花里町春宵楼ー②



 赤く光る提灯ちょうちん。賑やかに揺れる空気。鼻を掠めるこう煙管きせるの匂い。

 まるで蝶を誘う花のように、美しく妖しく、人々を誘い入れる。

 そこは隠世の3大花街のひとつ、花里町。立ち並ぶ遊郭はどこも伝統と格式ある店ばかりで、花街の中でも最も敷居が高い場所だと言われている。

 けれど花里町は花街とは言え、遊郭以外はまるで祭りのように様々な店があり、賑やかで、子供から大人まで楽しめる人気歓楽街となっている。

 そしてそこを管理するのが烏間家。今となっては人気歓楽街である花里町も、かつてはその敷居の高さが仇となり、人があまり寄り付かず、賑わいもなく、今よりも治安が悪い街だった。




「すごい…」


 真っ赤な大門をくぐり、花里町に足を踏み入れた紫乃は、その賑やかさに息を漏らす。


「賑やかでしょう」

「はい」


 嬉しそうな顔で辺りをきょろきょろと忙しなく見る紫乃に、灯磨は声をかける。


「この賑やかさは、朔様のおかげなんですよ」


 人混みを歩きながら、灯磨は言う。


「昔はここは、もっと荒んだ場所だったんです。でも朔様が色々と手を尽くしてくれたおかげで、今やこの賑わいなんですよ」


 誇らしそうに言う灯磨。

 たしかに紫乃の想像する花街と、ここは違う。花街だと言うのに、食べ物屋から呉服店、西洋の珍しい物が並ぶ店や花や香を売る店などありとあらゆる店がある。そしてこの夜遅くだと言うのに、未だ賑わいを見せ、子供まで(妖なので子供に見えるだけかもしれないが)楽しそうにしている。


「そうだ。紫乃様、せっかくだから何か食べますか?」


 被せられた布の隙間から、興味深そうにきょろきょろと目を動かす紫乃を見て、灯磨が売っている食べ物を指さして言った。けれど紫乃は、その提案に少し不安げな顔をする。


「食べても、大丈夫なのでしょうか?」


 その質問の意味がよく分からず、灯磨は首を傾げた。


「お金なら持って来てますし、どこの店も美味しいので紫乃様のお口には合うかと。あ、朔様の事ならお気になさらず。こんな事で怒る方ではないので」

「いえ、そうではなく」


 言いづらそうにする紫乃に、灯磨はますます首を傾げる。すると菫が紫乃の思っていることに気付き、可笑しそうに笑った。


「食べても大丈夫ですよ紫乃様。食べたからと言って、死んでしまったり、常世に戻れないなんて事はありませんから」


 可愛らしく、あはは、と笑いながら菫は言う。紫乃は恥ずかしくなり、顔が赤くなった。


「でも…」


 あの世の物を口にすれば、二度と戻れないなんて迷信が頭によぎってしまった紫乃は、心配そうな顔をしたまま菫を見る。


「たしかにそんな話もありますが、ここの食べ物は大丈夫ですよ。ご安心を」


 笑いすぎて目の端に涙が溜まった菫は、手で涙を拭いながら答えた。

 するとその時、安心したのか紫乃のお腹から可愛らしい音が響く。慌ててお腹を押さえる紫乃を見て、菫はますます笑っていた。


「なにか食べたいものはありますか?」


 紫乃は近くの店に目を向ける。それはそれは沢山のものがあり、いい匂いがあちこちから紫乃を誘惑する。その匂いでますます紫乃のお腹の虫は鳴り響き、紫乃の顔は真っ赤になっていた。

 その時、ふと奥の方にある小さな店が目に入る。ふわりと白い湯気がたち、甘い生地の匂いが香る。


「あの店は?」

「さすが紫乃様。いい店を選びますね」


 紫乃が指さした店を見て、灯磨は嬉しそうにしていた。どうやら灯磨も腹ペコのようで、灯磨のお腹からも腹の虫が聞こえてくる。


「あの店は、一つ目と小豆洗いがやっている饅頭屋です。ちょうど蒸し上がりのようですし、行ってみますか」


 店の饅頭の味を思い出しているのか、うっとりした表情で店を見る灯磨。美味しいんですよ、とぼんやり呟く。そんな灯磨を見て、紫乃もその饅頭の味が気になったため、3人は店の前へと近付いた。


