第4話 固く閉じた蕾

 ‪ようやく終戦に至った戦いは、被害がないとは言えなかったが、しばらくは隣国との衝突もなくなるようだった。‬

 ‪宴で賑わうデーメーテールの宿の一室。数人のアルタイル隊員が小声で話していた。‬


「あいつはまだ十七歳だ。親しい人が目の前で亡くなったなんて……精神的にきつすぎるだろ」

 ‬

 ‪寝室から一度も出てこないカイトスを心配してハンクが言う。‬

 声をかけても返事をしないし、食事だってまともに取れていない。


「だが遺体を運ぶ時には連れて行ったほうがいいだろう」‬

「それにこれもな」‬


 ‪同僚の兵士が指差したのは金色の剣だった。形見となってしまったイルバの神器だ。‬


「あいつも妻子を残して辛いだろうに…」‬


 ‪訃報を家族に知らせに行く事を考えて、ハンクは責任の重さにため息をついた。‬

 ‪同じ小隊の面々は、各々の頷き、一向に開かない扉を静かに見守る事しかできなかった。‬




 *




 ‪数日間続いた勝利の宴も終息へ向かう頃、アルタイル隊は地元へ凱旋する事になった。‬

 ‪その時になってカイトスはようやく自ら仲間たちの前に姿を現した。

 ‪しかし、何故か大鷲の横顔が施された制服を脱ぎ、私服に着替えている。

 ‬

「カイトス。行くぞ、イズールドへ」‬


 ‪カイトスは答えない。それでもハンクは構わず続けた。


「イルバの遺族にこれを届けなきゃならないしな」‬


 ‪今は鞘に収められた黄金に輝く剣を持ち上げてカイトスに見せる。‬


「……できない」‬

‪「何?」‬

「俺にはできない」‬


 ‪なんとか聞き取れるほどの小さな声だった。‬

 ‪そして自身に与えられていた兵士の剣を机の上へ置く。


‪「あんたが行ってくれ。俺は隊を辞める」‬

「何だと!?」‬


 ‪思わず身を乗り出すハンクだったが、カイトスは全く動じずに部屋を出ようとする。‬


「自分のせいだとでも思ってるのか……!?」‬


 ‪カイトスは一度だけ立ち止まった。‬


「おまえのせいじゃない。あいつも……わかっているはずだ」‬


 ‪返事はなかった。‬

 ‪その後は振り返りもせず、仲間たちから逃げるように去っていった。‬




 ‪見慣れない街を、カイトスは一人何のあてもなく歩いた。‬

 ‪街の至る所に露店が残っている。‬

 ‪ふと目に入った店の一つに近づくと、戦場に置き去りにされた、主を失った武器たちが並べられていた。‬

 ‪気になったのは、忘れられそうなほど隅に追いやられた黒い刀。

 ‪店主によると、鞘から抜けないので処分しようとしていたらしい。‬

 ‪そう聞いたが、何故か引き寄せられるかのように手を伸ばしていた。‬

 ‪柄に手をかけた途端、何かか意思のようなものが流れ込む。それと同時に思い出した声。‬

 ‪店主は目を見開いたまま硬直したカイトスを訝しげに眺めた。


「これをもらっていく」‬


 ‪黒い刀を手に、カイトスは歩き出した。‬

 ‪難なく鞘から引き抜いて、黒光りする刃に声をかけてみる。‬


「……呈黒天ていこくてん」‬


 ‪主に巡り会った刀は、満足そうに煌めいた。‬




 *




 ‪──感謝を伝えるってのもいいもんだぜ。

 ‬

 ‪いつもしつこく付きまとっていた男の声が頭の中に響く。

 ‪わかってはいたが、今更何か連絡を取るのも、顔を出しに行くのも気が引けた。‬

 ‪カイトスが選んだのは、傭兵という選択肢だった。

 ‪たまたまデーメーテールで募集していたのだ。‬

 ‪街を拠点として様々な仕事をこなしている。‬

 ‪給料の一部をエンクロウの孤児院へ寄付する事を約束させて契約した。

 ‪直接想いを伝える事は難しくとも、何かせずにはいられない。これがカイトスの精一杯だった。‬


 ‪他人と深く関わる事が苦手なカイトスにとって、その場だけの関係になる傭兵の仕事は都合がよかった。‬

