聖女十五センチ

森田季節

聖女十五センチ

 白のボックスプリーツスカートに北の海のような黒く深い青が映しだされる。アウタージャケットのほうは白いままだから、海と空が彼女の中に広がっているように見えた。

「このぉ広い宇宙の中でぇ、キミと巡り合えたぁ♪」

 私の耳がびりびりとふるえる。鼓膜だけでなく耳そのものがふるえる。

 加工したようにしか聞こえないような生音。

 女性的というよりは無性的な声が、ベタな歌詞に妙な説得力を付与している。

 本当に宇宙から来ているんだから、説得力があるのは当たり前か。

 有料の同時視聴者数は十七万人を超えている。それなりに高いチケットを買って、十七万人が一人のアイドルを見に来ている。

 今日だけでどれほどの額のお金が動く? プロデューサーの私はつい、感動する前に金勘定をする。これは完全な職業病だ。きっと江戸時代の人間だって同じことをしていたはずだ。

 惑星ミレィに住むミレィ人アイドルのヒルウェィはこの時間、地球で最も輝いている人間の一人だろう。

「ミルキーウェーイ! 飛んでいけばすぐだからぁ今日も会えるねーえぇー!」

 サビのところで視聴者アバターのサイリウムが一斉に動く。その様子はスタジオで生身の身体で歌っているヒルウェィにも見えている。視聴者数の視覚化は異星人の彼女にもモチベーションを与えてくれる。

 リボンみたいにカールしたミレィ人特有の髪もダンスと一緒に舞っている。興奮によって変わる髪の色はいつもの銀からピンクに変化していた。

 彼女の歌は、一言で言えば「変」なのだ。

 音程は完璧だし、声量もアイドルの歌唱としてなら申し分ない。

 ただ、発音は決して上手くない。より具体的に言えば、滑舌が悪い。母語が地球の言語ですらないのだから当然だ。

 ダンスだって下手ではないが、そのへんの素人学生をみっちりしごいたのと大差ないだろう。これだって地球人基準の問題であって、長時間の運動に慣れてないミレィ人からしたらオリンピックに出られるぐらいの快挙なのだけど。

 とにかく、表面的な限界がヒルウェィの周囲にはいくつも並んでいる。その限界の内側でヒルウェィはアイドルをやっている。

 これでいいのだ。

 今、このライブを見ている十七万人はヒルウェィをかわいいと思っている。自分たちで育てて、作り上げていくのが二十世紀以降、この国のアイドルの方法論なのだから。だったら、異星のアイドルほど育てがいのある存在はいない。

 それに、なによりもヒルウェィは絶対に「神聖」なのだから。

 二十二世紀もなかばになってもいまだに女性アイドルの処女信仰は抜けきってない。処女という単語自体は童貞と一緒にはるか昔に放送禁止用語になってるけど、概念までは排除できていない。汚れてる服より汚れてない服のほうがいい、そういう清潔なものを求める素朴な価値観が人間に残っている限り、それは性のほうにもスライドしてくる。

 元気なミレィ人は全員が処女だ。

 ていうか、地球人のサイズをしているミレィ人は女性しかいない。

 ミレィ人の女性は交(こうにゅう)して、カエルの卵みたいなぬめぬめした球に覆われた子供を何十人か出産したあと、死亡する。なお、その頃には精子ボールを女性に受け渡していた男性は全員死亡している。

 平均百四十から百五十センチのミレィ人の成人女性は平均二センチの男性という豆粒を長い指で所定の場所に送り込んでやる。その時に男性は溶けて消える。ミレィ人の男性は比喩ではなく、精子ボールに脚が伸びた生物なので、精子を渡したらまつ毛みたいな脚しか残らないのだ。

 精子ボールの受け取りは性交とは呼びがたいし、まして交尾という語は異星人の文化を差別的に見ているということになり、使用できない。公職で使えば、腹を切らされるだろう。ニュアンスとしては交接が一番近いけど、これも人間に使う単語じゃない。

 じゃあ、どう呼べばいいのかということになり、二世代ほど前の地球人は交入という言葉を新たに作った。

 地球ではエロスとタナトスを対比的に使う用例があるが、ミレィ人にその違いはない。すべてはタナトスだ。いや、性的興奮などないから、エロスに該当する単語がない。地球人が持っている性にまつわる膨大な俗語や卑語はミレィ人の言葉に見当たらない。

 だから、ヒルウェィは性から完璧に切り離されているアイドルというわけだ。今日のライブの名前も「聖女祭」である。プロデューサーの私が考えた。

 いまどき男の影がちらつくかどうかで応援するか決めるような男がいるのかよ、子供だって役所に行って、もらってこられる時代だぞ――そんな揶揄の声は何度も聞こえてきた。彼女を売り出す時に、上の社員からも何度も言われた。有料ライブに十七万人が来ているのがその答えだ。

 当然、アイドルとしての実力だってあるからなのだけど、弊社のプロデュースも、つまり私のプロデュース能力も正解だったということだ。

 ステージを子供みたいに走り回るヒルウェィを腕組みで眺めながら、私はしみじみとつぶやいた。

「本当に、大きくなったわね。…………出会った時は十五センチだったのに」



 関係者にあいさつをしてから、私とヒルウェィは楽屋に戻った。

「鷹島(たかしま)プロデューサー、疲れマシタ……」

 ヒルウェィは椅子にすぐに腰を下ろした。元々ミレィ人は長時間歩き続けられるほどの体力がない。回復も早いが、しばらく動けば一箇所にじっとしている必要がある。そんな体で二時間も動き続ければ、疲れきってしまうに決まっている。