「いらっしゃいませ。蒸し立てですよ」


 紫乃は少しギョッとする。


(お目目が、一つしかない)


 愛想良く声をかけてくれた店員は、にっこりと弧を描いた大きな目をしていた。だがその目は一つだけ。キラキラと輝く大きな瞳が、店先にぶら下げられた提灯の明かりを映していた。

 一つ目は灯磨の姿を見て、その大きな目をますます大きくする。


「これはこれは灯磨さんと菫さん」

「どうも」

「今日はお仕事ですか?」

「いえ、今日はお休みなんですが、鞍馬様に用があって来たんです」


 そうでしたか、と一つ目はにっこりとまた笑った。


「そちらの方は初めてですね」

「この方は」


 不思議そうに紫乃を見る一つ目に、灯磨は言葉が詰まる。どうやら灯磨は嘘が苦手なようで、固まってしまった。そんな灯磨を見て、すかさず菫が声を出す。


「この方は鞍馬様のお客人なのです。今日は花里町を案内しているところでして」

「そうでしたか。お美しい方ですな。ぜひうちの饅頭を食べていってください」


 一つ目はまたにっこりと笑うと、蒸し立てのほかほかの饅頭を包みに一つ入れて紫乃に手渡す。手渡された饅頭は包み越しでも、蒸し立ての熱が伝わってきて、甘い香りがふわりと香った。


「お代はけっこうですので。ぜひお食べください」

「え、そういうわけには」

「いいのです。こんなにお美しい方に食べていただけるだけで嬉しいですよ」

「でも」

「もしそれを食べておいしいと思っていただけるのなら、またぜひ饅頭を食べにいらしてくださいな」


 躊躇した紫乃だったが、人の良さそうな顔で笑う一つ目に根負けし、手渡された饅頭に口をつける。蒸し立ての饅頭はかじると中にこもった熱が口内に広がり、ふわりと湯気が立つ。咀嚼すると、もっちりとした生地と甘すぎない小豆の餡がたっぷりと詰まっており、空腹の紫乃の頬をじわりと刺激した。


「美味しい」


 その饅頭の美味しさに、紫乃は目をキラキラと輝かせ、落ちてしまいそうになる頬を押さえた。

 よかった、と一つ目は安心したように言うと、せっせと饅頭を袋に詰めていた。


「灯磨さんは、今日は何個いりますか?」

「そうだなぁ、とりあえず20個ください」


 何気なく言う灯磨に紫乃は驚く。いくら美味しい饅頭だとしても、意外と大きくずっしりとした饅頭だ。それを20個も買うだなんて。


(お土産にでもするのかしら)


 流石に、この細身の灯磨が20個も食べるだなんて考えにくい。紫乃は不思議そうな顔をして一つ目が饅頭を詰めるのを眺めていた。


「20個ですね。今日は控えめですね」

「お客様が一緒なので」


 恥ずかしそうに、頭を掻きながら答える灯磨。


(控えめ?)


