第10話 紀乃岡邸 ②

「つまり、謎の襲撃犯に消滅一歩手前まで追い込まれた螢ちゃんは、たまたま助けに現れた師匠にその”最悪の手段”を託して眠りについたと」


 私が語った1か月前の出来事を聞いた後、まわりちゃんは考え込むように腕を組んで、2人掛けのソファへ寝っ転がった。


「でも螢ちゃん的には、最後にそいつを道連れにしようとして、目を閉じて数秒したら師匠だけがいたって、なんだか腑に落ちないな」

「そうだね。私も不思議だけど、実際そうだった。ひょっとしたら気絶でもしてたのかもしれないけど……」


 突然集まった女性2人の視線に、キノがぎょっとした表情を浮かべる。


「待ってくれよ。そこは1週間前に螢ちゃんが目を覚ました時にも説明しただろ。災害クラスの呪力を検知してから僕があの祠に到着するまで15分は掛かってる。僕が現場に着いた時には、左半身を炭化させた螢ちゃんが倒れただけだったよ」

「うん。キノは嘘を言ってないと思う。あの日、あの戦いの中で災害クラスの呪力に相当するのは、最後の全力解放の時だけだろうから」


 実際、キノが嘘を言っているのだったら、今みたいな咄嗟の返答に乱れが出たり、もっと視線を彷徨わせたりするものだ。

 だけど、彼はそうはならない。

 主張は一貫しているし、仕草におかしなところも無い。なにより、キノがそんなくだらない嘘をつく人間であったなら、まわりちゃんのような子は決して彼を師匠だなんて呼ばない。

 なんとなくだけど、そう思う。

 死神の時だったら、嘘どころか深層心理までお見通しだったけど、今の私にそんな能力は残っていない。

 あるのは、この不自由な生身の身体だけだ。


「ボクが師匠を疑うわけないでしょう。信じてますって。それよりも、今回わざわざうちの学校に転校してきて何をやろうって言うんですか? まさか、うちの学校に犯人に繋がる手掛かりがあるとか?」

「まだ確証はないよ。でも、その可能性は十分にある」


 そう言うと、キノはソファで頬杖を突く弟子に、ダイニングテーブルの向かいの席に座るよう促した。

 のっそりと立ち上がって移動を開始した廻ちゃんが席に着くの待ってられないとばかりに、キノが口を開く。


「10日前だから螢ちゃんが目覚める3日前かな、聖貴きよたかから僕の所に電話があった。アイツが言うには、異能力者協会のある過激派が謎の神獣を手に入れたらしい。だけど、その神獣は極度の穢れによって自我を失いつつあるらしく、近々、彼等はその穢れを祓う能力をもった少年に協力を要請するんだそうだ」

「聖貴って、八惣やそうさんかあ。ボク苦手なんだよね、あの人。なんか怖いっていうか、何考えてるか解んないって言うか……でも、何となく話は読めてきたかも」

「コラ。師匠の数少ない友人になんてこと言うんだお前は。続けるぞ」


 キノの正面の席に腰かけた廻ちゃんが、「コラ」の言葉に反応して額を両手でで隠した。キノのデコピンは、廻ちゃんにとって相当脅威らしい。


「過激派といっても、同じ異能力協会の人間だ。普通に考えれば、能力者の少年に協力を要請するだけの話で、これと言って不審な点は無い。だけど、その20日前。僕はハチさんを誘拐された挙句、ボロボロになるまで追い込まれた螢ちゃんに会った。単なる偶然かもしれないけど、何の手掛かりも無い今、調べを入れる必要があると思うんだ」

「つまり、ボクは螢ちゃんと一緒に、その少年に接触してくる協会員を見張れってこと?」

「そういうこと」


 キノは弟子の言葉に満足そうに頷いた。


「なるほど、そこでボクの出番ってわけだね。ところで、対象者って誰? しかも螢ちゃんが助手で転校生扱いまでしてくれるなんて、師匠一体どんな手を使ったんですか?」


 廻ちゃんのその言葉に思わず私も頷く。確かに、そんな無理がよくも通ったものだ。

 そう思いながら視線をキノに向ければ、彼は得意気に腕を組んだ。


「あれ? あの学校は僕のお得意さんだよ。廻、知らなかったのかい? だから理事長とも知り合いでね。結構融通が利くんだよ」

「うわ~。師匠腹黒い。あのハゲ親父とそんなに親しくしてたなんて……一緒に飲みに行ったり、その後、夜の街に行ったりしたんだきっと。アイツ絶対スケベそうだったもんなぁ……痛いっ!」