「もう、今日の仕事はないから、とことん疲れを味わってていいよ。本当に最高のライブだった。事務所も特別ボーナスを出すと思うよ」

 私は彼女用のコップに水を注ぐ。ミレィ人、少なくともヒルウェィに炭酸は無理だ。

「デスね。これも一つの経験デス」

「日本人ぽい言い回しができるようになってきたな。なんか、偽者の外国人みたい」

 彼女はブラウスをめくって、腰を出した。

「地球人はここに膜はないでしょ? めくってミマショウカ?」

 外套膜をつねって彼女は言う。

「グロいからやめて」

「鞭手(べんしゅ)も出しましょうか?」

「だから、やめろって。場所的に尻尾じゃなくて触手に見えるんだから。ミレィ人って本当に頭足類(とうそくるい)っぽいところがあるんだよね。遠い星なのに宇宙の神秘を感じるわ」

「タコ焼きに入ってるあれデスネ」

「そ。タコやイカの仲間っぽい。まっ、タコに関する本を読んでも、あなたをイメージするのは無理だけどね。女の子にしか見えないタコは四百六十種中、一つも存在しないから」

 ミレィ人は天の川銀河系で発見された三例目の異星人だ。ただ、彼女たちは地球外文明人ではなかった。文明まで呼べるほどのものは有していなかった。地域ごとに長(ちょう)という立場の人間が複数いて、稀に争うようなこともあるし、地域の成人ごとに団結することもあるが、それで国家が形成されたりはしていない。

「はいはい、衣装は邪魔でしょ。Tシャツに着替えた、着替えた」

 ヒルウェィが卵の殻をむくみたいに、つるんと衣装を脱いでいく。地球人の中でも大人で通るサイズになってるけど、まだ私の頭の中には小さいヒルウェィが残っていて、なかなか消えない。

「ほんと、大きくなったね、ヒルウェィ」

 裸になってからTシャツを着るヒルウェィ。ちなみにノーブラだ。ミレィ人に乳房はない。

「デスネ。だいたい、お会いしてから十倍ぐらいになりマシタ」

 私は両手を広げて十五センチほどの幅を示した。

「四年前、あなたはまだこのサイズだったよね。冗談抜きでフィギュアかと思った」

「仕方ないデスー。成熟前のわたしたちが小さいのは当たり前デスカラ」

 ヒルウェィは頬をぷくぅとふくらませる。感情は私たち地球人のそれにいちいち対応してるけど、生態が違いすぎる。

 ミレィ人の女性はおよそ五年ほどの期間、定規で測れるサイズで生きる。私に出会った彼女も定規で測れるサイズだった。その次の一年で一気に百五十センチほどになる。出産するミレィ人の寿命が六年というのは、そういうことだ。最初の最初、地球人は出産のために大きくなっている個体だけをミレィ人だと思っていた。

「ほら、急いでTシャツ着るから、髪が乱れてる」

 私は地球人と比べると水分が多い髪を撫でる。水分が多いから、それである程度はととのう。

「ふふふぅー」とヒルウェィは楽しそうに笑った。「プロデューサー、大好きデス」

「ヒルウェィの『デス』は『DEATH』に聞こえるけど、おおむねうれしいよ」

「ありがとうございマス! 地球最高のアイドルになりマスカラ!」

 地球最高。その言葉を聞いて、私は「よっしゃ! 目指していこう!」と言えなかった。

「ヒルウェィの言い方だと、マスカラっぽい」

 プロデューサーとしての自分と、地球人としての自分が、頭の中で小さな衝突事故を起こした。



 四年前、私は取材で彼女たちの星に寄っていた。べちょべちょとどこも湿っている地面を歩くのは不快だったけど、談笑している成熟したミレィ人女性たちを眺めるのは楽しかった。

 彼女たちはみんな私と同等の体格をしていた。髪と服のセンスが地球人と違うことを除けば、ほとんど一緒だった。ミレィ人にとっての服は肌を守る防御用なのだ。裸であっても、恥ずかしいという発想はないから、裸なのもいる。異性に見られるという心配もないし。成熟しても二センチの男性には眼の構造が存在しないのだ。

 一方で、地球人の服を着ている成熟ミレィ人女性もちらほら目についた。

 地球の文化が入りかけている、そういう時代だった。彼女たちの大半は、およそ六年目に大きくなり、そこで出産して死ぬ。そういうライフサイクルだから、四十年前の地球人との接触以前のことを目にしている人物はいないだろう。

 ただ、当時から見れば平均寿命は劇的に延びている。出産しなければ彼女たちは成熟個体のまま死ぬことはないのだ。地球人の文化、つまり余暇の楽しみ方を知ったミレィ人の一部は出産を先に延ばすようになったのだ。

 計画の最初からそれは異星人社会に影響を与えすぎるという議論はあった。だが、コミュニケーションができる知能があるのにそれを行わずに観察に徹するのもおかしいという派閥が勝った。

 今でも異星人に関わりすぎていることを否定的に見ている人たちは大勢いるが、国際的には地球人は異星人と関わるべきだということになっていた。だから、私も空間圧縮航法とかいう大仰な方法で会社から惑星ミレィに送られていた。

 その日取材で伺ったミレィ人音楽協会のモルヒウ会長なんかは若い頃に地球の音楽と出会ってその道に進み、いまや三十五歳だという。彼女たちの世界で見れば、長老と言っていい年だ。かといって、七歳や八歳の会長では知識の習得に限界があるし、これぐらいの年齢の人が出てくるしかないだろう。

 いかにも強い雨が降りそうな黒い雲が見えたので、私は蓮の葉みたいなサイズの貝殻をつなぎあわせた屋根の屋台にかけこんで、会長との取材内容を確認していた。音声は自動で文字起こしされている。


