第15話 狙われた少年 ③
「――つまり、一緒に住んで守ってやる代わりに、俺を狙ってるヤツが穂村さんの相棒を攫った犯人と同じだったら、危ない目に遭ってくれってことか?」
声のトーンを落とした月坂君の声が、頭を下げた私の耳朶を静かに打つ。それは、私が「命を守る為に、自らの命を担保に差し出せ」と暗に言ったことを正確に理解したからに他ならない。
「そうだよ。だから、お願いしてる」
「ちょっと、二人とも……言い方」
これ以上、言い繕うことは何も無い。
だから私は頭を下げた姿勢のまま、なるべく抑揚のない声でその問いに答えた。すると、それを見ていた廻ちゃんが私と月坂君をたしなめる。
しん、と静まり返るリビングで、私は足もとに落とした視線をゆっくりと上げ、月坂君の返事を待った。
時間にして数十秒。妙に長く感じる沈黙を破ったのは、やはり月坂君だった。
「……わかった。それでいい。こちらこそよろしくお願いする」
言い終えた後、吐息とも嘆息ともつかないものが月坂君の口から漏れた。
月坂君が私の方へ右手を差し出す。
握手でも求めているのだろうか? そんな考えがよぎったけど、それは間違いだったとすぐに気づく。
なぜなら、月坂君が差し出した右手の制服の袖から、1匹の白蛇が顔を覗かせたからである。
「こいつは俺に危険とか、周囲の情報を教えてくれる。あと、もう一体俺には獣が憑いてて、そいつは大型の狼の見た目をしている。いざというとき以外は出てきたがらない」
「白蛇か。かわいいね。白は私も好きなんだ。名前は?」
「ハクジャ。まんまだけど、呼びやすい。それより……あんた何者だ?」
「さっきも言ったでしょ? 元死神」
少し顔をこわばらせた月坂君に、私は首を傾げてそう答えた。
「そうじゃなくて……なんて、言えばいいのか……とんでもなく禍々しい気配と静かで清らかな気配がごちゃ混ぜになってる。ハクジャは混乱してるし、狼も警戒してる」
言葉を選びながら言った月坂君に向かって、私は口角を少し上げた。
「その子、ハクジャは賢いね。私に混ざってるものが何か感じ取ってるのかな」
「混ざる?」
「というより、元々そうだったと言うべきかな」
わけがわからないといった様子の月坂君へと私は左手を伸ばして、ハクジャに指先を近づける。制服の袖から頭だけ出してこっちを見ていたハクジャが、体の半分まで露出させて私の手のひらを探った。
「月坂君。私はね、1度死んでるんだ……もちろん、人としてね。でも、普通じゃ考えられないような大量の呪いのせいで、私は屍食鬼というバケモノになった。」
「1度、死んだ?」
「そうだよ。つまり私は、もともとバケモノだったんだ。それが運よく死神になって、結局、外法によってまた元のバケモノに戻った」
つんつんとハクジャが私の手のひらをつつき、すぐに月坂君の袖に隠れる。
驚かせちゃったかな? そんなことを思いながら月坂君の顔を見れば、彼は言葉を失って何とも言えない表情をしていた。
「――螢ちゃん。自分のことをバケモノ呼ばわりして貶めないって、この前約束したばかりだろ?」
不意に聞こえた声に後ろを振り向けば、リビングの入り口にキノが立っていた。その姿に気付いた廻ちゃんと月坂君が、「師匠!」「紀乃岡さん……」と、それぞれにキノを呼んだ。
「そういえば、そうだった。でも、私はその言葉以外で、私自身を表現する適切な単語を思いつかないな」
約束というより、あれはむしろお願いだったような気もするけど、キノの少し疲れたような表情を見たら、それを殊更に突っ込むのは、なんとなく憚られた。
そんなことを考えていると、どうやら廻ちゃんも同じことに気付いたらしく、キノの顔をじーっと凝視していた。
「師匠、なんかやけに疲れた顔してますけど、やっぱり大変だったんですか?」
「いや、その逆。なにも無かったよ。説明も、説得も、まるで事情を知ってるかのようにスムーズだった」
「え!? 月坂の両親って一般人じゃないってことですか?」
ちょっと驚いた廻ちゃんの言葉に、キノは何か考えるようなそぶりを見せる。
「いや、彼等は一般人だろう。異能力者でもなさそうだから、協会関係者ってわけでもない。ただ……
そして、何かを言い淀み、キノは月坂君の方へ視線を向けた。
