それは雷鳴の如くー②



 目の前の光景に驚き、動けずにいる紫乃と、腰を抜かし今にも気絶しそうな長谷川の息子。その2人の様子に、烏間はイラついたように息を漏らす。


「朔様…、どうしてここが」

「ハンカチを持たせただろう。匂いを辿った。は人よりも五感が鋭いんだ」


 驚いたように目を見開く紫乃は、胸元にしまったハンカチの存在を思い出した。

すると紫乃のボロボロな姿に気付き、あからさまに烏間の表情は怒りを増していた。


「その男になにをされた」


 紫乃はハッとして、自身の姿を見た。ドレスは破れ肌が露出し、痛めつけられた体は赤くなり、所々血が滲んでいた。

 慌てて紫乃は体を両手で隠す。しかし途端に激痛が走り、紫乃の顔は痛みで歪んだ。


「…大丈夫です」

「大丈夫じゃないだろう」


 烏間はゆっくりと、紫乃に近付く。パキリとガラスの破片が弾ける音が鳴り響き、紫乃はびくりと体を揺らした。

 紫乃の目の前まで近寄ると、烏間の背中にある黒い翼は途端に姿を消し、烏間は着ていた上着を脱ぐ。そして脱いだ上着を紫乃の肩にかけた。紫乃の体には烏間の上着は当然大きく、紫乃の上半身を覆い尽くす。

 かけた上着で、露出した肌を隠すように紫乃の胸の前で合わせると、上着を烏間はきつく握る。まるで込み上げる怒りを抑えているかのように。

 静かな怒りを蓄えたまま、烏間は立ち上がると、それはそれは恐ろしい目で長谷川の息子を睨む。


「俺のものに手を出すなんて、覚悟は出来ているんだろうな」


 その迫力に、直之は真っ青になり、ガタガタと震え出す。


「…ば、化け物。父上が黙ってないぞ!」


 まるで怯える子犬のような姿で吠える直之だが、その姿は可哀想なほど情けない。そんな姿を見て、烏間はふっと笑みをこぼす。


「父上ねぇ」

「…なんだよ」


 烏間は震える直之を、濡羽色の髪の隙間から見下ろし言う。


「残念ながら、お前も父親も、仲良く牢屋行きだ」


 直之は途端に、理解ができないと言う顔をして、言葉を失う。壊れた機械人形のように、パクパクと口を動かすばかりだ。

 するとその時、突然紫乃の後ろの扉が勢いよく開いた。


「紫乃様!!ご無事ですか!!」


 荒れる息を抑えながら、入ってきたのは灯磨だった。

 灯磨は部屋の惨劇と、3人の姿を見ると、色々と察したようで顔を青くする。そしてほぼほぼ涙目になりながら、烏間を睨みつける。


「朔様、なんなんですかこの部屋は!こんなに荒らして。伊織様に怒られるのは僕なんですよ」


 灯磨は我慢の限界と言わんばかりに、烏間に怒りをぶつける。窓は壊れ、荒れまくりの部屋の惨状を見て、烏間が無理矢理部屋に突入したのは言うまでもない。

 怒る灯磨に、烏間は聞いてないふりをしてそっぽを向いていた。大人気おとなげない行動をしている烏間に、灯磨はため息をついた。そしてふと目の前にいた紫乃を見て、灯磨は目を見開く。


「どうしたんですか紫乃様、その怪我」


 心配そうに、慌てて紫乃の前に膝をつく灯磨。痛々しいその怪我を、切なげに灯磨は見つめていた。


「お一人で、よく頑張りましたね」


 柔らかく微笑む灯磨に、紫乃は安堵して、自然と涙がこぼれ落ちる。

 突然泣き出す紫乃におろおろする灯磨だったが、紫乃が涙を拭う瞬間に上げられた腕の隙間から、ボロボロのドレスと露出した肌が見えて、慌慌てて灯磨は赤面し、目を逸らした。


