花火

泥斜(どろはす) スグ

花火

 私は、昔から絵が好きだった。キャラクターを友達にせがまれてよく描いたが、私自身は絵本の絵などが、漫画よりも好きだった。

そして、いつからだろう。絵本作家になりたいと思った。

今に至るまで、いろいろな話を描いてみたが、人には見せていなかった。なんとなく、自分のものを見せるのはためらわれたからだ。                                   

中学二年の終わりごろ、長い付き合いだったため、友達の夏葉(なつは)に思い切って自分の夢を打ち明けた。この人ならいいか、と思ったからだ。ショートカットの、ニコニコして明るい人だった。

「いや、じつは、その、絵本作家になりたいんだ」

 すると、多少驚きはしたものの、

「…私は漫画家になりたい」

 と、あっさり教えてくれ、更には自分の作品を見せてくれた。

彼女からは、短編をひとつ、とてもきらきらとした綺麗な話だった。発想が独創的な切り口だったが、短いのに不思議と馴染んでいる。終わりは余韻を残していく。ただ、絵はまあ、ともかく、描きたいところ以外が少し適当に思えた。

 正直に話すと、夏葉は目を輝かせて「ありがとう」と言った。

 指摘が的確でうれしい、見せて良かったと。

 それから、たまに互いの家に行って互いの描いたものを見せ合うということを始めた。

夏葉も私の絵本をひとつ見て、コメントするのに慣れていないのか、うんうんと唸りながら口を開いた。

「まず、絵が素敵。色が互いに、ますます綺麗にしてて…。物語も凄く面白い。だけど、物語は多分もっと良いものになれると思う」

具体的にどうすればいいか分からない。ごめん、と言われた。

 何度も見せ合う内に、夏葉はますます絵がうまくなり、元来から持ち合わせていたセンスを磨いていった。

互いに真剣なのは互いによく知っていることだった。

 ただし、集まった時にはゲームもしていたが。

 

それからしばらくのこと。私達は中学三年に上がった。周囲が少しずつではあるが、高校に向けて動いていた。私も塾に入っていたが、どんどんと忙しくなり始めた。これからは、春休みはそれまでの振り返りを、夏は秋に向けての学習を先回りして、秋は最後の仕上げをみっちりと。

 「見せ合い」が減るのは明らかだった。

 互いの家に集まるのも徐々に減っていった。夏葉も塾へ行き始めた。

 同時に、私は絵本に対して行き詰り始めた。

 どんどんと、どう向き合えばいいのか分からなくなっていった。


 夏休みが始まり、まだ誰もがのんびりとすごしている頃。夏葉から不意に、「作ったから土曜日見せるよ」と、メールが来た。

 クラスも分かれた後、夏葉の入塾と同時に夏葉と少し疎遠になっていた。もっとも、言われてみれば会っていないと思う程度のことではあった。

「いやー、勉強したくないね!」

 土曜日、夏葉の部屋で久々に見せ合った時、朗らかに彼女は言った。少し笑顔が疲れているようにも見える。見せてきたのはとても短い話だった。

「物凄くわかる」

と目を通しながら返した。今回は少し暗いものだった。夏葉はしばらくテーブルの飾りを指でいじっていたが、奥歯に物が挟まったように夏は本題を切り出した。

「…高校、井戸高校に行く?」

私達の通学可能な範囲には、遠くではあるが美術系コースのある井戸高校がある。ただし、そこは公立の、ここから遠く離れた高校だった。

 また、美術系の高校は学力試験と実技の両方で判断する。あそこに行くにはそれなりに勉強も必要だ。選抜一にしようとは思うが、落ちた場合が不安だった。

「…うん」

「…そっか」

 夏葉は固く口を閉じて志望校を描いた紙を取り出した。

 水口高校、美術コース。――私立の高校だ。

 私の家には金がなく、夏葉には偏差値が足りない。第一志望を叶えたいなら、二人は同じところにはいけないだろう。考えると酷く嫌な気分になった。

 しばらくゲームで遊んだ後、夏葉を見送りに玄関まで行くと、夏葉は少し扉を開けて、ぽつりと呟いた。

「私は次に長い話描いたら、最後にする。受験勉強にとりかからなきゃ。まあ、受験終わるまでの辛抱だね」

「…うん」

 顔は見えなかったが、こちらに向き直ると、じゃあね、と笑って夏は帰ってしまった。

 ぱたんと閉まった扉の前。密かに、私は固く拳を握りしめた。


 学校から帰って、塾へ足を運んで、残り時間で絵本を描く。

 今まで、別の道も考えたが、それは心の隅に強く根付いていて、どうしてもここに戻ってきていた。関わった時間が長すぎて、絵、物語、絵本を構成する要素諸々がない世界が想像もつかなくなっていた。まったくわからない人には、変な人に見えるかもしれない。けれども私は本気だった。

