若狭小浜えるふの顛末
森田季節
若狭小浜えるふの顛末
案内役の若い僧は好々爺といった風情の老人を前にして、彼をどう呼ぶか迷った。
悩みに悩んだ挙句、
「ご隠居様」
と呼んだ。
「やめてくれ」
老人はわざとらしく顔をしかめてから、からからと笑った。
「翁(おきな)でよいわ。それに禅刹(ぜんさつ)で相手の身分をうかがってどうする。生来無一物であるべきところではないか」
若年の僧と並ぶと、まるで若造が仙人に教えを聞いているように見えた。もっとも、僧にとったら仙人と話すほうがまだ遠慮もいらなかっただろう。
「しかし、翁は、その、かつて若狭(わかさ)少将と呼ばれた方、この若狭小浜(おばま)の領主であった方ですから……」
「若狭少将? もっとひどいわ」
ぼりぼりと老人は白髪をかいた。
「その若狭小浜をわしはそっくり召し上げられて、それから次に備中足守(びっちゅうあしもり)までなくしたのだ。わしが無能だと言っておるのと変わらんではないか」
「も、申し訳ございませぬ!」
「そうかしこまるのもおぬしが過去を見ておるからじゃ。いや、若い者、それも僧をいじめてばかりおると地獄に落ちるな。そうだな、翁が嫌なら、せめて長嘯子(ちょうしょうし)とでも呼んでくだされ。それでも肩はこるが、それならまだ我慢もできる」
木下長嘯子は俗名を勝俊(かつとし)といった。秀吉の妻おね――高台院(こうだいいん)の甥にあたる。今は京で隠棲し、誰か訪ねてくる者がいれば会い、そうでなければ一日ぼうっとしてたまに歌を詠み、雲母坂(きららざか)の近くに庵を構えている石川丈山(いしかわじょうざん)のところに遊びに行って、幕府の悪口を言っていた。そのくせ、幕府の要人もこの老人のところに遊びに来るし、老人も平気でそれを迎え入れていた。
節操なく生きてきただけだが、今、老人は歌壇の重鎮ということになっている。頼まれたわけでもないのに、そういうことになっている。まあ、歌壇で何かやらかしても腹を切ることはないから大名をしていた頃よりはずっといい。
関ヶ原の後始末の時、家康は老人を無責任だとなじった。守るべき城を勝手に抜けたのである。しかし、城を出ろと言ったのも家康の家臣であった。だが、あまり文句を垂れて首が飛ぶのもあほらしかったので、黙っていた。若狭小浜八万石余を取り上げられた。
そのあと、今度は備中足守の小藩に収まりかけたが、そこでももめ事が起こり、取り上げられた。
以来、彼は得体の知れない何者かに変質した。いや、最初から得体は知れなかったのだが、肩書のせいでまともに見えていたのである。
節操はなかったので、政治的には何度も死んだ。だが、節操がないせいで七十を過ぎるまで生き延びたとも言える。進んで死にたいとも思わないが、かといって生きたいという執着もない。
そんな折、若狭小浜のある者と会ってほしいという依頼を受けた。
面倒ではあったが、若狭小浜領主の木下勝俊がぜひとも必要な話だった。
「用向きは伝わっておると思うが、いかがか」
僧は迷いつつも、「承っております」と答えて、老人を方丈の畳へと通した。
案内をつとめた僧が逃げるように去っていくと、ふう、と老人は息を吐きだした。
自分の館がここにあった頃とほとんど変わっていない。庭は寺を建てる時、方丈のために新たに造作をしたもののはずだが。
この寺の場所は、若狭守護が守護所と定めたところだった。守護所となる前にあった寺は引っ越しをさせられ、今も近所にある。戦が激しくなるにつれて、守護はすぐそばの後瀬山(のちせやま)の城にいることが多くなったが、それでもふもとの館としてここの機能は残った。老人が秀吉の一門衆として、小浜に封ぜられた時もそれは変わっていなかった。
老人は白く長いひげをしきりにいじっている。
これが癖なのだ。こうしていないと落ち着かない。禄も領地も手放した、否、取り上げられたが、さほど悲しくはない。むしろ、自分の歌に迷いがなくなったように思う。この白いひげさえあれば、自分がいるということはわかる。
とはいえ、自分が住んでいた土地をのぞきに来るのは悪いものではない。
ここを寺にするというのは、京極高次(きょうごくたかつぐ)の息子もなかなか上手いことを考えたものだ。たしかに、どうにもこの土地は領主が館として使うには落ち着きすぎていた。元が寺だったせいだろう。もっとも、京極も転封されて、今は酒井が領主だっただろうか。老人はそんなことすら知らない。世間からは切れているのだ。
差し込む日もあたたかい。このままだと眠ってしまいそうだなと感じた頃に、「失礼いたします」という声がした。
有髪僧形(そうぎょう)の若い女だった。
剃髪してないのは怪しむほどのことではないが、その髪は金色で渓流の淵のような青い目をしていた。
「お初にお目にかかります。恵龍(えりゅう)と申します」
