第9話 紀乃岡邸 ①

 寂れた祠で狼頭の怪異を退治した後、私達は再度、月坂彌つきさかあまねの様子を見に行った。

 月坂君の家に到着したころにはだいぶ辺りも暗くなってきていたけど、彼の安否確認にはあまり関係が無かった。

 なにせ私達から見れば、彼の纏う気配は家の外からだって分かるくらいなのだ。

 私とキノは、無事彼の気配が自宅内にあることを確認してから帰路に就いた。


 私達が拠点としているキノの家に着いた時には、時刻は午後8時を少し回っていた。

 街の中心部から外れた場所にあるその家は、かなり昔からその場所にあるようで、今が明るい時間であれば、まさに立派なお屋敷と呼ぶに相応しい外観を見ることが出来ただろう。

 なにせ、私は中を見ただけで旅館と見間違えたくらいだし……

 だから当然というかなんというか、門構えも立派だった。

 ”紀乃岡”と表札が掛かった立派な門扉は、両開きの大きな扉で外部と仕切られており、ゆっくりと開けられたその扉越しに屋敷を見れば、照明の灯ったリビングの窓以外は全て真っ暗な闇の中に沈んでいた。


「さて、彼女も来てると思うから、まずはご対面といこうか」

「キノの弟子っていう子?」

「そう。折角だから、いろいろ手伝わせようかと思って呼んでおいたんだ」

「それは助かるな」


 立派な両開きの門扉を抜け、これまた立派な両開きの玄関の前に立つと、隣を一緒に歩いていたキノが慣れた様子で玄関扉を開けた。

 そのまま玄関扉を潜り屋敷内へと入れば、目の前に10畳ほどの玄関ホールが広がっていた。


 ……どんだけデカいんだよこの家。


 心の中でそんなツッコミをキノに入れていると、廊下の照明が点灯して奥から誰かが歩いてくる軽い音が響く。普通であれば、リビングから玄関なんてものの数秒しかかからない。でも、紀乃岡邸はその距離すら長かった。

 痺れを切らしたように、足音の主の声が廊下の奥から響く。少し高めの活発そうな声だ。

 

「師匠お帰りー。全然帰ってこないから、ボク先にシャワー借りちゃった。……って、あ! ひょっとして、君が螢ちゃんですか? 初めまして!」


 そう言って姿を現したのは、声のイメージ通り、ショートカットの活発そうな少女だった。涼し気な夏用のルームウェアを着たその少女に、「あなたがキノのお弟子さんかな? 初めまして。穂村螢です」と挨拶を返せば、彼女も「そうだよ。よろしくね!」と笑顔をその顔に浮かべた。

 

「ただいま。って、それよりも、よろしくね! じゃないだろまわり。なんでお前が僕の家でシャワー浴びてるんだ」

「いや~、なんか師匠がうら若いお嬢さんを住まわせてるって聞いて、これはボクが一緒に住んで間違いが起きないようにしないといけないかなって……」

「お前なあ……。ところで、それって姉さんから聞いたのか?」


 呆れ顔のキノがそう問い返せば、まわりと呼ばれたその少女は気まずそうに眼を逸らした。

 言外にその通りだと認めるようなその態度に、キノはため息交じりで額を抑える。

 

 そんなキノを見ながら、私は目覚めた翌日に会った、キノの”お姉さん”のことを思い出した。彼女はとても行動的でちょっと強引なところがあるものの、明るくで気さくな人だった。

 彼女は、キノではよく分からない女性用の必需品を用意する為に呼ばれたわけだが、その”お姉さん”とこのまわりという少女はどんな関係なんだろうか?