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鷹島 むしろ、地球人から見て疑問なのは、どうして大半のミレィ人は高い知能を有しているのにあっさりと成熟したあと、出産をして死ぬという道を選ぶのかということです。あなたたちの肉体では出産と死はイコールなのに。

モルヒウ それは本当によく聞かれますが、『ミヒウニ』を感じるからとしか言いようがありません。私の場合、それを感じてないから長くこの職にあるわけですが。

鷹島 そのミヒウニというのは地球人の感覚では訳せない言葉なんですよ。意味としては「自分が死んでも、この生命を伝えたい、残したいという感情」ということになるんですが、そんな気持ちを素朴に実感できる地球人はいないので。

モルヒウ でも、本能という言葉はあるでしょう。あるいは音楽業界の俗語を使えば初期衝動というものですね。あれに似ているはずです。

鷹島 本能という訳語で通そうとした人も過去にはいます。ですが、それはミレィ人の性を考えるとふさわしくないということで使われなくなりました。地球人は本能や衝動の背後に性欲やそれに近いものを想起しています。性本能や性的衝動といった用例もあります。ですが、そんなものはミレィ人には……。

モルヒウ ないですね。出産と同時に死ぬわけではないので、その時の気持ちを今わの際で語ったミレィ人は無数にいますが、そこに興奮を見出したケースはないと思います。私は何人かの友人が出産して死んだケースを見ていますが、みんな冷静でした。交入の最中ですら、地球人の言葉で性欲と呼べるものは発現していませんでしたね。我が子が生まれる感動という、地球人が感じるらしいものもないです。

鷹島 だから、ミヒウニが理解できないんです。衝動的な気持ちにもならないのに命懸け、いえ、命を失う覚悟で出産できる理由が我々地球人には把握しがたくて。

モルヒウ ですが、地球人の大半の方だって、生きて成し遂げられることなんて、あまり多くはないでしょう。

鷹島 それはそうですね……(笑)。私も音楽が好きでこの業界に来ましたが、そこに崇高な意志まで持ってるかと言われるとちょっと……。あの、すみません、そのこととミヒウニにどう関係が?

モルヒウ それだけ死に関する扱いが違うということです。生きて成し遂げられることもないし、じゃあ、子供を産むとするか、それぐらいの気持ちがミヒウニの実態なのでしょう。私はそれの代わりに地球の音楽という理解の域を超えたものに出会えたから、死にもせずにいるというわけです。

=====


 インタビュー内容を聞いて、一度止めた。

 これはまずいな。

 死生観の話ばっかりしている。音楽の話をしてない。

 彼女がベートーベンやパラライズ・コアやマリス・メタル、リベリア・ポップについて語るように仕向けなければいけないのに。そのうえで、ミレィ人の中で音楽がどう息づいていくか、どう変わっていくかを語ってもらわないといけなかった。

 なのに、私はミヒウニについて突っ込んで聞こうとした。そのまま時間切れ。趣旨を忘れて、インタビューしてしまうという素人臭い失敗だ。もう、三十一だぞ。老化抑制剤で大学生の時の容姿を維持してるといっても、インタビューまで大学レベルだったら、ダメだろう……。

 さらにまずいことにモルヒウ会長は残り時間で好きな地球の音楽をこっちへのサービスのつもりか行ったのだ。これは最も叩かれやすい展開である。

 お前らのやってることは文化の押し売りだ。そういう批判は文化輸出の際にさんざん言われる。

 なにせ、ミレィ人は何も地球人側に提供しないのだから。

 音楽だってそうだ。彼女たちは打楽器をぽこぽこ鳴らすだけでシグナルの域を出ていない。BGMとして曲を店に流す文化は増えているが、何もかも受け身。だからミレィ・メタルなんてジャンルはできあがらない。少なくとも、現時点でそんなバンドは一組も結成されてない。

 死生観が違うからかな……。死んでもどうでもいいって気持ちの人間からは芸術は立ち現れないのか。

 せっかく異星まで来て、音楽の可能性とかいう壮大なフリをした抽象的なものを見つけに来たのに。これじゃ、たんなる観光だ。観光するにしたって、突然凶暴な獣が市場に侵入してくることもあるような場所で、治安がいいとも言いがたいし……。

 その時、何かやけに高い、機材のハウリングみたいな音がした。

 前を向いたが、誰もいない。

「ここ、デス……」

 足下から言葉が来た気がした。視線を下に向けた。

 十五センチほどのミレィ人の子供が私の前にいた。踏まなくてよかったと思った。国際問題になるところだ。

「ほかの土地、行きタイ。ちきゅ、行きタイ。音楽、知りタイ」

 翻訳機械も片言の言葉になるほど、彼女の言葉はぎこちない。体も小さいから、蚊の鳴くような声だ。

 だけれども、小さな彼女は必死だった。必死であることだけは痛いほど伝わってきた。

 それになにより、私はこの異星に来たことに何か意味を付け足したいと思っていた。

 私はその場にしゃがみこんだ。

 十五センチの彼女と視線の高さは合わせられないけれど、見下ろす度合いは下がる。

「地球の重力はここよりきついから大変だよ」

 ルール上の面倒さよりも先に彼女の覚悟を問うた。ルールのほうは、どうにかなる。ルールがあるということは抜け道だってある。

「いい。本場の音楽、聞きたい。ううん、歌いたい」

 ためしに私は彼女を抱きかかえて(なにせ十五センチだ)、目を見た。

「本気?」

「本気」

 この子に賭けてみよう。

 惑星ミレィで音楽が生まれないなら、地球にミレィ人を連れてきて、何かやらせてみればいい。変化が訪れるかもしれない。

 賭けて、負けたとしても、その時はその時だ。

 ミヒウニみたいだ。ミヒウニと比べれば些細な決断だけれど、何もかもが闇の中なのに可能性だけはたしかに残っているところが似ている。



 地球にヒルウェィを連れ帰ってからしばらくは何もやれることなんてなかった。十五センチの人間用のレッスンなど存在しない。体を楽器だとすれば、楽器が根本的に地球人と違う。ただでさえ地球の環境に慣れなきゃいけないのだから、ゼロからのスタートなんてものじゃなく、ゼロにさえ辿りつけるわからないぐらいのマイナスからのスタートだ。出歩くのは物理的に危ないので、私の部屋で暮らしてもらった。

