キャロルの走馬灯

萩尾みこり

第1話 死神ジニー、聖夜の街に繰り出す

「はーいそれでは、今から点呼しまーす」


 ある街の空の下に、少女の声が響いた。声にあわせて、毛先がウエーブがかった薄紫の髪が肩の上で揺れる。街灯の真下に立つ彼女の足元には影がない。彼女は前にいるものをまっすぐ見たまま、胸元のリボンの位置を整えた。それに合わせたような黒い服はまるで喪服のようにも見えるが、彼女にとってそれはただの制服だ。

 死神。死者の魂を冥界へと送り届ける者たちの総称である。彼らは朝に街にやってきて、夜に冥界へと魂を送り届ける。

 この点呼をとっている少女もまた、死神の一人だ。二人と一匹の霊を前に、はつらつとした明るい声色で彼らに語りかけている。


「まずその一! 先日事故で死んだ幽霊A!」

「へーい」

「返事は真面目に!」


 不真面目な返事を返した霊の丸い頭を指先で小突いてから、少女は言葉の続きを発した。


「次! 食あたりで死んだ幽霊B! 食べ合わせは大事!」

「はーい……」


 先程の様子を見ていたのか、それとも心当たりに対する後ろめたさか。霊がしおらしく言葉を発するのを満足そうに眺め、少女は二人と一匹の一匹こと、猫の霊を前にする。猫の前でかがんで、その頭を撫でた。霊とはいえ、死神のような存在が触ればその毛はふかふかそのものだ。


「それから大往生した猫様!」


 その言葉に合わせて猫がにゃあと鳴いた。思わず少女も頬を緩める。そうしてまた頭を軽くなでた。猫の反応は薄いが、少女はそれでも満足した。

 しかし、仕事を忘れたわけではない。これは小休止と言うやつだ、小休止。少女は猫の頭から手を放すと、改めて揃っている霊の人数を確認した。今日迎えに行く霊は、人間が三人と……。


「あれ、幽霊Aと幽霊B。もう一人見てない?」


 そう、今日迎えに行く霊は人間が三人と猫が一匹。しかし少女の前にいるのは人間二人と猫一匹。あきらかに一人足りない。疑問に思いながら、少女は『迎えに行く死者リスト』を取り出し、ぺらぺらとめくる。今日の日付のリストを開き、人間三人と猫一匹であることをあらためて確認する。おかしいな、と少女は呟いた。そして、リストには載ってるんだけど……などとぼやいた。

 しばらくして少女は顔を上げた。目の前の二人の霊は、まるで「迎えに来たのがこいつだから逃げたのでは……?」「俺もそう思う……」などということを考えているかのように見えた。実際そうだったのか、それとも少女の勝手な思い込みか。何にせよ、少女にとっては不愉快な態度だ。霊たちに向けていい笑顔を浮かべ、少女は奴らににじり寄る。そう、とてもいい笑顔で。


「ちょっとそこ、かなり失礼なこと考えてないかしらぁ?」


 霊二人は思わず後ずさる。少女もまた、それを追うようににじり寄る。表情はさっきからずっと笑顔のままだ。


「この死神ジニーちゃんを前にして……」


 霊――限りなく魂に近い形をしている彼らを上から見下ろす、少女――ジニーはずっと笑顔だ。それがいわゆる相手にプレッシャーを与えているというものではあるが、それは彼女の思惑通りなので問題はない。要は、この霊二人から失礼な思考の謝罪を引き出すことができればいいのだ。失礼な思考とやらがジニーの勝手な思い込みだとしても。


「滅相もございません」

「そうですともそうですとも」

「わかればよろしい」


 つまるところ、このように。


「……」


 謝罪を引き出して満足した死神ジニーは、改めて思考を巡らせる。

 先程確認したとおり、迎えに行く霊は人間三人と猫一匹。しかし現場にいるのはこれまた先程確認したとおり、人間二人と猫一匹。一人足りないのも先程から変わらない。考えても、時折霊たちに笑顔を向けてびびられても、現状のままだ。


「でもさあ、ちゃーんと規定にそって迎えに行くとは言ったんだよねえ……」


 ジニーはそう独り言をつぶやいた。

 死神が霊を迎えに行くタイミングにはいろいろある。死後すぐに行く場合と、時間を置いていく場合だ。さまざまな要因が重なって迎えに行くタイミングが異なるため、霊には迎えに行く前にかならず連絡を入れることとしている。彼女らのように霊的存在にのみ通じる印で。

 実際、ジニーは今回の仕事の前に全員に迎えに行くと知らせた。はずである。三人と一匹ぶん。シーリングスタンプのような印がついた手紙に、「いつ頃行くか」を書いたうえで。

 色々考えた結果、状況から導き出される有力な答えは一つ。つまり……残りの一人は知らせを受けた上で逃げ出したということだ。


「困るんだよあの野郎!」


 ジニーがとっさに出来たのは、その場で地団駄を踏むこと。それから、高らかに叫ぶことだった。

 事前にやることはやった。それなのにこれだ。正直めちゃくちゃ困る!