キノと月坂君の視線が交差する。僅かに月坂君が首を縦に揺らし、そのまま廻ちゃんの方へ視線を移動させた。
「満島、俺と今の両親に血のつながりは無い。本当の両親は俺が物心つく前に死んだ」
「えっと……ゴメン。余計な事聞いちゃったかなボク」
「どうせ顔も覚えちゃいないんだ、気にしなくていい」
感情の起伏をほとんど起こさない月坂君の様子を見る限り、本当に気にしていないのだろう。
だとしたら、なんでキノはそんなに疲れた表情をしているのだろうか。この話題を出すのが心苦しくて仕方なかったようには到底思えない。
そう思っていると、月坂君がキノに軽く頭を下げた。その行動の真意が分からず、気まずそうな顔をしていた廻ちゃんの顔に、大量の疑問符が張り付く。
「ありがとうございます。その様子だと、両親たちに危害が及ばない様に結界を張ってくれたんですよね」
「ああ。ここに住むにしろ、そうでないにしろ何かしら対策は講じるって、今朝約束したからね。彼等に害意を持つ者すべての侵入を禁じる
言い終わってから、疲れた足取りでダイニングテーブルに近づいて、定位置の椅子に腰かける。
きっとキノの事だ、結界以外にもいろいろ対策を施してきたのだろう。そうでもなければ彼がここまで疲れることは無い。ただ、それにしてはやっぱり疲労の度合いが大きい気がする。
なんとなくそう思えば、私の方を向いたキノと目が合った。
「ほかにも色々してきてあげたんでしょ、対策」
「してきたよ。でも、一番は月坂の荷物を大きなカバンに入れて渡された事かな。あの家からここまで旅行鞄2つ抱えて歩いて帰るのは、ホントにしんどかった……」
なるほど納得。物理的にも疲れてたのか。どうやら私は深く考えすぎていたらしい。
確か、月坂君の家からこの屋敷までは30分近く歩いたはず。それだけの距離を旅行鞄2つも抱えて歩いて帰って来たのなら、キノが椅子にぐったりと座っているのも頷ける話だ。
「そうだ廻。月坂を部屋まで案内してやってくれ。荷物は玄関に置いてある。僕はもうへとへとだから頼んだぞ」
「わっかりました。でも、師匠がそんなぐったりするような重たい荷物、ボクは持たないからね」
遠回しに自分で持てという廻ちゃんの言葉に、「自分のものくらい自分で持つ」と月坂君がボソッと言い返す。そして、キノに荷物を持ってきてもらったお礼を言うと、2人はリビングの外へと出て行った。
その様子を苦笑いしながら見ていたキノが、何かを思いついたのか小さく「あ、そうだ」と声を漏らした。
「螢ちゃん。無事月坂を保護することも出来たし、今日はパーッと歓迎会でもしよう。よく考えたら、いままで何にもしてなかったし……何か希望ある?」
えーっと。希望とか言われても、歓迎会って何するんだっけ? 生きてた時の記憶がまるでないから、急にそんなこと言われても何も思いつかない。
それなのに、何となく残る記憶の残滓がケーキバイキングに行ってみたかったと主張する。キノが聞いているのは、食べ物の事なのか、場所の事なのか、その真意もよくわからないし、言うだけ言ってみよう。
そう思って、ケーキバイキングに行きたいとキノに言ってみれば、彼はやたら目を丸くして驚いた後、懐かしいものを見るような目で私を見た。
「よし。じゃあそれはハチさんを取り返したらみんなで行こう。確か昼間しかやってなかったような気がする。今日のところはとりあえずピザでも頼もうかな。」
私の希望は軽くスルーされたような気がしなくもないけど、ハチを取り返したらキノは私達をケーキバイキングに連れて行ってくれるらしい。
もちろん、そんなことが無くても、私がハチを取り返そうとするモチベーションが下がることはない。でも、プラスアルファというか、そういうのには充分なり得る。
おかげで、その後しばらく私はかなり上機嫌だったらしい。らしいと言うのは、次の日、廻ちゃんに「何かいいことがあったの?」と聞かれてやっと気づいたからだ。
そんなわけで、私はこの後の歓迎会の事をあまり思い出しくは無いのだ。
――らしくなく浮かれてた自分の記憶。さっさと消えてくれ。
切実にそう思うのだ。
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