 もっとも、彼女のことを十五センチ呼ばわりする期間は三か月で終わった。ヒルウェィはいきなり急速な成長をはじめた。地球に降り立って一年と一か月経った時には今の百五十センチの体になっていた。出産できる体にまで急激に大きくなることは知っていたけど、地球人の私が驚くには十分だ。

 その頃には音楽に関する過去の膨大なデータをヒルウェィも摂取していた。データとしてあるはせいぜい十九世紀ぐらいからだが、それでも気が遠くなるほどの量だ。

 そして、彼女はお気に入りを見つけた。

「この群れになってるのがいいデスネ」

 白い壁には二十世紀末から二十一世紀前期に流行った日本のアイドルの動画が流れている時だった。画質も悪くて歴史を感じるが、アーカイブとしての価値はある。

「これでいいの?」

 私は不安そうに聞き返したと思う。

 実力的な面で見れば、そのアイドルは当時のアイドルの中でも中堅クラスだったからだ。

 歌唱力もダンスパフォーマンスも粗が目立つ。ましてこっちはトランス状態で応援しているファンじゃなくて、歴史の資料として眺めているのだ。ファンの欲目で誤魔化すことだってできない。

 音楽そのものに触れ続けてきたから、ヒルウェィの音楽的センスは上がっているはず、そう信じていた。

 異星人だから、現行の地球や日本のシーンに影響を受けてしまうリスクも小さかった。彼女にはティーンの時にはまっていた音楽などないのだ。時代を超えて、素晴らしい音楽を選び取れると思っていた。

 だからこそ、そのアイドルに目がいった理由がわからなかった。

「これならできマスカラ。ダンスさえ勉強すればデキマス」

 ああ、彼女は私に、最初こう言っていたじゃないか。

 歌いたいと。

 たんなる留学のためにここに来たんじゃなかった。プロになるつもりなのだ。

「わかった。その方向性で行こう」

 私は彼女を性欲という概念のないアイドルとして売り出した。

 もちろん、そんな言葉を前面に出したりはしない。それでも用意周到なオブラートを何枚も用意して、ヒルウェィを完全な天使のように見せた。

 彼女こそが聖女。なにせ、まだ汚れてないのではなくて、汚れようがないのだから。

 彼女にラブソングはない。でも、絶対なる愛の歌ばっかりだ。

 これが地球人とは違う天使の声。

 アイドルの到達点の一つ、それこそがヒルウェィ!

 そんなメッセージを私は発信し続けた。ヒルウェィが真剣なのは知っている。ならばプロデュースする側もそれに応えようと思った。

 それにヒルウェィが純粋なのは一緒に暮らしていた私が一番よくわかっている。だんだんと言葉を作る私自身がヒルウェィを聖女だと信じるようになっていた。

 売れ方が質的に変わった。

 私が信者のような気持ちで発信すればするほど、全世界のアイドルファンが集まってきた。異星人アイドルの庇護者になりたい欲求も、聖女の崇拝者になりたい欲求も彼女は完全に満たしてくれた。動員はヒルウェィの体の成長みたいな速度で伸びた。業界の人間が天下とか覇権とかいった修辞を使ってヒルウェィを評するようになりはじめた。

 デビューから二年で、彼女はアイドルという職業の中で最も人々に語られている人間になっていた。

 ただ、「銀河最強!」という見出しの記事を目にした時、ふと我に返る瞬間があった。

 もしかして私はとても危険なことをしているんじゃないか?

 いや、情緒的になるほど暇じゃない。私はヒルウェィのプロデューサーだ。彼女の成功は私の成功と同じだ。もっと、上のステージに私だっていける。ヒルウェィが伝説のアイドルになれば、私だって伝説のプロデューサーだ。

 私は生産性のない感覚を押し殺す。

 次の「聖女祭」ではさらにライブ参加者の記録を伸ばしてみせる。



 ヒルウェィは先ほどのライブの映像を再生した。ただ、今日の反省をじっくり行うわけではなくて、そっちはほとんどBGM代わりだ。視線は視聴者のコメント一覧に向けられている。

「うん! 新しい演出に気づいてくれた人が多くてよかったデス!」

「そりゃ、今日来てた層には濃いファンも多いからね。コメントも好意的だよ」

「デスネ。では次に、『ファンクラブ会員』のタブを外して、『三回以上ライブ参加』のタブも外してと……」

 新規層の反応がある意味、一番大事ではある。新規層の流入がなければどんなアーティストも必ず衰退に向かう。まだまだ活動期間が短いヒルウェィは大丈夫だとは思うけど、彼女は妥協はしない。

 彼女の表情が嫌悪に変じるのを感じた。

 ミレィ人は困った顔という表情がない。不快な感情は嫌悪、憎しみ、憤りといった表情で示される。

「鷹島(たかしま)プロデューサー、これ……」

 私が目をやると、そこには「音楽業界の異星人への性的消費を決して許さない」という文字列があった。

 一件だけなら気にならないが、それは連投規制の限界まで書き込まれている。しかも、検閲されている言葉を器用に回避して、襲撃予告みたいなものまで書いてあった。どことなく手慣れている印象を受ける。

