第1話 死神最後の日 ①

 祠に帰ってきた私は、目隠しの施された、屹立きつりつするように立つ円筒状の結界を隈なく観察した。

 周囲に罠などが仕掛けられている形跡は見当たらない。さらに、内部から私を狙い撃ちにしようといった、不穏な呪力の集束も感じない。

 周辺部の安全を確認した私は、注意深く近寄って結界内部に探りを入れた。そこではきっと、この結界を張った張本人とハチが戦闘を繰り広げているはずだ。

 しかしそんな私の予想は、見事、肩透かしに終わった。

 結界内部には一人の人間の気配があるだけで、ハチがその誰かと戦闘になっているような気配は、一切感じ取れなかったからだ。


 ――誰? 知らない気配だ。 


 見知らぬその気配に、私は全神経を集中させた。

 拝礼をし、祝詞を唱えるその人物を中心に、結界内部を静謐とした雰囲気が満たす。

 これは…………儀式だ。

 でも、何のために? どうして、こんな結界を張る必要がある? 

 そんな事よりも、何故ハチはこんな状況を甘んじて受けれているのだろう? 

 かなり強力な結界であることは確かだが、ハチが本気を出せば、この程度の結界を破ることなんて造作も無いはず。

 なにせ、彼は祠の祭神である火防の神より、その力を与えられたこの祠の主なのだ。何度も自分に、そう言い聞かせる。 

 だけど、それとは裏腹に得体の知れない何が私の胸の中でどんどん膨らんでいき、すぐに不安へと変わった。 


「ハチ! 聞こえてるなら返事をして!」


 ぎゅっと胸を締め付けるような感覚に負けないよう、絞り出すように大声を張り上げた。ほんの僅か、ハチの意識がこちらへ向いた気配を感じ取るが、結界に遮られているせいで、全ての思念が私に届くことは無かった。

 でも、私にはそれで充分だった。


 ――さよならの言葉だ。

 

 ハチは私に別れを告げたのである。

 その証拠に、ハチの存在そのものが、まるで何かに吸い取られるように、小さくなっていくのが手に取るように分かる。

 多分、結界内部で行われているのは降神の儀。

 神をその依代たる神籬ひもろぎなどに移し替える儀式で、祠の移転や建て替えの際などにそれは執り行われる。

 とはいえ、普通、それを誰かが一人で行うことは無い。

 必ず、儀式の依頼を受けた神主が、それを主催する数人の関係者と一緒に儀式を行うはずである。

 でも、私はそんなことがあるなんて話、一切知らない。

 第一、そういったことが予定されていると言うのであれば、前もって何人かの関係者がこの祠に出入りするはずである。

 だが、ここしばらくの間、そのような人たちの出入りは無かった。

 この数か月、”可哀想な誰かさん”にまったく出会えなかった私は、毎日この祠前でハチとゴロゴロしていたのだから、それは断言できる。

 ……というか真面目な話、そもそも彼等にこれほど強力な結界を張る能力なんてあるはずがない。だから、降神の儀だなんて言っても形だけのもので、実際に神霊が神籬ひもろぎに移ることなんてありはしないのだ。

 だというのに、今、現実に降神の儀は執り行われ、ハチは神籬にその存在を移し替えられようとしている。

 ならば、この人物は本物の能力者とみて間違いないだろう。

 しかし、そうは言ってもハチは神だ。ハチの同意が無ければ降神の儀なんて成立しない。どれほど熟練の能力者だからと言って、人が神を意のままにすることなど出来はしない。

 とはいえ、この状況はハチが降神の儀を受諾しない限り生まれない。

 なにか、それを受け入れざるを得ない理由がハチにあるのか、それとも――

 そんな考えが私の脳裏をよぎったのも束の間。寂れた祠とその周囲の三叉路が、独特の閉塞感と息苦しさに包まれた。

 結界である。それも、祠周囲に展開した円筒状の結界は維持したまま、その外側に新たな結界を施した、二重結界。

 祠とその周辺を分離するのが目的だろう。見れば、三叉路を覆ったドーム状の結界の真ん中で、祠の周辺だけが円筒状の結界で隔てられており、ちょうどドーナツの様な形になっていた。


 やはり、と言うべきだろうか。二重結界なんて真似、熟練の能力者でもない限り、おいそれと出来るものではない。

 

「ハチ、無事でいて……お別れなんて、絶対しないから……」


 もっとも嫌な形で裏付けられた私の推論が、胸中の不安をさらに大きくさせていく。私はそれを気力で無理矢理抑え込みながら、結界が生み出した障壁を確認する。

 祠の周りを円筒状に覆う障壁は、幽世かくりよから現世うつしよへの干渉を壅塞阻止ようそくそしする結界。つまり、こちら側からあちら側への干渉を塞ぎ阻む為の物。

 さらに、現在私が閉じ込められている、その周囲を覆うドーナツ状の障壁は幽世封緘結界かくりよふうかんけっかいだろう。これは結界内部を幽世に固定することで、その内側で起きた破壊行為などが、現世に影響を及ぼさないようする為のものだ。