その声の調子はどこかはずれていた。老人はかつて切支丹だった頃、宣教師がたどたどしく「信じなさい」と日本語で言っていたことを思い出した。キリスト教の信仰も棄教した記憶もないのだが、いつのまにかやめていた。万事いいかげんである。だから、もしかすると自分はいまだに切支丹なのかもしれず、だとすると獄門になっても仕方ない。ただ、幕府の役人も老人を獄門にするほど暇ではないから放っていた。
老人は女の顔をじいっと見つめてから、
「八百比丘尼(やおびくに)は南蛮人であったか」
と嘆息するように言った。
若狭小浜城下の禅宗寺院に八百比丘尼がいるというので確かめてほしい――それが老人が受けた依頼だった。
「若狭といえば、八百比丘尼の本場とは聞いておったが。たしか文安(ぶんあん)年間の末に若狭から京に来て、話題となったはずであったそうですな」
あの頃の応仁文明の大乱が起こる前の京に生まれたかったなと老人は思う。その時代に羽柴も豊臣も何もないのだが、思うのは勝手だ。
当時、相国寺の僧であった瑞渓周鳳(ずいけいしゅうほう)は『臥雲日件録(がうんにっけんろく)』という日記の中で、若狭から「八百歳老尼」が入洛したと書いている。その姿を見たいなら高貴な者は百銭を求め、貧乏人は十銭を出せと言ったらしい。ずいぶんと高い見世物だ。
「いえ、わたしは八百比丘尼などではありません」
どこか謙遜するように南蛮の女は言った。
「かといって、ただの南蛮人でもないのであろう。なにより、ただの南蛮人でも、日本国におったら大事じゃ。島原の大乱が終わって何年にもなる」
「ええ」と南蛮人の比丘尼はうなずいた。「わたしは、生まれた国では、『えるふ』と呼ばれておりました。この寺に身を寄せておりますのは、この地が八百比丘尼というものをすでに知っていて、寛容であるからです」
南蛮の尼僧は髪をかき分けるように引き上げた。
そこに現れた耳は抜け落ちた鷹の羽のように大きくとがっていた。
もっとも、老人はその耳よりも尼僧の透き通るほどに白い手首に目をやった。
傷がある。
しかも深い。
老人も戦乱を生き延びた世代だから、そういうものはすぐに知れる。
しかし、傷について聞くのは順序がおかしい。
「そのえるひ殿、いや、恵龍殿からお話をお聞きしたいと思いましてな。なあに、一切の口外はせん。わしだって世間から切れておる。そなたと同類よ」
老人は膝を前に進めた。
「まあ、遠慮したくなるのはわかるが、ここは五十年ほど前はわしの屋敷だったところでな。ほら、今、どんな方が住んでおるのか知りたくなるのは人の情というものよ」
老人の態度に南蛮人の尼僧は諦めたようにうなずいた。
「わかりました。わたしは流れ、流れて生きてきたのです。今だけ抗うのもおかしなことでしょう」
「流れるのならわしも得意中の得意じゃ」
老人は元々笑っている顔をさらに崩す。
「それではお話しいたしましょう」と尼僧は若々しい声で古物語をはじめた。
◇ ◇ ◇
わたしの生国はイスパニアの中でも深い森でありました。
本当に森と呼ぶしかない土地でございます。わたしたちはその森で長く、静かに暮らしておりました。それのほかに生きる術がなかったのでございます。ひとたび森の外に出れば、わたしたちの耳は目立ちましょう。
しかし、わたしが生まれた頃から森はだんだんと減っていき、わたしたちは囲い込まれるように動けなくなってまいりました。村人の数も十年、二十年と過ぎていくごとに減っていきました。
祖母が生まれた頃はまだローマが東西に分かれるだとかの頃で、のんびりとしていたようなのですが。もっとも、わたしたちは時間の受け止め方がほかの人とは違うようなので、何十年か外れているやもしれません。
そして、わたしはその森でやはり静かに、誰にも知られないままに草が花を咲かすように、成人を迎え――
イスパニアの者に捕まったのでございます。
ただ、痛めつけられるようなことはございませんでした。彼らは「えるふ」なる者が風土病を持っていると頑なに信じておりました。それに、彼らの教えでは獣との淫行は死罪にあたるどころか、神に背くほどの重罪。わたしたち「えるふ」は獣と同類に見られておりましたから、手荒なことをされることはなかったのです。むしろ、わたしたちを隔離して、子を産まないようにして、滅ぼしてしまうことを彼らは望んでいたと思います。
とはいえ、物のように扱われたことには変わりありません。
そのため、わたしは本朝――日本国へ渡る貿易船に乗せられたのです。
◇ ◇ ◇
「――そして、信長公の献上品にされたと」
老人はひげをいじりながら口をはさんだ。
「いかにもそうです。ご存じでしたか」
「わしも生まれた頃は織田の家臣じゃったからな。当時は豊臣などというおおげさなものもありませなんだ。それに、神君は秀吉の血を絶やすことはしても、豊臣という姓を廃することまではしませんでな。大坂の城が焼けたあとも、わしの苗字は木下で姓は豊臣じゃ。まあ、備中足守と豊後日出(ぶんごひじ)の小藩二つで徳川の世をひっくり返せるなら、とっくに島津か毛利がやっておるわな」