 また、この手合いか。

「大丈夫、この人たちはヒルウェィを恨んでるわけでも、狙ってるわけでもないから」

 ヒルウェィの背中をさする。Tシャツの上からでも彼女の体はつるりとしている。

「性的消費って何を指すんデスカ? わたしが出産して死ぬ映像を売ったりするならわかるんデスケド」

 ヒルウェィがお手上げのポーズみたいに両手を中途半端に上げた。わからないという意味のジェスチャーだ。

「ううんと、地球人の性のところで判断してるんだと思う。性に関することを地球人はエロいと思いがちだから」

「死ぬからかわいそうというのはわかりマスケド、死なないなら別に困らなくナイデスカ?」

 四年間ヒルウェィと暮らしているからこういう話題も出たことがあるけど、いまだにわかってもらえてない。ミレィ人にとって性とは「子供を産んで死ぬこと」という意味しか持たない。

「う~ん、そういうことじゃないんだよね。まあ、この人たちもズレてるんだけど、ズレちゃった理由はわかるんだ。私もきわどいことをしてるから」

 きわどいこと――それをしてる自覚はある。

 結局、性の匂いが一切しない聖女をアイドルに仕立てあげるということは、性のビジネスの一つなのだ。その程度のことは私も知っている。だから、致死量には到底届かないけれど、わずかばかりの後ろめたさはある。でも、私はそれがヒルウェィを売るために最善と考えたからアクセルを踏み続けた。踏み続けるだけの根拠もあった。

 ここには傷つく当事者が存在しないのだ。

 ヒルウェィは歌って、できれば多くの人に聞いてほしいと思っていた。その夢を私は完璧にかなえた。

 異星人の大使のように振る舞わせて、そこに歌をオプションでつけるという選択もあったけれど、それは頭からお尻までヒルウェィをまた違う意味で政治的な存在にしてしまう。彼女を歌手ではなく、有識者のカテゴリーに放り込んでしまう。

「価値を与えずに受け入れることが地球人にはできないんだよ」

 何度も口にした表現だった。私はヒルウェィに何も隠し事をしてない。私が隠し事をしたら、ヒルウェィはもう事実を知る手段がなくなってしまう。

 ただ、ヒルウェィには一割も理解されてないとは思えるけど。

「ふむー。鷹島プロデューサーの言うことはいつも難しいデスネ」

 彼女は長い手をだらんと下げた。「歌が上手いという以外の価値がありマスカ?」と聞かなくなっただけ進歩してはいるが、やっぱり理解はしていない。

「こうやってクレーム入れてる人はどうやったらファンになってくれマスカネ?」

 本当の聖女みたいなことをヒルウェィは言う。

 すごくいいこと言ってるみたいだけど、これはヒルウェィが何も考えてないだけである。

「それは私にもわからん」

 そんなことができたら苦労はしないのだ。一円も払わずに邪魔だけしてくる層というのは昔から存在する。

 ただ、ちょっと今回の輩(やから)は過激な気がした。

 コメントを見るに、襲撃をやけに強調している。こういう団体だっていくつもある。穏健的な、せいぜいロビー活動をするぐらいの人たちもいれば、犯罪者集団になり果てている連中もいる。

 このタイプの活動家は異星人排斥系の輩よりは安全だ。少なくともヒルウェィは保護するべき存在で、敵だとは映ってない。彼らにとっての敵は私のほうだ。体が傷つかないために衣服を着て、壺で煮炊きをする程度の文明しか持ってない、いたいけな異星人で金を荒稼ぎしている私のほうだ。

 それでも聖女が気分を害することはある。それはプロデューサーとして避けなきゃいけないことだ。

 念には念を入れよう。

「ヒルウェィ、今日は私の手動運転で帰るけど、いい?」

「手動って、車って人が動かせるんデスカ?」

 そりゃ私も手動運転の車に乗ったことなんて、砂利ばっかりの廃道をガタガタ進んでキャンプした時ぐらいしかない。車が運んでくれるのに、なんでわざわざ人間が運転しなきゃならないのかって話だ。

「効率は悪いし、変な揺れ方するけど、できなくはない」



 自動運転のいいところはナビゲーションシステムが最短時間や最短距離で乗ってる物を送り届けてくれることだ。

 けど、それがリスクになることもある。

 待ち伏せする側からすれば、どこに待機していればいいか、簡単にヤマが張れる。

 地下三階の駐車場でタクシーを呼び出して、自動運転モードに切り替える。運転したことはないけど、手を上下左右に動かせば、それに反応して動くだけだろう。さすがにできる。

「頭を覆うの、変デスネ~」

 ヒルウェィにはフードつきの服を着せている。身バレしないためにアーティストの姿を隠すのはよくあることだ。

「あなたの髪は遠くからでも目立つからね。顔も目が人間よりちょっと大きいけど、それは個人差で通る。でも、髪はうるおいすぎなの」

「フード濡れちゃいマス」

「少しだけ我慢して」

 六本木のビルを出ると。とりあえず北上。本来なら西へ、西へと進んで笹塚のマンションに向かうところだけど、それを北から大回りするようなルートにする。

 私を狙ってる奴がいたとしても、まさか中野富士見町で待ち伏せてはいまい。時間はかかるが、万一に備える。

「ところで、今日はわたしも前側の席なんデスネ」

 たしかにわざわざ前側の席に座ることなんてないな。

「こうすればアーティストじゃなくて職員二人が乗ってるみたいに見えるからね」

「鷹島プロデューサー、細かいこと、気にシマス」

 私は小さく笑って、「そうかもね」と言った。ずいぶん日本人ぽい表現をヒルウェィがしたと思った。

「私はね、占いは信じないけど、直感はすごく信じてるの。その直感に今も従ってる」

「歌詞で見たことありマス」

「人間も生物だから、理屈もなしにいいことやヤバいことに気づける能力が備わってると思うの。野生の勘ってやつ。あなたと出会った時も根拠不明のいけるかもって感覚があったよ。売るためのプレゼンを社内で何度もやったのは事実だけど、それは後付けの補強みたいなもんで、本音はいけそうと思ったからとしか答えられない」