 あっという間に月日は流れた。

 ‪傭兵稼業を始めてから七年ほどたったある日、そんな日々に転機が来た。‬


「おまえに仕事だぜ。ルマイトの貴族から極秘に頼まれたんだ」‬


 ‪仕事の依頼や報酬を管理する傭兵の主は、嬉しそうに伝えた。‬


「ラミラ家の末娘をイズールドっていう田舎村まで護衛する。簡単な仕事だ。これで普段より大きい収入を得られるぞ」‬


 ‪村の名前を聞いて息を飲むカイトスに気づかず、主はにやけたまま続ける。‬


「こんなうまい話、破棄するわけにはいかないだろう?さっさと準備しな」

 ‬

 ‪断る時間はなかった。‬

 ‪収入が多ければ寄付する金額も大きくなる。‬

 ‪そう自分に言い聞かせてルマイトへ向かった。‬

 ‪初めて行く街だが依頼主の家はすぐにわかった。街の中でも屈指の敷地だ。

 ‬

「リンディを……娘をよろしくお願いいたします」‬


 ‪豪邸の裏口には似合わない煌びやかな衣装を纏った女性が丁重に頭をさげる。‬

 ‪ルマイトの貴族、ラミラ伯爵夫人だった。‬

 ‪娘はようやく十歳になったばかりらしい。‬

 ‪生まれつき「人の心の声が聞こえる」という不思議な能力を持っていて、父である伯爵は自身の仕事などに利用しようと考えているそうだ。‬

 ‪夫人はその前に娘を安全な場所へ避難させたいのだと言う。‬


「イズールドに願いを叶える女神がいるという伝説があるそうです。もしかしたら、この子の力を……」‬


 ‪震える声を抑えながら、夫人は娘の手を握った。

 ‬

「自分でも馬鹿げているとは思っています。ですが……今はそんな伝説にすがるしかないのです」‬

 ‪

 確かに信じられない話ばかりだが、不安そうにわずかな希望に縋ろうとする母子に、カイトスは頷いてみせた。‬




 ‪心が読める少女と寡黙な傭兵の旅路は、ひたすら静かだった。

 ‪そもそも心を読む能力が実際に存在しているかさえ定かではないのだ。

 ‪さらに言うと、カイトスは人との会話を避ける傾向にある。

 ‪そんな訳で特に会話もなく黙々と歩くのみになったのだ。


「力は、ありますよ」‬


 ‪小さな声が下の方から発せられた。‬


「……大丈夫です。みんな、不気味だとか怖いとか思いますから」‬

‪「いや、不気味とは……すまない」‬


 ‪珍しく焦ったカイトスだったが素直に頭を下げた。‬

 ‪この少女に隠し事は不可能だ。‬

 ‪少女の力は抑える事もできず、四六時中人の心が聞こえるそうだ。‬

 ‪常人にも堪えられるはずがないその能力は、わずか十歳の少女には酷だ。

 ‪カイトスに憐れみにも似た思いがよぎった。‬

 ‪それを感じ取ったのか、少女は無理やり「笑顔」を貼り付けたような顔になった。

 ‬

「すみません。勝手に聞こえてきてしまって……」‬


 ‪少女の苦しみは直接わかってはやれない。だがせめて、無駄な思考はやめようと心に決めた。

 ‬

‪「……ありがとうございます」‬


 ‪わずかにだが、その声は初めの頃より和らいでいるようだ。

 ‪それからはまた無言が続いたが不快には思わなかった。‬むしろ会話をしなくても済むため、道中の警戒に集中する事にした。




 ‪いよいよイズールドが近づいてくると、カイトスの心中はざわつき始めた。‬

 ‪嫌でもあの顔がよぎる。子供のような笑顔も、自身に満ちた瞳も。

 ‪最後に故郷へ行ってほしいと言われてから七年もたってしまっているというのに。

 ‪まさかこんな形で訪れる事になるとは思いもしなかったが。


‪「カイトスさん」‬


 ‪少女に呼びかけられて、はっとする。目の前に小さな集落のようなものが広がっていた。

 ‬

「ここまでありがとうございます。後は自分で何とかします」‬


