第8話 招かれざる客

 棺桶大に展開した黒柩こくきゅうがゆっくりと浮き上がり、地面と水平になったところでそれを保持する。

 野球のバットを振る要領で少し体を捻って、目の前で具現化しつつある小さな人影に狙いを定めた。


 ……悪くない。身体そのものは、かなり回復してる。


 体感で、死神だった時の約6、7割といったところだろうか。これなら、ほとんど呪力を扱えないことを差し引いても、悪霊や怪異と五分以上で戦える。

 1週間前に、ほんの少し会話しただけで力が抜けてしまった時は、割と本気で自己嫌悪に陥ってしまったけど、これなら足手まといにはならないはずだ。

 そして、あんな恥ずかしい目にもあわなくて済むはず……。


 目の前に怪異がいると言うのに、1週間前の出来事が脳裏をチラつく。

 集中、集中と念じながら大きく深呼吸すれば、突然、祠の周辺が独特の閉塞感と息苦しさに包み込まれた。

 ――結界である。しかも、これは幽世封緘結界かくりよふうかんけっかいだ。

 不意に、ハチを攫われた1か月前の出来事が脳裏によみがえって、自分の身体が少し強ばったのを感じた。


 1週間前に目覚めた後、この幽世封緘結界かくりよふうかんけっかいには幽世かくりよで発生した破壊を外部に漏らさないようにする以外にも、現世うつしよに肉体を持つ異能力者が、幽世に存在する怪異に物理的影響をもたらすことが出来るようにする能力があることを知った。

 そして、この結界を張ることが出来るのは、熟練以上の異能力者だけだということも。

 

「……結界を張るなら一声くらい掛けてくれてもいいのに」

 

 トラウマを刺激されて不機嫌になった私は、寂れた祠前の道路を歩くキノに、抗議の半眼を送り付けた。


「気持ちはわかるけど、殴りかかる寸前だっただろ」

「じゃ、ありがとう。お礼言っとく」

「怒ってるし……僕、結構急いで来たのになあ。――って、来るよ!」


 不機嫌な私の態度に不満を漏らしたキノが私の前方を指さす。それと同時に、ねっとりとした邪悪な気配が集束し1体の奇怪な異形を形作る。


「やっぱり……でも、まだ小さいっ!」


 身長160センチくらいの、狼の様な頭部を持った人型の怪異が私に向かって鋭い爪を振り下ろした。

 私は咄嗟に黒柩を前にかざしてそれを防ぐ。

 直後、ギィッと硬いものを引っ掻く甲高い音が結界内部に響き渡った。

 改めて例える必要も無いだろうけど、これは定番のあの音――いわゆる、黒板を引っ掻いた時の音そのままである。

 ちょっと選択をミスったかもしれない。

 そんな考えが私の脳裏をかすめたのを察知したのか、狼頭の怪異は2度3度と黒柩に爪を立てた。

 たった今具現化したばかりの”なりたて”のくせに、わざとこれをやってるんだったら大したもんだ。内心でそう毒づきながらも、あまりの不快さに眉間に皺が寄る。黒柩の隙間からキノの方をみれば、彼もまた眉間に皺を寄せて耳を塞いでいた。

 さっさと終わらせよう。

 べつに、防御に専念したくて黒柩を大きくしたわけじゃないのだ。

 もちろん、それは攻撃の為である。

 ……ただ、現状この方法が”バケモノの私”にとってというだけにすぎない。

 たった、それだけの話。

 私は、再び黒柩こくきゅうを水平に構え直した。

 すると、開けた視界の向こうで、唸り声を上げた狼頭の怪異が再びその腕を振り上げる姿が目に映る。


「性懲りも無く……消えろ!」


 刹那、狼頭の怪異に向かって真っ黒い棺桶の形をした黒柩が振り下ろされた。

 腹に響くような重たい音がして少し地面が凹み、黒柩の下からねっとりとした邪気が瘴気となって霧散していく。


「うわ……ご愁傷様」


 少し離れたところに立って戦闘を眺めていたキノの顔に、何とも言えない表情が浮かんだ。それを横目で見ながら、私は黒柩を元の大きさに戻してスカートのポケットに突っ込む。