「死神業務は慈善事業じゃねえんだよ!! それが仕事だからやってんだ!!」


 霊たちが「やべえ、こいつ怖い」と言わんばかりの表情をしていることなどお構いなしに、ジニーはさらに強く地団駄を踏んだ。

 本当死神業務は慈善事業じゃないしそもそも仕事だ。そういう仕事だ。自分はここに仕事しに来ただけだと言うのにどうしてこういう事になっているんだ。集合のお知らせを投げたんだからちゃんと集合場所に集まるのが道理ってものじゃないのか!

 散々地団駄を踏んだ後、ジニーは静かに足をおろした。そして、大きくため息をつく。地団駄踏みたい気持ちだったし実際踏んだ。たくさん踏んだ。だが、正直こうやって地団駄を踏んだり高らかに叫んでいる場合ではない。なぜなら、死神は死者の魂を冥界に導く存在だからだ。その死者の魂に遅刻が一名いるというのなら。


「めんどくさいけど探すしかないのよねえ」


 それしかないのである。


(街からは出られないだろうし、どうにか時間までに捕獲できるでしょ)


 ジニーは空を仰いだ。冬の朝の空が広がっている。煙突から出ている煙が風に流されていく。太陽は雲に隠されており、雲の色も暗い。近いうちに雪が降り出すのだろう。しばらく空を眺めていると、ひゅうと木枯らしが吹いてジニーの身体を通り抜けていった。寒くはないが、こそばゆい。


(今から街をかけまわれば……多分大丈夫でしょ)


 今日の夜までにだ。それまでに間に合えばどうにでもできる。間に合わなかった場合は……とまで考えてジニーはその思考を振り切った。もしも間に合わなかったらなんて考えるものじゃあない、なんとしてでも間に合わせるのだ。夜までに。

 ぱん、と自分の頬を叩く。そうしてちゃんと集合にやってきた霊たちを見据えて、一言。


「幽霊たち、ちょっとそこで待ってて。あたしはこれから遅刻幽霊を探しに街へ行ってくるから」

「へーい」

「ほーい」


 ジニーは軽やかに塀の上に飛び乗った。それを足場にして屋根の上にひらりと飛び移る。そうしてこんこん、と靴を鳴らしながら整え、一つ伸びをした。そうしたところで、はっと気づく。


「あ、忘れてた。とりあえず連絡しとかなきゃ」


 よくよく考えれば、今起こっていることはイレギュラーな事態だ。こういうとき死神は同僚か上司に連絡をいれるのだと相場が決まっている。上着から連絡用の小さな水晶を取り出し、ジニーはそれに耳をあてた。


「もしもーし、あたしジニー」


 水晶越しに声が聞こえてくる。この声は同僚のものだ。声色からするになにか立て込んでいる様子ではないように思える。実際、何か大変なことでもあったのか、という問いかけは落ち着いているように聞こえた。実際大変なことになってるのよ、とジニーは呟いて言葉を続ける。


「諸事情で集合に幽霊一人足りなくてさあ、今から探しに行くのよね。でさ、集まってる幽霊の見張り、代わりにやっといて」


 水晶越しの声が「わかった」と言うのを聞いて、ジニーは心底ホッとした。向こうは忙しいわけじゃないようでよかった。声色から受けた印象どおりだ。これで心置きなく見張り番を頼めるというもの。


「じゃあよろしくね」


 その後一言二言言葉を交わして、連絡を終える。

 さて、ここからが本題だ。遅刻した幽霊を探すと言っても、街のどのあたりで霊を探し始めるべきか。ジニーは屋根の上から冬の街を見下ろす。そうしてぼんやりと思いにふけっていると、眼下の様子が少しばかり鮮明になった。ような、印象を受けた。ジニーはじっとその様子を眺める。なんだか、いつもと街の雰囲気が違う気がする……。


 「今日はやけに街が浮足立ってるわねぇ」


 きらびやかな装飾に彩られた木々。通りの両端にたくさん並ぶ屋台。家の外壁にも木々と同じようなきらびやかな装飾が踊っている。朝も早いが人の往来はあるようだ。通りを歩く人々は早くからやっている店へと入っていったり、どこかへ向かう途中であったりと様々だ。屋台の準備をしている人々もいる。その誰もが、どこか浮足立っているように見える。楽しい日、嬉しい日。今日がそうであるかのように。

 そういえば。ジニーはぽつりと呟いた。


「今日は聖夜祭、だったかしら」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る