何か小さな音が風に乗って聞こえてきた気がして、老人は庭に目をやった。池で蛙が一匹跳ねていた。その水音か。
不思議なもので、肉体が衰えていくと、かえって心が過敏になっていく気がする。これは自分が何か大きなものに戻っていこうとしているからなのか。
戦乱に明け暮れた時代、武士たちは畳の上で死ぬことを恥とした。戦場で散ることばかりを望んでいたから、大坂の城とともに豊臣が焼ける時も全国から浪人が集まった。あれは食い詰めた者というより、自殺志願者たちだった。
しかし、そんな激しい戦場と対極の自分の死に方のほうが歌人にはふさわしい、と老人は思う。
「大きな蛙じゃな」
「蛙でございますね」
「ここの蛙はよく鳴きますかな? たしか読経中に蛙がうるさいので、黙れと言うと、蛙が鳴かなくなったという寺があったような。ああ、悪い悪い。話を続けてくだされ」
老人がそう促すと同時にもう一度、水音が響いた。
◇ ◇ ◇
まず、わたしは大きな箱から出され、信長公と対面することになりました。信長公はとくに面白がることもなく、奥方への土産と決められたようでした。
あの頃のわたしは日本国の言葉など何一つ解しませんでしたから、信長公が何を言っているかわかりませんでしたが、あまりわたしに近づきたくないというのは伝わりました。風土病が恐ろしかったのでございましょう。イスパニアの者が風土病を恐れるなら、遠く離れた日本国の信長公が恐れるのは当然でございます。
うがった見方をすれば――奥方が風土病にかかればよいと思っていらっしゃったのかもしれません。
信長公は奥方を心から厭(いと)うていらっしゃいました。いえ、家中の多くの方が奥方を怖がっておりました。大大名の奥方に侍女がおらぬことなどありませんから、侍女は何人もいたはずですが、皆及び腰で、そのせいかろくに顔も覚えておりません。
◇ ◇ ◇
「奥方とは、鷺山殿(さぎやまどの)のことじゃな。道三殿の娘の」
老人は鷺山殿のことをぽつぽつ頭に浮かべながら言った。
珍しく、老人から笑みが消えていた。
老人が生まれた時から、もう彼女は幽閉同然に過ごしていた。別段、それを咎める者もいなかったという。
夫婦の愛のない様子は鷺山殿の実家である美濃の斎藤氏が大名として残っていた頃からずっとそうだった。それどころか、信長の義父である道三が息子の義龍(よしたつ)に殺される前からその調子だったのだ。ならば、実家も了承済みということである。
もっとも、当人の鷺山殿も側室よりも劣るような扱いに腹を立てた様子もなかったという。彼女は居所が何度変わろうと嫌みの一つも言わずにそこに移り、その場所でつつましやかに笑っていたそうだ。
ただ、鷺山殿の影が薄かったのは事実だ。
だから、彼女の行方が知れなくなっても、気に留めた者はほとんどいなかった。おそらく、彼女の所在がいつからわからなくなったかすら、大半の者はわからない。
それは老人もそうだった。
◇ ◇ ◇
奥方は実にお美しい方でございました。わけもわからず連れてこられたこの国で最初に美しいと思ったのが奥方でした。三十路も過ぎていたとはとても思えませんでした。
ええ、それこそ、見た目だけならわたしと変わらないほどに若く見えました。ごらんのように、「えるふ」というのは、八百比丘尼のごとく、年をとるのがとても、とても遅いのでございます。
それに奥方は教養も多くお持ちでございました。母方は美濃の名族明智氏の出だと言いますし。
ああ、明智と言いますと、光秀様は実のところ、出自がよくわからぬそうなのですが、あの内に秘めているものがいきなり飛び出るようなところは、明智の血によるものと申してもそうおかしくはないのやもしれません。もちろん、あのようなこと偶然のめぐりあわせとしか言えないものでございますが。
あとで知ったことですが、わたしは南蛮の八百比丘尼として、奥方の土産とされておりました。わたしは何もわからぬまま、ぼうとしておったはずです。怯えていてもきりがないと、船に乗せられる前には諦めがついておりました。
そんなわたしに奥方は「えるひ、えるひ」とやさしく声をかけ、顔を拭いてくださいました。奥方はわたしを「えるひ」と呼ばれました。
それから、本朝の女性と比べるとやけに背の高いわたしのために着物を仕立ててもくださいました。わたしは奥方の侍女という役割を拝命したのです。侍女とはいえ、言葉も作法も教えてくれるのは奥方のほうでしたから、わたしは生徒でございました。
あの日々は幸せでございました。イスパニアで捕まって以来、もうそんな気持ちになる日はないと思っておりましたのに、奥方は実にこまやかにわたしに尽くしてくださいました。わたしもそのご恩に少しでもこたえようといたしました。
