第11話 忍び寄る悪意

 まわりちゃんが手伝ってくれることになってから数日間が過ぎた。

 その間も、私達は過激派に属する協会員が、月坂彌つきさかあまねに接触を図らないか監視を続けた。

 しかし、そういった様子は一向になく、彼に近づく人物と言えば、転校初日に親しく喋っている姿を見かけた会津将輝あいずまさきただ1人だけだった。


「会津君ってどういう人なの?」

「んー。1年の時同じクラスだったけど、気さくで喋り易いヤツだったよ。友達も結構いたはず」


 昼休み、廻ちゃんと食堂で食事を摂りながら、月坂君と会津君を遠巻きに眺める。

 見たところ、月坂君には会津君以外に特別親しい友人というものはおらず、基本的には1人で過ごしていることが多かった。

 会津君も月坂君の性格を良く解っているようで、昼の休み時間以外は殆ど姿を現すことも無かった。


「そう言えば廻ちゃん、月坂君が蛇を連れてるって言ってたけど、私、まだ見てないな」

「ああ、あれね。ボクも1回しか見たことないけど、見間違えじゃないはず。だってあの蛇、明らかに式神とかそういう類のものだったもん」

「ふうん。術者なんだね、月坂君」


 そう言うと、廻ちゃんは腕を組んで何かを考えるように首を傾げた。


「それがさ、普通、術者なら師匠がいるはずだから、弟子も一緒に異能力者協会に入ってるパターンが多いんだけど、ちょっとそういう感じじゃないみたいなんだよね」

「キノもそう言ってたね」

「うん。だからさ、アイツは術者というよりは、精霊使いとか神子に近いんだって」

「さすがにキノは詳しいね。となると、月坂君の浄化能力は直接神霊の力を借りて行う類のものなのかな」


 何気なく思った疑問を口に出せば、廻ちゃんは「多分ね」と一言に止めた。


「そんな事より螢ちゃん。お昼ごはんが食パン1枚って、大丈夫なの?」

「大丈夫。ホントは水だけでもいいけど、それだとここにいるのが不自然だから」

「いや。十分不自然なんだけど。そもそもダイエットが必要な体形には全く見えないし……」


 そう言って、廻ちゃんは半眼のまま視線を私の体を頭からつま先まで移動させる。

 なんとなくその視線に不穏なものを感じて、私は食パンをかじったまま背中を後ろに引いた。


「えっと、今の私はたぶん屍食鬼だった時の影響が色濃いから、下手にお肉とか食べるとスイッチが入っちゃいそうで怖いんだ。だから、私はこれで大丈夫」

「……そうだった。ゴメン。螢ちゃんがあまりに自然にしてるから、ボクもすっかりそれに慣れちゃってた」

「いいよ。気にしてない」


 さっきまでの半眼はどこへやら、途端に申し訳なさそうにする廻ちゃんを宥めつつ、私はあることを彼女に頼んだ。

 その内容を廻ちゃんに伝えれば、彼女もそれに賛同して、すぐにメッセージアプリを開いた。そして、この後の事を打ち合わせて、私達はそれぞれ教室へと戻っていった。




 その日の放課後、私は校舎裏の職員通用口にいた。


「悪いね。八惣やそうから電話があって、遅くなった」


 アルミ製の扉にもたれ掛かって、職員通用口の前にある駐車場を眺めていると、背後からキノの声が聞こえた。


「大丈夫。月坂君の監視は廻ちゃんに頼んできてあるから」

「さすが、抜かりないね。それで僕に相談したいことって? こんなところに呼び出すくらいなんだから、何か急ぎなのかい?」


 昼食を摂った後、私はスマホを持っている廻ちゃんに頼んで、放課後、キノにここへ来るようメッセージを送ってもらったのだ。


「監視を始めて何日も経つけど、月坂君の周辺に協会関係者が現れた形跡はない。そろそろ、次の段階に進んでもいいかなって思って」

「次の段階というと、本人に直接接触するってことかい?」

「うん。状況によっては、彼を保護しなきゃいけないかもしれない」


 私は犯人あいつの残忍さや狡猾さをこの身でもって知っている。犯人あいつくだんの過激派に属しているかはどうかは分からないが、もしそうだった場合、穢れた神を浄化することの出来る月坂君が、その後も無事でいられる保証はどこにも無い。

 それに穢れの度合いによっては、浄化の代償として彼がその場で命を落とすことだって十分ありうるのだ。


「月坂君の能力が何であれ、普通の人間が神の意識を乱すほどの穢れを1人で引き受けて、とても無事に済むとは思えない」

「……その事なんだけど、僕も昔からの友人に動いてもらってる。過激派が手に入れた神の特定とか、その儀式が安全なものかどうかとかね」

「さすがキノ。手際いいね」


 素直に感嘆した私がキノを称賛すると、彼はその顔に喜色をあらわにした。そして、なにか口を開こうとした瞬間、ポケットに入れたスマホが着信音を奏でた。


「ごめん、その友人からだ。ちょっといいかい」


 キノの言葉に私は首肯してみせると、彼はすぐさまスマホの着信に応じた。通話は短く、1分も掛からずに終了した。


「僕の友人、八惣やそうっていうんだけど、彼も月坂彌に会ってみたいらしい。今日、明日すぐに来るってことは無いだろうから、それまでに月坂彌と接触を頼むよ」

「そのつもり。まかせて」


 再び、私はキノの言葉に首肯する。

 そうと決めたからには、早速月坂君と接触を図ってみたいところではあるが、放課後になってから、既に30分が経過してしまった。部活動に所属していない彼は、かなり遠くまで行ってしまっただろう。