 簡単に言えば、中心で何かやってるから、外側の結界で足止めをしようって魂胆である。

 もはや、相手が何か明確な意図をもって”襲撃”してきたのは、疑う必要もない。

 しかし、自称と言えど私は”死神”である。

 いかに相手が熟練の能力者であろうと所詮は人の身。この程度の結界、死神の力の前にはわずかな足止めにしかならない。

 どんな意図があるのか知らないが、それも一緒に叩き伏せてやる。


「……私を舐めないで!」


 流れるような動作でポケットから真っ黒な手のひら大の立方体――黒柩こくきゅうを取り出し、巨大な鎌を生成する。

 この黒柩は、私の思念を実体化して武器を生成したり、大事なものを保管することはもちろん、いざというときのシェルターにまでなったりもする万能の道具だ。

 当然、これを扱うには膨大な呪力が必要になるが、自称とは言え私は死神。巨大な鎌を取り出すくらいは朝飯前なのである。

 ふと、その大鎌が、私の怒気を感じ取ったのかわずかに震えたような気がした。

 そのことにほんの少しだけ違和感を覚えるものの、今はそこに拘っている時間が惜しい。結界の向こう側で、ハチの存在感がどんどん小さくなっていくのを感じるのだ。のんびりしている時間は無い。

 結界を砕くべく、両手で大鎌を振り被り、眼前の障壁を睨む。

 一歩踏み出して、”死神”としての力を解放しようとしたその時、今まで感じたことのない悪寒が私の背筋を凍り付かせた。


 直後、私の左半身が青い焔に焼き焦がされた。


「――うあっ! あぁあぁぁ、ぐぅっ!」


 絶叫を上げて、道路上に崩れ落ちる。何が起きたのか理解できないうちに、今度は、体全体を激しい衝撃が襲った。

 気付いた時には、私の身体は結界の壁面に叩き付けられ、そのまま、重力に従って路上に落下した。


「かはっ!」


 衝撃によって損傷したのだろう。肺の空気と一緒に、真っ赤な鮮血が溢れ出した。

 立って応戦しなきゃ一方的にやられる。それに、ハチを助けないと……。

 私は全身を襲う激しい痛みに耐えながら、右手に持った大鎌を支えに気力を振り絞って立ち上がった。


 ――左半身のダメージはかなり深刻だ。手足は指先1つピクリとも動かないし、左目は何も見えない。

 

 でも、だからといって、諦めるわけにはいかない。

 激痛に顔を歪めながら、残った右目を前方に向ける。

 すると、半分になった私の視界に、穢れを瘴気の様に纏った、身の丈20メートルを超す1匹の巨大な大蛇が、蜷局とぐろを巻いてこちらを威嚇する姿が映った。


「……ミズチ?」


 予想もしなかった襲撃者の正体に、私の頭が疑問符で埋め尽くされた。その瞬間、私の動きに僅かな隙が生まれる。

 当然、蛟がそれを見逃すはずはなかった。

 鞭のようにしなる大蛇の尾が隙を見せた私に唸りを上げて迫った。私はそれを何とか動く右側の手足を使って避ける。だが、自在に動く大蛇の尾は、空中で急激に方向を変えて再び私に襲い掛かってきた。今度は右手に持った大鎌で大蛇の尾を打ち払い、その反動を利用して蛟から距離を取って次の攻撃に備えた。


 正直、これはちょっと……いや、かなりマズイ。


 右目の視線を蛟の頭から尻尾の先まで走らせながら、心の中で独りごちる。

 視力を失くした左目に動かない左半身。

 立っているのだって、右手に持った大鎌を杖代わりにしなければならないような有様。

 そんな状況で、まさか水神である蛟を相手にしなければならないとは、犯人もやってくれたものだ。

 しかも、蛟は怒りの形相である。話を聞く気も無ければ、その手を緩める気も無いことは明白。


 ……まぁ、それだけの事をされたのだから、蛟が怒りに我を忘れるのも仕方無いか。


 全身を襲う激痛を堪えながら、まっすぐ蛟を見据えれば、その身体には瘴気がねっとりと絡みつくように纏わりついていた。

 多分、犯人は私を足止めする為だけに、堤防道路の下を流れる一級河川を呪術的に汚染したのだ。

 もちろん、をきっちり予想した上で。

 何物かは知らないが、その作戦は完璧と言うより他ない。

 なにせ犯人は、見事、自称死神相手に完封勝利目前なのだから。


 でも、だからって諦めてたまるか。僅かだけど、ハチの存在はまだ残っている。まだ、あの障壁の向こう側で戦い続けている。

 時間を稼がれるわけにはいかないのだ。


 まるで睥睨するように、威嚇音を発しながらこちらを見下ろす蛟を、真っ直ぐに睨み返す。

 その睨み合いが、数呼吸分の時間を生んだ。


 ……それだけあれば充分。覚悟は、決まった。 

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