「何を言っているのか、さっぱりわかりませんね……」


 明らかに動揺しているかどうかは、そのサングラスのせいでわかりにくい。

 しかし、友野は龍雲斎の微妙な表情の変化を見逃さなかった。


「見えないなら、見てもらうのが一番いい。その手首につけているものを一度こちらへ渡してください」


 友野は龍雲斎が常に肌身離さず身につけている手首についている翡翠でできた数珠を取るよう指差した。


「何を言っているんだ? いい加減に……」

「失礼————」

「おい……!!」


 東が龍雲斎の手首からそれを無理やり外し、回収してしまう。

 知らない男に無理やり数珠を外されて、流石に怒りを抑えきれずにいる龍雲斎は、取り返そうと手を伸ばす。


 だが……


「なっ……!?」


 龍雲斎の目の前に、先ほどまでそこにはいなかった女が現れた。

 左目の下に大きな泣きぼくろのある、濡れた髪が顔に張り付いた女と、目があった。

 真昼間で、温かな気候であったはずなのに、急にゾッとするほどの寒気を感じ、濡れた女の手が龍雲斎の首を掴もうと手を伸ばす。


「ねぇ、どうして、私を殺したの? ねぇ、ねぇ、どうして? ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ」


 声にならない悲鳴をあげて、龍雲斎はガタガタと震え、膝から崩れ落ちた。

 女の髪から滴る水が、恐怖に震える龍雲斎の顔にぼとり、ぼとりと落ちる。

 そして、急に暗い雲が太陽を覆い、ほとりの森公園に雨が降った。


 ぼとり


 ぼとり


 ぼとり


 ぼとぼとぼとぼとぼとぼと……


 雨に混ざって、アルビノの白い二十日鼠が、龍雲斎の体の上に降ってくる。


「うわあああああああああああああああああああああああ」






 ◆ ◆ ◆




 二日、夜十一時過ぎ————


 龍雲斎は、納車してから一月経った新車の真っ赤なセダンで、テレビの生放送から帰宅する途中だった。

 地方のローカル番組だったためドライブがてら、マネージャーを家に送った後、一人で帰っていた。

 マネージャーの家は、以前自分が住んでいたマンションの近くで、通りなれた道。

 近道をするために、車通りの少ない道を走る。


 こんな時間だからこそ、人通りも少ない。

 制限速度をはるかに超えた速さだった。


 久しぶりの長距離運転に、少し疲れたようであくびが出る。


「さすがに、俺ももう歳だなぁ。若い頃はこんな距離ぐらい平気で————」


 そして気がつかなかった。

 ブレーキを踏んだ時には、もうすでに目の前で……

 何かを轢いてしまった。


 一瞬だったが、ヘッドライトに照らされ、真っ白な女の姿が見えたような気がする。

 人を轢いてしまったのかと、恐る恐る車を降りて確認すると、道路の上に痩せている若い女性が倒れていた。


「お、おい……大丈夫か……?」


 声をかけても、返事がない。


「し……死んだのか?」


 人を殺してしまったことに動揺しながら、龍雲斎はその女性を抱きかかえ、後部座席に乗せると、病院へ運ぼうと走り出した。


「死んだのか……? 本当に、死んだのか……?」


 赤信号で止まり、急ブレーキをかけると、後部座席の上から女の体がずるりとシートの間に落ちる。


「ああ……あぁ……っ!!」



 その後、自分が何をしたか……龍雲斎は覚えていない。

 気がついたら、ほとりの森公園のあの池に、女の体を投げ入れた後だった。


 もしかしたら、すぐに病院に運んでいれば一命は取り留めたかもしれない。

 それなのに、龍雲斎は彼女を乗せたままの赤い車で何十分も走り続け、まるで何かに呼ばれたかのようにあのほとりの森公園まで来てしまった。


 あの日以来、彼がその赤い車を運転することはなかった————



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