22/ 聖と、翠と、彼の居場所 3


 

「なにがあったの、涼斗」

 

 答えの判然としない、抽象的に在る涼斗へと、聖は問いを繰り返す。

 ここで中途半端に終わらせて何事もなかったように去るなんて、できない。彼の口から。彼の身になにがあったのかを、得なければ。でなくてはここまで聖がやってきた、意味がない──「一緒に帰ろう」なんて、言えるわけがないではないか。

 

「教えて。教えてよ、お願い」

 

 やはりそれは、模試の結果のこと。それに対する両親のことだったのだろうか。

 だとすれば、その事態は聖のこころの片隅の予想に抱き得たことだった。

 聖は素直に、彼の出した結果をすごいと思えた。あくまで、幼なじみである聖の視点という範疇にあっては。

 だから視点が違えば、そう感じない人間もいるのだということ。そのくらい、聖にもわかる。

 たとえば、彼の両親もそのような、聖とは異なった視点での評価を他者にする類の存在だと知っている。

 完璧でなくてはダメ。

 百点満点でなくてはいけない。

 そういう厳しさを持った、涼斗の両親。

 そんな両親に褒められたことが、……少なくとも彼がそうであると認識し記憶するかたちでは経験をしたことのない涼斗を、聖はやはり知っている。

 だから今回。ほんとうに誇れる、「完璧」である結果を提示できたのなら。その見返りとまでは言わずとも、期待をしそれに縋りたくもなった涼斗の気持ちも、聖にはわかる。

 求められるとおりにやってみせたのだ──子どもとして。思いも、するだろう。

 どのように好意的に迎えられ、遇されるのか。親から褒められるという状況に慣れていないからこそ、もしかすると聖の想像を超えて、彼にはそこに期するものがあったのかもしれない。

 ゆえにそれだけ、落差は大きい。期待が大きければ、かなわなかったときの衝撃や失望は膨れ上がる。

 すべてはまだ、聖の想像のうちのものである。事実そうであると彼が認め、語ったわけではない。

 

「俺にはどうやら、居場所なんてない。なかった、みたいなんだ」

 

 ぽつぽつと彼の唇が紡ぎ始めたそれらの言葉に固唾を呑みながらしかし、まだこのとき聖が「それでも」と評するのは自分自身の勝手な推察であり、予想に対するものである。

 両親とその仕打ちに対し彼のショックが大きかったのだろうとは、思う。

 けれど、「それでも」。

 ──それでもこんな行動しか選びようが、なかったのだろうか?

 いくらなんでも短絡的で見境がなくって。未成年であるからたしかに子どもではあるにせよ、……とった行動が子どもすぎやしないだろうか、と幼なじみを素朴に評する自分自身もまた、聖の中にいたのである。

 

「つくれなかったし、できなかった。はじめからなんにも、かけらほどさえもわかりあっていなかった。俺は父さんたちの思うように完璧なんてなれなかったし、なれないし。なんにもわかっていなかった──わかってもらえて、なかった」

「涼……斗?」

 

 せっかく入ったこの店だけれど、テーブルの上にまだ、あるのは手つかずの、ふたりぶんのおしぼりだけ。それすら存在そのものを忘れ去られたように、放置をされてただ乾いていくに任せられる。

 

「認めてはくれなかったよ。父さんは。たった一科目で、たまたま一位をとっただけでは」

 

 言われた言葉を、彼は発する。

 国語だけじゃないか。他が話にならない。

 いつだったか、──人間とはなにかをする理由よりしない理由のほうが容易に見つけやすい、となにかで読んだ記憶を、聖は思い出した。それは勿論己の行動への思考についての言説であったけれど、他人に対しての行動にもその理屈はあてはまるのかもしれない。

 涼斗の父は、涼斗に対し褒めない理由をそうやって容易く並べられた。

 

「がっかりした。ショックだった。でも、わかってたって思う自分もいた」

「え……」

 

