自己紹介

「……あれ? 一年二組の教室はどこだったっけ?」


 四月一日。


 家鴨ヶ丘高校の入学式が終わり、そろそろホームルームが始まる時間だな、と自分の教室に向かおうとする翔太だったのだが――


「詰んだ。こーれは完っ全に詰みですわよー」


 翔太は迷子になっていた。入学式が終わった後、ホームルームが始まるのは三十分後だからと、翔太は校内探検をしていたのだ。


 探検していたのはいいが、元々方向音痴なのに加え、何も考えずに階段を上ったり降りたりしていたので、スタート地点であった自分の教室の場所をすっかり忘れていたのだ。


「ホームルームまであと七分くらいか。やばいやばいここ何処だよ間に合わねぇよ」


 家鴨ヶ丘高校は四階建ての建物で、東はオレンジ、西はピンク、北は黄色、南は水色、という風にエリアごとに色が分かれている。そのため、少し慣れれば迷子になることはない。


 しかし、家鴨ヶ丘に慣れていない翔太は、そんな色分けなど気にしていなかった。


「考えろ黒金翔太。確か一階は職員室とか食堂しか無いから探さなくていい。ならば……全力で走って二階から探すしか無い!」


 そう決めて翔太は現在いる二階の周りを走った。


 どうやらここは三年生の階のようだ。ホームルームまであと五分。急いで三階へ駆け上がる。


「くそっ、ここは二年生の教室がある階か。てことは一年生の教室は四階か! そういえばそんな気もしてきた!」


――残り二分。


 もしかしたらもう始まっているかも知れない。初っ端で遅刻して目立ちたくはないという思いで、必死に四階へと続く階段を駆け上がる。


「あれ、翔太じゃん! どったの、そんなに慌てて」


 神だ、神が舞い降りた。反射的にそう思い、翔太は聞き覚えのあるその声に反応する。


康貴やすたか! 二組の教室って何処だ!?」


「翔太、よく見ろ。二組の教室なら目の前にあるぞ」


 翔太に声をかけたのは、黒いオーバル型の眼鏡と栗のように茶色い髪が特徴的な少年、河野こうの康貴だった。


 中学時代からの翔太の友達で、成績優秀、吹奏楽部の癖にスポーツ万能、おまけにイケメンというとんでもないやつである。


 彼は翔太と同じく白鳥海高校を志望していたが、試験当日に高熱を出してしまい、試験を受けられなかった。そのため、滑り止めとして受かっていた家鴨ヶ丘高校に入学したのだ。


「え、あ、本当だ……じゃなくて! 何のんびりしてんだよ! もうホームルームまで時間が……」


「落ち着けって。さっき担任からホームルーム十分くらい遅れるって連絡あったんだよ。だから焦る必要なんてないから」


「ええ、何だよそれ……」


 急に緊張が途切れたためどっと疲れが出た。


 翔太は座席表を確認し、席に着く。どうやら苗字の五十音順で座席は決められているようだ。


――――ん? 五十音順?


「よーし、授業中翔太の後頭部にミサイル撃つぞー!」


 康貴は嬉しそうに翔太の後ろの席に座ると、ペンケースから黒いボールペンを取り出した。


「……だよなー、同じクラスって聞いてもしかしてとは思ってたけど、やっぱり俺ら苗字の頭文字近いからこうなるよな。あとミサイルはやめろ!」


 康貴と翔太の言っているミサイルというのは、もちろん本物ではない。ボールペンを改造してばねの勢いでペンの芯を飛ばすという、くだらないものだ。


 中学の頃、男子の間で流行っていたため翔太は何度か食らったことはあるが、康貴の使用しているボールペンのばねは反発力が強いことで有名なため、痛い。とにかく痛い。


 そんなこんなしてるうちに、ガラガラー、と教室の扉を開ける音とともに誰かがやって来た。


「えー皆さん、遅れてすいませんでしたねー」


「……まじか」


 翔太は唖然とした。


 白いパーカーに少し乱れた長髪。パッと見ると私服の大学生、下手すると高校生に見えるくらい若々しい女性が教室に入ってきたのだ。


 康貴が言うには、この人が家鴨ヶ丘高校一年二組の担任らしい。


「それじゃー、まずはホームルームから始めましょーか」


 気だるく、ゆったりとした声だった。


 その眠くなるような声を聞いた二組の生徒は、絶対に寝ないよう、気を引き締めてホームルームに臨むのであった。






「ではこれでホームルームはしゅーりょーです。次はじこしょーかいですねー」


 やる気の無さそうでのんびりとした喋り方なのに、全くと言っていいほど眠くならなかった。これはもはや魔法なのでは? と翔太は適当なことを考えていたのだが――


(ん、自己紹介だって?)