「大型の獣が来たら、わかることに似てマスネ」

「そうだね。近いかも」

 ミレィ人は多くが十センチに達する前に猫みたいな小型肉食獣に食べられる。ただ、地球人に匹敵する大きさに成長した個体にも危険はあって、そういうのを食べるオオカミみたいな肉食獣がいる。火を使って威嚇したりもするけど、獣のほうも賢くて、効かない時も多い。

「ひありあふぇっぺぺぺぺ、ひああらほっぺぺ♪」

 ヒルウェィは変な歌を口ずさんでいる。歌詞はミレィ語でもなんでもなく、適当に出てきた音だ。

 彼女の歌は心の底から楽しそうなものであり、楽しむためのものだ。

 音楽という概念が長らくなかったミレィ人に、地球人は自分たちの文化を紹介すると言って、いきなり音楽をぶつけた。ろくに気にしないミレィ人の中で、ヒルウェィはごく少数の音楽にハマった側だった。

 そして、地球人の私を見つけて、地球に連れていってくれと言った。

 音楽関係者に言ってきたなんて奇跡みたいな確率だと思うが、ヒルウェィは私がモルヒウ会長の取材に行ったのを見ていて、それを追いかけていたのだ。私のところに来るまでタイムラグがあったのは、歩幅が違いすぎて、なかなか私に追いつけなかったからだ。

 どういうジャンルが好きとかじゃなくて、音楽そのものが好きなのだ。

 結果は自然とついてきた。ヒルウェィを超えるアイドルは登場する気配もない。

「やっぱ、『愛』がないと音楽ってダメなんだよな……。その『愛』のためには『飢え』が必要なんだよな……。でも強制的に『飢え』させれば、それは犯罪か虐待かハラスメントのどれかだし……」

「独り言デスカ?」

「そうだよ。大ヒットを作るには、歌手の『愛』が必要だって話。あとはほんのちょっとの技術。たいていのアーティストが技術でどうにかしようとして中途半端なモノを作って、中途半端に人生を終えてる」

 手動運転といっても、やることはたまに十字に手を動かすだけで、いつものように雑談ができた。

 プロデューサーの私はヒルウェィが売れれば売れるほどうれしい。

 でも、同時に地球人の私は嫉妬心を感じる。

 地球人にはハングリー精神がない。別に個々人の責任じゃない。何世紀も音楽を商品として生きてきた世界から、音楽に飢えて飢えてたまらない人間は生まれようがない。

 ヒルウェィと『愛』の強度が違いすぎる。

「みんな、ふわっとした気持ちでこの世界に入ってきちゃう。そして、ふわっと雪粒みたいに消えてしまう」

「じゃ、地球人にもミヒウニみたいなものはあるってことデスネ」

 想像してない言葉が出てきて、私は面食らった。

「なんでミヒウニなの?」

 和訳すれば「自分が死んでも、この生命を伝えたい、残したいという感情」のことだ。ミレィ人が交入する時の動機としてよく語る言葉。

「中途半端なものを作るって、命を懸けてやることとは真逆だと思うよ」

「ミレィ人も大半は中途半端デスヨ。それでなんとなくミヒウニ感じて、子供産みマス。でも、それでいいデス」

「どうして、それでいいわけ」

「強い感情持ってる人しか子供産まなかったら、ミレィ人、死に絶えマス。種族としてはなんとなくミヒウニなほうがいいデス。音楽の世界もそうじゃないデスカ?」

 たしかにずば抜けた『愛』の持ち主しか出てこられない世界は、すぐに枯渇して消えるだろう。優れた才能があっても活躍の場がなければ意味がない。土も水もない真空地帯で、植物は生えない。

「わかった気がする。いや、直感的にはよくわかった」

 中途半端に見えるアーティストも、みんな真剣ではあるはずなんだよな。ただ、異常なほどの『愛』を持つということが理解できてなかっただけなのだ。

 成熟して、出産して死んでいくミレィ人も、そんな感じなのだろう。彼女たちにとって、それが納得のいく人生の幕引きなのだ。それぞれの中で折り合いはついている。

 そもそも私だって『愛』の強度が足りないまま、だらだらと生きてきているじゃないか。「何があってもこれがしたい!」なんてものを見つけて生きてきたわけじゃない。かといって、人生が空しいものだとは感じてない。それどころか、プロデューサーとして充実している。

 折り合いだ、折り合い。

 ヒルウェィを伝説にするために私は生きていけばいいし、それはなかなか満足度の高いものだ。

 ダンダンッ――と鈍い音が響いた。

 空から車に何か落ちてきたのかなと思った。そうじゃなかった。

 銃撃されている。

 どこから? 車の外からということしかわからない。なにせ銃撃されたことなんて人生で一度もない。

 車が『メンテナンスに不具合があるため、安全のため一度停止します』とアナウンスを告げる。最悪だ! 一番止まったらダメなタイミングじゃないか!

