第2話
帰宅予定の日になっても千夏は戻ってこなかった。
その翌日もそうだった。スマホが動静を伝えることもまったくなかった。受け取った最後のLINEのメッセージは「今から山に入ります!」というものだ。
ルームシェアの一部屋が空きになるだけで、こうも物件全体のしまりがなくなるのか。狐虎は共用のダイニングでうずくまって、動けなくなってしまった。雑談用にちょうどよいからと、片づけずに出しっぱなしにしているこたつがかえってちょうどよかった。五月なのに寒気がした。
狐虎はやれる限りのことはすべてした。警察にもすぐに連絡した。ただ、場所は獣が通ることさえあるか怪しいという難所で、山岳救助隊や地元の山岳連盟も二次遭難を恐れて二の足を踏んだ。
一週間が過ぎ、二週間が過ぎ、六月になっても千夏の行方は杳(よう)として知れなかった。ついにネットニュースで「美少女邪教研究者遭難」という見出しが載った。その見出しはクリックしてもらうことを前提にしたパワーワードだけで構成されていて、遭難者を憂う気持ちはすがすがしいほどになかった。
そろそろ待つだけというのが限界になってきた。
このままだと自分の心も死んでしまう、狐虎はそう思った。
ならば、いっそ……。
狐虎は千夏の部屋――ダイニングの奥に並んだ二つのドアのうち右側の部屋――のドアを開く。
プリントや論文のコピーが積載されまくって、机の役割をあまり果たしてない机の一番上の層に『白山深秘要諦』と、そのコピーが置いてある。
コピーのほうを手にとった。
「何が邪教だよ。前途ある若人をたぶらかしやがって」
ぶっ壊してやる。
悲しんでるのも馬鹿らしいから、怒りをぶつけてやろうと思った。
行方不明から相当の日数が経っている。常識的に考えて、千夏は生きてはいないだろう。それはそれでいい。とっくに自分は千夏の死を受け入れていた。だから、千夏が死んだことが実証できれば、次に進める。
それまでは千夏のために時間を使う。
千夏の行き先ははっきりとわかっている。まさか登山装備の女を誘拐する男はいないだろう。
千夏は白姫寺奥ノ院までの道のどこかにいる。
参詣曼荼羅(まんだら)のような下手な写しも古記録に入っているし、千夏の言葉でも場所や参詣道の入り口などは嫌になるほど聞いた。
金をおろして、登山専門店が並ぶ地下鉄小川町駅前に出て、装備を揃えた。リメイクされた古いRPGのようだと千夏は思った。金に糸目をつけなければ装備はどんどんよくなって、強くなる。ゴアテックスを使った黒のジャケットにアウトドアシューズ。とくに真っ赤なヘルメットはまさに戦士の鉄兜そのものだった。そこに水に浮くロープやお助けアイテムのカラビナ、それから武器としてのアメリカ製のシックな登山用ナイフ。自分の技量で使いこなせるかわからないがとにかく買い揃えた。修験道の行場で岩にへばりついたことなら何度かある。そのへんの平均的な二十代の女よりは慣れている。
新幹線で名古屋に出て、在来線で多治見(たじみ)に行き、また乗り換えて美濃太田(みのおおた)に向かい、駅前のホテルに宿泊した。翌日、朝六時二十六分発の長良川鉄道、北濃(ほくのう)行きディーゼルカーに乗り換えた。二時間ほどの乗車で美濃白鳥(みのしろとり)に着く。まっすぐ北に抜ければ岐阜と福井の県境にぶつかつような場所だ。
四人掛けボックス席の一つを占有してローカル線で目的地へ向かっている間、狐虎は自分の将来について考えていた。
千夏の死を確認できるものが見つかったら、うだつの上がらない研究者は辞める。すぐに辞めてもただの無職になってしまうから、職を探しながら籍は置いていてもいいけど、研究者と違う道で生きていく。
狐虎が博士課程まで来てしまったのは千夏がいたからだった。
院に進む時に、二部屋ある物件を二人で借りたのも、家賃を浮かせるためというより、千夏と暮らす口実がほしいだけだった。
千夏をうらやみながら、その実、千夏は自分の誇りだったのだ。昼も夜も学食で済まそうとする千夏のために夕飯を作ることにしたのも、千夏を支えているのは自分であるという屈折した自尊心からだった。
