第2話 死神最後の日 ②

 再びミズチの猛攻が始まった。

 尻尾による縦横無尽の攻撃に加え、牙による咬みつきや毒液も織り交ぜてくる。そのすべてが、今の私にとって致命傷になりうるものばかりだ。

 残った気力を振り絞り、最小の動きで蛟の猛攻を凌ぐ。しかし、右半身しか満足に動かせない私が、その攻撃すべてを避けることは流石に無理があった。致命傷になりうるような咬みつきや毒液は何とか避けたものの、尻尾による打撃は何度かいいのを貰ってしまった。

 だけど、倒れてる場合じゃない。このまま寝ているわけにはいかないのだ。

 

 息の詰まるような攻防がしばらく続いた後、蛟の尻尾が私をかち上げた。掬い上げるようなその攻撃を大鎌で受け止めて、私の身体は大きく空中へと放り出される。

 それを大きな隙と見て取ったのだろう。蛟が一際大きな威嚇音を発し、おとがいを目一杯開いて、私に向かって一直線に突っ込んできた。

 絶体絶命。普通だったらそんな状況だ。

 でも……私はこの瞬間を待っていた。

 蛟が大きく口を開き、その弱点となる口内を晒すその瞬間を。


「――悪いけど、倒させてもらう。恨み言は犯人あいつに言って」


 私は空中で大鎌を黒柩に戻し、今度はそれを棺桶大にする。そして、その内部から50センチほどの、1ちょうのショットガンを取り出した。

 アメリカの某有名俳優も使った、レバーアクション式のソードオフ型ウィンチェスターM1887というやつである。現状、右手しか満足に使えない私にとって、これが最強の近接攻撃なのだ。

 残った右手一本でショットガンをスピンコックさせると、ガチャンと金属音が響いて弾丸がリロードされた。

 ちなみに、装填された弾丸ショットシェルの中には、死神としての切り札”青い浄化の焔”を超高圧縮して詰め込んである。装弾数は5発。蛟を仕留め、結界を打ち破るには十分な火力だ。

 まあ、が、その能力にどこまで耐えられるかって問題はあるけど、そんなことを言ってたらこの状況は乗り越えれない。

 やるしかない、のである。

 狙いは頭の少し下にある蛟の心臓。

 猛スピードで迫る蛟に向かってショットガンを構え、引き金を引く。同時に、射出されたスラッグ弾が青い軌跡を描いて蛟の口内に吸い込まれた。

 直後、蛟の頭から少し下の背中側が、爆発するかのような轟音と共に吹き飛んだ。

 しかし、急速に生気を失っていくその目とは裏腹に、大口を開けたまま突進するその牙の鋭さは変わらない。


 ……斯くして、突進を続ける蛟の頭部を避けきれなかった私は、その鋭利な牙に、自身の左腕をもぎ取られる羽目となった。








「ハチ……待ってて…………今、行くから……」


 ――急げ、動け、私の身体。早くしないとハチの存在が消えちゃう。それだけは、何としても……


 ずるり、ずるりと、残った右半身でアスファルトの上を這いずって結界の中心部を目指す。

 左足は、落下の衝撃で太ももから下がちぎれてしまった。

 ……まあ、感覚も無かったことだし、きっと炭化していたんだろう。

 なにせ、私の左半身を灼いた青い焔と、いま隣で力尽きているミズチの心臓を撃ち抜いた弾に込められた青い焔は、まったく同じ能力ちからなのだから。


 ちらと、巨体を横倒しにして力尽きる蛟に視線を向けた。

 おとがいを大きく開いたまま心臓を撃ち抜かれた蛟には、口内から背部にかけて、向こう側の景色が丸見えになるほどの大穴があいていた。なにか特筆すべきことがあるとすれば、その大穴の周辺部が黒く炭化していることだろうか。

 もちろん、それは私が弾丸ショットシェルに超高圧縮した、青い浄化の焔によって灼かれたものである。


 ――正直、このショットガンを使うことは、一か八かの出たとこ勝負だったんけど、見事、私は賭けに勝ったらしい。


 その理由は、私がこの場所に到着した時に遡る。

 あの時、大鎌を振り被った私は、祠の周りを円筒状に覆う壅塞阻止結界ようそくそしけっかいと、さらに、その周囲を覆うドーナツ状の幽世封緘結界かくりよふうかんけっかいの2つを同時に破壊する為に、”青い浄化の焔”を使おうとした。