 ご丁寧にも私たちの車は路肩に寄って駐車した。いっそ、中央に停まって後続車を立往生させてくれたほうが安全だったろう。

 ほとんど間髪入れずにドアが無理矢理破壊された。銃火器も持っているし、手際もいい。イカレた一人の犯行じゃない。

 ドアの前に立っていたのはヒゲ面の中年男で後ろにも数人の男女がいた。ガタイはヒゲ面が一番いいから、荒事担当ということか?

「降りてください」

 丁寧語だったのが意外だったけど、命令されてるのは変わりがない。私は道路のほうに出た。もし、暴走車が来たら私だけじゃなく、こいつらも轢き殺してくれるだろう。

 私が「どういうご用件でしょうか?」と尋ねる前に、ヒゲ面が言った。「あなた方の会社は異星の同胞を見世物にして大金を稼いでいる。恥ずかしくないのですか?」

 すぐに後ろの連中から「そうだ、そうだ!」と声が上がる。

 こんな時、どう答えるかテンプレートができていた。「弊社は異星交流推進法の条項をすべて守ったうえで行動しています。当然、私もです」

「そういう問題じゃないでしょう!」男が声を荒らげた。「あなたの心に聞いてみて、恥ずかしくないのかということですよ!」

「いいえ、そういう問題ですよ。だったら、あなたたちは自分たちが正しいと思ったら法を破ってでも行動するのが正しいと言うのですか? 自分たちが法だと言うならそれは前近代の生き方と何も変わりませんよ」

 後ろでヒルウェィが車内を移動しているのがわかった。私のほうのドアから外に出るつもりなのだろう。できればじっとしていてほしいけど、言える余裕もない。

 案の定、どこかから「ミレィ人の子だ!」という声がした。こいつらにとったら虐待されている人間に見えるんだろう。

 冗談でもヒルウェィを傷つけるマネはしないでくれと願った。取り返しがつかなくなる。

「無論、現行の非人道的な法を是正するべく動いてもいます。が、それでは間に合わない。事実、あなた方は何も知らないミレィ人の子を連れてきて、奴隷的苦役を強いている」

「奴隷? 取り消してください。それは侮辱に当たります。ヒルウェィは弊社の大事なアーティストです。彼女の生活環境にも最大限配慮しています」

 テンプレートの表現は、正論でも弱々しいと感じた。

 つまり『愛』が足りない言葉なのだ。

 凡人でも相手に言い負かされないように技術だけで作った言葉。

「そのヒルウェィちゃんという女性も星に帰れば出産適齢期のはずです。そういった生活スタイルから切り離して地球での孤独な生き方を課しているのは事実でしょう? 本来の性から切り離すのは許されざることです!」

 また、「そうだ、そうだ!」という声が響く。そこからまた性的搾取だとか、文明人の横暴はやめろだとか、そんな言葉が続いた。

 次第に怒りを覚えた。率直に言えば、キレそうだった。怒りなら最初からあったけれど、今の私の中で育っているのは違う種類の怒りだった。

 この連中はヒルウェィの活躍を見ても、本気でミレィ人の暮らしや文化が破壊されることを懸念しているのか?

 正気じゃない。

 まるでヒルウェィに会う前の私じゃないか。

 ぐいっ。私のスーツが後ろから引っ張られた。力は弱い。ヒルウェィが引っ張っている。

 それが引き金になった。怒りが穴を突き破って出てきた。

「あなたたちは巨大な、巨大すぎる事実誤認をしています!」

 大声で相手の声をつぶした。

「あなたたちは地球人のほうが上にいると考えています。文化に貴賤がないとは思っているんでしょうけど、文明には差があることは認めています。だから、地球の文化をミレィ人の方々に届けることも侵略行為だと言っているんでしょう?」

 一瞬気圧されたヒゲ面は「まさしく侵略行為じゃないですか?」と言い返した。やっぱり、わかってない。あんたらは傲慢だ。

 左手を後ろに伸ばした。ヒルウェィの手に触れた。

「たしかに私たちはミレィ人が持ってないものを与えています。今のあの方々はもらう一方です。ですが、何十年後、とんでもない量のミレィ人の音楽が、絵画が、文学が、地球に押し寄せてきますよ! 私たちは彼女たちの星に聖地巡礼する羽目になるでしょう! 地球側が文化による侵略をされるのは遠くない未来のことですよ! 強者であることが前提のあなたたちの発想は必ず空転します!」

 これまでにない種類の憎悪の瞳が私に向けられたが、気にはしなかった。

「本当のことです。文明に差はあっても、文化というのは摂取さえすれば急速に追いつき、追い越せるものなんです。心配しなくても、異星人はそんなに弱くないですよ。むしろ、地球人の文化がどうなるかわからないことを恐れるぐらいがちょうどいい。それが異星人に対する敬意というものです」

 議論のすり替えだという叫びが聞こえた。あんたらと議論をする気なんてない。これは私が日々感じているものをぶつけているだけのことだ。

「搾取も侵略もつゆほども頭にないですよ。むしろ、彼女たちに圧倒されるんじゃないかという恐怖を地球人として感じながら、ヒルウェィと仕事をしています。それは相手を下に見ていたら絶対に湧いてこない感情です。だから、私はヒルウェィをパートナーとして見ているんです」

