【四話】めんどくせえが壁をよじ登ることにした
閉ざされた牢獄に、三つの息遣いが重なり合う。
一つは【勇者】の紋章を持つ者――ジリュウ。
一つは己の進むべき道を踏み外した女性――ユリーヌ。
そしてもう一つ、喉を鳴らし二人の姿を瞳に映し出さぬ者――……
「ザル……チッ、うぜえな。テメエの名前なんざどうだっていいんだよ。んなことより、クソ男爵はどこにいやがる! さっさと俺様をここから出しやがれ!」
「ちょ、ちょっとあんたね! ここを明るくしてくれた人に、その態度はないでしょ!?」
「うっせえんだよ、クソアマッ!! 誰も明るくしろなんて頼んでねえだろ!!」
ジリュウの主張に対し、ユリーヌが言葉をぶつける。
けれども何も通じない。他者の意見が通ることが無い。
何故ならば、ジリュウは勇者だからだ。
己が持つ紋章が【勇者】であることを知った日から、世界中の誰よりも崇拝される存在なのだと信じて疑わなくなった。
そう、たとえ今現在、奴隷として牢獄に囚われていようとも。
一方で、ユリーヌは頭を抱える。
牢獄に閉じ込められ、死を間近に感じ取っているというのに、唯一の顔見知りがこのざまだ。【勇者】の紋章を持っていると宣言したかと思えば、他者を利用すべき道具としてしか見ていない物言いを繰り返す。こんな男が、創造神に選ばれし勇者であるはずがない。
認められるはずが無い。仲間と共に憧れ夢に抱き目標としていた存在を軽々しく語って欲しくない。
仮にそうだったとしても、自分は絶対に認めない……と、ユリーヌは肩を落とす。
そんな二人の様子を、ザルドディアと名乗る人物は、声と声がぶつかり合う音を耳で拾う。そして何かを理解したのだろう。その口元には笑みを浮かべている。
「――くくっ、君達は随分と威勢がいい。聞いているだけで笑いが込み上げてくる」
「おいこら、何暢気なこと言ってんだ! 俺様もテメエも、あのクソ男爵のせいでこんな汚え場所にいるんだぞ!? 脱獄する方法でも考えて俺様の役に立ったらどうなんだ!」
ここでようやく、ジリュウはユリーヌから視線を移す。そして気付いた。
地べたに座り壁により掛かるザルドディアが、瞳の無い顔をジリュウへと向け、口角を上げていることに。
「な、なんだこいつ……まさか目が見えねえのか?」
言葉の通り、ザルドディアには眼球が存在しない。
故に、その表情は不気味さを増していた。
「くり貫かれてしまったものでね」
「く……一体、誰がそんな酷いことをしたの……?」
何が原因で目をくり貫かれてしまったのか。そして何故、自分達と同じく牢獄に囚われることとなってしまったのか。
得体の知れない人物を相手に、ユリーヌは距離は保ちながらも問いかける。
「影さ」
「……影?」
影、とザルドディアは答えた。
その意味が分からず、ユリーヌは眉をひそめる。
「よ、よく分かんないけど……それじゃあ、あんたはどうして捕まっちゃったの……」
「魔核のほとんどを破壊されてしまったのが原因と言えるだろう」
「……魔核? ……え、え? ひょっとして、あんた……魔物なの!?」
更に問いかける。それもそのはず、魔核を持つのは魔族のみ。
ユリーヌ達も、魔力の付与などを行う際に魔核を扱うことがあるが、それ自体を体内に取り込むことは出来ない。もしそんなことをしてしまえば、魔核の残された魔力によって体を支配されてしまったり、自我を失うこともあるからだ。
だが、それだけでは終わらない。
「くく、魔物とは失礼じゃないか。今は囚われの身のワタシだが、これでも魔人の端くれなものでね」
魔物ではない。ザルドディアは、己が魔人であると告げた。
魔族の中には、人型を成し、人語を扱う者が存在する。彼等は魔人と称され、数多存在する魔物の上位種族である。魔力の量や魔核の有無など、見抜く術を持たざる者では、人間と魔族を見極めることは困難だ。
「う、嘘でしょ……なんで魔人がこんなところに囚われてんのよ……!?」
両目がくり貫かれていようが、魔核のほとんどを破壊されていようが関係ない。魔人であるという事実だけで、ユリーヌは死に等しい恐怖を一瞬にして感じ取る。
「騙ってんだろ、クソが。俺様をビビらせようったって、そうはいかねえからな?」
恐怖を顔に貼り付けたユリーヌとは対照的に、ジリュウは堂々としている。嘘だと決めつけているが故の態度だ。けれどもザルドディアは、淡々と言葉を音にしていく。
「とある人物との死闘の末、衰弱し命からがら逃げ延びたのだが……残念ながら、この館の主に見つかってしまったものでね。ほら、ご覧の通りだ」
両手を伸ばし、手の平を見せる。
黒く滲んでいるが、そこには小さな魔法陣が描かれていた。
「彼が言うには、これは束縛魔法らしい」
「バカかテメエは? んなもん、擦って消せばいいだけだろ」