そんなものは千夏が消えた時点で失効する。
だから、自分が千夏に留まっていないことを確認するのだ。
これはすべて自分のためなのだ。
千夏のためのものであってなるものか。
始発の美濃太田ではまだ平坦地が広がっていた車窓は北上するにつれて次第に先細っていった。この真北にも白山がそびえていて、すっかり道をふさいでいて、狐虎は自分がどんづまりに向かっているような感じがした。
ずいぶん長く揺られて美濃白鳥で下車した。白山までは北に直線距離で三十キロほどの地点だ。
このあたりは白山信仰の美濃側の拠点だった。少し北の白山長滝(はくさんながたき)神社が美濃側の白山登山のセンターで、さらに北上した白山中居(ちゅうきょ)神社から先は白山への本格的な登山路が伸びていたはずだ。
白山への登山は今では北側ルート、中でも石川県方面からがポピュラーで、加賀一宮でもある白山しらやま比咩(しらやまひめ)神社が白山信仰のシンボルのようにとらえられている。現在の白山の山頂部も同社の奥宮という扱いとなっている。
同社所蔵の『白山之記(はくさんのき)』は白山縁起の最古のものと知られており、平安末の長寛(ちょうかん)元年(一一六三)年の成立と言われている。
同書では白山の峰の一つ、御前峰(ごぜんがみね)を「禅定(ぜんじょう)」と表現し、そこが十一面観音がこの世界に顕現した白山妙理大菩薩(白山妙理権現とも表記する)の聖域であるとする、神仏習合の進んだ中世縁起の典型的な世界観が描かれている。
なお、神仏習合といっても、熊野のようなほかの霊場と同じく、白山信仰の霊場の当時の運営ももっぱら寺家(じけ)側が優勢で、運営機関にあたる白山宮政所(まんどころ)の構成員の大半は寺家方の僧侶たちで占められていた。
ただ、近世までは南側の美濃側からの道も広く利用され、主に現在の白山長滝神社を中心に修験組織が力を持っていた。白山神社を名乗る神社も岐阜県など東海側に多い。伊勢や熊野のように今のツアーコンダクターにあたる御師(おし)もいたという。
そもそも、白山という峰々に阻まれて、越前・加賀・美濃の登山センターはそれぞれ分断され、独自の組織を持つしかなかったのだろう。
もっとも、千夏は白山信仰にはあまり意識を払っていないようだった。それは千夏が部屋に置いていった資料群がはっきりと語ってくれている。
奥美濃にはもう一つ、隆盛を極めた信仰があった。
――高賀(こうか)権現。
かつての武儀(むぎ)郡と郡上(ぐじょう)郡の境界部に位置する峰々で行われていた山岳修験信仰の一つ。
特徴として、知恵を授ける仏として知られる虚空蔵(こくうぞう)菩薩を信仰すること、信仰拠点が「星の宮」と呼ばれることが挙げられるが、なかでも変わっているのがその縁起だ。
縁起に英雄藤原高光(たかみつ)の妖魔退治が語られるが、その妖魔がしばしばサルのようなものと語れるのだ。狒々(ひひ)と呼ばれることもあれば、顔はサルで、胴体は虎で、尾は蛇というような、鵺(ぬえ)のようなビジュアルだと伝承しているものもある。
『白山深秘要諦』も、白山信仰ではなく、むしろこの高賀権現と関わるものだろうと千夏は踏んでいた。それは残されていた資料とノートのメモからすぐに読み取れた。
高賀権現信仰の一部は明確に「邪教」的なもの
⇒白山信仰を隠れみのに
⇒白山比咩を意味するような白姫寺という名前でごまかす
⇒奥ノ院をたどりつけないようなところに隠した
論文にするならこれをくどくどと論証していかないといけないが、そのチャートだけでも千夏の考えは明確だった。だいたい千夏は邪教を研究するのが趣味であり仕事なのだから、正統的な白山信仰などに興味を示しはしない。
ただ、そのチャートから数行はさんで、別の推測が書かれてあった。
サルのような妖魔を英雄の藤原高光が退治した
⇒伝承の高光は外部から来た征服者で、本来の信仰対象はサル(妖魔)?