三月もたった頃には、わたしは奥方の中で一番のお気に入りの侍女ということになっておりました。言葉もそれなりに覚えましたし、侍女としての仕事もおぼつきながらもこなせるようになっておりました。仕事といっても、奥方のお話し相手が主なのですが。
それで、本朝の言葉を覚えたことで、わたしもようやく自分が何者かを伝えることができるようになったのです。
自分たちえるふは森の民です、とわたしは申しました。
「ということは、えるひは、杣人(そまびと)や木地師(きじし)のお仲間なのかしら?」
そう、奥方はお聞きになりました。やはり、えるひとお呼びでしたし、わたしも訂正はいたしませんでした。
違う、とは思います。その方たちはこの国の方となんら変わらぬ見た目をしているでしょう。えるふは南蛮人から見ても、変わった姿なのです。まず、耳があまりに違いますし、肌の色も南蛮人の中に混ざればすぐにわかります。えるふの肌は白いのを通り越して、ほとんど透けておりますから。
「でしたら、八百比丘尼ではないのね」
もちろん、そんな言葉など知らないので、わたしは尋ね返しました。それでようやく八百比丘尼なるものが何かということを知ったのです。
「八百比丘尼というのは、こんな伝説よ。ある土地の娘が人魚の肉というものを食べてしまうの。するとその娘は死ねない体になるわけね。何度も夫や子と死に別れ、ついに苦しみに耐えかねて出家する。だから比丘尼。八百というのは年のことね。でも、二百だとか七百だとか伝承によって違いはあるようだけど」
「それはえるふとはまったく違います」と申しました。
えるふが長命なことに人魚の肉を食したなどという因果はないのです。ただ、人と似た姿をして、ただ、長命なだけで。だいたい、大半のえるふは森から出ないのだから、海を見ることすらないわけで、人魚の肉を食べる機会などないのです。
「そうか。それもそうよね。人というのは、何か理窟をこしらえないと納得がいかないものなのね」
口元に手を当てて、ふふふと奥方はお笑いになりました。
「それに、このお話、なんとも要領を得ないのよ。ほら、えるひ、あなたも感じない?」
わたしは首をかしげて、
「人魚などというものが前提になっているからですか?」
といったことを答えました。
「比丘尼が老いないというのはわかるけれど、それを聞いて私たちはどういう気持ちになればいいのかしら? 若いままなのをうらやめという話ではないようだけど、かといって、同情できるようなものでもないじゃない」
家族と何度も死に別れる部分が悲しむべきところなのではないか、とわたしは答えました。
「なら、家族を作らなければいいのよ。お話の比丘尼は自分から新しい家族を作って、それで失ってるだけよ」
「ですが、ひとりぼっちなのもつらくて苦しいのでしょう」
わたしは姿も上手く想像できない比丘尼の弁護をするように言いました。
「そしたら、死ねばいいのじゃない?」
あっけらかんと奥方はおっしゃりました。あきれたように襖にもたれかかって、午睡するように目をつぶられました。
「女人だって死を選ぶ方法はいくらでもあるのよ。比丘尼はそれもせずにだらだらと生きた。死にたくなかったのでしょうし、だから八百年も生きたのよ。生きたくもなし、されど、死にたくもなし。これはただのわがままでしょう。なんだかんだで比丘尼は生きてることが楽しかったの。死んだこともないお坊さんが、極楽や地獄を説くのと同じで滑稽よ」
どうして、こんなことを長々と話したかというと、わたしは奥方のその言葉にずいぶんと救われたからでございます。
えるふは別に不死身なのではございません。腹に穴が空いたり、首が飛んだり、水で溺れたりすれば、ほかの人同様に命はありますまい。それどころか、傷の治りは人間よりもずっと遅いのです。すべてがゆっくりで、だからこそ老いてゆくことまでもゆっくりなのです。
だから、わたしもイスパニアの賊に捕まった時に死んでもよかったのです。船に乗せられた時に死んでもよかったのです。
それをしなかったのは、つまるところ、わたしは生きていたかった、生きることが楽しかったからで、そう考えると、こんな自分の命にも意味があるように思えたのです。
一人、故郷からかけ離れた異邦の地にまで来てしまったけれど、こうして奥方に仕え、(最初は食べ慣れぬものばかりで苦労もしたのですが)食べるものも着るものも不自由なく与えられる生活というのは恵まれているものなのでしょう。
わたしは生涯、この方についていこうとその時に誓いました。
考えてみれば、奥方様は決して下賤の生まれではありませんが、親元の家は滅び、正室とはいえ信長公がお見えになることもなく、しかも侍女たちからも避けられているのです。この方のそばに仕えるのは自分しかいないではありませんか。
たどたどしくそのようなことを話すと、奥方はわたしの手をとり、
「頼りにしていますよ。えるひ」
