシュ先生からお話があるのですが宜しいですか? 」

「……マーシュ先生から? 大丈夫だけれど、何かあったのかい? 」

「……後ほどお話させて頂きますね。そうしましたらこちらへお願いします」



一気に笑顔が消えて不安そうな顔になるアンナさん。


突然そんなことを言われたら不安になるよね。

……前の世界でもよく医師はこの仕事ムンテラが一番辛いと言っていた。




「──アンナさんこんにちわ。改めましてアシュク診療所の医師、マーシュです」

「……何を改めましてよぉ。知ってるわよマーシュ先生には昔からお世話になってるしゃない。一切あの頃から変わらないわねぇ」

「アンナさんも昔と何一つ変わっていませんよ。少し笑いじわが増えたくらいですね」

「ふふ。失礼なやつだねぇ。

……ところで先生。私の体に何かあったんだろう? 」


何かを察するアンナさんに、マーシュ先生は切り出していく。


「……実はアンナさんは難病に罹患している可能性があります」

「……そうか。なんだかそんな気がしていたよ。それはどんな病気なんだい? 」


意外とあっさり受け止めるアンナさん。

しかし、ここからが辛い話になるが大丈夫だろうか。


「……ALSというこの世界でも稀に生じる難病が疑われます。確定的な診断は出来ませんが初期症状と酷似している症状が出現していると思われます。飲み込みずらさや息切れ、手の握力低下……ですね。進行性の疾患で、徐々に筋力が失われ歩けなくなり食事も困難になります。治療法は無く、食事が取れなくなれば経管栄養法という方法で鼻に管を入れてスープ等を摂取していただきます……」


マーシュ先生が1度説明を止める。

アンナさんは、しっかり一言一句受け止めているようだった。


「アンナさん。辛い話ですが、続けて宜しいでしょうか? 」

「ええ、大丈夫だよ。しっかり受け止めるから話して欲しい」

「では、続けますね。

先程、申し上げましたがこの病は治療法はありません。次第に呼吸筋が衰えていき、呼吸が出来なくなり死に至る病となります。もしも、ALSだった場合は進行は早い方はとても早いので動けなくなるのも時間の問題かもしれません……。“この“世界にはALSと確定する手段はありませんので、あくまで可能性の話ですが……」


そう。確定診断が出来ないため、これはあくまで可能性の話になる。


いきなり、こんな根拠のない話を信じてくれ!!とも思わないが、アンナさんはどう受け取るのだろう。



「マーシュ先生」

「はい」

「その話、信じるよ」

「あの……自分から話しておいてですが、突然申し上げた話ですし、確定診断も出来ませんが信じて下さるのですか?」

「ええ。実は私の姉が若い頃に同じ様な症状が出て、直ぐに動けなくなってポックリ逝っちまったんだ。最近自分に起きてることは歳のせいかとも思っていたんだけど、その時の姉の身体に起きている異変と似ているなと思っていたんだよ」



……アンナさんのお姉さんも似たような症状が出現し、その後直ぐに亡くなっていたとは。

ALSは家族性ALSの場合もある為、初めて診断を受けた人の身内にALSがいるとなんとなく自分もそうなのでは?と予想がつく人がつく人が多い。


「……それにマーシュ先生とは長い付き合いだ。先生がそんなに悲しそうな顔をしながら話すもんだから、嘘じゃないことぐらいわかる」

「……そんな顔をしていましたか?」

「ええ。とっても」







「──あの。アンナさん」


治癒と診察を終えて帰宅しようとするアンナさんに声をかけた。


「どうしたんだい、スミレちゃん」

「辛い話を突然してしまい、すみませんでした」

「どうして謝るんだい? 早い段階で知れてよかったんだよ。姉は何もわからずに死んだ。まだ若かったし、やりたい事も沢山あっただろうに。けど、私はどうだい? 90まで長生きしてどっちにしろ寿命で死ぬんだ。むしろ、治療法がないとしても近いうちに動けなくなると聞いたら動けなくなる前にやりたい事をやらなければ行けないと思えた」


ぽんぽんっと私の頭を撫でるアンナさん。

実質余命宣告とも言える診断を受けて辛い状況であるはずなのに、どうして優しくできるのだろう。



「……あの。私に何かお手伝い出来ることはありませんか」

「そんな、スミレちゃんの時間を私に割くことはないわよ」

「いえ、やらせて欲しいんです……!!何でもいいので何かあれば……!!」



アンナさんの為に何かしたい。

残りの時間でやりたい事ことのお手伝いを。



「……じゃあ、パン屋を継いでおくれ?」

「……ぱ、パン屋を……ですか?」


──まさかのパン屋を継いで欲しいと。

どうしようパンは食べるのは好きだけど作ったこともないし、私に出来るのか?


「……なんて冗談だよぉ。間に受けちゃって!!! ナースのスミレちゃんは才能あるしこのまま続けて欲しいわよ」

「本当ですか? でも跡継ぎ探しとかなら……」

「ごめんねぇスミレちゃん、さっきのは本当に冗談だよ。旦那と始めたパン屋も私が死んだら店じまいするつもりだったんだ。弟子入りしたいって言ってくれる人も結構いたんだけど全員断ったくらいだよ」

「そうですか……」

「いいんだよぉ気を使わなくて。とても嬉しいけど患者1人に真剣に向き合ってたら身体が持たないからもう少し気を抜いて? ね? 気持ちだけ貰っておくよ。ありがとうねぇ」




大体の方はこのALSの診断を受けると残酷な病気が故に本人だけではなく家族までもが取り乱してしまうことが多いが、アンナさんは病状説明ムンテラの際、常に落ち着いて聞いていた。


アンナさんは早めに知れてよかったと言ってくれてはいたが、優しい彼女の性格を考えると気を使ってくれているのだろう。


……しかし、今頃になってアンナさんは知らない方が幸せだったのでは? と、良かれと思って自分のした行動が間違っていたのではないかと思えてきてしまった。

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