 夏葉が帰ってから、私は自分の部屋に向かった。机の上に、画用紙と絵の具道具が雑に置いている。今までと少し違う雰囲気の物語だ。

 人にも色んな人がいるように、絵本にも十人十色、色々あると思う。どこも同じだ。

 夏葉は、きっと夢を叶えるだろうなと思う。

 なら私は、

「…よし、やるか」

 今、精一杯やろうと思う。


「ねえ、大丈夫?」

 夏葉の心配そうな声にはっとした。どうやらぼうっとしていたらしい。

 朝から思考が酷く暗い方へ向かってしまう。考える事が多すぎる。

夏葉は私の顔をじっとのぞきこんで、はっと凝視した。

「もしかして、寝てない?」

図星だった。

昨日は、深夜までかかって絵本を描いていた。今回は、風景と、空想が好きな女の子を主軸に、物語を展開する。なので、今回は大きな風景に小さく文をつけたものになった。一瞬の場面を切り取れるように。空の青さから壁のヒビまで綿密に。少しでも何か変だと思うところがあれば、すぐに書き直す。正直、絵を描くのが早いわけではない。

 最終的に、空が少しずつ黒から青に変わり始めたので、諦めて眠りについたのだ。

「大丈夫だよ」

「目の下、明らかに隈があるけど」

「ほんとに大丈夫だから。昨日ちゃんと寝たし」

「本当に?」

「本当に。それよりさ、思いついたんだけど、今度勉強会しようよ。明後日あたり。そろそろキツクなってきたでしょう、勉強」

「うっ」

図星だったらしい。正直、夏葉の成績はよろしくない。授業中話も聞かず、家では基本漫画を描いているので復習は勿論していない。一度、問題を見せたところ、しばらくカエルのような顔で呆けていた。その分、漫画がとても面白いので、それで丁度良い気もするが。

「…塾あるし」

「まあ、やろうよ。ゲームなしで」

 その言葉にいよいよ夏葉は頭を抱えだした。

話すうちに時間を忘れてしまっていたようで、気がつけば自分の家が遠くに見えてきた。家の近くにあるお地蔵さんの前で、夏葉と別れてしまう。それを見て、あ、と夏葉が声を上げた。

「前にあった、『星空万華鏡』って漫画あったでしょ」

「うん」

「あれね、三津谷賞取れるって話題になってたけど、だめだったみたい」

 三津谷賞はトップ、とまではいかないものの、名の知られた賞だ。その候補に『星空万華鏡』は上がり、読んだ時は多分、これが賞を取るだろうと思っていた。まあ、賞の重視する所に沿っていなかった気はしたが。

「…そっか」

 それを聞いて、一瞬、夏葉へ恨みをもった。なぜ、それを今。すぐに冷静さを取り戻したものの、八つ当たりどころか勝手に怒っている自分に、酷く失望した。寝不足のせいに違いない。

「やっぱり、厳しいのかあ」

「いきなり賞取っちゃう人もいるのにね」

 段々と、全てが八方塞がりな気がしてきた。

 お地蔵さんはまだ遠くにある。近くに見えていたのに、思ったよりも遠かった。会話を繋げようと思っただけのはずが、思ったより低い声が出た。

「まあ、夏葉は多分、大人になって応募したら賞だって取れるだろうし?」

しまった。

そう思って、ごめん、と慌てて謝った。当の本人は、そこまで気にしていないらしい。ただ、違和感は感じたようで、ちら、とこちらを見た。

「…さあ。とれるかな」

唇を引き結んで、俯いた。二人共、お地蔵さんを待ちながら暫く沈黙した。

気がつくと地蔵は近くにあったらしい。

何事もなかったかのように夏葉は笑って手を振った。

「じゃあ、勉強会ね!ゲームしたいなんてそっちこそ言うなよ!」

「おー」

 良かった。何も言われなかった事に安堵して、こちらも手を振った。

 季節は秋に入っていった。


 家の中は、しばらく片付けていないせいでひどい有様だった。

宿題を終わらせて、ひさしぶりに部屋を綺麗に片付けると、また作業に没頭し始めた。

ひたすら絵を描いてはいるが、一向に話が進まない。じりじりと描いていると、全体が分からなくなりそうだった。おまけに、段々まぶたが重くなっていく。今日もし徹夜したら、吐きそうだ。もう少しでやめにして、さっさと寝てしまおうと思った。

私にとって、芸術と人生は太い血管で繋がれている。そう誰かが言ったのを思い出した。美大生の言葉だったと思う。私は芸術家ではないが、共感できる言葉だった。

どうしても、優先順位が入れ替わっていって、私にとっては物語が、絵が、一番になった。

クレヨンを使って、絵の具をはじく。この画法は好きだ。夏葉はパソコンを使っていたが、私は絵の具ばかり使っていた。小さなころからこっちを使っていたのだからしょうがない。そもそも、私は水彩画が一番好きだった。小さい頃に、いつだったか水彩画で描かれた絵本を読んだ。死をテーマにした、子供にはあまり受けが良くない気がするものだったが、それがとても綺麗だった。何度も繰り返し読んでいた。それが人生を決めるものとも知らず。