とおっしゃってくださいました。
寂しげな笑みを浮かべて。
「ですが、私のことが怖くなったら遠慮はいらないから逃げなさい。侍女たちも私のことを鬼と呼んでいるのよ。あなたも私に鬼を見たら、すぐに逃げて」
◇ ◇ ◇
「あの方も思い詰めていらっしゃったのじゃな」
老人はそうつぶやくと、岐阜の景色を思い出すように寺の庭に目を向けた。
恵龍は鬼ということを掘り下げはせず、鷺山殿とともに岐阜城下の神社に生えていた楠や梛(なぎ)や榎(えのき)の大木を詣でに出た時のことを語っている。えるふは森の木々を神として崇めるから、大木に注連縄(しめなわ)を張る日本の信仰は唯一神なるものを信じる切支丹の信仰よりもずっととっつきやすいのだという。
永禄十二(一五六九)年の生まれである老人にとって、信長の城というと、どうしても安土の城のほうが最初に頭に浮かぶのだが、岐阜城下の記憶も当然にある。
たしかに岐阜城下は森が多かった。そもそも、岐阜の城が森のようなものだった。
恵龍が鷺山殿との日々を楽しげに話せば話すほど、かえって老人は不吉なものを感じる。
その恵龍の目に覚悟の色が宿ったので、老人も気を引き締めた。
◇ ◇ ◇
あれは奥方に侍女として仕えて、一年ばかりが過ぎた頃だったと思います。
ほかの侍女は用向きが済めばすぐに出ていってしまいますから、奥方のそばにはいつものようにわたししかおりませんでした。
まったく何の前触れもなく、奥方の瞳から生気が抜けたのでございます。
奥方は口を半開きにし、何も映ってなさそうな瞳をわたしのほうに向けました。何かの発作であろうかとわたしは人を呼ぼうと立ち上がりかけました。
その半開きの口がもっと大きく開いて――
◇ ◇ ◇
恵龍は老人の前で僧衣をまくり、右腕を見せた。
透けるような白い腕にいくつも犬に噛まれたような痕があった。噛まれたというより、えぐられたというほうがふさわしいだろうか。
「奥方にやられたのだな」
「腕も脚もずいぶんと肉を引きちぎられました。血の海でございました。えるふは傷の治りが遅いので、これは助からぬかなと思いましたが、まあ、わたしは死にたくなかったのでしょうね」
恵龍は話とは裏腹にほがらかに笑っていた。
「わたしは死にたくない性分なのでしょう。死にたくないと願い続けていると、どうにかなるものです。そして、いつのまにか奥方は正気を取り戻しておりました」
◇ ◇ ◇
「ごめんなさい。みんなが私を鬼と呼んでいた理由がわかったでしょう。あれはたとえ話ではなくて、たんなる事実なの。ふっと鬼になってしまうの」
奥方はわたしの傷だらけの体を見て、固まっていました。正気にはなっても体のほうがまだ動かないのでした。
信長公が奥方のところに近づかないのもそれが理由でしたでしょう。あの方は割り切れぬものをことのほか嫌う性分でしたから。
これを食べてはいけない。
あれを見てはいけない。
鬼になる前にひどく喉が渇く。
それなら手の打ちようもあります。
ですが、何の脈絡もなく、ふっと鬼になり、ふっと醒めるのでは処置なしでございます。
それまでに半死半生の傷を負った侍女が三人、命を落とした侍女が二人ということでございました。あまりに外聞が悪いので織田家中でそれはひた隠しにされておりましたが、信長公が奥方と疎遠でいらっしゃることは誰しもご存じですから、どうせ何かあるのだろうと皆疑っていたと思います。
「八百比丘尼はいないかもしれませんが、鬼はいるのですね」
わたしはそんな冗談を言いました。それは冗談のつもりでしたが、口にしてみると、まったくそのとおりだなと自分でも感心いたしました。
この国には八百比丘尼の話などより何十倍も鬼の話が伝わっているのです。
ならば、鬼のほうがずっと実在する可能性は高いのです。それにイスパニアでもデーモンなる悪鬼が憑いて悪事をなすという話はいくつもあったはず。
奥方は何度も謝っておられました。泣き出すと、その姿は十五、六の小娘と区別もつかないものでした。
「どうということはありません。わたし……えるひは奥方の侍女でございます。傷が治れば元のとおりにお仕えいたしますから」
その時のわたしは本心でそう申しました。
むしろ、本心であるから始末に負えません。
傷が治ったわたしは奥方を避けるようになっていました。
わたしは死ぬのが怖かったのでございます。日本国の歴史で見れば鎌倉に幕府が開かれた頃に生まれたにもかかわらず、命を失いたくはなかったのでございます。
わたしは化物として恐れられることにずっと不快の念を感じておりました。長く生きているぐらいのことで、少し姿が違うだけのことで、何をそのように厭うのかとイスパニアの者たちを恨みました。しかし、わたしも同じだったのでございます。鬼である奥方を目にして、わたしはほかの侍女と同じように恐れたのでございます。
