第6話 開花
初めて人に頭を下げた。
普段のカイトスには考えられない行動だった。
そんな事をしても許されるわけでもないが、ただ棒立ちになってる訳にはいかなかったのだ。
カイトスはもう、子供でもなければ、操り人形でもないのだから。
「だから、あなたの夫が亡くなったのは俺の責任なんです。先日は顔も合わせようとせずに申し訳ありませんでした」
エバンの母親であり、イルバの妻であるミーザは、告げられた言葉に蒼白になった。
何を言われてもおかしくない状況に、カイトスはひたすら頭を下げる事しかできない。
ミーザはしばし沈黙し、震える声で答えた。
「そうでしたか。あの人は……イルバはあなたを庇って討たれたのね」
カイトスは重々しく頷いた。
「よかった」
「……は?」
思わず間抜けな声が漏れる。
顔を上げると、涙を浮かべたミーザと目があった。
「夫を知ってる人がいて、よかった。あの人の生きた証がちゃんとここで生きてる」
そう言ってミーザはカイトスの手を取った。
「夫はあなたを守りたかったのね。お願い……せっかく夫が守った命だもの。その命を大切にして……」
「──はい」
今度はミーザをまっすぐ見据えて頷く。
「話をしてくれて、ありがとう。さぞ辛かったでしょうに」
細い指が、カイトスの大きな手のひらを優しく包み込む。今はここにいないイルバを思い返しているのだろうか。
「そうだわ。夫に会いに行ってあげて。きっととっても喜ぶわ」
「……ぜひ」
ミーザは微笑んでいた。
この一家はどんな時にでも笑顔を忘れない。
イルバが築いた家庭だ。いつだって温かなものが溢れていたのだろう。
墓石の場所を教えてもらったカイトスは、一人で歩き出した。
己の命を守り、支えてくれた恩人に、今度こそ少しでも恩返しをするために。
辺りが木々で囲われた静かな墓地に、カイトスは一人訪れた。
その墓石は小さく質素だった。
片膝をつき、すぐ近くで買った花を添える。
よく考えれば、当時のイルバより年上になってしまっていた。
それほどの時がかかって、ようやくイルバと向き合える事ができたのだ。
「……悪かった。こんなに時間がかかって」
まずは素直に謝罪した。本当に本人を目の前にしては言えなかったかもしれない。
「あんたの家族に会った。息子も……エバンもあんたにそっくりだ。ちゃっかり
最後まで家族の心配をしていたイルバに、そう伝える。
「心配しなくとも、あいつなら母親を支えていけるだろう」
それからぽつぽつと今までの成り行きを話した。
兵を辞めた事、傭兵を始めた事、女神に出会った事。そしてエバンたちに会った事。
口を開くと止まらなかった。
一通り話し終えると、咳払いをして姿勢を改める。
「そういえばあんた、俺の笑顔が見たいとか言ってたよな……」
今でも思い出す最期の言葉。
ずっとカイトスの中にあった言葉だ。
はっきり言うと、どうやったら笑顔になれるのかわかっていない。
それでも固まった自分の顔に悪戦苦闘しながら、それらしい表情を作ってみせる。
「笑顔」に見えるだろうか。ちゃんと笑えているだろうか。
ここに本人がいたら──込み上がる思いを押し込んで、なんとか言葉を紡ぎ出した。
「これで満足か……?」
逆に笑われてしまうかもしれない。
こんな涙でぐしゃぐしゃになった顔で、引きつった笑顔を作って。
それでも、その笑い声をもう一度聞きたかった。
少年のような輝きを忘れない瞳を見つめたかった。
まるで返事をするかのように、風が木々の葉を揺らしていった──
翌日になって、カイトスはエンクロウへ旅立った。
何をすべきかはわからないが、とにかく改めて故郷に行かなければいけない。そんな気がしていた。
ふと、以前訪れた時に出会った女性の事を思い出す。孤児院出身だと言っていた事も。
もしかしたら、と考えがよぎり、まずはその女性を探してみる事に決めた。
花の香りが漂う街、エンクロウ。
エバンらに見送られながら、カイトスは帰り道を歩き始めた。
*
晩夏のエンクロウは、春とはまた違った花たちがあらゆる場所に咲き乱れていた。
数年前に出会った女性の手がかりは当然ない。
それでも会わなければならない、と半ば使命感のようなものを感じ、まずは孤児院跡地へ足を向けてみる。
かつて暮らした孤児院は更地となっているのは変わらない。しかし人影は見当たらなかった。
次に向かったのは中央地区。よくデボラや他の職員が、主に女子と連れ立って買い出しに出ていた地区だ。