 この”青い浄化の焔”こそが、私が”死神”として使える唯一最強の能力であり、ハチが祠の祭神、火之迦具土ヒノカグツチ大神オオミカミから分け与えられた能力でもある。

 私は今まで、そんな大それた能力を、何の代償も無しにハチから借りていた。

 だからだろうか、いつの間にか、私はその力を使えて当然だと思い込んでいた。

 自分の莫迦さ加減に呆れそうになるけど、実際、その通りだった。

 今回、私自身の左半身を灼く程度で済んだのは、単に運がよかっただけの話。奇跡的、と言ってもいいかもしれない。

 あの時、ほんのわずかな違和感に気付くことが出来なければ、その時点で私の身体は灰になっていただろう。


 ――そして、そのわずかな違和感とは、元々私の身体が”死神”からほど遠い、屍食鬼という”バケモノ”だったことに起因している。

 ただの人であった頃、おびただしいほどの呪いを一身に受けて死んだ私は、死神になる前、屍食鬼というバケモノになってこの世を彷徨い歩いていた。


 推測だけど、犯人はその事を予測の内に入れて襲撃してきた。

 ハチの加護さえ奪ってしまえば、邪魔な死神は自らの穢れに耐えきれず自爆してくれるだなんて方法を採るくらいなんだから、きっと、かなり入念に私たちの事を調べたのだろう。そうでもなければ、こんな方法思いつくはずもない。

 しかも、その能力を使わせるためだけに、犯人はミズチの棲む河川を穢し、わざわざ激高させてからけしかけるという手の込みようである。

 正常な判断力を失った蛟にとって、私という”バケモノ”はさぞかし憎い相手に映ったことだろう。


 そして、犯人の思惑通り絶体絶命まで追い込まれた私は、弾丸ショットシェルに超高圧縮した青い浄化の焔なら、”死神”の能力を直接使うわけでもないしきっと大丈夫だろう、というだけの、ほとんど何の根拠もない賭けに出ざるを得なかったのである。

 結果、私はその賭けに勝って、蛟は屍を晒すことになった。

 しかし、それこそが犯人の筋書きそのもの。

 もし、これが相討ちだったらしめたものだ。まぁ、実際には、私は蛟相手ではなく、結界相手に青い浄化の焔を使おうとして左半身に致命的なダメージを負ったけど、犯人にとってそんなことはどうだっていいに違いない。

 不本意極まりないが、見事、私と蛟は犯人の掌の上で踊らされてしまったのである。

 

 ……それにしたって、よもや、本気で神の力を欲する人間が現れるなど、思いもしなかった。

 いや、考えようともしなかった。

 だからこれは私が招いたミスだ。”私”と言う存在が、どれほど危うく、脆いものなのかを、常に意識していなかったせいだ。

 だって、私は”紛い物”で”バケモノ”なのだから……。


「ごめんハチ……あの時、私を助けてくれたせいでこんなことに巻き込んで……ホントに、ごめん……」


 唯一残った右側の視界が、涙で滲んだ。

 つっ、と頬を涙が伝う感触がして、路上に落ちた雫が乾いたアスファルトを濡らした。

 ずるり、ずるりと右腕一本で路上を這う不快な音だけが耳朶を打った。

 どうして、今日、私は一人で出掛けてしまったのだろう。

 なんで、もっと普段から気をつけておかなかったのだろう。

 私は紛い物のくせに、死神だからって、死者ばかり見ていた。

 奢っていた。莫迦だった。……愚かだった!