「では改めて、まずは先生からいきましょーかね。ウチの名前は渡會わたらいちひろです。苗字がとーっても難しいんですよねー。趣味はいちご狩り。好きな食べ物はいちごですかねー」


 渡會先生は黒板に自分の名前を書き、自己紹介を簡単に済ませた。


 自己紹介。


 それは、この高校生活を大きく左右すると言っても過言ではない一大イベントである。なぜなら、この自己紹介を上手く乗り切れるか否かで、クラスへの印象が大きく変わるからだ。


(くそっ、顔見知りの河野がいたせいで入学気分が抜けてたのか? 完全に忘れてた)


 翔太はかなり焦っていた。


 というのも、翔太は中学の頃の自己紹介で『スマホの指紋認証を顎でやって開けなくなりました! 黒金です!』などと訳の分からないことを言ってウケを狙い、苦笑すらされなかったという黒歴史があるからだ。


(あまりウケを狙いすぎるのは良くない。かといって淡白すぎるのもなぁ)


「んじゃ、名前の順でいきましょーかね。一番の人からちゃちゃっとお願いします」


 翔太より前の人たちは、手短に自己紹介を済ませていく。中には名前だけ言って席に戻る生徒もいたので、予想よりも進むペースが早かった。


「はい、じゃー次。黒金君」


 考えがまとまらないうちに自分の番が来てしまった。もうどうにでもなれ、と翔太は教卓の前に立つ。


「えー、白鳥海高校に落ちて家鴨ヶ丘高校に来ました、黒金翔太です。なんか悔しいのでこの高校に入学してよかったと思えるような思い出を作りたいです。よろしくお願いします!」


(……って何サラッと自虐ネタ披露してんだよ!)


 きっと翔太の心の奥深くでは、受験に失敗したというショックが残っていたのだろう。そのため、高揚して冷静になれていなかった翔太の口から本音が漏れてしまったのだ。よりによって自己紹介の時に。


 教室内の微妙な空気に意気消沈した翔太が席に戻ろうとしたその時、不意にガタッ! と立ち上がった生徒がいた。


「よしっ」


 と、その生徒は小さくガッツポーズをした。


「……は?」


 わけがわからなかった。初見の人の自虐ネタに対して、その生徒は純粋に喜んでいたのだ。


 青い澄んだ瞳に銀色の長髪の美少女。パッと見外国人かと思いきや、顔立ちはしっかり日本人。おそらくハーフかクォーターなのだろう。翔太がどう反応したらいいものかと考えていると、


南雲なぐもさーん、急に立ち上がってどーしたんですかー」


 という渡會先生の声がした。


「す、すみません!」


 渡會先生の声に気付いた少女は、すぐに席に着いた。


「……んじゃ、黒金の自己紹介が終わったっぽいんで、次ー、河野ー」


 渡會先生は自己紹介の進行を促し、流されるように康貴とバトンタッチする翔太。


「自虐ネタっていうのは、ある程度仲の良い相手じゃないと反応に困るだけだよ」


 すれ違いざま康貴に言われ、そんなことは分かってる、と翔太は肩を落として席に着く。


「それにしてもあの銀髪、南雲だっけ。何で急にガッツポーズなんてしたんだ?」


 渡會先生に注意されて大人しく座った様子から、少なくとも嫌がらせをするためにやったわけではなさそうだったが、翔太には彼女があのような奇行に走った理由が分からなかった。


「まぁどうせ同じクラスだし、そのうち聞く機会はあるか」


 そう結論付け、残りの生徒たちの自己紹介に意識を傾けた。

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