たくさんの店が立ち並ぶ景観に目が回りそうになる。さらに人出も多い。
こんなところを歩き回っていても目的の人物を探す事は叶わない。そもそも、人の顔を見るのが苦手なカイトスだ。早々に静かな住宅区へ逃げるように足を向けた。
中央地区とは違い、心地よい静寂が感じられる通りに出て、カイトスはようやく一息ついた。
辺りはすっかり夕暮れ時で、建物は赤く染まりつつある。人々も出歩いていない。
一体自分は何をしているのだろうか。
何のためにここへ帰ってきたのか。
自分は、どうしたいのか──
思考に潜りつつ歩みを進めていたカイトスの足が、ふと止まる。
視界に入ってきたのは小さな看板が付いている個人店だ。店舗を兼ねた住宅だろう。
「……デネブ」
近所の住民に親しまれていそうな、ひっそりと佇む店“デネブ”──その名前にカイトスの意識が引っかかった。
その時、中央地区の方から人が歩いてくる気配がした。
いや、気配は人だけではなく──
「あっ、こら!アル!」
声のした方へ顔を向けると、目前に巨大な毛むくじゃらの物体が迫ってきていた。
「な……っ!?」
突然の事に声も出せず、身動きもできないまま毛玉に押し倒される。さらに顔中をざらついた生暖かいものが這いずり回った。
その感触に遠い昔のおぞましい記憶が蘇り、背筋が凍る。
「こら、だめでしょ!」
先程の声と共に毛むくじゃらの生き物が引き離される。
ようやく半身を起こしたカイトスは、毛の長い生物を抑え込んでいる茶髪の女性に目を見張った。
巨大な毛玉──どうやら大型犬のようだ──は舌を出し、尾を振りながらどこにあるかわからない瞳でカイトスを見つめている。
今にも飛び出しかねないその犬を落ち着かせようとしている女性の首筋には目立つほくろがある。
「ごめんなさい、突然。この子、人が大好きで……走り出すと手に負えないんです。……あ」
苦笑しながら言う女性もまた、カイトスの顔を見て目を丸くした。
「あんたは……」
「あなた──」
二人の言葉が重なり、同時に口籠もる。
しばしの沈黙の後、先に口を開いたのは女性の方だった。
「……あの、間違っていたらごめんなさい。あなたは──カイトスよね?」
やはりだ。
確信を得て静かに深呼吸をすると、カイトスは立ち上がった。
「前にも、来てたわよね?ほら……そう、孤児院の跡地のあたりで」
「ああ」
「やっぱり、カイトスなのね」
女性の顔に複雑な表情が浮かぶ。
喜び、憂い、
「私の事、覚えてる?」
「すまない……名前までは……」
「ふふ、そうよね。無理もないわ。だって私たち、喋った事すらなかったもの。……私はシャマリーよ」
「ああ……」
確かに聞き覚えがあった。いつも手作りの人形を持っていて、大きなほくろをからかわれるとデボラに泣きついていた少女。
孤児たちの中になかなか混ざっていけない二人は、会話をした事はないものの、どこか同胞意識があった。
「こんな所で会うなんてね。今何をしてるの?仕事で来たの?」
「あんたに、会いに来たんだ」
ぽつりと、しかしはっきりと言葉にすると、シャマリーは再び橙色の瞳を見張った。
店は本日休業だったため、案内されたのは住宅側の入り口だ。
アルと名付けられた長い毛の大型犬は外の犬小屋に繋がれ、カイトスは気付かれないようそっと息をついた。
居間の机に向かい合って座り、カイトスとシャマリーはお互いのこれまでの事を語り合った。
否、カイトスが会話をするのが苦手なため、語るのはもっぱらシャマリーの方になる。
「私はなかなか引き取り手が現れなくて、ある程度成長してからは先生の手伝いをするようになったの」
シャマリーが言うところ、孤児院は次第に経営困難になっていき、他の職員を解雇してデボラとシャマリーが細々と続けていたらしい。
やがてデボラは倒れ、シャマリーは孤児たちの行き先を必死に探した。その奮闘あってデボラが力尽きる前に残る孤児はいなくなったそうだ。
それからシャマリーは職場を探し、転々としながら良い人に巡り会って結婚をした。しかしそれも長く続かず、結局は一年も経たないうちに別れてしまったという。
「カイトスはいるの?そういう人」
「いや、俺は……考えた事もなかった」
そもそもつい最近まで中身のない傀儡として利用されていたのだ。そんな事に心を割ける余裕はなかった。
傷心のシャマリーだったが、ここで運命に出会う。
花の街であるエンクロウの名産の一つ──蜂蜜に手を出したのだ。
「最初はなかなかうまくいかなかったわ。この街じゃありがちな商品だし。でも周りの人たちの協力もあって、店を出すまでにこぎつけたの。小さいけど、近所のみなさんにそれなりに人気なのよ」
「それは……なんとなくわかる」
「そう?」
真面目に返したのが意外だったのか、シャマリーは少し恥ずかしげに微笑んだ。
幼い頃と比べると別人のように明るく朗らかな女性へと成長したシャマリーだが、そうして微笑を浮かべる姿ははやり面影がある。
変化したシャマリーに対して自分は何も変わらないな、とカイトスは密かに嘆息した。
「ところでこの店の名前は……」
「あっ、気付いた?意外……カイトスがそういうの覚えてるとは思わなかったわ」
「ひどい言われようだな。……とはいえ、何の事だかわからないんだが。何か意味があるのか?」
「なんだ、覚えてた訳じゃないのね」
くすくすと笑うシャマリーに今度はカイトスが羞恥心を感じる羽目になった。
「デネブのしっぽ」
脈絡なく言ったように思えるその言葉に、なんとなく懐かしさを感じる。
「私、あの絵本好きだったのよ。しっぽの羽が少なくてからかわれてた
「ああ、それで……」
聞き覚えがある題名と、看板に描かれていた青色の羽に納得する。
それはデボラが読み聞かせしていた絵本の一つだ。
「欠点をからかわれて悲しんでいたけど、それを笑ったり呆れたりしない人だっている。そんな事を学んだ物語でもあるわ」
遠い目をしながら、大きなほくろのある首筋を片手で隠すように当てるシャマリーが言う。それは少女の頃からの癖だった。
カイトスは何故か、初めてイルバとまともに会話した風呂場でのやり取りを思い出していた。
──俺はなんのためにおまえの背中の話を誰かにしなきゃならないんだ?
──人にも色々あるさ。突っ込んだりほじくったりするもんじゃねぇだろ。
「確かに、そうだな……」
ふ、と息がもれた。
その表情にシャマリーは目を瞬かせる。
「あなたが笑ったの、初めて見たわ……」
「……笑ってたか?」
「笑ってたわよ」
翌日、カイトスとシャマリーは連れ立ってデボラの墓参りのため、墓地に足を伸ばした。
あの後も不思議と話が弾み、結局夕飯をご馳走になり、あろう事か一泊させてもらったのだ。
どこか懐かしさを感じる手料理にカイトスがその事を伝えると、「料理はデボラ先生に教わったのよ」と嬉しそうにシャマリーが笑った。
聞いてばかりではなく、カイトスも孤児院を出てからの事を話した。その流れでデボラの墓参りに行こう、という話になったのだ。
今日はシャマリーの愛犬アルはお留守番で、内心ほっとしたカイトスであった。
「先生、カイトスが来てくれたわよ」
デボラの眠る墓石は、他のものと比べて小さく質素な造りだが、手入れが行き届いていてこざっぱりとしている。
シャマリーの庭で取ってきた花を供え、二人で手を合わせた。
「先生……ずいぶん遅くなったけど、帰ってきた」
カイトスは墓石の前にしゃがみ込み、
「俺を、育ててくれてありがとう。生きてる間に言えなくて……ごめんなさい」
それは子供のような言葉だった。親愛なる恩師──母に、息子として伝えた言葉。
静かな墓地には他に誰もいない。シャマリーはカイトスが想いを伝え切るまで何も言わないでいてくれた。
やがてカイトスが立ち上がると、シャマリーはようやく口を開いた。
「カイトスはこれからどうするの?」
「ここで、仕事を探そうと思う」
「カイトスができそうな仕事……力があるなら街の警護団とかいいかもしれないわね」
エンクロウの警護団とは、街の周囲を警戒し、魔物から守る集団の事である。腕に自信のあるカイトスにはうってつけだ。
「そうか。さっそく聞きに行ってみるか」
「参考になれば嬉しいわ」
しばしの間の後、シャマリーはカイトスを正面から見つめた。空気が変わった事に気付いたカイトスも相手の瞳を見つめ返す。まるで昨日再会した時の景色のような、夕日色の瞳を。
「ねぇ、カイトス」
「……?」
「いつでも、帰ってきていいからね」
柔らかく微笑むシャマリーが、最後に見た恩師の姿と重なる。
あの時自分はどうしただろうか。
なんて事はない。何も言わなかったのだ。
それが今生の別になるとも知らず。
だったら、どうするか。
今のカイトスなら──
「ああ」
静かに頷いて、その言葉に応える。
小さな花が開いたような、わずかな微笑を浮かべて、カイトスは感謝を伝えたのだった。
《完》
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