 ‪そう言って少女は丁重に頭を下げた。動揺しているカイトスに気を使っているのだろう。

 ‬

‪「あれ?きみ、この村に来たの?」‬


 ‪すると、いつの間にか村人らしい子供が興味津々の顔で二人に近づいてきていた。年頃は少女と同じくらいだ。

 ‪恐れていた出会いはあまりにも突然すぎて、カイトスは硬直した。


‪「おれ、エバン!きみの名前は?」‬


 ‪まるで少年時代に戻ったイルバのような子供が、そこにいた。‬


 ‪絶句したカイトスをよそに、二人の子供たちは会話を続けていた。

 ‪その内容はほとんど頭に入ってこない。

 ‬

「ちょっと待ってて!準備してくる」‬


 ‪少年はそう言うと身を翻した。‬

 ‪駆けて行く背中を見つめていたカイトスは、何かが触れたのに気づいた。‬

 ‪自分の指先を、少女の小さな手が掴んでいたのだ。‬

 ‪まるで落ち着けとでも言っているかのように。‬


「あの人……エバンはレグルスのいる湖に案内してくれるって言ってました」‬

‪「そうか」‬

「そこまでの道のりで魔物が出るかもって……」‬


 ‪その時、ちょうど少年が木の棒を携えて戻ってきた。当たり前だが、そんな物では到底太刀打ちできない。‬

 ‪さすがのカイトスも、片手で頭を抱えてため息をついた。‬


「俺が護衛につく」‬


 ‪そして三人はエバンを先頭に湖へ向かった。‬

 ‪道中、魔物が二度ほど飛び出してきたが、カイトスがなぎ払う度にエバンは歓声を上げていた。‬

 ‪そんな少年を見て、カイトスは何故この少女が警戒もなく信頼したのか訝しんだ。‬

 ‪すると少女はカイトスを見上げて答えた。

 ‬

「まっすぐで、心と声に出す言葉が同じ。だから私、信じたんです」‬


 ‪微笑みを浮かべてリンディは続ける。‬


「あの人について行けば、何か変わるかもしれない。……変わらないかもしれない。でもあの人は嘘をついていないって」‬


 ‪今までで見た事のない、花開いたかのような笑みだった。


 ‪やがて上り坂の林を抜けると、広い空間にたどり着いた。眼下には澄んだ湖が広がっている。

 ‬

「あまり近づくな」‬


 ‪カイトスは崖下をのぞき込む二人を注意した。まるでらしくもなく保護者にでもなった様で複雑な気持ちになる。


「リンディ、ここで祈るんだ。レグルス様、出てきてくださいって」‬

「わかったわ」‬


 ‪崖へ進み出たリンディは、エバンに言われた通りに瞳を閉じて祈った。‬


「お願いします。レグルス様……」‬


 それは輝きと共に湖の上に現れた金の女神だった。‬

 ‪驚きと同時に女神の顔に目を見張る。‬

 ‪記憶の奥底にある孤児院の職員の一人に面影が重なった。


「デボラ先生……」‬


 ‪幸いにもその呟きは子供たちに聞かれなかったようだった。‬


『あなたの願いを聞きましょう』‬


 ‪女神がささやくように言う。‬


「私の……私の人の心を読む能力にカギをかけてほしいんです」‬


 ‪無表情に浮かんでいる輝く女神は、リンディの瞳をひたと見つめた。‬


『わかりました。あなたの望みを叶えましょう。あなたの心にカギをかけます。また、その心を解放したい時はカギを使いなさい』

 ‬

 ‪リンディの前に、黄金の女神を象ったカギが現れる。‬

 ‪そのカギを操作する事で、リンディは能力を制御できるようになったのだ。‬

 ‪喜び合う二人を村へ送り届けた後、一つの想いがカイトスの中に芽生えていた。

 ‬

‪(会いに行こう。今さらかもしれないが……)‬


 ‪普段は遠い地にあるため、考えもしなかったが、今は行こうと思えば行ける場所にいる。


(感謝を伝えるのもいい……か)‬


 ‪カイトスは実に十ニ年ぶりに故郷エンクロウへ向かう事を決意した。‬

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