 それなのに、ハチはこんな私を相棒にしてくれた。

 力の半分も貸し与えてまで私を助けてくれた。

 歯を食いしばって、前に進もうとすればするほど、屍食鬼として浄化されそうになった時の事を思い出した。

 そのどれもが、私の心をささくれ立たせた。


「絶対に……許さない。死神の焔で、魂ごと滅ぼしてやる……っ!」


 ショットガンを杖代わりにして立ち上がり、蛟の死骸にもたれ掛かってショットガンをスピンコックすれば、私は無様に顔から地面に倒れこんだ。


 ……まだ……まだだ。ハチの気配は消えてない。まだ、間に合う。

 

 再びショットガンを杖代わりにして起き上がり、蛟の死骸に上半身を預ける。

 右手を持ち上げて、ショットガンの照準を結界の向こうの人影に合わせ、引き金を引いた、その時。



 ――ハチの気配が消えた。



 声にならない悲鳴が、喉の奥から漏れた。

 それと同時に、ショットガンから発射された弾丸ショットシェルに超高圧縮した青い浄化の焔が、周囲を覆う2種類の結界を焼き払った。

 私の身体は、ショットガンが生み出した反動によって地面を転がり、右半身を下にして、ようやく止まった。


 ……急げ。犯人あいつは祠の横にいる。依代を、取り返せ――


 残った右目の視界の殆どをアスファルトに塞がれながら、呪言の如きその文句を脳裏に浮かべる。


「――凄まじいまでの呪力だ。護衛のために召喚しておいた四神を結界もろとも葬り去るか。まさに、”バケモノ”だな」


 聞いたことのない男性の声と共に、ガンッ! と頭部に衝撃を感じて、自分が踏まれたことが判った。僅かに浮いていた私の頭部が、真っ黒いアスファルトの上に押し付けられる。瞬間、カッと頭に血が上って、声のした方へ銃口を向けようと右手に力を入れた。

 しかし、2度目の衝撃によってそれが阻まれると同時に、右腕に激痛が走った。

 地面に押し付けられた右目の視界の端で、私の右腕が金属製の杭で地面に縫い付けられた姿が映る。思わず叫び声を上げて仰け反ろうとするも、頭部を踏みつけた足と右腕の杭がそれを許さない。


「さて、何か解るのかとも思ったが、特に何も変わらないな……」

「……ふ、ざけ……るな。ハチを、返せ。何が……目、的……だ……」

「ふざけてなどいない。ただ――知りたかっただけだ」


 知る? こんなことをしておいて、いったい何を知ろうと言うのだろう? 

 この男は、ハチを、神を鹵獲した先に、一体どんな真実を求めているのだろう?

 私は……私達は、”可哀想な誰かさん”を救うためだけに存在している。だから……ハチの力は、決して、自らの強欲を満たす為だけに使って良いものじゃない。

 それを、こんな卑怯な騙し討ちで奪われてたまるか。

 青い浄化の焔は、お前のための能力じゃ無い!


「ごめんハチ。先に逝く……」


 もはや私の命は風前の灯火だ。ふっと空気が揺らげば、簡単に消えてしまう。

 それならば、最期はこの恥知らずな襲撃者もろとも、青い浄化の焔で派手にこの身を焼き尽くそう。

 ハチのおかげで拾った命だ。屍食鬼として死神に浄化されそうになったあの時、ハチが助けてくれなければ、そこで私と言う存在は輪廻からも外れて消滅していた。

 それを思えば、感謝こそあれ、後悔は無い。


火之迦具土ヒノカグツチ大神オオミカミよ、神に、弓引く不逞の輩……共々、この身、を、祓い、清めたまえ………………バイバイ、ハチ」


 これで、今度こそ私の魂は輪廻に還ることも叶わない。この身はおろかその魂までも青い浄化の焔に灼かれて、私という存在はこの世界から消えて無くなる。

 本当は叫び出したいくらい怖いけど、今の私には、そんな余力すら残っていない。

 なにせ、もうすぐ私は襲撃者共々灰になるのだ。だったら、そんな無様は晒したくない。なら、せめて最期は―― 




「――ハチがその存在の半分を分け与えてまでも、お前を助けると決めた。これより、彼はお前の相棒であり、半身だ。その存在が消えてなくなるその瞬間まで、生を諦めるな。そうすれば、ハチは必ずお前を助けてくれる」




 唐突に、あの時、私を浄化しに来た女死神さんが言った、去り際の言葉が映像付きで蘇る。

 これが走馬灯と言う奴だろうか。

 だったら、なんて皮肉なんだろう。私は今、全てを諦めてなにもかも灰に還そうとしているのに……


 ごめんなさい。私が莫迦だった。


 ごめんなさい。私は生を諦めてしまった。


 ごめんなさい。あなたとの約束を破って。


 今更謝ったところで遅いかもしれないけど……


 ごめんね、ハチ。私を、赦して――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る