 だからほんとうは、それだけじゃない。……彼はそう続ける。

 もっと想像だにしていなかったこと。愕然としたことはほかにもあって。

 

「父さんたちに、俺の小説が、作家になりたいって夢が心底どうでもいいんだってことは、わかってたつもりだった。だけど、俺自身にはそれはとても重要なことだったんだ。真剣に。ずっと目指していた。やるんだって、そう思っていた夢だった」

 

 そのくらい打ち込んでいた、必死であることだった。涼斗にとって。

 

「でも、そんなことすら──父さんたちには伝わってはいなかったんだ」

 

 彼の望んだ言葉を与えなかったことで、彼の両親は彼の目の前にある現実から希望を打ち砕き。

 そして──望むどころか、想像だにしなかった言葉を与えることで、彼の両親は彼の未来から希望を抹消した。

 

「どれだけ俺がやってやる気だったかとか。本気だったかとか。作家をね、目指していたことさえ、父さんたちは信じてはいなかった。真剣だと、思ってはいなかったんだよ」

 

 絞り出すように、涼斗は紡ぐ。

 思い出したくもないはずの言葉のひとつひとつを。

 それでも繰り返し、脳裏に怖気とともに蘇ってくるであろう、それらの絶望を。

 

 ──『そろそろ受験勉強から逃げるのはやめろ』

 ──『物書き遊びにうつつを抜かすのも、もう十分だろう』

 ──『部活に真剣に打ち込んでいても、受験になれば引退する。お前が遊んでいるのはそういったものですらないんだから』

 ──『佳作とるくらいなら、十分だろう。楽しんだだろう』

 ──『ほんとうに大事なことに集中しろ』

 

「父さんたちがどうでもいいように。俺にとってもどうでもいいことなんだと、父さんたちは思っていたんだ」

 

 言葉を再生したその最後のほうは、少年は肩を震わせて、前髪をかき上げるように、その視界を掌に塞いでいた。

 

「なんだよ、大事なものって。そんなの決まってるのに。父さんたちには違った」

「涼斗」

「俺がこうありたい、と思う場所は。目指していたつもりのそれは、どうでもいいものだったんだよ。──だから俺には居場所なんて、ない」

 

     *   *   * 


 そこまで聞いて、聖はひとときでも彼の行動をただ短絡的だと、子どもじみた行為だと懐疑した幼なじみの自分を恥じた。同時、理解もした。

 過去、「与えてこられなかった」彼を聖は知っている。

 そんな彼にとって今回のこの一件は、

 現在と、

 未来さえ、

 奪われ閉ざされてしまったに等しい出来事だったのだと。

 どうでもいいものに縋っていたと断じられ、

 どうでもいいものに縋っていたと認識し捨て去ることを最も近しい、理解をしてほしかった相手から一方的に求められた。

 今いる場所でもなく、前にも、後ろにも進めない。

 だからこうして──涼斗は自分のいた道、敷かれたその道筋を外れるしかなかったのだ。

 そうして逃げ出すことでしか自分を保てなかったのだと思う。

 どこにも居場所がないと痛感をし、そう思ってしまったからには。

 すべてを聞かされるまで十分な理解もしてやれなかった自分は、なんて薄情な幼なじみだろうか、と聖は思う。

 あるいはそのように彼の側に立った思考や感覚を抱いたことが既に、聖自身もまた冷静でなく、短絡でお子様じみた甘えの中にいることの証左だったかもしれない。しかし少なくともこのとき、聖は彼にとってその家族を除けば最も近しい者である自覚はあったし、にもかかわらず親身ではなく客観であろうと選びかけた自分の感性を恥じたのである。

 こんなのってない。聖はただ、少年の受けた仕打ちに思った。

 親に、親としてどんな考えや広い視野があったとしても。そのために安直には否定していけない部分は子どもにだって持ち合わせている。

 涼斗が──こいつが、かわいそうだ。こんなのってない。そう、ふつふつとした憤りがあった。

 同時、それ以上に、少年のことを案じ動揺する、不安を抱いた自分がいた。

 両膝を立てて壁に背中を預ける少年は弱々しく、消え入りそうで。今ここで繋ぎとめておかなければここよりもっと遠くへ、手の届かない、見えない場所へふらふらと歩み去ってしまいそうだった。

 幼なじみとして、自分は涼斗になにをしてやれる?