「プロデューサーありがとう!」

 ヒルウェィの声が耳に心地よかった。

 ヒゲ面の後ろにいた男が前に出てきた。「だったら、あんたはなんで今の仕事をしているんですか? 異星人の文化侵略が怖くないんですか?」

 私はヒルウェィのほうを一度振り返って、言った。

「私はヒルウェィのプロデューサーですから」

 ただ、それだけのことだ。

「あなたたちが弊社や私をどれだけ憎もうと、ヒルウェィが歌いたいと望むなら、私はその夢をかなえるために働きます」

 すべてはヒルウェィが決めることなのです――と言うつもりだったのに、なぜか声にならなかった。

 体に太陽が割り込んだような熱を感じる。

 そして、ぐらっと体が沈んだ。

 撃たれた。間違いない。前に出てきたあいつが何か武器を携帯していたらしい。

 ヒルウェィの悲鳴が聞こえた気がしたけれど、夢みたいに遠くで聞こえたように感じた。意識がぼやけてきて、夢かどうかの判断がつかない。

 だから、ここから先のことも実際にあったことかどうかはわからない。

 ヒルウェィが飛び出す。腰あたりから鞭のようなものを出す。鞭手(べんしゅ)というミレィ人特有の武器用の触手だ。それを右手で鞭のように放つ。

 活動家たちがはじけるように吹き飛ばされていく。

 そう、ミレィ人は決してか弱い存在ではない。むしろ一対一で勝てる地球人なんてプロレスラーだとか一部の職業の者だけだろう。

 聖女を不快にさせたから、天罰がくだった。

 問題は正当防衛でいけるかどうかというところだけど……それよりは自分の体の心配をするべきか。不気味なほどの疲労感と眠気が体を包んでいる。

 敵を吹き飛ばしたあと、ヒルウェィは私の手を握って、こう言った。

「プロデューサー、初めてミウヒニを実感したかもしれないデス」

 何を答えればいいか、ぼうっとして頭に浮かばなかった。

「わたしが死んでも、プロデューサーの命を残したいと、今、思いマシタ」

 そんなの、ヒルウェィの価値に合わないよ。もっと自分を大事にして。

「自分の命をどう使うかはわたしが決めマスヨ」

 視界がぼやけて、真っ白なような、それでいて真っ黒なようなものに塗りつぶされた。





 目覚めたのは事件から三日目のことだった。

 病院にいるのはすぐにわかった。それから、すぐに情報を得ようとして、ろくに動けないのがわかって、テーブルに置いてあるスマート・グラスを目にかけてヒルウェィ関係のニュースを探した。

 私たちを囲んだ過激派組織がヒルウェィに逆襲されたことをニュースは伝えていた。幸い、死者は出ていないらしい。つまりヒルウェィは誰も殺さなかったということだ。なぜか、ヒルウェィが殺されているかもという危惧は一切抱かなかった。

 厄介なのはその後だった。私の意識がまったくなかった二日間のうちに状況は急変していた。地球にいるミレィ人のうち、ヒルウェィと同じ地域を出身地に持つ者たちがヒルウェィに味方しようと異星人保護運動を行っている組織を襲ったりしているという。ミレィ人は好戦的ではないが、仲間の危機を感じれば戦おうとする。その行動力は部族制社会の地球人に近い。

 そのニュースを読んだら、もう一度意識を失いそうになった。

 つまり、異星人保護を訴える団体がその異星人に敵対視されているというわけで、これはどういう落としどころになるのだろう? 少なくとも物理的な意味では、異星人は弱者じゃないということだけは知れ渡っただろう。彼女たちは自分たちの星では生態系のトップですらないのだ。だからこそ戦う力をずっと持っている。

 不幸中の幸いなのはまだ死者が出た報道がないことだが、全然楽観できない。

 なにより、ヒルウェィの居場所が見つかってないままなのだ。事務所に連絡したが、私の笹塚のマンションにも帰っていないという。

 ミレィ人は数日飲まず食わずでも平気だから、どこかに潜伏しているんだろうか。パニックになって自殺するようなことはないと思うが、イレギュラーな事態だからよくわからない。

 と、弊社のアーティスト用チャンネルのヒルウェィのページがライブ中になっていた。

 何事だと思って、すぐにページを見に行った。

 ヒルウェィはなんと過激派組織の拠点のようなところにいた。デモで使うプラカードのようなものがいくつも隅に立てかけてある。

 私はもう一回意識を失えないだろうかと思った。

 まさか臭いものは元から断つというつもり? これじゃ、どっちが過激派かわからない。さすがにお礼参りまでしたら刑事罰になる。アイドル活動どころじゃないだろう……。

『チャンネルをごらんの皆さん、聞こえますか、ヒルウェィデ~ス!』

 場違いなノリでヒルウェィは手を振っていた。

『ここの方たちはヒルウェィがひどい目に遭っていると思ってマス。でも、わたしはとっても幸せデス』

 うん、そこまではわかる。どうか、鞭を振るわないでくれ。暴力を全世界には発信しないでくれ。

『だから、それをわかってもらえないかと、ここで歌うことにシマシタ』

 はっ?

 そして、ヒルウェィは歌いだした。

 音楽は世界をつなぐと本当に信じているみたいに。

 ヒルウェィの気持ちが届くのか、それは誰にもわからない。もはや地球人の常識を超えてしまっている。

 ただ、閲覧者の数字だけがおかしなものになっている。十万人を超えたなと思ったら、いつのまにやら十五万、二十万、二十五万、三十万……。事件に巻き込まれたというか、起こしたというか、とにかく渦中のアイドルが何かやっているということで、全世界から人間が集まってきている。

 二曲目が終わった時には百万人を超えていた。

 チャンネル内のヒルウェィはそんな数字には一言も触れずに、こう言った。

『次の曲は鷹島プロデューサーに捧げます』

 ヒルウェィがアカペラでデビュー曲を歌いはじめる。

 私は泣いていた。

 うれしいのではないはずだけど、泣いていた。

 泣くと傷に響くけれど、泣くしかなかった。

 私の手には負えなくても、ずっとプロデュースしてやるからな。


◆終わり◆

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聖女十五センチ 森田季節 @moritakisetsu

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