「キノ。見てないで、助けてくれればいいのに」

「最初はそのつもりだったんだけどね。なんか回復の具合もいいようだったから、つい……僕、要らなかったかなって」


 小さくかぶりを振って凹んだ地面を見るキノに、半眼でふうんと不満そうに返せば、空からガラスの割れるような音が響いて幽世封緘結界かくりよふうかんけっかいが消失した。


「さて、帰ろうか螢ちゃん」

「そうだね。これでしばらくはここも安全だと思う」


 歩道ヘ向かって歩きながら、先程、狼頭の怪異がいた場所をちらりと振り返る。


「異形の怪異が生まれるまで一か月か。今まで気にしてなかったけど、この道ってかなり穢れが溜まりやすいんだね」

「だろうね。ここは市内へ入る車や、学校へ行き来する生徒たちの往来が激しいところだから」


 そう言いながら、キノは堤防道路の先にある、今日私が通った高校の方を見た。その視線の意味するところに、私は小さく相槌を打つ。


 ――ここは大昔でいうところの”境”なのだ。


 古来より、境は異郷や他界との通路であり、そこは神霊のみならず悪霊や穢れも出入りする場所だと考えられていた。

 穢れとは、人間と共に在るものである。

 その為、移動の殆どが徒歩だった大昔と比べ、車が主役になった現代では穢れの溜まるスピードは比較にすらならない。

 怒り、妬み、嫉み、悪意、劣等感。そういった負の感情に始まる罪科や死。それに、血液や排泄物。

 便利な現代社会の道路交通網は、須らく大量の人間と穢れを移動させる。

 だから、”境”を守護する存在である塞の神さえのかみ――つまりハチがいなくなった今、ここには大量の穢れが澱みとなってこごってしまう。


 畢竟ひっきょう、さっき私が倒した狼頭の怪異は、ここに集まった大量の穢れが形を成した物なのだ。

 もちろん、”元”死神だった私がそれを放置することなんで出来るはずがない。

 なぜなら、そこから産み落とされた狼頭の怪異はそのうち悪鬼となり、何食わぬ顔で市街地へと侵入し、さらなる悪意と結びついて人を悪霊へと堕としてしまうからだ。

 いくらなんでもそれだけは見過ごせない。

 それに、主がいないからといって、勝手に上がり込んで増えるなど言語道断。黒くてカサカサしたアイツと同レベルと言っても過言ではないだろう。

 さっき狼頭の怪異を駆除した時キノは変な顔をしてたけど、ついついスリッパ――黒柩を握る手に感情が入ってしまったのだって、それを思えば仕方ないと思う。

 無事ハチを取り戻した時、私達はまたここに戻ってくる予定なのだ。しばらく空き家にしていたからって、人様の家に勝手に上がり込んでいい理由なんて、あるわけがない。


「やっぱり、毎日学校帰りに視に来ないとだめだね、これは」

「それは心配し過ぎでしょ螢ちゃん。それに、万全じゃない今の状態で犯人に待ち伏せでもされたら、それこそ一巻の終わりだ。わざと誘い込むにしても、今はまだ時期が早いよ」


 冷静に状況を諭すキノに、私は一言も反論出来ず口を真一文字に引き結ぶ。


「不機嫌そうにしてもダメだからね。ハチさんを助ける前に螢ちゃんにもしもの事があったら、僕の申し訳が立たない」

「分かった……じゃあ、1週間おきにする」

「だから早いって。1か月おきで十分。さ、帰ろう」


 尚も食い下がる私の言葉をぴしゃりと斬り捨てて、キノは一人でさっさと歩き始めた。

 そんなキノの後頭部を不機嫌に見つめていると、


「不定期に数週間ずつ。なるべく一定の間隔にならないよう、気を付けること」


 仕方ないと言わんばかりに、キノが盛大な嘆息を漏らす。もちろん、半眼のおまけも付けて。

 ……いつからキノは私の保護者になったんだ。しかも頑固親父。

 とはいえ、キノの言うことには一理ある。それどころか、百里も千里もある。なにより、キノはあの日私を助けてくれた上に、ハチの奪還まで手伝ってくれているのだ。

 これ以上、我が儘を言ってはバチが当たるというものである。


「解った。そうする」


 渋々そう言って、私より上背のあるキノを見れば、はたとあることに気が付いた。

 あれ? 周りから見たら私の方が年下なのか。しかも、見た目だけで言えば、10歳近く離れてるような気がする。


「素直でよろしい。まあ、実年齢はともあれ、今は僕の方が保護者的立場だしね。実際、螢ちゃんは僕の助手ってことで学校に入り込んでるんだから、よろしく頼むよ」

「大丈夫。今日は転校初日でそれどころじゃなかったけど、明日からはしっかり目を光らせとく」


 まるで、私の心の声を聞き取ったかのようなキノの言葉にぎょっとしながらも、私はそれをおくびにも出さずに答えた。

 すると、キノは少しおかしそうに笑って、


「螢ちゃん、顔に全部出てるよ。ホントに、あなたは昔から――

「……え? 昔っていつ? 私達、そんな昔に会ったことってあった?」


 突然何かを言い淀んで目をそらしたキノに、私は質問を連打する。


「あ……いや。それよりも! 後で”協力者”を紹介するよ。僕の弟子なんだけど、螢ちゃんと同じ学年だから。仲良くしてやってね」


 わざとらしく話題を変えて、足早に歩き去っていくキノを見ながら、今度は私がその背中にジト目を送り付ける。

 ……いったいなんだっていうんだ。キノは一体いつの私のことを言っているのだろう? とても気になる。

 だけど、あの様子じゃあ強引に聞いたところで答えてはくれないだろう。

 それに……なんとなくなんだけど、今はその内容を知らない方がいい気がする。

 なぜなら、さっきキノが言葉を言い淀んだその瞬間、ほんの一瞬だけど、とても辛そうな顔をしたからだ。


 キノの中に存在する、私の知らない私。


 それが私にとって、どれほど大事でかけがえのないものだったのか。

 私がそのことに気付くのは、もっともっと後になってからだった。

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