「灯磨、ぼんやりしていないでこいつを連れて行け」


 烏間が不機嫌そうに灯磨に声をかける。そんな烏間に灯磨は少しムッとしたが、怯えて腰を抜かしている長谷川の息子を見てその柔らかだった表情は一気に冷たくなった。

 灯磨は直之に近付き、その胸ぐらを勢いよく掴み引っ張り、ぼそりと呟いた。


「紫乃様に乱暴しておいて、無事で済むと思わないでくださいね」


 普段の灯磨からは想像ができないほど、それはそれは冷酷な表情と声色だった。

 ニコニコとする灯磨しか知らない紫乃は、その表情に少しだけ身震いした。

 灯磨は直之の胸ぐらを掴んだまま、引っ張って立たせると、あっという間に腕を後ろに回させて拘束した。そしてそのまま暴れる気力もなくした様子の直之を連れて、灯磨は部屋を出て行った。

 

 灯磨が出て行った後、静まり返った部屋に気まずい沈黙が流れる。すると烏間は紫乃の目の前まで近付いて来る。パキリと、再びガラスが弾ける音がして、紫乃の肩はびくりと揺れた。


「…俺が恐ろしいか」


 紫乃の前に立つ烏間は、静かに呟く。恐る恐る紫乃は烏間の顔を見上げる。すると、風と共に再び烏間の背中に黒い翼が現れた。


「表の世界を生きる人間は知らないが、この国には8大妖家というものが存在する」


 烏間は、怯えつつも自身に目を向ける紫乃をまっすぐ見ながら話し出した。


「それぞれの家が妖の世界、隠世かくりよの土地を治めながら、表でも何かしらの影響力を持つ家が多い。そしてその全ての家は、代々決まった妖が当主を務め、名を受け継ぐ」

「妖…?」


 ようやく出た声は小さく掠れていたが、紫乃の声に烏間は笑みを浮かべる。


「そうだ。俺は烏間家の当主であり、当代の鞍馬くらま。烏天狗という妖だ」


 この世に妖が存在するだなんて、と紫乃は信じられなかったが、目の前の黒い翼が作り物ではないことくらいわかる。

 紫乃はごくりと息を飲み、動けなくなる。


「そして紫乃」


 突然名前を呼ばれ固まったままの紫乃に、烏間は顔を近付けると、甘く、囁く。


「お前の血は、俺たち妖にとって"特別な血"だ。他の妖が気付けば、お前を喰らおうと必死になるだろう」


 まるで金縛りにでもあったかのように、紫乃はますます固まった。甘くとろけるようなその声色は、紫乃の思考を鈍らせた。それと同時に、まるで獲物を見るかのような、鋭く血に飢えたその瞳は、紫乃の心臓を凍らせる。