侍女の仕事を休むようなことはいたしませんでした。奥方のそばに詰めておりました。なぜなら、わたしは南蛮の宣教師が持ってきた手土産にすぎず、出ていくことなど許されていないのです。それに出ていったところで、どこにも参れません。
わたしは笑顔を貼り付け、奥方と話を合わせます。
奥方もわざとらしく笑います。
なんと、不思議で平和な時間でしたでしょうか。
わたしたちはいくつもの言葉を交わしながら、心のほうはずっと通い合わなかったのでございます。
岐阜城の時代にもう一度、信長公が安土城に移ってから二度、奥方は鬼となりました。
鬼から逃れることも上手くなっていて、わたしはもう傷を負うこともありませんでした。
◇ ◇ ◇
「それで、心が離れたまま、天正十年がやってきたということでよろしいかな」
老人も織田家中にいた者だから、あの年のことは具体的に口を出すのをはばかる癖がついている。
恵龍は「ええ」と目を閉じて、うなずく。
光秀ももしかすると、明智の血が影響したのかもしれない。老人はそう考える。鷺山殿ほどに強く先祖返りが起こることは稀だとしても、謀反を起こしてしまう程度にあの血が背中を押したということはあるのではないか。
中国遠征へ向かうはずの光秀の襲撃を受けた信長とその嫡男の信忠は洛中で横死し、その光秀もあっさりと秀吉に討たれる。
ただ、鷺山殿たちに起きた悲劇はそれからだった。
混乱の収拾がついた頃、明智氏の血を引き、信長正室ながら信長に疎まれていた鷺山殿に秀吉は疑いを持った。
さすがに鷺山殿が首謀者ということはありえまい。だが鷺山殿と光秀は親類でもあった。事情ぐらいは聞かされていたのではないか。それを黙っていたとすれば同罪だ。
あるいは、すでに秀吉は信長の後継者になれるやもと思い、信長正室という存在が目障りに映ったか。少なくとも信長の司令官たちは、誰もが与えられた所領を自分の持ち物だと考えていた。
いや、鷺山殿の侍女たちですら、この鬼には死んでほしいといつだって願っていたのだ。誰かがこの機会にと思ったところで不思議はない。
とにかく、事のついでに鷺山殿を除こうとしているという話はどこからか伝わってきた。
「はい。奥方はわたしたちにも後難を避けるために落ち延びるようにとおっしゃいました。わたしはついていくと申したのですが……」
恵龍は涙声になっていた。
鷺山殿はこう悲しげに言ったという。
――ごめんなさい。誰が私を殺そうとしても何も不思議はないし、私がいつ供を殺しても不思議はないのよ。
「まさに鬼というもののせいで疑心に暗鬼が生じてしまったのじゃな」
鬼である鷺山殿に誠心から仕えることのできた者はおらず、だからこそ鷺山殿も誰かを心の底から信頼することはできなかったのだ。
あくびをしている間に自分を殺すかもしれぬ。そんな者の前では誰も何も信じられない。
逃避行は別々だった。
恵龍は鷺山殿と一緒には逃げなかった。
言い訳も理由もいくつもあったが、とにかく、恵龍は鷺山殿と別れることを選んだ。
もとより鷺山殿は多くの者にとって、生きていたかどうかさえよくわからないほどに影の薄い存在になっていた。信長の事績を事細かに記した太田牛一だって何も記していない。おそらく、本当に何も知らなかったのだろう。
「わたしは八百比丘尼を名乗り、施しを受けることで、それからを生き長らえました。とても本朝の人間には見えぬ容貌が幸いしたのでございます。これはとても下賤の歩き巫女が八百年生きたと騙っているとは思えぬと、多くの方は信じてくださいました」
「南蛮の八百比丘尼として連れてこられたおぬしは、正真正銘、日本国の八百比丘尼として生きることになったわけか。皮肉な話よの」
「それで、播州明石(ばんしゅうあかし)で勧進をしていた時に同業の八百比丘尼の方と出会いました。なにせこの姿ですから、『もしや若狭小浜の後瀬山(のちせやま)の洞窟で往生を遂げたあの比丘尼か』と驚かれました。もし往生していたらここにいるわけがないですと話をしているうちに――」
「若狭に行ってみようかと思うたわけじゃな」
「はい。当時、ここは泰雲寺(たいうんじ)という名前でした」
老人はまたひげを触って、時間の整理をする。
ずいぶんと時間が飛んだ。三十年ほど飛んだ。八百比丘尼としての日々を恵龍は語りたくないのだろう。
「ということは、関ヶ原の後か。この館を京極高次の牌所(はいしょ)として寺にしてから――正確には寺に戻してからか。武田元光(たけだもとみつ)が大永(たいえい)年間に長源寺をどけて館にしたのじゃった」
「よくご存じでございますね」
「関ヶ原より前は、ここはわしの領地じゃったからな。もうろくしてもそういうことは忘れんよ。小浜なら目をつぶっても歩いていけますわい。いやいや、寺の中で嘘をつくのはよろしゅうないか」
満足がいったというように、老人は腕を組んで楽しげにうなずいた。