 紫乃は聞こえてくる会話が理解できず首を傾げる。


「まさか、お一人で食べるわけじゃないですよね?」

「え?」


 疑問を解決すべく、紫乃は恐る恐る灯磨に聞く。すると灯磨はきょとんとした顔で紫乃を見た。


「もちろん一人で食べますよ。あ、紫乃様もまだ食べますよね!すみません気付かなくて」


 灯磨は慌てて一つ目に、追加で10個入れてください、なんて叫ぶものだから、紫乃は焦って灯磨を止める。


「違います!私はこの一つで十分満足です」

「遠慮しなくても大丈夫ですよ」

「いえいえお腹いっぱいです」

「え!?たった一つでお腹いっぱいなのですか!」


 大量に買う灯磨に驚く紫乃。

 一つでお腹いっぱいな事に驚く灯磨。

 お互いがお互いに驚きあっている横で、菫が呆れたように口を開く。


「灯磨、紫乃様はあんたとは違うのよ。饅頭を何十個も食べるわけないでしょう」

「そっかぁ…」


 呆れて言う菫に、灯磨はしょんぼりしてしまった。

そんな灯磨を見て、いたたまれない気持ちになった紫乃だったが、緊張のせいもあり、どうやってもこれ以上はお腹に饅頭は詰め込めそうにない。

 申し訳ないような顔を浮かべる紫乃に、菫が言う。


「気にしなくても大丈夫ですよ紫乃様。そもそも妖はよく食べますが、灯磨の食べる量は異常ですから」

「そうなんですか?」

「はい。特に甘味となると限界なんてありません」


 紫乃は七星での様子を思い出す。確かに灯磨は甘いものが好きなのだろう。

 一つ目も、いつも灯磨さんには贔屓にしていただいております、と嬉しそうに微笑んでいた。

 注文した饅頭が袋一杯に詰められて、灯磨に手渡される。ずっしりと重そうなその袋を手に持つと、灯磨はさっそく、幸せそうに熱々の饅頭を頬張りだす。


「灯磨さんは甘いものがお好きなのですね」

「はい!僕は食べるのも甘いものも大好きです」


 もごもごと口の中をいっぱいにしながら、ご機嫌そうに嬉しそうな顔で灯磨は言った。

 紫乃はと言うと、灯磨の食べている様子を見るだけで胸いっぱい、いや、お腹いっぱいだった。



「そういえば、みなさん鞍馬様に御用でしたよね」


 一つ目が、蒸し上がった饅頭を奥のスペースに移動しながら声をかける。


「たしか先程、春宵楼しゅんしょうろうの方で何やらあったようですよ」


 何気なく言う一つ目の言葉に、菫は顔が険しくなり、灯磨は饅頭を詰まらせて咳き込んでいた。


「お二人も大変ですな」


 憐れみを込めたような目で、一つ目は灯磨と菫を見ていた。

 菫は険しい顔のまま、何やら悩んでいる様子だった。そして未だ咳き込む灯磨の背中を、拳で殴る。鈍く痛そうな音が響いた。


「よりによって、春宵楼」


 ぼそりと呟いた菫の顔は、まるで、人1人殺してしまいそうなほど険しくなっていた。


「春宵楼って?」


 2人の様子を不審がり、紫乃は思わず菫に聞いた。菫は少し躊躇している様子だったが、渋々口を開く。


「春宵楼は、この花里町で一番の遊郭です。そして、その」


 そこまで言うと、菫は言いづらそうに言葉を詰まらせた。するとその時、咳き込みが落ち着いた、嘘のつけない男から菫が詰まらせた言葉が飛び出る。


「春宵楼は、遊女の芙蓉ふようがいる場所なんですよ。芙蓉は」


 口の軽い、嘘のつけない灯磨の口を、菫は疾風はやての如き速さで塞ぐ。そして再び、灯磨の背中を拳で殴りつける。まるで余計なことを言わせないように。灯磨の口からは、言葉の代わりにうめき声が飛び出ていた。


「紫乃様、今日は夜も更けてきましたし、屋敷で朔様を待ちましょう」

「突然どうしたの?」

「あまり長居すると、厄介な妖に目をつけられるかもしれませんし」


 烏間を探してここまで来たと言うのに、菫は突然帰ることを紫乃に提案する。急いでここから立ち去りたいかのように、その口調はどこか焦っていた。

 横で背中を押さえてうずくまっている灯磨には目も暮れず、菫は紫乃の手を掴み来た道を戻ろうと促す。


 だがその時、菫の行動も虚しく、3人の背後から声をかける人物が現れた。


「おや、菫に灯磨。それと紫乃様まで。こんな所で何をしているのですか?」


 笑みを浮かべる顔は、目が笑っておらず、その口調はどこか怒りを孕んでいるかのようだった。

 恐る恐るその人物を見て、菫と灯磨の顔は一気に引き攣る。

 3人の目の前に現れたのは、怒りが隠しきれていない伊織だった。


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