第6話 目覚め ③

 夕飯でも食べながら今後の作戦を練ろうというキノの提案に従って、私達はリビングへと場所を移すことになった。

 キノに案内されて移動する間、この家のリビングまで旅館の大広間みたいだったらどうしようと戦々恐々としていたが、実際辿り着いてみると、そこは20畳ほどの落ち着いた空間だった。


「……良かった。大広間とかじゃなくて」

「いや、だからここは普通の民家だって言ってるだろ。それよりも、何か食べるかい? 大したものはないけど」


 少し考えてから、私はキッチンを見渡す。


「食パン。それでいい」


 私の言葉にキノは一瞬怪訝な表情をしたものの、すぐに何かを察して「そういうことか」と呟いた。


「もしスイッチが入っちゃったら、私はもう戻ってこれない」


 くどいようだが、今の私は外法によって死神と屍食鬼がごちゃ混ぜになった、なんだかよくわからない存在である。

 今自我を保てているのだって、きわどい天秤の上で、たまたまバランスを保っているだけに過ぎないかもしれないのだ。

 そんな危うい状態で、下手に動物性由来の食べ物や血液の混じったものを摂取して、屍食鬼の部分を刺激したくはない。

 もしかしたら、それは杞憂なのかもしれないけど、万が一ということだってありうる。油断はしないに越したことはない。

 だから、そういった食べ物は避けた方がいいのではないかと判断したのだ。


「今度、もっとおいしところの食パンを買っておくよ」

「――え? でも……」


 そこまでキノの世話になるわけにはいかない。そう続けようとした私を、キノが手で制した。


「寝る前に、起きたらこれからの事を色々決めようって言っただろ。生身の身体を得るってことは、霊体であった頃に比べて、とてつもない不自由を強いられるってことなんだ。例えば、衣食住。この3つをこれからどうするんだい?」


 その問いに言葉を詰まらせる私を見て、キノがさらに口を開いた。


「そこで提案なんだけど、これからハチさんを探して取り返すまでの間、住み込みで僕の助手をするってのはどうだい? まあ、死神としての名前を使うとハチさんを攫った犯人にすぐバレちゃうだろうから、偽名を使ってということにはなるけど」


 再生の代償として、想定外に実体化してしまった私にとって、それは願っても無い、とてもありがたい申し出だ。だけど、もし、私の中のバランスが狂ってしまった時、真っ先に被害を被るのはキノである。こんなに私によくしてくれる彼に、自我を無くして襲い掛かってしまうのだけは何としても避けたい。


 ……とはいえ、現状キノの提案以外に道が無いのも確かだ。


 なにせ、私は犯人あいつの声を聞いただけで、その姿を見てはいない。さらに、犯人あいつへと繋がる決定的な遺留品があるわけでもない。

 そんな何の手掛かりも無いこの状況で、ハチを取り返すのは一朝一夕に片付く話ではないことなど、容易に想像できる。

 そして、極めつけは実体化した私の身体。キノも言うように、生身の身体は衣食住抜きでは生きていけない。どうしても、どこかに拠点となる場所が必要となる。

 きっと、キノは私が寝ている間、いろいろと考えてくれていたのだろう。

 この提案は、彼なりに最善手と思われる一手に辿り着いた結果なのだ。


 ならば、腹を括らなければならないのは、私だ。

 一寸先も見えない暗闇の中、いつ傾くともしれない天秤片手にビクビクし続けるよりも、どんと構えていようじゃないか。

 もし、自我を失いそうになったなら、この身に残る青い浄化の焔を無理矢理発動して、自ら灰になってしまえばいい。

 ハチも取り返せず自ら灰になるのであれば、所詮、私はその程度だったということだ。

 それくらいの気持ちでなければ、そう遠くない将来、私は心も身体もおかしくなってしまうだろう。

 そして、完全な化け物になった私は、浄化どころか駆除されるだろう。


 だったら、死神ではなくなった私に、死神としての名前なんて必要ない。

 死神の名は、ハチを取り返し、再び私が死神としてその隣に立つことで出来るようになった時、また名乗ればいい。

 だって、その名前は死神になった日、ハチと共に決めた名なのだから。


 居住まいを正した私は、まっすぐキノに向き合ってから、軽く頭を下げた。


穂村螢ほむらけい。名前はこれにする。異能力者の助手ってどんなことをすればいいか良く分からないけど、こちらこそよろしくお願いします」


 私としては最大限の感謝を示したつもりだったんだけど、キノは私が頭を下げる姿を見て、「そんなことしなくていいから!」と少し慌てた。

 その後、少しバタついたものの、私達は斜向かいにダイニングテーブルについて、それぞれ夕食を摂った。といっても、私は食パン1枚。キノは冷蔵庫にあるものを食パンに挟んでサンドイッチにして食べたくらいだったから、2人ともあっという間に食事を終えた。


「では、螢ちゃん。早速なんだけど、助手として働いてもらおうと思う。場所は、祠からしばらく歩いたところにある高校だ」


 食後の片づけをしたキノが、2人分のコーヒーをテーブルに置きながら言った。私はお礼をいってコーヒーを受け取り、それを息で冷ましながら答える。


「ああ、あったね、高校。そこで私は何をすればいいの?」

「3日前なんだけど、僕の昔からの友人がある情報を得たみたいなんだ。それがどんな情報かというと、異能力者協会のある過激派が謎の神獣を手に入れたらしい。だけど、その神獣は極度の穢れによって自我を失いつつあるらしく、近々、彼等はその穢れを祓う能力をもった少年に協力を要請するんだそうだ。」


 コーヒーを飲む為にゆっくりと傾けた手を止めて、仕事の内容に耳を傾ける。


「もちろん、その神獣がハチさんだなんて確証はない。ただ、異能力者協会の幹部には、その過激派の動向を面白く思って無いヤツもいる。しかも、過激派の連中のやることだから、その少年の安全に対する配慮は無いに等しいだろう」

「つまり、その神獣がハチなら犯人あいつへの手掛かりになるし、もしそうじゃなかったとしても、その高校に通っている少年を助け、過激派が力を持ちすぎるのを止めることで、私達は異能力者協会の幹部に恩を売ることが出来るのか」


 思ったこと口に出してみれば、自分が言うつもりだった解答を取られてしまったキノが、苦笑いで「そういうこと」と答えた。


「まあ、螢ちゃんの推察通り、僕の友達、八惣やそうっていうんだけど、そいつが「金にはならないが、恩は売れる」って言って電話してきたんだけどね。……どうする? ダメもとで調べてみるかい?」


 言い終わってからコーヒーに口を付けたキノに、私は「やってみよう」と頷いた。


「じゃあ、決まりだ。明日から行動を始めよう」


 その言葉に、私はもう一度頷き返す。しかし、キノはそんな私に向かって、


「その前に、螢ちゃんには済ませてもらいたいことがある。明日、助っ人を読んでおくよ」


 と言ってコーヒーを飲み干した。

 いったい何を済ませておけというのだろう? そう思いながらも私はその言葉に「分かった」と返した。


 そして、次の日。私は突然現れた30代後半の女性――つまり、キノの「お姉さん」に拉致されて、身の回りの必需品とやらを買いに、彼方此方へ1日中連れ回されることになったのだった。

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