慎重に描いている途中で、しまった、と声を漏らした。知らない間にぼーっとしていたらしい。書く場所が違ったかもしれない。

画用紙をもう一度広げて見渡してみた。やっぱり、違う。どっと冷や汗が出てきた。落ち着け、大した問題じゃない。描き始めたばかりだったし、よくある事だ。いつの間にか終わらす方に気が向いている。

どんどん心が画用紙でなく、部屋の隅に追いやられていく。

修正を試みたが、その時に画用紙の上に手をついたのが間違いだった。

「…あ」

 みるみる内に頭が真っ白になった。いつの間にか手に付いていた絵の具が、画用紙にべちゃりとついていた。

修復不可能だ。書き直すことはできる。しかし、もういやだ。

わーっと叫びたくなりながら、ただ無心で、クレヨンで画用紙を黒く塗りつぶした。

真っ黒く、隙間なく塗りつぶした所で、何をやっているんだろう、とふと冷静になった。こんなことを真面目にやっていたさっきまでの自分はなんなのだろう。しょうもない人間に思えてきた。

他の画用紙はビリビリに破いてしまった。捨ててしまおう。もういらない。

そして、だんだん眠くなり、画用紙を放置したまま倒れるようにして眠り込んでしまった。


次の日に、夏葉と勉強会をした。

私の家のリビングで軽く話しながら腰掛ける。よく覚えていないものの、思ったよりも夏葉は真面目に勉強に取り組んでいた。ゲームがなくても真剣に問題を解いていて、むしろ拍子抜けするほどだった。

私も何か吹っ切れた感覚があり、何時間もたっているのに気づかないほど集中した。

気がつけば夕方になっていた。

夏葉が帰ると、部屋は静かになった。

何をするでもなく、暇を持て余して、どうせ今度出されるであろう宿題の範囲に手を伸ばすべく自室に戻る。その時、ドア付近ではっと硬直した。

あの画用紙はなくなっていた。


しばらく、デッサンの練習と勉強だけをだらだらと澱んだ目で続けていた。何をするにも身が入らず、ぐだぐだと宿題を済ます。ついさっき、玄関を行ってきますと出たのにも関わらず、もうただいまとつぶやいている。それがずっと続いていた。

結局、あの画用紙は母が捨てたのではないかと結論付けた。本人に聞きさえしないものの、それくらいしか思いつかなかったからだ。

それでも恨めしいことに、頭のどこかでまた次の話を考えている。ここをこうしてああして、そしたら面白くなるんじゃないか?

気がつけば、三回目のテストが差し迫っていた。そろそろ教室にも焦りが見え始めた。がやがやと範囲やら宿題やらの話が飛び交っている。夏葉ともしばらくしゃべっていない。昼休憩に廊下から見えたのは、宿題を一生懸命に片付ける夏葉の姿だった。邪魔はしない方がいいだろう。そう思って私からも話しかけなかった。

家に帰って、一応画用紙を広げてみた。やはり、少し抵抗がある。もう、別に絵本じゃなくてもいいんじゃないかと思った。むしろ、私が絵本は家でやるとして、それとは別に就きたいと思う職業、それが夢だった人に失礼じゃないかとさえ考えた。

そんなことを考えていると、カタン、という音がポストからした。

おかしい。今は夕方だが、郵便配達員はさっき来た。チラシか何かを入れたのだろうか。

不思議に思ってポストを開けに行くが、外には誰もいなかった。ポストには丸められた画用紙が一枚入っている。

びし、と全身が固まった。なぜ、これがここに。

これがここにあるということは、母ではない。まして、父でもないはずだ。夏葉か。そうたどり着くと、勝手に持っていくなんて、という思いが膨らんだ。これは私の中で未だに嫌な思い出のままだ。できれば見ないでほしかった。

しかし、そんな思いはすぐさましぼんでいった。

画用紙を広げる。するとそこには、一面の真っ黒ではなく、虹色に輝く沢山の花火が咲いていた。

夜空に咲く満開の打ち上げ花火。線は虹色で彩られて、空の下にはビルやら神社やら山やらが立ち並ぶ。私達の街だ。小さくお地蔵さんも描かれている。見れば誰もが、綺麗だと言うだろう。

おそらくは、黒のクレヨンを、シャーペンか何かで削ったのだろう。これは知っている。確かクレヨンスクラッチという画法だ。

ふと、隅の方に小さくメッセージを発見した。見覚えのある文字だ。漫画のセリフはすべてこの文字だった。

「大丈夫!」

胸の底から、感謝が込み上げてきた。不安や苛立ちが払拭されていく。

私は彼女に何も話していない。彼女は画用紙を見つけただけだ。

ふ、と笑顔がこぼれ、「相変わらずちょっと下手」と呟いた。

それから、できるだけ小さな声で、ありがとう、と言った。

部屋に戻って、画用紙を広げた。次は何にしようか。紙の上では私達は自由で、どこまでもいける。やってやろう。

誰もが引き込まれる、そんな話を。

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花火 泥斜(どろはす) スグ @doro_guruma

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