 その気持ちが先頭に立つ。その時点で、冷静ではない。客観でなく親身がそこにある。それでもそうあるべきと、聖は思った。

 いや、……違う。

 幼なじみ──と、して?

 そうじゃない。

 こいつはずっと、一緒にいて。小さな、小さなころから一番、そばにいてくれた、そういう相手で。

 そんなありふれた、記号みたいな理由でどうこう考えて動くのは間違っている。

 幼なじみだから、じゃない。

 聖にとって、涼斗だから。

 してやれるかどうかじゃ、ない。

 聖が、したい。

 

「涼斗。居場所が、ほしいの?」

 

 膝の上で、聖は拳を固め、握りしめる。

 自分がこれから言おうとしていること。その言葉がどのように捉えられ得るものであるかを理解しながら。

 それでいい。そうなって、いい。──そうありたいと願う心根を自分の中に聖は自覚する。

 

「私じゃ、ダメかな」

「──聖……?」

「ううん、私であってほしい」

 

 連れ帰るためだけの詭弁に思われないだろうか。その危惧も片隅にはないわけではない。だけれど本心からの気持ちを聖は、少年へと紡ぐ。

 

「私は涼斗の居場所になりたい。居場所と思ってもらえる存在でいたい」

 

 これまでがずっとそうであったように──ううん、もっと。

 彼が居場所を必要としているのなら。自分自身がそんなかけがえのない場所でありたいと願う。

 幼なじみの聖としてではなく、彼の隣に在る、ひとりの聖として。

 

「私は涼斗の真剣を知ってる。その姿も、書いていたお話も好きだよ。大好きだ。否定なんかしない。涼斗自身が、好きだ」

 

 歯の浮くような台詞かもしれないと思いながらもしかし、自らが想像をしていたよりずっと素直に、そして気恥ずかしさもなくすんなりと、言葉は喉の奥からあふれてきた。

 そう。隣にいるひとりの人間として。涼斗という少年のことが好きだ。

 これまでも好ましかった彼をこれからもっと、もっと好いていけたらいい。聖はそう思っている。

 

「──それは。……その、聖。きみは」

 

 息を呑んだ少年は顔を上げて、また沈めて。目線を揺蕩わせながらぎこちなく、言わんとすることを察せさせる躊躇を聖に、投げかける。

 

「わかってるよ。自分の言った言葉の意味くらい。そのとおりの意味だよ。涼斗のこと、ほっとけない。涼斗のこと、好きだよ。──好きだよ。だから、そうすることが必要ならそのとおりに思ってくれていい」

 

 私も、それを望む。

 私も涼斗と、そうなりたい。

 

「私と付き合おうよ、涼斗」

 

 これまでの幼なじみでなく、もっと深く、密接に。

 告白の瞬間はあまりにあっさりしていて、そして胸のときめきなどとは程遠いものだった。

 

「私が涼斗の、居場所になる」

 

 それはなんの脈絡もついていない、飛躍でしかないかもしれない言葉。

 一度は事態を軽く見た罪悪感がそうさせているのだ、と性悪説的に理屈づけられればけっして否定のできない、そんな流れだったかもしれない。

 それでも、思った。求めた。

 こうしたいと。彼とこれからこうなっていきたいと──聖が涼斗に対してこうありたいと心から願った、その発露だった。


「好きだよ、涼斗」

 

 両親でなくとも、自分がいると。

 彼に胸を張ってほしかった。

 ずっとともに歩いてきた彼を好ましく思うのはたしかに、聖の中にある真実だったのだから。



          (つづく)

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