第12話 覚醒

 その日の夜。私は深夜に目を覚ました。

 枕元の時計を見れば、今は午前0時を少し回ったところだ。


 ……そう言えば、どうやって帰って来たんだろう。


 ベッドに寝っ転がったまま、ぼんやりと天井を見上げて夕方の出来事を思い出してみる。しばらくそうしていると、ぼんやりと記憶が蘇ってきた。

 だけど、思い出したのは穢れに塗れて盛り上がった土と、太い木の棒を介して感じた”かわいそうな誰かさん”の遺骨の感触だけで、どうやって帰って来たかとか、その後どうやってベッドに入ったのかまでは思い出せなかった。


 あんなふうに死者を呪いで穢して道具にするなんて、許せない……


 夕方、太い木の棒ごしに伝わった遺骨の感触が、この手に鮮明に残っている。

 あの時、私は穢れに塗れ呪いに冒された”かわいそうな誰かさん”を、何とかして助けてあげたかった。

 だけど実際のところ、死神ではなくなってしまった私が、あの”かわいそうな誰かさん”にしてあげられることは何もない。

 万能の死神道具である黒柩こくきゅうを満足に使う事すら出来ない私にやれることといったら、せいぜい、穢れが具現化した狼頭の怪異を圧殺する事くらいだ。

 だから、今の私には”かわいそうな誰かさん”を青い浄化の焔で無限の苦しみから解放してあげることも、死者の記憶を読み取り、その想いのいくらかを楽にしてあげることも出来はしないのだ。

 ……だからこそ許せない。

 何もできない自分も、こんなことをした過激派の協会員も、ハチを攫った犯人あいつも。

 私にもっと力があればこんなことにはならなかった。あの日、犯人あいつの襲撃に上手く対処できていれば……


 怒り、ふがいなさ、後悔。そういった感情が胸の中で暴れまわって寝ていられなくなった私は、ベッドの上で自分の両膝を抱いてうずくまった。

 

 たった一つでいい。たった一つでいいから、私に”かわいそうな誰かさん”を救う手段があれば……


 唇を強く噛みしめ、膝を抱く両腕に力を入れたその時、私の視界に青く光るものが映った。その時初めて、自分が制服姿のままであったことに気付き、スカートの左ポケットに黒柩こくきゅうが入れっぱなしだったことを思い出した。

 恐る恐るスカートのポケットに左手を突っ込んでみると、そこにあったのは青い光を放つ真っ黒い手のひらサイズの立方体――黒柩だった。


「なんだろ……文字?」


 ぽつりと呟いた、その瞬間。黒柩の形が長さ反りのある1メートルほどの棒状に変化し、3分の1くらいの所に切れ込みが入った。


「そんな……まさか……」


 おもむろにベッドから立ち上がり、左手に持った棒状の物をよく見れば、それは、黒柩が刀に形状変化したものであることが判った。

 左手で鯉口を切り、柄を握ろうと右手を近づけてみる。

 その刹那、1か月前に私の左半身が灼かれた時と同じ悪寒が背筋に走った。

 右手で柄を持っちゃダメだ。本能的にそう察知した私は、こんどは右手を鞘の方へと近づけてみた。

 悪寒は無い。これなら……

 私はゆっくりと右手を動かして刀の鞘を握ると、左手で柄を握って、そっと刀身を引き抜いた。

 途端、左上腕と左太ももの火傷痕がある場所に青い幾何学模様が浮かび、刀の柄と刀身にも青色の筋が何本も走った。


 これがあれば私はまた戦える。悪霊や呪いを浄化することだって出来る。犯人あいつにだって……負けはしない。


 右腕の幾何学模様と刀身の青い筋が、一瞬、強く輝いた。

 揺らめくように室内を青い光が照らし、まるで私自身が青い焔になったみたいに見える。

 左上腕、刀、左太もも、部屋の壁。順番に見回してから刀を鞘に納めて黒柩を元の掌大の立方体に戻す。そして、もう一回黒柩を左手で持って刀をイメージする。

 すると、先ほどと同じように黒柩に青い文字が浮かび、すぐに青い筋の入った刀へとその姿を変えた。


「偶然じゃない……左手なら、黒柩を使える……」


 呟くようにそう言ったその直後、どろりとした瘴気の気配を感じ取って、その方向を見た。確か中庭は反対側だから、こっちは隣の部屋のはず。

 手に持った刀が放つ光を頼りに方向を特定すれば、その部屋が一体誰の部屋なのかを思い出して、私は大慌てで自室を飛び出した。


 ――私の隣の部屋は、こないだからまわりちゃんが使っている。


 わずかな時間で隣の部屋に辿り着いた私は、すぐさまドアを開けて室内に飛び込んだ。それと同時に、重苦しいほどの瘴気が私に圧し掛かる。

 

「廻ちゃん!」


 叫ぶように名前を呼び、水平に視線を薙いで室内を確かめる。すると、10畳ほどの部屋の中では、身長2メートルを超える筋骨隆々とした怪異が、窓際で片膝を突く廻ちゃんに襲い掛かろうとしていた。

 ――間に合え!