⇒奥ノ院では妖魔を祀っていた!
「ここまで来ると妄想だろ……」
駅で呼んだタクシーを待つ間、狐虎はノートのコピーを見ながら独り言を言った。ほとんど陰謀論の次元だ。頭が痛くなってくる。
町の中心部だというのに、駅前は閑散としていて、声が響いた。ノートの内容が内容だから、声を出さないと気味が悪い。メモのコピーはすべて透明なビニールに入れてある。沢登り中に濡れる危険が高い。二万五千分の一地形図も同じように「真空パック」していた。
妖魔信仰の傍証として千夏が残していた資料にも再度目を通す。
一つは郡上(ぐじょう)藩が藩内の寺に出した警告だった。白山の御師を騙(かた)って婦女をかどわかすものがある、そのようなものは厳罰に処すと。『白山深秘要諦』にも同様のことは書かれてあった。
そんなことが本当にあったのか。まだこれが女人成仏の布橋(ぬのばし)で知られる芦峅寺(あしくらじ)の姥堂(うばどう)がある立山修験ならわからなくもないが。
もう一つの傍証は美濃の中でも長良川沿いにもう少し南下した、美濃市と関市の境にある日龍峯寺(にちりゅうぶじ)についてのものだった。
今も鎌倉時代までさかのぼる多宝塔が残るその巨大山岳寺院には両面宿儺(りょうめんすくな)が祀られている。それは伝説でもなんでもなく、本堂の裏手に行けばそう書いてあるので、現役の信仰だ。
両面宿儺は『日本書紀』の中で、朝廷に反抗したとして飛騨(ひだ)で退治された異形の化け物だ。名前のとおり、顔が表にも裏にもついていて、手の数も多かったという。おそらく、土蜘蛛のようなまつろわぬ民を神話化したものだろう。
もっとも、こういうのは地元では「味方側」になる。円空(えんくう)が彫った両面宿儺が岐阜県にいくつも残されているように、飛騨や美濃の一部では神や英雄として認知のされ方をしている。地元を守ろうとする奴は、地元から見れば郷土の英雄なのだ。
だが、だからといって、高賀権現信仰の妖魔も両面宿儺のように祀られていたというのは、露骨な論理の飛躍だ。両面宿儺の信仰も中世にさかのぼれるかも怪しいところがある。少なくとも、中世の両面宿儺の木像が大量に残ってるなんて話は聞かない。そのあたりが、修験道の主尊の一つとして大量に造像されてきた蔵王権現とは異なる。
そんなことは指摘されずとも千夏もわかっていただろう。
千夏はインチキ陰謀論者じゃなくてプロの研究者なのだから。
だとしたら、どうしてこんな無駄なあがきのような資料を用意していたのか?
もやもやしたものが体を満たしそうになった頃に、呼び出したタクシーが駅前に入ってきた。地元の還暦過ぎの男性ドライバーだったが、目的地が具体的な施設名ではなく、林道の奥まったところだったので、説明に時間がかかった。
車で到達できる林道の終点がかつての白姫寺本坊の跡地であり、奥ノ院の入り口にあたるらしいが、お堂や石燈籠の一つも残されていない。林道整備の時に完全に破壊されてしまったのかもしれない。
タクシーに別れを告げて、いよいよ谷川に沿って沢登りを決行する。
「生きてたら、お尻ぺんぺんだからな」
景気をつけるように狐虎は一言、口にした。
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