「いやはや、わしが小浜を去ってから、おぬしが来ておったとはな。うむ、たしかに洞窟も近くにあった。わしがおった頃から、往生窟やらと呼ばれておったわ」
「嘘から出た真という言葉のとおりでございます」
老人が若狭小浜の領主だった頃から数えても、文安の末年に若狭出身という長生の比丘尼が京に来て見世物になってから、百年以上がたっている。
そのうちに八百比丘尼伝説はより確固たるものとなり、本尊ともいうべき南蛮の異人を迎え入れた。
「おそらく、この寺の中だけがわたしが生きることを許される場所なのでございましょう」
その恵龍の言葉はそうおおげさなものにも聞こえなかった。幕藩体制が固まってくるに連れて、高野聖も熊野比丘尼も各地を徘徊する僧形の者は以前より煙たがられている。年々、息苦しくなるのを老人も感じていた。この長命の異人も日本だけでも七十年ほど生きて、それを実感していることだろう。
「そなたもいろいろとあったようじゃが、生きているのじゃから儲けものよ。わしは早死にした者をたくさん見てきたのでな」
老人は畳に目を落とした。
恵龍が意図的に飛ばしてしまった間のことを考える。
老人の頭に羽柴一門の顔が浮かんでは泡のように消えた。
岡山をもらった秀秋(ひであき)は二年ほどで死んでしまった。その前に岡山にいた秀家(ひでいえ)は琉球や朝鮮より遠いかもしれぬ島に流された。秀次(ひでつぐ)は錯乱したようになって、高野山に逃げて、そこで自分から腹を切ってしまった。面目をつぶされた秀吉は秀次の妻子縁者何十人を殺した。その他、朝鮮の役(えき)で死んだ者、病死した者、幼いうちに死んだ者……。天下をとった係累からどれだけの死者が出ただろう……。
そのくせ、自分は秀吉の大坂城が落ちてからも、のうのうと生きている。こうして、かつて治めていた小浜で八百比丘尼と話をしている。
人間の運命というやつは綿ほど軽いのだな、と老人は思う。
だから、ひどい目に遭うこともあれば、首がつながることもある。すべては綿が飛ばされた場所の良し悪しでしかない。
江戸開府の前後に生まれた者たちは老人を戦乱をかいくぐって生き延びた歌詠みと褒めちぎる。あの幽斎(ゆうさい)と同列に語る者もいる。
そのたびに老人は申し訳ない気持ちになる。ものでもくすねたような罪悪感にとらわれる。
長く生きているだけで偉いのか。
「――どうされました?」
意識が飛んでいた。はっとして、老人は顔を上げた。
当然、恵龍の顔があった。
その透けるような肌の尼僧はこの世の者には見えなかった。
弁才天か吉祥天にでも出会ったようだと思った。
それは老人に強い既視感を覚えさせた。まだ青年と言っていい頃、老人はこの地でそんな体験を果たした。あの時もいつのまにやら平伏していた。
短命な弁才天も吉祥天もいないだろうから――
長く生きているだけで偉いのかもしれぬ。
老人は恵龍に価値判断を加える必要はない。会って、話して、素性を確かめられればそれでいい。
ただ、老人はこの尼僧に会えて幸いだったと思っている。
南蛮の者とはいえ、この女は美しい。こちら側の者でない異形と会う時、恐ろしいと思うのと同じほどにありがたいと感じる。
「恵龍殿、往生窟までわしを案内していただけませぬか」
膝を乗り出して老人は言った。
「はあ。これといって何もない洞穴でございますよ」
その「何」の響きに異国の訛りがあった。「な」より「に」が強い。
「今日明日に死ぬことはなくても、わしも次に小浜に来ることはない。どうせなら、見てから京に帰りたいのじゃ」
「そういうことでしたら。それに、下見もしたいと思うておりましたので」
「下見?」
「往生をしようかと考えております」
恵龍に悲壮なところはない。イスパニアから数えれば数百年生きてきた身にとっては、死ぬことも京から小浜に旅する程度のことにすぎないのかもしれなかった。
「かといって今日明日に往生窟で死ねる様子もないようじゃが」
「わたしは死ぬのがどうしようもなく怖かったので、生をつないで参りました。八百比丘尼というのは偽りでございますから、人を騙して生きてきたのでございます。ですが、どれほど生きても奥方のような方と出会うことはありませんでした」
恵龍は僧衣をたぐった。
腕の傷は透明な肌に赤黒いシミを作っている。
「それで、ある時、わかってしまったのです。これからどれだけ生きていても何も起こりはしないのだろうと。奥方と過ごしていたような時間はおとずれないのだと」
恵龍は傷をいとおしそうに見つめていた。
「月並みな言葉でございますが、失わねば気付かないものなのです。化け物は化け物の隣に並んでいるべきなのでした。別々に離れてはいけなかったのです」
「それで死んでしまおうかということか」
老人は小難しい顔になって言った。
「人間には人間の、天人には天人の時間があると仏典に書いておるだろう。だから、おぬしも衆生(しゅじょう)のせわしない時間に合わすことはないのよ」