 その言葉だけを念じて一直線に突進する。

 瞬く間に両者の脇へ到達した私は、左手に持った刀を抜刀し、それを怪異に向かって一気に振り上げた。

 鋭く風を切る音と共に、剣閃が青色の弧を描く。


「ゴアアアァ!」


 私の目の前で、右手を斬り飛ばされた怪異が獰猛な猛獣の如き叫び声を上げた。


「私が抑える。廻ちゃん、窓から外へ!」

「螢ちゃん!? ――分かった!」


 相手が怯んだ隙に廻ちゃんを外へ逃がすと、改めて目の前の怪異に目を向ける。

 重苦しいほどの瘴気を纏う筋骨隆々としたこの大型の怪異は、私の経験からすれば”鬼”と呼ばれる類のものであるはずだ。

 死してこの世を彷徨う魂を喰らい、生きて人生を謳歌する人々を悪霊へと堕とす。穢れが超高密度に集まって顕現した怒りと憎悪の結晶であり、その象徴でもある鬼の額には鋭い角が生えて――は、いなかった。

 あまりに異質なその頭部に、僅かな時間、私の視線が釘付けになった。なぜなら、鬼の頭部は呪符でぐるぐる巻きに覆われており、その隙間からは獰猛でやたら血走った両目だけが見えていたからである。

 ハッと気付いた時には、一際大きな咆哮と共に、私の身体は開け放たれた窓から屋外へ向かって大きく吹き飛ばされていた。


「螢ちゃん! 大丈夫!?」


 着地して態勢を整えた私に廻ちゃんが駆け寄る。


「さっきは助けてくれてありがとう。ところでさ、ボク初めて見るけどアレ”鬼”だよね……」

「頭の呪符が気になるけど、そう……だと思う。人の手に余る怪異がなんでこんなところに」

「人の手に余るって…………さっき螢ちゃん結界無しで普通に攻撃してたけど、鬼なんて師匠でも手こずる大物だよ?」


 悠然とこちらへ向かって歩いてくる鬼を見て、廻ちゃんが生唾を飲み込んだ。

 そんな彼女の言葉に、私は黒柩こくきゅうが変化した刀に視線を落とす。

 廻ちゃんの言う通り、彼女達のような異能力者が幽世かくりよに本体を持つ怪異に物理的な攻撃を加える為には、幽世封緘結界かくりよふうかんけっかいの展開が必須である。

 だと言うのに、さっきから私は幽世封緘結界かくりよふうかんけっかい無しで、物理的影響を怪異に及ぼしている。

 まあ、それはこの黒柩こくきゅうが変化した刀――黒柩刀こくひつとうのおかげなんだろうけど、今の私にはそれを利き手とは逆の左手でしか扱えないという制限がある。

 加えて、外法による強引な短期間の再生のせいか、身体能力は死神の時の6、7割と全力には程遠い。

 となると、今の私と目の前の鬼との戦力差は、互角と言ったところ。

 さっき鬼の右腕を切り飛ばすことが出来たのは、単に不意を突いたからにすぎない。真正面から戦うとなると、出来ればキノに結界を展開してもらって、廻ちゃんと2人で援護をお願いしたいところだけど――


「あれ? こんな時にキノは何処へ行ったの?」


 はたとそのことに気付いて廻ちゃんに尋ねてみる。すると、彼女はちょっと気まずそうに私を見た。


「いや、夕方螢ちゃんがおかしくなっちゃった後に、後処理がてら月坂の様子を見に行くからってあそこに残ったまま帰ってきてない……」

「えーっと……その、ゴメン」


 段々と尻すぼみになる廻ちゃんの説明を聞きながら、私は申し訳なさで意気消沈しそうになった。

 今から正面激突だって時に、自分で自分のメンタル追い込んでどうするんだ私。

 そんなことを思っていると、異形の鬼が大きく雄叫びを上げた。

 頭部をぐるぐる巻きに覆った呪符の奥にある目が、再びギラりと光る。


「来る! 廻ちゃんは離れて援護を!」

「援護って言っても、結界がないから目くらましにしかならないよ!」

「それでいい。私にはこれがある」


 左手に持った黒柩刀こくひつとうを視線で示すと、私と鬼は互いに一直線に走り出した。

 お互いの攻撃が届く距離へと彼我の距離が一気に縮む。

 右手を失った鬼の左手が何発も凄まじいスピードで繰り出され、私はそれを右手に持った鞘で受け流す。鬼は左手一本では不利と見て取ったのか、攻撃に蹴りを交えて尚も私に襲い掛かる。

