第4話 目覚め ①

 長方形に切り取られた視界と、消灯したままの丸い蛍光灯。

 目覚めた私の目に飛び込んできたのは、白い花を咲かせる夏椿でもなければ寂れた祠でもなかった。

 体中を押し潰すような気怠さの中、何か固いものに横たわった私は、ぼんやりとその蛍光灯を眺めていた。

 しばらくして、それがどこかの家の一室にある天井だということに気が付いた。同時に、私が横になっているのは棺桶大の黒柩こくきゅうの中だということと、眠りにつく前に何があったのかを思い出した。


 ……そうだ、ハチ! 犯人あいつを探さなきゃ。 それと、キノにいろいろ後の事を頼んで……あれからどれくらい経ったんだろう。それにここは……?


 あちこち痛む体に鞭を入れ、ふらつく頭を抱えて起き上がれば、室内にはベッドと小さな机が1つずつ置いてあるのが目に入った。

 何度か室内を見渡すものの、厚手のカーテンが閉められたままの上に、時計もないこの部屋では今の時間すらよく分からなかった。

 ひとつ分かったことと言えば、カーテンが閉まっている割に室内が真っ暗ではないことから、きっと今は夜ではないのだろうということだけだった。


 少しして、左目の視界が元に戻っていることに気が付いた。

 犯人あいつがハチを攫った時、私の左半身は青い浄化の焔で炭化していたはずである。それがちゃんと見える様になっているということは、黒柩こくきゅうに入れられた私の身体がしっかりと回復している証拠なのだろう。

 後は、私の目論見通り回復期間が大幅に短縮している事を祈るのみである。


 良く見えるようになった両目ですぐさま左半身を確認すれば、そこには、手の先からつま先まで、ほぼ元通りになった私の体があった。

 しかし、左肩から左肘の少し下までは火傷痕の様に肌の色が違っていて、左太ももにも10センチ幅くらいの同じような火傷痕が、大腿部を一周するように出来ていた。

 そして、今まで着ていた黒いセーラー服は、腕も太腿も剥き出しになるくらいボロボロだった。

 だけど、それ以上に私は、自分が今こうやって自我を保てていることに安堵の溜息を漏らした。

 棺桶大の黒柩こくきゅうを元の手のひら大に戻し、両手で握りしめる。


「良かった……。ちゃんと自我を保ってる」


 黒柩こくきゅうを握りしめた両手を額に当ててそう呟くと、あの状況を何とか生き延びたという実感と、ハチを攫った犯人あいつへの怒りが同時に沸いた。


 ……絶対にハチを取り返してやる。

 犯人あいつは”死神”にケンカを売ったのだ。その命――いや、魂そのもので償うくらいの覚悟は出来ているだろう。


 ドス黒い復讐心が私の心を黒一色に染めようとしたその時、左腕に焼けるような痛みが走った。

 短い悲鳴を上げてうずくまれば、左腕と左太ももの痕の所に、青い幾何学模様の様なものが浮かびあがる。


「これは……一体?」


 驚く私をよそに、青い幾何学模様は数秒ほどで消えて、痛みもきれいさっぱりと無くなった。

 訳の分からないまま自分の左半身を眺めていると、部屋の外からバタバタと誰かが走る音が聞こえた。

 そして、それほど間を置かずに部屋のドアが勢いよく開かれ、一人の人影が部屋の中へと入って来た。


「良かった! 目が覚めたんだね!」


 薄暗い室内に浮かび上がる天然パーマのシルエットと、聞き覚えのある声。間違いない、彼は私が後を託した紀乃岡泰臣ことキノだ。


「やあ、キノ。ありがとう。この通り、あなたのおかげでしっかり回復できたよ。ところで、あれから何日経ってる?」

「21日、ちょうど3週間かな。それよりも、僕は言われた通り処置を施しただけだ。大したことは何もしてない。だけど、本当に良かった……」


 薄暗い室内では表情もよく分からないけど、キノは私が回復したことをとても

喜んでくれているようだった。

 確か、異能力者協会とかいうところに籍を置いた本物の異能力者のキノは、拝み屋としてこの地域を担当していたはずである。同じようにこの地域で死神をしていた私は、時々、ハチと共に彼を助けることがあった。

 接点といえばそれくらいだったはずなのに、大げさな喜び方だなあ。

 なんとなくこそばゆいものを感じながらも、礼くらいはしっかり顔を見て言おうと思った私は、閉められたままのカーテンを勢いよく開けた。


「キノ。本当に――

「――え? ちょっ、服が……すぐ何か持ってくるから!」


 ……そうだった。今まで着ていた黒いセーラー服は、ボロ布同然だった。そりゃあ、キノだって大慌てで飛び出していくに決まっている。

 窓から入る太陽の明かりで、とんでもないことになっている自分の姿を確認してから、私は再びカーテンを閉めたのだった。

 


 しばらくして戻って来たキノは、1着の黒い作務衣さむえを持っていた。高2になる弟子が使っていたものだからと説明を受けて、早速私はそれを着てみる。どうやら、そんなに体形は違わないようで、ちょうどいい大きさだった。

 作務衣に着替えた後、ボロボロになった黒いセーラー服を畳んで部屋の隅に置いた。死神になってからどれくらい経つかも覚えてないけど、その間、この黒いセーラー服をずっと着ていただけに愛着がある。

