第16話 記憶
月坂君が紀乃岡邸に住むようになって2日目の午前中。
日曜日の今日は、私と廻ちゃん、そして月坂君の3人は、ある目的の為に月坂君の家に徒歩で向かっていた。
その目的とは――引っ越しである。
もちろん、引っ越しといってもそのままの意味ではない。月坂君の存在した霊的痕跡そのものを彼の自宅から消し、紀乃岡邸にそれを移し替えるのだ。
ちなみに、方法はいたって簡単。月坂君の家からお気に入りの品をいくつか持ちだして、彼の部屋には特殊な魔除けを設置する。たったそれだけである。
たとえるなら、灯台の光を蝋燭の炎ほどに弱くし、別の場所で新たに灯台を設置するようなものだろうか。
もちろん、そんなことをすれば当然悪目立ちして、自身を危険にさらすことになる。だが、数日前の一件以来、異能力者協会過激派の連中が月坂君の命を狙っていることは、最早疑いようがない。
それならば、あえて異能力者協会過激派の目をこちらへ向けさせ、月坂君の弱点となり得る両親の存在をぼかすことで、圧倒的不利な状況を作らせない様にしよう。
血は繋がらないとはいえ、月坂君にとって彼の両親は大事な家族だ。そんな彼らを人質に取られるような事態だけは何としても避けたい。
そういった考えのもと、私達3人は早速行動を開始したのである。
「ねぇ、月坂。そろそろ30分くらい歩いてるけど、どこがあんたの家なの?」
「次の角を曲がったらもうすぐだ。それより……
前を歩く月坂君が、両手を後頭部で組みながら歩く廻ちゃんの方へ振り返った。ほんの僅か、月坂君が目を細める。
「護衛だけなら穂村さんがいれば十分だ。なんで満島までいるんだ?」
「ヒマだから」
「オイ……理由がヒマだからって、寂しがり屋かよ」
即答する廻ちゃんに、月坂君が嘆息を漏らした。その仕草を見て、廻ちゃんは頬を一瞬引き攣らせるが、すぐに勝ち誇ったような笑みを顔中に浮かべた。
「月坂。リアルボッチのくせに言ってくれるじゃないか。そんなあんたと螢ちゃんを二人だけにしたら、無言過ぎて螢ちゃんが退屈死するわ。ボクがそれを許すとでも思ったの?」
「あのな、一昨日始めて会話したばかりの相手と、どうやって親しげに喋るんだよ。それに、なんでそこにお前の許しがいるんだ」
「それをボクに言わせるのかい? そんなの、マブダチだからに決まってるだろ」
「それ、マブダチって言いたいだけだろ。しかも、死語じゃねえか」
あれ? 親しくない相手と喋るのは苦手って今言ってたような……。そんなことを思いながら、尚も続く2人の会話を眺めていると、月坂君の家の前に辿り着いた。
月坂君の家は、どこにでもよくある見た目の一軒家で、家の前の駐車スペースには、1台の白い乗用車がとまっていた。
すっと視線を横に薙いで、キノが家の敷地を覆うように展開した
……問題ない。
ならば、と私は結界を潜って内部へ入り、様子を探った。大丈夫。月坂君のご両親も健在のようだ。
さて、じゃあ今日の目的を――
そう思って1歩踏み出そうとしたところで、月坂君が私の前に立ちはだかった。
「待った! 穂村さん。満島も。部屋には一人で行ってくるから、2人はちょっと待っててくれないか」
「ははーん。ボク達に見られちゃ困るいかがわしい雑誌とかが隠してあるんだ」
「満島。そういうお前みたいなやつに一番入ってほしくないんだよ!」
「うわ。サイテー。素直に認めりゃ許してもらえると思ってんの」
素早く私の後ろに隠れた廻ちゃんが、顔を半分だけ覗かせて月坂君を見上げる。すると、月坂君は何か言いそうになって、それを途中でやめた。
「これ以上は不毛だ……やめよう。とにかく2人はここで待っててくれ」