「俺は、お前が欲しい。そしてお前が生きるためには、選べる方法は一つだ」


 烏間は紫乃の、赤く腫れ上がる頬を優しく撫でると、顔を遠ざけ、再び見下ろして言った。


「…父親には話をつけさせてもらった。お前は今日から俺の花嫁だ」


 冷たく言い放つ烏間。窓から差し込む月光が烏間を照らし、その翼と瞳が妖しく光る。

 まるで夢のような光景。その光景に紫乃は恐怖で震え、そして納得する。彼は"人"ではないのだと。


「よろしく、花嫁殿」


 妖の花嫁になるだなんてどれほど恐ろしい事か、紫乃には想像もできなかったが、もう逃げ場も、選択肢もないのだと紫乃は悟った。

 冷酷無慈悲と言われる烏間の当主は、人を喰らうと言われる妖だった。

 紫乃は恐怖と後悔で涙が溢れてくる。

 烏間は、泣き出す紫乃の体に手を回し抱き抱える。紫乃は抱えられた衝撃で走る痛みに顔を歪め息を漏らした。


「大丈夫か」


 烏間は面倒そうに、抱えた紫乃に声をかける。

 紫乃は黙って泣いたまま、首をただただ横に振った。


「今更後悔したところで遅い。どっちみち今回の事がなくとも、お前が俺の花嫁になるのは決まっていた事だ」


 涙が溢れて止まらない紫乃を、烏間は下ろすことなく部屋を出た。紫乃は痛みで烏間にしがみつくことしか出来ず、複雑な気持ちのまま泣き続ける。

 その時、ふわりと烏間からハンカチと同じ香りが香る。胸を擽るその香りと、自身を支える、態度とは反対の優しい手つきが紫乃の胸を締め付けた。


 玄関まで向かうと、ずいぶんと騒がしい様子だった。大騒ぎをしていたのは、拘束された長谷川とその息子。なにやら不満そうに喚いていた。


「これはこれは長谷川殿」


 烏間は紫乃を抱えたまま、冷たく口元だけ笑うと、長谷川に話しかける。


「烏間…!よくも!」


 長谷川は憤慨した様子で、目を釣り上げ、悔しそうに顔を歪めていた。


「忠告はしたはずだ」

「何が忠告だ!恐ろしい化け物が!!」


 怒りで我を失っているのか、長谷川は冷たい顔の烏間に、構わず喚き散らす。


「お前さえいなければ、全てうまくいくはずだったんだ」

「長谷川殿。私が言ったことをもうお忘れか」


 烏間は優しく紫乃を下ろすと、近くにいた灯磨と菫へと託し、長谷川へと近付く。そして胸ぐらを掴み、勢いよく引っ張ると、それはそれは冷酷な目で言う。


「八雲の娘に手を出すなと言っただろう」


 長谷川は、ひっ、と声を詰まらせると、すぐにでも気絶してしまいそうなほど目を白黒とさせて震え出す。


「それに貴殿は、少々"おいた"が過ぎる」


 不敵に笑うその顔は、まさに冷酷無慈悲と言えるだろう。大の大人である長谷川は、その顔に恐れ慄き、ガクガクと震えたまま何も話さなくなってしまった。


「連れてけ」


 烏間がそう声をかけると、灯磨が素早く動き、動けなくなった2人を無理矢理引きずって外へと出て行った。


「紫乃様、こんなにお怪我をされて」


 紫乃を支える菫が、今にも泣き出しそうな顔で、痛々しい姿の紫乃を見る。


「ご無事でよかったです」


 涙が浮かぶその目で、菫は心底安心したような表情を浮かべた、紫乃の手を握った。

 紫乃はその温かさにようやく安堵し、力が抜けて、その場にへたれ込んだ。


「屋敷に戻るぞ。紫乃も連れて行く」


 心配そうに紫乃に声をかける菫と、力が入らないままの紫乃に、烏間は冷たく声をかけた。すると、柔らかい菫の表情はあっという間に鬼のように恐ろしい形相に変わった。


「朔様!言わせていただきますが、少し勝手をしすぎではありませんか。屋敷に突然連れて行くだなんて。紫乃様のお気持ちも少しは考えて差し上げてください。」

「紫乃は花嫁だ。何がおかしい」


 その言葉を聞いて、菫は驚いたように目を丸くした。


「…この状況で、紫乃様に婚約のお話をされたのですか?」


 菫は信じられないと言わんばかりに、わなわなと震えていた。そんな菫から目を逸らし、烏間はそっぽを向いている。


「何を考えてらっしゃるのですか!!紫乃様があんまりにもお可哀想です!!」


 小さな体で、菫は全身から怒りを溢れ出させていた。すると烏間は菫をぎろりと鋭い目つきで睨む。


「菫、お前はいつから俺にそんな態度をとれるようになったんだ?」


 まるで刃のように、一瞬で張り詰める空気。けれど、菫の怒りはそれどころではないようだった。


「そんな事はあとでいくらでもお叱りをうけます!!とにかく、この状態で屋敷になんてお連れできません。一度八雲家へ送らせていただきます」


 顔を真っ赤にして烏間に抗議する菫。そんな菫に烏間はしばらく渋い顔をしていたが、少しして、一つ大きくため息を吐く。


「…わかった。好きにしろ」


 面倒そうに表情を歪める烏間に、菫は勝ち誇ったような顔をすると、紫乃に笑いかけ言った。


「紫乃様、今日はお辛い思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。このままお家まで送りますので、今夜はゆっくり休んでください」


 痛みと疲れで頭が回らないことと、菫が主人に怒ってくれたことで、紫乃は菫の言葉に素直に頷いた。


 とてつもなく長く感じた長谷川邸での時間は、実際には大して経過してはいないのだろう。

 瞬く星はまだ空高く、月は変わらず妖しく紫乃たちを照らす。溶けてしまいそうな暗闇が、今夜だけは痛みも、傷も、この姿も、嫌な思い出も、全てを隠してくれるような気がした。

 紫乃は菫達に連れられ、忌まわしき長谷川邸を後にして、父の待つ家へと向かった。

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