くじら座の少年

朝生紬

序話 

 泣かないで、と彼は言った。言いながら、真珠のような涙を指ですくおうとして自分に手がないことを思い出したのか眉を八の字に下げた。

 ────泣かないでよ、僕は君の涙を拭ってやれないんだ。

 彼はそう慰めてくれるけれど、わたしの涙は止まることを知らなかった。細くて猫っ毛で、毎朝ぺっちゃんこになってしまう長い髪の隙間から、目の前で困った顔をする彼を見上げている。足元にはわたしの流した涙の海がいつの間にかホームから降りて、線路を満たしていた。

 ────このまま泣き続けたら、きっと明日にはここは海になっているよ。君ってば、泳げないだろう。僕はこの通りだからね、助けてなんてやれないよ。

 いじわるだわとわたしは言った。泣きすぎて、その声はからからに枯れていた。

 ────僕がいじわるなのは、まあ、認めるよ。男っていうのはそういう生き物だから仕方ない。でもさ、僕だって何もいじわるしたいだけで言ってるんじゃないよ。仕方ないんだ。わかるだろう?

 じゃあ、わたしも連れてって。わたしの追いすがるような言葉に彼は首を横に振る。

 ────だめだよ。きみはまだ、こっちに来ることは出来ないよ。だってきみは切符を持っていないんだから、ここでさよならだ。

 ちょうどその時、銀河の中をふわふわと浮いている駅に汽車が滑り込んでくる。かささぎの涙が星になって、その上をがたんごとんと揺れている。

 ────ほら、汽車が来た。ねえ、本当にこれが最期なんだ。頼むから泣き止んで。僕をその泣き腫らした不細工な顔で送る気?

 ひどい。とわたしは言った。さよならで笑えっていうの。

 ────そうだよ、泣き虫でお人好しの君。だって僕らはまた会える。ただほんの少し、手が届かなくなるだけなんだから。

 少年が汽車に乗り込むと、わたしはまたぽろぽろと泣いた。ぱらぱらと足元にちらばる真珠たちが弾けて銀河の海に落ちていく。黒猫の顔をした車掌がニャアと鳴くと、空っぽの汽車はいつのまにか満席となっていて、ゆっくりとドアが閉まった。

 ────ねえ待って。あなたの本当の名前をまだ聞いていないわ。

 汽車に向かってわたしは走った。ホームから汽車はぐんぐんと空へ登っていき、少年の声が遠去かる。手が離れていく。さよならがふたりの間に横たわる。

 ────僕の名前はミラだよ。君がつけてくれた、くじら座の一等星だ。

 少年は言った。鯨の形をした星の群れが、汽車を運んでいく。


 

 だから今度はその名前で、きみに会いにいくよ。 




────くじら座の少年より抜粋

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