 今日の監視は廻ちゃんに任せて、実際に話し掛けてみるのは明日になりそうだ。

 そう思った矢先、キノのスマホが2度目の着信音を奏でた。


「あれ、廻からだ。何かあったのかな? もしもし……」


 今度は相手が廻ちゃんだったこともあってか、キノはすぐさま着信に応じた。そして、なにやら話すこと数分、キノは廻ちゃんに今いる場所を聞きだして「今から向かう。そこを動くなよ」とだけ伝えると通話を終えた。

 どこからどう聞いてもトラブルが発生したとしか思えないキノの言葉に、何があったのかと問うと、


「廻が監視対象を見失った。ただ、その直前、月坂は式神らしき白い蛇を出現させたらしい。何かに巻き込まれたのか、自ら飛び込んだのか……

「キノ、急ごう。何かがあったことに変わりはない」


 少し考えるように俯いたキノを引き戻す様に、私は言葉に力を込める。


「おっと、今はそれどころじゃないか。急ごう!」


 ハッとしてこっちを向いたキノに大きく頷いてから、私達は廻ちゃんが月坂君を見失った場所へと急いだ。




 ――20分後、私とキノは、電柱の脇にある塀にもたれ掛かってスマホを弄る廻ちゃんを見つけた。


「廻ちゃん、怪我は無い?」

「御覧の通りボクは絶好調。ま、それはアイツも同じだったみたいだけどね」

「どういうことだ?」

 

 その言葉の意味をはかりかねて、私とキノが顔を見合わせた。

 廻ちゃんはスマホを鞄にしまうと、私とキノに「案内するよ、付いてきて」と言って歩き出した。


「あ、先に言っとくけど、ボクはちゃんと約束守って様子を見に行ったりなんてしてないからね」


 5、6歩いたところで、廻ちゃんはくるりと私の方を振り返って、後ろ向きに歩きながらそう言った。


「大丈夫。そんなこと疑わない」


 見つめ返す様にそう言えば、廻ちゃんが少し照れたような表情をした後、すぐに前を向いた。


「う……、えっと、たぶんだけど、アイツはこの先で何かしらの悪霊と戦ったと思う。遠くに離れてても判るくらい、鮮明な気配だったから」

「廻、お手柄だってのに何照れてるんだ。手と足が一緒に動いてるぞ」


 いつの間にか廻ちゃんに追いついたキノが、隣を歩く弟子を冷やかした。


「しっ、師匠は余計なこと言なないっでください!」

「はっはっは。見事な噛みっぷりだな」

「師匠のバカッ!」


 その後もじゃれ合う師弟を見ながら歩いていると、ほどなくして目的の場所へ到着した。

 その家屋は長いこと放置されていたようで、所々外壁がめくれあがっており、庭は荒れ放題だった。

 言われなくたって判る。ここには悪霊が――”かわいそうな誰かさん”がいた。

 ……でも、何かがおかしい。うまくは言えないけれど、何か違和感を感じる。これは、この感じは――


「これは……人為的に暴走させられてるな。もともとこの廃屋に居座ってただけの大したことない悪霊に呪術が施してある」


 敷地内を見回してから、キノはある一か所を見つめた。そこには、不自然に盛り上がった地面があり、その上には赤黒い内臓の様なものや、白い骨の様なものが散乱していた。


「うわ……なにあれ、エグすぎるでしょ」


 すぐにそうと分かるくらいドン引きした廻ちゃんが頬を引きつらせる。


「やっぱり、月坂君は狙われてる。これは、多分、彼の能力が本物か見定めたんだと思う」


 これはあの日、蛟を暴走させたのと同じ手口だ。この盛り上がった土の下には……


「ちょっ! なにしてるの螢ちゃん! そんなことしたら螢ちゃんに穢れが移っちゃうってば!」


 突然、手近にあった太い木の棒で盛り上がった地面を掘り返し始めた私を止めようと、廻ちゃんが抱き着いた。

 だけど、私は地面を掘り返す手を緩めない。その手を止めることなんてできない。だって、この土の中では、”かわいそうな誰かさん”が今も助けを求めてる。

 

幽世封緘かくりよふうかん!」


 太い木の棒が何かに当たるガツッっとした手ごたえと同時に、キノが結界を展開する声が聞こえた。私達の周囲に張られた小型の結界が、その内部を現世うつしよから幽世かくりよへと移行させる。


「螢ちゃん。青い浄化の焔はおろか、黒柩こくきゅうの力もまともに引き出せない状態で、君は何をしようって言うんだい。それに、そこに残ってるのは残骸だけだ。消滅しきれずに燻った本体は、既に別の場所へ逃げおおせてる」


 そんなことわかってる。ほとんど力の残ってない私には、呪術の残滓を取り除く方法だってないかもしれない。だけど、それでも何かせずにはいられなかった。埋められた遺骨に近づけば黒柩に呪術を取り込んで分解させることだって出来たかもしれない。


「……あとは僕がやっておくよ。廻、螢ちゃんを連れて先に帰っててくれ」


 無言で立ち尽くす私から木の棒を取り上げたキノの言葉に、同じく私に抱き着いたまま呆然としていた廻ちゃんが首を縦に振った。


「帰ろう、螢ちゃん」


 優しく諭す様に言う廻ちゃんに頷き返して、私達は紀乃岡邸に向かって歩き出した。

 だけど、その後どうやって家まで帰ったのか、私は全く覚えていなかった。

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