天人のたとえに恵龍は笑った。それは傲慢にすぎると思ったのだろう。
「それにほかの八百比丘尼だっておるやもしれんじゃろう」
「そうですね」
笑ったまま恵龍が腰を上げたので、老人も続いた。
平地の境内と後瀬山の境目に洞穴はあった。
ここはいつも湿っていた。久しぶりに老人は思い出した。
誰が置いたのか弁才天の朱色の社が見えた。一間社流造(いちげんしゃながれづくり)の小祠(しょうし)だ。
「ここは往生には合わんな。朱のせいで艶っぽすぎるわい」
「海のすぐそばですからね。わたしが来た頃にはもう祀られていました。たしかに弁才天像の中には、なまめかしいものもございますからね」
つかつかと恵龍は洞穴に向かう。老人も年の割には健脚で遅れもとらない。
「それにこの洞穴には鬼が棲んでおる」
世間話のような調子で老人は告げた。
「えっ」
恵龍の口から声が漏れた。
同時に何かが社の後ろから飛び出た。
それはどこかの大名の姫君のような派手な装束の女だった。
もっとも、装束などどうでもよかった。
その女の顔は六十年前に生き別れた、鷺山殿そのものだった。
「お、奥方!」
恵龍の声が裏返った。
「えるひ」
恵龍を呼ぶその声も天正十年の別れたあの日から何も変わっていない。
「八百比丘尼とまではいかないでしょうが、鬼の血が強く出ると、なかなか老いることができないようです。百を過ぎてもそう老けてはいないでしょう?」
恐る恐る、自分を鬼だと言った女は恵龍のほうに一歩踏み出した。
足はふるえている。
なにせ、大昔にも女は自分の業(ごう)のせいで避けられていたのだ。
「六十年前、私は若狭まで逃げたのです。いざとなれば船で西にでも行けると思ったからです。もっとも、秀吉も私がいなくなれば十分だったのかろくに追手も来ませんでしたが。それで、若狭が偶然、そこの若狭少将の所領となり――」
鷺山殿は老人に目を向けた。
「若狭少将と呼ぶのだけはやめてくだされ」
嫌なものを払い落とすように老人は首を振る。
「信長公の奥方がいらっしゃるのを知った時は驚いたが、あわてて保護いたした。元殊勲の奥方を守る、あまりにも当然のこと」
老人は恵龍に向けて言った。頭では鷺山殿との出会いを思い出していた。十五、六でも通じそうな還暦間近な女を前にして、二十歳を少し過ぎたばかりの大名は当惑した。彼女を直視できず平伏し、この方を一生かけて守っていかねばと神託のように思った。
「関ヶ原でしくじって若狭小浜を失い、備中足守に移った後もお守りいたしたが、不甲斐ないわしはそこも失って、まあ……」
「私はずっと足守で暮らしていたのです。足守は今も木下殿の一族の藩ですから」
恵龍はしばらくぼうっとしていたが、心の声を漏らすようにこうつぶやいた。
「生きていてよかった」
生きていればこのような出会いもあるのだなと老人は思う。
やはり、早く死ぬべきではない。残りかすのような人生でも、そこで手に入るものはある。自分の人生だって、大名ではなくなってからのほうが、きっと充ちている。
「若狭小浜に八百比丘尼がいるという話は以前よりうかがっておりましたし、珍しいものでもありませんでした。ただ、その風貌が金糸のような髪に碧眼(へきがん)と聞き、まさかと思い、翁と京から北へここまでやってきたのですが……」
また一歩、鷺山殿は足を踏み出す。
だが、その足はすぐに一歩後ろに退いた。
恵龍が彼女のふところに飛び込んでいた。
「奥方、もう一度お仕えさせてくださいませ」
「仕えるといっても、今の私は何者でもありません。せいぜい、ただの鬼です。今だっていつ豹変するかわからないのです」
「それでも、かまいません」
むしろ、噛み殺してもらえれば、それは自分で死ぬよりずっと楽だと恵龍は続けた。
そんなことを言わないでと鷺山殿は返す。
「えるひ、償いをさせてください。私が残り何年生きられるか、誰にもわからないのですが、どうか、どうか……」
女二人の慟哭(どうこく)が洞穴に反響する。それは鬼の鳴き声のようだった。
六十年もたまっていたあれやこれやが溢れてくればそうもなるだろう。
奥に男が立ち入るのはおかしなことだ。
さっさ、さっさ。
老人は洞穴から背を向けて歩き出す。
これで旧主の奥方に対する仕事は終えた。木下勝俊というおおぎょうな名前を久々に背負っていたが、それも捨てられる。老人はまた一人の老人である。
からからと笑いながら、老人は歌を一つ口にした。
「後瀬山(のちせやま) のちも逢はんと思ふこそ 死ぬべきものを 今日までもあれ」
家持(やかもち)の歌である。
「後瀬山とは、出逢うにはちょうどよい名よ。けれども、往生するには艶っぽすぎる」
◆終◆
若狭小浜えるふの顛末 森田季節 @moritakisetsu
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