「バカはあんたの方でしょ! 魔法陣は魔力を行使して描き出すものなのよ、擦って消えるようなものじゃないのよ!」
ユリーヌの反撃に、ジリュウが舌を打つ。だが、ユリーヌは怯まない。
魔法や魔法陣に対する知識の欠片すら持たざる者が、勇者の名を語るな、と心の中で吐き捨てる。
「でも……さっき、魔法を使ってたけど、それならここから逃げ出すことも出来るんじゃないの……」
「彼の所有物に攻撃する行為を禁じられている」
そう言うと、ザルドディアは溜息を吐く。
ローデルの所有物とはつまり、この館全てである。ザルドディアを捕らえている牢獄自体もローデルの所有物なので、ザルドディアには脱獄する術が無いのだ。
だからこそ、息を吐いた後に喉を鳴らす。
「畜生ッ、誰でもいいからこっから出しやがれっ! おいっ、聞こえてんだろ!」
ガンガンガンッ、と音が鳴る。ジリュウが足で鉄格子を蹴る音だ。
魔力が巡っているのだろう。ジリュウ達を閉じ込める牢獄の鉄格子はびくともしない。束縛魔法を掛けられていない者が相手でも、そう易々と脱獄を許さない造りのようだった。
「おいテメエ、ザル……なんとかって言ったな? 魔法使えるんだろ? だったら今すぐ俺様に支援魔法を掛けやがれ! そうすりゃこんな鉄格子なんかグニャグニャにねじ曲げてやるぜ!」
「それは無理な願いだ。ワタシの魔力は枯渇状態なものでね」
「ああ? なんで無理なんだよ、テメエさっき魔法使ったじゃねえか!」
「魔核のほとんどを失ったと言っただろう? 故に、ここを灯す程度のことしか不可能だ」
魔族は、魔核から魔力を精製している。
その魔力量は魔核の大きさに比例し大きくなっていく。
普段のザルドディアであれば、支援魔法を扱うことは造作も無いことだ。しかしながら今現在、魔核のほとんどを失っており、残されたのは欠片程度のものだった。
故に、現段階で支援魔法を行使してしまえば、その瞬間に魔核の欠片が精製する魔力量の限界を超えてしまう。その先に待ち受けるのは、死あるのみ。
「クソがっ、八方塞がりかよ……ッ!!」
「くく、案ずることはない。ワタシに策がある」
「策だと……?」
一人では活路を見いだすことが出来ないでいたのだが、今ここにはジリュウとユリーヌがいる。この二人を利用することで、ローデルの支配下から脱出することも出来るかもしれない。
「君達は、そこにある横穴から滑り落ちてきた」
そう言うと、ザルドディアは牢獄の隅を指差す。
ジリュウとユリーヌが顔を向けると、そこには人工的に作られた穴があった。ローデルの奴隷達の手によって意識を奪われた後、二人は牢獄へと続く穴に落とされていたのだ。
「今のワタシには、ソレをよじ登る力はないが、君達ならば可能だろう?」
「はあ? なんで俺様がそんなめんどくせえことしねえといけねえんだよ?」
出口は一つ。牢獄へと通じる道を戻るだけだ。地上までの距離は定かでは無い。失敗すれば牢獄へと逆戻りである。
但し、それでもこのまま処刑されるのを待つよりはマシだ。
「……行くわ」
もう一度、外に出たい。ここから逃げて故郷に戻りたい。
その思いがユリーヌの背中を押す。
「テメエ、本気かよ? 頭大丈夫か?」
「あんたと違って、あたしには生きる理由があるのよ」
「ふざけんじゃねえぞ? 俺様だってこんなところで死んでたまるかよ!」
苛々を隠そうともせず、何度も壁を蹴り、舌打ちを繰り返す。
しかしそれも徐々に収まり、やがてジリュウは決心する。
「クソクソクソがッ!! 行けばいいんだろ行けば……畜生がっ!!」
横壁に空いた穴に顔を突っ込み、ジリュウは暗闇の奥を覗く。牢獄を照らし出す光が届かないほど、先は長い。
「俺様が先に登るぞ」
「なんでよ」
「もし滑り落ちても、テメエがクッションになるだろうが」
「……あんたって、やっぱり最低ね」
ジリュウに対し、何度溜息を吐いたことか。ユリーヌは既に数え切れなくなっていた。
そんな二人の会話を耳にしたザルドディアが、餞別とばかりに一言付け加える。
「そうそう、もし地上に戻ることが出来たならば、角の生えた少年に知らせてくれるかな。ワタシがここにいることをね」
牢獄に囚われていたザルドディアが、どうして角の生えた少年が館にいることを知っているのか。
「おら、もたもたするんじゃねえ! クッションはクッションらしくついて来やがれ!」
「う、うるさいのよ!!」
だが、その疑問はジリュウの言葉によって頭の中から抜けていく。
後に残されたのは、瞳を持たない魔人が一人。
照らされていた牢獄に、闇が再び訪れる。
暗がりの中に響くのは、喉を鳴らす笑い声だけだった。
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