 もちろん、私の体と黒いセーラー服は今まであちら側――幽世かくりよにあったから、洗濯の必要も無ければ破れたりすることも無かった。

 なのに、それが今はこのありさまである。

 つまり――


「外法……キノたちに言わせると禁呪の影響かな。死神の部分と屍食鬼だった部分が混ざり合って、実体化してる。3週間で目覚めたのは想定内だけど、こっちは完全に想定外。今の私がどんなカテゴリーに属するのかは分からないけど、”バケモノ”であることに変わりはないかもね」


 作務衣に着替えた後、部屋の外で着替えを待っていたキノに向かって開口一番そう言うと、彼は”バケモノ”という言葉に反応して眉を顰めた。

 そのことに私が怪訝な表情をしていると、キノは死神としての私の名前を呼んだ。


「そんな風に自分のこと言っちゃダメだ。あなたは塞の神さえのかみハチの片割れにして、彷徨える魂を救う死神なんだから」

「でも、あの時私が助かる道はそれ以外に無かった。私はハチを取り返すために、死神のまま消滅することよりも”バケモノ”になることを選んだ」

「だからっ! ……頼むからそんなふうに自分で自分を貶めないでくれ。ハチさんだってそんなの喜ばない」


 真っ直ぐ私を見返してそういうキノの言葉に、心の奥がずきりと痛む。


「……解った。もう言わない。それよりも、服ありがとう。あと、さっき言いかけたけど、助けてくれて本当にありがとう」


 そう言って深々と頭を上げる私をみて、キノが照れたように頬を掻いた。


「いや、服は何着もあるから気にしなくていいよ。それよりも、あの時、様子を見に行って本当に良かった。まさか、あんなことになってるなんて予想もしなかったけど」


 落ち着きを取り戻した声でそう言うキノの声を聞きながら、私はあの時のことを思い出す。

 炭化した左半身、犯人あいつに踏みつけられ杭を打たれた右半身、そして、全力解放したはずの青い浄化の焔と、その直後に入れ替わるようにやって来たキノ。

 助かったからと言って、その不自然極まりない状況に目を瞑れるほど私は愚かではない。

 だからこそ、確かめておかなければならないことがある。


「キノ……助けて貰ったのに、こんなことを聞くのはとても失礼だけど、一つだけ聞かせてほしい。あなたは犯人あいつの仲間か? だとしたら目的はなんだ? もし、そうじゃないなら、犯人あいつを見てないのはどうして? あの状況にあのタイミングでキノが来たということが、どうしても信じられない」


 すべての表情を消して立つ私を見て、キノが生唾を飲み込んだのが分かった。

 眠りにつく前までの私であれば、こんなこと聞かずとも相手の目を見れば、その心の内まで察することが出来た。

 だが、現在。私はその力を失ってしまっている。

 それは私の体が”バケモノ”になってしまったせいなのかどうかは分からないが、この際そんなことはどうだっていい。

 大事なのは、キノが敵かそうじゃないかということである。

 

「……あのタイミング?」


 何か引っかかるものを感じたのだろう。キノが怪訝な表情を浮かばせる。


「私が自分もろとも犯人あいつを青い浄化の焔で灰に還そうとしたあと、ほんのわずかな時間でキノは入れ替わるようにしてやって来た。あの時、あの周辺の道路はアスファルトが蒸発するほどの高エネルギーに晒されたはず。普通、そんな所へ飛び込んできて無事なはずはない」


 尚も無表情の私がそう言うと、キノは「そう言うことか」と呟いた。


「あなたは僅かな時間というけど、僕が災害クラスの呪力を感知してからあの祠に到着するまで15分は掛かってる。その間、数人の様子見を決め込んだ術者に会った。ただ、結局現場に向かったのは僕一人だったけどね。そして、僕が現場に着いた時、あの場所には左半身を炭化させたあなたが倒れてただけだった」

「つまり、犯人あいつ幽世封緘結界かくりよふうかんけっかいを突き破った私の青い浄化の焔は、何人もの術者に気付かれてたってこと?」

「そりゃ気付くさ。多分、この街中の術者を始めとしたほとんどの異能力者はあれに気付いたはずだよ。なんなら、僕が途中ですれ違った奴等をここに連れてきたっていい」


 真剣な眼差しのキノに、私は無表情を保ったまま向き合う。

 普通だったら、せっかく助けた相手にこんなこと言われたら腹を立てるところだろう。でも、キノの目に怒りの色は無く、ただ、真っ直ぐにこちらを見返しているだけだった。

 きっと、こんなことが出来るのは意図的に人を騙すことに慣れた人種か、目の前の人間に心から自分の潔白を信じて貰おうとするお人好しくらいのものだ。

 だとしたら、きっと彼は後者。白だろう。

 助けてくれた相手を試すような真似をして悪いとは思うけど、敵が誰なのかもわからないのだ。後々禍根を残さないためにも、疑惑の種は潰しておきたい。

 例えそのせいでキノに愛想をつかされようとも、場合によってはその方がよかったかもしれないのだ。

 なにせ、相手は神をも手玉に取る、狡猾で残忍な奴なのだから……。


 しばらくの間、私とキノ、2人だけの室内が沈黙の中に沈み込んだ。その間に私はある決意を固める。

 これ以上キノを巻き込むわけにはいかない。さっさとこの部屋を出ていこう。だって、彼は本当に私を助けてくれただけなのだから。

 さようなら。それと、ありがとう。

 だけど、私がその言葉を口にするよりも、キノが口を開く方が早かった。


「――よし。僕もハチさんの奪還に協力しよう。それが仲間じゃない何よりの証明になる。それに、もし僕があなたを騙しているんだとしても、近くにいた方が尻尾は掴みやすいはずだろ?」


そう言ってキノはにっと笑い、私に向かって右手を差し出したのだった。

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