 パチンと派手な音が響いて、私の隣に座る廻ちゃんが額を押さえて机に突っ伏した。

 そりゃあ怒られるよね……。


「ホント、どうしてお前はいつもそうなるかな……。ちなみに、対象者の名前は月坂彌つきさかあまね。螢ちゃんと同じクラスの2年生だよ。ただ、彼は協会に属してないようだから、詳しい能力は不明だ」

「あー、あのちょっととっつきにくそうな、蛇の式神忍ばせてるヤツかぁ」


 何かを思い出す様に腕を組む廻ちゃんに、彼は知り合いなのかと問えば、同じクラスになったことが無いから喋ったことも無いとのことだった。

 そういえば、今日は転校初日ということもあってか、月坂君を監視する余裕なんて全然無かった。確か、下校前に仲のよさそうな友人と2人で会話していたけど、今日1日でまともに彼を見たのはその時だけだった気がする。

 

「さて、話は以上だ。最後にもう一回聞くけど、廻。本当にいいんだな?」


 私と廻ちゃんの会話が途切れたところで、キノが再度、意思確認の言葉を投げ掛けた。


「もちろんですよ師匠。危ないことはしない。危険を感じたらすぐに撤退する。螢ちゃんとも約束したし、これでやっぱ止めますなんて、そんなダサいこと言えますかって話でしょ」


 そう言ってこっちを向いた廻ちゃんの方へ、私も体を向ける。


「廻ちゃん。本当に危ない時はダサくてもいい。かっこ悪くたっていい。だから、逃げて。命は一番大事だから」


 強い穢れや呪術によって死んだ人間は、1つの例外も無く悪霊と化す。私達が相手にしようとしているのは、そういう相手だ。

 実際、死神だった時、それが原因で”かわいそうな誰かさん”になってしまった人をたくさん見てきた。穢れの度合いが大きすぎて、問答無用で浄化するしかなかったことも数え切れないほどあった。

 私は、廻ちゃんにそうなってほしくない。だからこそ、この約束なのだ。

 そう説明すれば、廻ちゃんはゆっくりと頷いた。


「ありがとう。明日から、よろしくね」


 そして、私達はそれぞれ自室へと戻ったのだった。



 リビングで解散してからしばらくの後、シャワーを終えた私は浴室を出た。

 手早く髪の毛と身体を拭いて下着を身につける。次は洗面の前に立ち、キノのお姉さんに教えてもらった通りスキンケアをする。最後はドライヤーなんだけど、これがまた時間がかかる。

 ほんと、生身は大変だ。1か月前までは身体そのものが幽世かくりよにあったからこんな手間は必要無かったけど、今はそれじゃダメらしい。

 いや、実際には何がダメかよく解ってないけど、キノのお姉さんがそう言ってた。

 女の子はちゃんとお手入れしないとダメなんだそうだ。

 いろいろと。


「さすがにこれは効かないよね、きっと」


 保湿化粧水を握ったまま、独り言を呟いて自身の左上腕と左太ももを眺めてみる。

 そこは、左肩から左肘の少し下までは火傷痕の様に肌の色が違っていて、左太ももにも10センチ幅くらいの同じような火傷痕が、大腿部を一周するように出来ていた。


 そういえば、キノが私を黒柩こくきゅうに寝かせた後、落ちてた左手と左足を拾って入れておいてくれたとか言ってたから、きっと欠損部分がまだ治りきってないんだろう。


 保湿化粧水にそれを治す効果なんてないとは分りつつも、患部に吹きかけてみる。気休めみたいなものだけど、ちょっとは違うかもしれない。

 何度か左手を握ったり開いたりした後、洗面台に置いてあった黒柩を左手で取ってみた。

 すると、ほんの数秒間、左上腕と左太ももの痕に、青い幾何学模様が現れた。


 ……どうしよっかなこれ。左手で黒柩握った時だけ出るのか。


 まだ誰にも言ってなかったけど、そのうち廻ちゃんに相談してみよう。さすがにこれはキノには見せにくい。

 まあ、光ると言ってもわずかな時間だけだ。左半身が炭化した時のような悪寒は無いから、害があるようには思えない。

 それよりも、今日はいろいろあって疲れたな。さっさと部屋に帰って寝よう。

 

 不意に出そうになった欠伸を噛み殺しながら、私は黒い作務衣さむえを着て自室へと戻ったのだった。

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