 さらに何度目かの攻防の後、私は大きく蹴りを繰り出した鬼の足を、右手に持った黒柩刀の鞘ですくって態勢を崩し、左手で持った刃で鬼の首を狙った。

 鋭い風切り音と共に、僅かな手応え。

 ――浅い。

 上半身をのけぞらせ致命傷を避けた鬼が、その態勢のまま前進を捻って蹴りの予備動作に入る。

 ――直撃する。そう思って咄嗟に身を固くした瞬間、鬼の顔面に数本の光の矢が炸裂して派手に光を放った。同時に驚きの声を上げた鬼が大きく後ずさる。


「螢ちゃん! 今の内に!」


 声のする方を横目で見れば、弓を構えるように両手を前後に開いた廻ちゃんが、2射目の光る矢をその手につがえているところだった。


「助かった。ありがとう!」


 前を向いたままそう言って、大きく後退した鬼の右側面に回り込む。

 今度こそ止めだ。内心でそう思って刀の柄を握る左手に力を入れた瞬間、鬼が廻ちゃんの方へ向いた。


「行かせるかっ!」


 すぐさま狙いを頸から脚へと変えて全力で黒柩刀こくひつとうを振り抜く。だが、鬼はそれを大きくジャンプして躱すと、その勢いのまま廻ちゃんに向かって突進を開始した。

 攻撃をジャンプで避けられた時に、大きく距離を離された私は急いで鬼の後を追いかける。


「うわぁぁああ。っと、ボクだって!」


 一直線に突進してくる鬼に驚きと恐怖の混じった悲鳴を上げつつも、再度、廻ちゃんはその手に番えた矢を鬼の顔面に直撃させる。しかし、鬼は左手で頭部を庇い被害を最小限に抑えると、そのまま一気に廻ちゃんへと襲い掛かった。


 獰猛な唸り声を漏らして左手を振る鬼を前に、廻ちゃんの表情がみるみる強ばっていく。2発、3発と攻撃を避けたもののすぐに追い込まれ、もう避けられないと思われたその時、少し離れたところにある屋敷の門の辺りに、一人の人影が現れた。


幽世封緘かくりよふうかん! やらせるかっ!」


 突如、周囲が独特の重たい空気に包まれて幽世封緘結界かくりよふうかんけっかいが展開し、廻ちゃんの頭上に大量の矢が出現する。


「師匠!? 助かった~」


 正面から突進する鬼の姿に表情を強ばらせていた廻ちゃんの顔が、キノの姿を見てぱっと明るくなった。同時に、剣の様な太さの大量の矢が鬼へ向けて殺到する。


「ガゴガ……ウガアアァァ!」


 突然自身の前方から降りそそいだ剣の雨に串刺しにされて、動きを止めた鬼が苦悶の叫び声を漏らした。

 私はその一部始終を見ながら、地面に両膝をつく鬼の背後へと急接近していく。

 そして、キノが「螢ちゃん、今だ!」と声を張り上げたのと、私が黒柩刀で鬼の心窩部を貫いたのは、ほぼ同時だった。

 硬いゴムを貫くような手応えの後、僅かな痙攣。あとは止めを刺すだけだ。


「……さよなら。え――?」


 左手に力を入れ、黒柩刀を鬼の心窩部から抜こうしたその時、突如、私の左腕と左脚に浮かぶ謎の幾何学模様が一際強い光を放った。

 また激痛が来る、と思ったのも束の間。

 私に心窩部を貫かれた鬼の身体が、青い焔に包まれて一瞬で灰になった。

 数秒後、左腕と左脚の幾何学模様は消え、黒柩刀も元の手のひらサイズの立方体へとその姿を変えた。


「今のは、青い浄化の焔? でも、どうして……?」


 激闘を終え、座り込んだ廻ちゃんを助け起こすキノを尻目に、私は左手に持った黒柩を、ただ呆然と眺めていたのだった。


 ――そして、変化は起きた。

 唐突に死神の力が少しだけ戻ったのだと理解した瞬間、それが呼び水となって、死神だった時に得た神様の知識が一気に私の脳内に押し寄せてきた。


「なに……これ。なんでこんなこと忘れてたんだろ……」


 その言葉を最後に、私の意識は唐突に途切れたのだった。

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