 よく見れば、その顔に何となく面影があるように見えなくもないが……


「ところでまわり、姉さんはお前がウチに寝泊まりするのを許したのか?」

「そこは師匠とお母さんは姉弟だし、なんとか説得してもらえないかなーなんて……」

「お前ってやつは……!」


 後ろに手を組んでもじもじする少女を前に、キノが頭を抱えてうなだれた。

 ――つまり、このまわりちゃんはキノの姪っ子で、あのお姉さんとは親子だったのか…………納得。

 目の前で繰り広げられる2人のやり取りに圧倒されつつも、この師弟が叔父と姪の関係だということは、割とあっさり腑に落ちたのだった。






 玄関でのやり取りの後、私とキノはそれぞれの自室へ荷物を置き、廻ちゃんの待つリビングに集合した。

 リビングではすでにくつろぎモードの廻ちゃんがソファに寝っ転がってスマホをいじっていた。


「お。二人とも思ったより早い。ボクまだ今日のログボ回収し終わってないよ」

「しょーも無いこと言ってると、姉さんにお前を回収に来てもらうぞ」

「ハイッ。すいませんでした師匠」

「まったく……」


 言葉ではそう言いながらも、キノは怒った様子も無くどこかに電話を掛け始めた。まあ、この状況だ。電話を掛ける相手なんて一人しかいない。


「もしもし、姉さん。泰臣だけど……


 私の予想通り姉に電話を掛け始めたキノを見て、ソファの上で寝っ転がっていた廻ちゃんが急にソワソワし始めた。

 ――そして、数分後。ソファの上で正座した廻ちゃんが、キノに向かって両手を前に突き出して全身で謝意を示していた。


「ありがとうございます。師匠! 流石! 頼れる男!」

「住み込みで手伝おうってんだ。こうなったらトコトンやってもらうからな」

「お任せあれ。この満島廻みつしままわり、師匠の1番弟子として見事期待に応えて見せますとも」


 ソファの上に立ち上がり、細めのウェストに両手をのせ、それほど豊かではない胸を誇らしげに張った廻ちゃんが、キノに向かって得意気な表情を浮かべた。

 キノは、そんな弟子の額に「調子に乗んな」と、軽くデコピンをお見舞いする。

 途端、廻ちゃんの頬が不機嫌そうに膨らんだ。

 キノは自らの背中に突き刺さる弟子の視線なんてものともせずに、ダイニングテーブルから椅子を1つ引き出して腰かけた。


「いつまでソファの上に立ってるんだ。子供かお前は」

「座ります。座りますよ。……まったく。師匠はすぐに人の頭にデコピンするし……」


 そう言って猫のように蹲る廻ちゃんを見ながら、私は、いつの間にか声を上げて笑っていた。

 リビングに入ってからずっと立ちっぱなしだったことも忘れるくらい、2人のやり取りがたまらなく可笑しかった。


「あはは……。2人とも面白いね。こんなに笑ったのはいつ以来だろう」


 ひとしきり笑った後、手の甲で目じりを拭って前を見ると、きょとんとした師弟の姿が目に入った。

 ……なんだろう。ものすごく珍しいものを見る目で私の事を見ている気がする。

 そう思ったのは、決して間違ってはいなかった。


「……初めて見た。あまり感情を表に出さないから、僕はてっきり……」

「イイ。螢ちゃん、笑うとすごいかわいい。やっぱ女子は笑ってなきゃ」


 死神になった時からこっち、覚えている限りでは向けられたことのない視線を受けて、照れくささで顔が爆発しそうだ。しかも、急に気温が上がったように暑く感じるから、生身の身体というのは本当に度し難い。


「別に、死神だったからって感情まで死んでるわけじゃないよ。そういう機会が無かっただけで……」


 気付いた時には口から勝手に言葉が出ていて、さらに顔が暑くなった。

とにかくちょっと落ち着こう。そんなことを考えながら、キノの斜向かいの席に座って両手で顔を仰ぐ。


「いや~師匠から元死神さんの手伝いをしてほしいって聞いた時は、いったいどんなおっかない人だろうって思ってたけど、これは益々興味深くなってきましたな」

「そりゃあ、どうも……」


 目をキラキラ輝かせてこっちを見る廻ちゃんに適当な相槌を打つと、彼女はおもむろに立ち上がって私の前に立った。


「では、改めて。ボクは満島廻みつしままわり。能力者としてはまだまだ修行中だけど、これからよろしくね」

「私は穂村螢ほむらけい。よろしく、廻ちゃん」


 差し出された右手に握手を返せば、廻ちゃんの顔が花笑むように弾けた。かわいらしくて、明るくて、こっちまで嬉しくなるような笑顔に釣られて私の頬も緩む。


「これで螢ちゃんとボクはマブダチだね。ハチさんだっけ? 絶対取り戻そう」


 瞬間、自分の表情が凍り付いたのが解った。

 こんな可愛らしくていい子な廻ちゃんを、あの狡猾で残忍な犯人あいつとの戦いに巻き込んで本当に大丈夫だろうか。だって、犯人あいつはハチを奪う為だけに、呪術的に河川を穢して蛟を嗾けるようなヤツなのだ。そんなヤツが一体どんな卑怯な手を使ってくるかもわからないと言うのに、こんな簡単に「よろしく」だなんて言ってしまっていいわけがない。こんな私の事を友達だと言ってくれる廻ちゃんを巻き込むわけには――


「――ゴメン、廻ちゃん。やっぱり危険だよ。危なすぎる。犯人あいつは目的の為ならどんな残忍で卑怯な事をしてくるかわからない。ハチ以外で初めてできた友達にそんな危ないこと、やっぱりお願いできない」

「螢ちゃん……」


 廻ちゃんの手を両手で握り、俯きながらそう言った私の耳に、キノの呻くような声が聞こえた。


 ――この子を関わらせちゃいけない。


 キノの時は、自分の疑いを晴らすためにも絶対に協力すると言われてしまった以上、私もそれを認めるよりなかった。

 だけど、廻ちゃんは違う。彼女はまだ……


「はい、すとーっぷ。螢ちゃん、今絶対良くないことばっか考えてるでしょ? 確かに、ボクは半人前だし子供だけど、困ってる友達をほかっておけるほどクソヤローでもない。危ないと思ったら絶対に深追いはしない。だから、手伝わせてくれないかな?」


 私の前にしゃがみこんだ廻ちゃんが、見上げるように視線をこちらへ向けた。俯いた私の視線が、意志の強そうな瞳に吸い込まれる。

 真っ直ぐで、嘘が付けなくて……でも、信用できる目だ。

 死神だった時、こういう目をした人に何人も逢った。死して尚、誇り高い彼らは最期の時までその目を濁すことは無かった。

 いい意味でも、悪い意味でも。

 だとしたら、きっと彼女には何を言っても無駄だろう。

 それなら――


「危ないって思ったら絶対無理はしないで。深追いもダメ。約束して」

「もちろん。約束する」


 再び満面の笑みを浮かべて頷く廻ちゃんを見て、私はある決意を固めた。


「廻ちゃん。私の事を手伝ってくれるあなたには、是非聞いてほしい。犯人あいつがどんな奴で、その時何があったのかを」


 ゆっくりと顔を上げて居住まいを正した私は、1か月前のあの日、私とハチに何が起きたのかを廻ちゃんに語ったのだった。

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