月坂君は玄関の方へ歩きながらそう言うと、そのまま家の中へと入っていった。
バタンという音と共に閉まる玄関を眺めつつ、私は後ろに隠れた廻ちゃんへ首だけで振り返った。
「廻ちゃん。やり過ぎ」
「あはは……ゴメン、後で少し謝っとく」
「うん。……でも、廻ちゃんが来てくれてよかった。私だけだったら、本当に一言も会話弾まなかったかも」
からかい過ぎは良くないと思うけど、きっと廻ちゃんがいなかったらお通夜みたいな静けさの中で過ごすことになっていただろう。無言が苦痛ということは無いけど、せっかくなら明るい雰囲気のほうがいい。そう補足すれば、廻ちゃんは「さすが螢ちゃん。心の友よ!」と言って後ろから私の身体に力いっぱい抱き着いた。
そんなことをしている間に20分ほど時間は過ぎ、玄関から鞄を持った月坂君が出てきた。
開いた玄関扉の奥にいた両親に「行ってきます」と言うと、私達の方へ向かって歩き出す。
ふと、月坂君の両親を見れば、彼等と目が合って、私は軽くお辞儀をした。廻ちゃんもそれに倣う。すると、月坂君の両親も軽くお辞儀をして、彼の父親が「
突然、胸の奥に僅かな焦燥感を感じた。
――なんだろう。胸の中がもやもやして、忘れちゃいけない何かを忘れてる気がする。
そう思いながら月坂君の両親を見れば、見知らぬ夫婦と2人の少女の姿がフラッシュバックしてそれに重なった。
いや、でもそんなはず……
否定すればするほどその姿は鮮明になっていき、いつしか、ぼやけていた顔の輪郭までも明瞭に見えるようになった。
しばらくして、廻ちゃんに声を掛けられた時には、私達は紀乃岡邸の前に立っていた。私は、いまやしっかりと結像したその映像から目を背けて、月坂君の引っ越しを完了させた。
――その日の夜。
人数も増えたことで当番制になった食事の後片付けを終えた後、私は言いしれぬ焦燥感に駆られ、気が付いた時には寂れた祠の前に立っていた。
全力で走ってきたせいで呼吸が荒い。
1歩2歩と踏み出して、寂れた祠へと近づく。すると、霞の様な穢れが蒸れた蒸気のように纏わりついて、私を不快にさせた。
「――邪魔しないでっ!」
語尾を荒げて
「どうして……どうしてハチはあの時抵抗しなかったの? なんで私を置いていったの? 置いていくなら、どうして私を助けたの? あのまま灰になってれば、こんなこと思い出さずに済んだのに。なんで、今になって生きてた時の記憶が戻って来たの? 教えてハチ……お願い……」
寂れた祠の前に立った私は、涙が溢れてくるのも構わず捲し立てた。
「どうしてかわからないけど、突然思い出したんだ。お父さんとお母さん、それに私と妹。4人で写ってる姿。思い出したら、なんで忘れてたんだろうって思って……そしたら会いたくて仕方なくなった! それなのに! どうしてか、もうみんな死んでるってことだけは断言できる。名前とか、他の事は何にも分からないのに、そんな事だけわかるなんて、ひどいよ!」
押し殺そうとしても嗚咽は止まらず、涙は滂沱として流れ落ちる。
今はこんなところで立ち止まってる場合じゃない。過去を振り返って泣いたところで、どうにもならない事なんて私が一番よく知っている。
だって、彷徨える魂と向き合い続けた私は、かつて死神だったのだ。
寂れた祠前にある3段しかない石段に蹲る。何の解決にもならないけど、今はただこうしていたかった。
真っ暗な夜の闇の中で、堤防道路を吹き抜ける風にあたりながら、熱傷のように疼く心を冷やしたかった。
今はただ、それしか考えられなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます