番外編 薫風の便り

 その手紙が届いたのは、偽女神騒動から半年以上が経った春の事だった。


「エバン。おかえりなさい」


 近頃では村の周りを大人たちに混じって魔物から守っているエバンが家に帰って来るなり、リンディが駆け寄ってきた。

 手にしていたのは白い封筒。差出人はエンクロウのカイトスとなっている。


「これ、カイトスから!?」

「ええ。一緒に読もうと思って待ってたの」


 あの旅の後、ゼノとはたまに会う事はあったが、アルタイル隊へ入隊し、まだ見習いではあるが砦で過ごすようになってからは時折り手紙はもらっている。

 リヴァウェイのロイルとレウナからも手紙が届く事もある。連名になっているが、実質書いているのはロイルだろう。

 兄のフリックが本腰を入れて当主になるためにドルーウェン家に帰って来てる事や、それに伴ってレウナを自身の妻として迎え入れるために奔走している事などが綴られていた。

 身分の差があるものの、周りには納得してもらう。レウナ本人だって気持ちはあるだろうから何としても承諾してもらう。などと堂々とした内容であった。


 そんな中での初めてのカイトスからの手紙である。エバンは浮ついた心を隠そうともせず、足早にリンディと居間の卓についた。


「カイトス、エンクロウで仕事してるんだな」


 連絡が遅れていた事の謝罪から始まり、ざっくりと書かれていたのは、別れてから今現在までの事柄。端的な文章は報告書か何かのようで思わず苦笑してしまう。


「そろそろ春の花が咲き乱れるエンクロウの一番美しい季節だ。機会ががあれば訪れてほしい──だってさ」

「それは見てみたいわね……。どうするの、エバン」


 悩む必要もなかった。向こうからそう言ってくれるのであれば遠慮なく会いに行こう。旅の間に聞けなかった話もしたい。

 ようやく得た機会だ、とエバンはさっそく返事を書いて計画を立てる事にした。




 オリトン国の最も西に位置するエンクロウへは、北に連なる山を迂回するような街道を通って道なりに進むと辿り着く。

 例外的に、人の手がほとんど入っていない山道を通っても行けなくはないが、魔物に対抗できる力がなければ自殺行為だ。多少街道よりはやく着くとはいえ、滅多にそんな無謀をする者はいない。

 今回のエバンとリンディも同じで、安全な街道を行く方を選んだ。初めて行く土地だけに、迷子になっては話にならない。道中すれ違う人々に時折り道を尋ねながら足を進めた。

 そうして二人は色とりどりの花たちが迎え入れてくれるエンクロウへ到着したのであった。


 住宅街を進むと個人店“デネブ”はすぐ見つかった。青い羽が描かれた小さな看板という特徴も手紙の通りだ。

 入り口のすぐ側には花壇があり、清潔感のある服装に緑色のエプロンを付けた男性が水やりをしている。

 エバンは従業員の一人だと思い、深呼吸を一つしてから話しかけた。


「あの、すみません。この店にカイトスって人がいると思うんですけど──」

「よく来たな」

「……は」


 振り返りこちらを見つめるのは、日が昇り始めた空のような薄い水色の瞳。


「カ、カイトス……!?」


 かつての傭兵──あるいは兵士──否、仲間がそこに立っていた。

 以前より短く切り揃えられた黒髪や爽やかな服装に違和感があるものの、カイトス本人に間違いなかった。


「お久しぶりです。カイトスさん」


 衝撃から先に立ち直ったのはリンディの方だ。

 固まっているエバンに代わって問いかけた。


「えっと、何をしているんですか?」

「見ての通り、花の水やりだ」


 見たまんまの答えが返ってきた。

 会話を続けようと二人が逡巡していると、不意に女性の声がかかった。


「あら、お客様?」


 背後から現れたのは大型犬を連れた女性だった。茶髪をまとめ、夕日色の瞳をしばたかせた女性は、大きめなほくろのある小首を傾げている。


「この前話していたエバンとリンディだ」

「まぁ、よく来てくれたわねぇ……!」


 カイトスの答えに女性の表情が、ぱっと華やぐ。


「世話になってるこの店の店主のシャマリーだ」

「はじめまして、シャマリーさん。リンディ・ラミラと申します」

「は、はじめまして。エバンです」

「こちらこそ、はじめまして。会えて嬉しいわ」


 簡単にカイトスが紹介をし、二人は軽く会釈した。その様子にシャマリーも微笑みながら挨拶を返した。


「あの、この子……触っても大丈夫ですか?」

「えぇ、もちろんよ。アルっていうの。人懐っこい子よ」


 エバンが気になったのはシャマリーが連れていた毛の長い大型犬だ。

 おそるおそる近づいてしゃがみ込んで視線を合わせる。そっと頭を撫でてやると嬉しそうに尾を振った。


「わぁ……でっかいわんこだなぁ〜!」


 しゃがんだエバンより大きく見える犬だが、大人しい気性のおかげでちっとも恐ろしくない。

 長い毛をかきわけるとつぶらな黒瞳と目が合った。


「へへっ」


 アルに頬を舐められて、エバンはくすぐったそうに身をよじる。


「ふふ。エバンと仲良くしたいみたいね」


 そんなエバンを見ていたリンディが微笑む。

 つられたのか、シャマリーは思い出し笑いを堪えながら、密かに距離を取ろうとしているカイトスを横目で見た。


「この人、小さい頃に野良犬に追いかけられて今でも犬が恐いのよ」

「……へ!?」

「余計な事を言うな!それに恐い訳じゃない、視界に入れたくないだけだ」


 意外な事実と、珍しく感情を露わにするカイトスにエバンは仰天した。

 怒っているような言葉でも、恥じらっているような声音だ。今まで見た事のない表情に、相手への親愛を感じる。

 シャマリーとの暮らしでカイトスにも良い変化が起きたのだ、と不思議な感慨にふけったエバンであった。




 店の入り口とは別の玄関からシャマリーの家へ招き入れられたエバンとリンディは、居間の机について花の香りのする紅茶をご馳走になった。

 さらにお手製の蜂蜜がかけられた焼き菓子まで頂いた。長距離移動の疲れが吹き飛ぶような美味しさに二人は至福のため息をついた。


「あの子は三年くらい前に拾ったのよ。まだ仔犬でね、あんなに大きくなるとは思ってなくて」


 シャマリーが語るのは愛犬アルとの出会い。

 住宅街で彷徨っていたのを保護したそうだ。飼い主や引き取り手を探したものの、うまく見つからず、そうしているうちに手放しがたくなって結局看板犬になったという訳だ。


「体が大きいから最初は驚かれるけど、とっても優しい子なのよ」

「わかります。すごく暖かい目をしてた……」


 今は外の犬小屋にいるアルの長い毛に隠れていた黒瞳を思い出してエバンが深く頷く。


「ところでカイトスは、どうしてこのお店の手伝いを……?」

「私とカイトスは同じ孤児院の出身でね。前に偶然再会したの覚えてたみたいで、私のところに来てくれたの。それから街の警護団に入る事を勧めたって訳よ」

「そうだったんですか」


 くすくすと笑いながら渋い顔をするカイトスを見てシャマリーは続ける。


「いつでも帰ってきていいから、とは言ったけど、まさか言ったその日に戻って来るとは思わなかったわ」

「すぐに寝泊まりできる場所が見つからなかったから仕方がないだろう……!」

「わかってる。でも私を頼ってくれて嬉しかった」


 カイトスはますます渋い顔になったが、ほんのり頬が赤みがかってるように見えた。


「いつの間にか居着いちゃったもんだから、時々店番や花の世話を手伝ってもらってるの。とても助かってるわ。アルの散歩だけはしてくれないけど」

「その話はもういいだろう。買い物にでも行ってきたらどうだ」


 ぶっきらぼうな言い方に再びシャマリーが苦笑する。


「そういう訳だから、行きましょうか。エンクロウを案内するわ」

「あっ、あの、俺……」


 慌てて椅子から立ち上がったエバンの様子に、リンディも静かに立ち上がる。


「ありがとうございます。見てみたかったので嬉しいです。……エバン。私、行ってくるわね」

「リンディ……」

「お話ししたい事、あるんでしょう?」


 そう言ってカイトスの方へ一瞬視線を向ける。

 心を読む力を失っても相変わらず察しのいい幼なじみである。


「ありがとう。楽しんできて、リンディ」


 そしてシャマリーとリンディはエンクロウの中心街へと出かけて行った。

 部屋に残るのはカイトスとエバンの二人。


「えっと……」


 どう話を切り出すべきか、エバンは躊躇いながらカイトスの様子をうかがった。

 父の話を聞きたいものの、いざとなると言葉が出てこない。


「あっ、そうだ。ゼノはアルタイルに入隊したんだ。ロイルはレウナと結婚するために頑張ってる」

「……」

「俺も魔物から村を守るために大人の人たちに混ざって戦ってる。リンディは母さんの宿を手伝っててくれてさ……」

「……」


 簡単に近況を伝えてみたものの、結局会話にすらならなかった。


「……カイトス」

「先程思ったが、以前より身長が伸びたか?」

「え?た、多分……」

「イルバは……おまえの父は今の俺より長身だった。まだまだ伸びるだろう」


 エバンは瞳を見張った。どうやらカイトスもイルバの話をしようと思ってくれていたらしい。

 沈黙はエバンと同じように切り出すきっかけを考えていたのかも知れない。


「父さんって……どんな人だった?その、兵士として働いてる時って」

「……子供なのか、大人なのか、よくわからないやつだったな」

「え?」


 カイトスは考え込むように顎をさすり、眉間にシワを寄せて言葉を搾り出した。


「人の気まずい部分を見ても触れないでいてくれる癖に、弱みを見つけると人に言い回ってからかったりする」

「えっと……」

「いつも笑っていた。妻と息子の話をよくされた。若い兵士に危機が迫ると身を挺して庇うような──そういう、奴だ」


 いつしかカイトスの視線はどこか遠くを見つめていた。その瞳には、今となっては自分の方が歳上になってしまった在りし日の兵士の姿が映っているのかもしれない。


「そっか……。カイトスはどんな兵士だった?」

「俺の話も聞くのか」

「だって、こんな機会なかなかないし……」

「……」


 長いため息の後、目を伏せたカイトスに、さすがに傲慢すぎたかとエバンは反省した。


「そんなにおもしろい話でもないぞ」


 しかし、カイトスはそう言って顔を上げた。若干気恥ずかしそうにしている。

 エバンの緑色の瞳が輝いた。




「……シャマリーさんは、カイトスさんと結婚するんですか?」

「えぇ!?」

「とてもお似合いだと思ったんですけど……」


 さまざまな店が立ち並ぶ中央地区。

 お土産や今晩の献立を相談しながらシャマリーと連れ立って歩いていたリンディが突然問いかけたのだ。

 不意打ちのような発言にしどろもどろになるも、シャマリーは笑って首を振った。


「私たちはそういうのじゃないわ。腐れ縁……のようなものかしら」

「そうですか」

「それに……私、一度結婚に失敗してるの。だからあんまり積極的になれないっていうか……考える事もないわ」


 苦笑するシャマリーにリンディは軽率な発言を詫びた。


「気にしないで。……多分だけど、あの人も似たような感じだと思うの。人との距離感がわからないって言えばいいかしら。手紙を書くのだって初めてだから私に聞きに来たぐらいよ」

「カイトスさんが…?」


 半信半疑にリンディは瞳を見開いた。ここへ来てからカイトスの意外な一面を知るばかりである。

 幼なじみと自分にとっての恩人は、シャマリーにとっては、手間のかかる弟か息子のような存在なのかもしれない。


「だから、今はただ、なんとなく一緒にいるだけ。いつかはそれぞれの生活へ分かれていくかもしれないし──どうなるかはその時にならないとわからないわね」


 それから買い物を再開した二人は、その話題を避けるようにお互いの昔話に花を咲かせた。




 個人店“デネブ”を兼ねた住宅へ戻ると、シャマリーは二人に夕食を食べていってほしいと提案した。カイトスも勧めてくれた事もあり、二人は再びご馳走になった。

 特に季節の野菜をふんだんに使ったスープは、陽が沈むと冷え込む春の夜にはぴったりだった。

 そう二人でシャマリーの料理を絶賛すると、何故か隣でカイトスがわずかに口角を上げて自慢げな顔をしていたのである。


 夕飯の後は取っていた宿で休む事になった。

 明日には帰らなければならないし、カイトスも翌日は仕事のため、なるべく会話をしてきたつもりだ。

 むしろ旅をしていた頃より喋った気さえする。


「いっぱい話せたなぁ……。来てよかった」

「エバンが満足できたなら嬉しいわ。私もシャマリーさんと買い物できて楽しかった」

「また今度遊びに来れたら、観光もしたいな」

「えぇ。また一緒に来ましょ。とてもすてきな風景だったから」


 春の花が咲き乱れる街中を思い出してリンディがうっとりと言う。

 それから小さく深呼吸をした。表情が変わったリンディに気付いてエバンも姿勢を正す。


「あのね」


 続く言葉に勇気が要るのか、口籠もるリンディに頷いて静かに待った。


「カイトスさんを見て、私もいつかルマイトに行かなきゃって思ったの」

「えっ……」


 突然話題に上がったルマイトは、リンディの故郷である。心を読む力を封じるためにラミラ家を出て、力を失った今でも連絡しないでいたのだ。


「エンクロウに戻ったカイトスさんは、旅をしてた頃より生き生きして見えるわ。表情だって、少しかもしれないけど明るくなってて」

「うん」

「逃げたままにしないで、今を生きていくために過去に向き合うの。そうしたらもっと堂々と歩いていけるんじゃないか、って。力の有無は関係ない。私の生きる場所はもう心に決めてるから」


 そう言ってエバンの瞳をひた、と見つめる。

 真摯な眼差しを見つめ返しながら、リンディの決意と同じように、エバンもまた強い想いがある事を伝えた。


「……俺も行くよ。リンディを守るって決めたんだ。ちゃんとそれを伝えないと」


 今度はリンディが目を見張った。

 エバンも自身の発言に気付き、遅れて体が熱くなってくる。


「あっ、いや、違……っ、わないけど、その……本当の事だから」

「……うん。ありがとう、エバン」


 そうして微笑むリンディは、この街のどの花より美しく愛おしいものだ、としみじみ思う。


「やっぱり俺、リンディの事が──」


 いつか言えずにいた言葉は自然と口からこぼれた。

 この先も、大切な幼なじみ──大切な人と共に歩んでいこう、とエバンは改めて胸に誓ったのだった。




《完》

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