第3話 豪雨に打たれる葉

 国境に一番近い砦、スピカ。‬

 ‪この隊員は農業の街デーメーテール出身者が多い。その為、体力はどの隊にも負けない。‬

 ‪さらにカストル王の双子の弟であるポルックスの娘、アストラエアがいる。乙女の横顔の紋章を持つスピカ隊長の妻であり補佐官でもある。‬

 ‪唯一の女性隊員を率いる中隊長でもある彼女は、多くの人々から慕われていた。

 ‬

「スピカの援軍か……なんだってまた一番遠いアルタイルが行かなきゃならねぇんだ」


 ‪槍を担いだ兵士はため息をついてぼやいた。

 ‬

「文句言うなよ。シリウスは城守ってるんだからよ」‬

「シリウスの腰は重いからなぁ……」‬


 ‪不機嫌そうな兵士とは違い、笑顔を絶やさない男は相手の背中を力強く叩く。‬


「俺たちが駆けつけたら戦は終わるって。なぁ、ハンク!」‬

「痛ぇよ!おまえの力は強すぎなんだよ、イルバ」‬

「な、おまえもそう思うだろう?」‬


 ‪自分に回ってくるとは思わなかったカイトスは顔をしかめるだけで答えた。

 ‬

「聞いてねぇし……」‬


 ‪馬鹿力に文句を言ったものの、相手は若者に構って見向きもしない。ハンクは短い銀髪を掻きむしった。‬

 ‪蒼い槍を持つハンクは、カイトスと同じ小隊の一人だ。年頃は二十代後半と、イルバと同じくらいで仲もいい。‬

 ‪現在アルタイル隊は、隣国との戦に苦戦しているスピカ隊の援護に向かっている。‬

 ‪この大きな戦が終われば、しばらくの間は平穏が訪れると言われていた。


「そうだ!戦が終わったら俺の村に来てみないか!?」‬

「……は?あんたの村?」‬

「イズールドっていうんだ。ミーザとエバンにも紹介したいしさ〜」‬

「まーた始まったぜ、家族自慢」

 ‬

 ‪呆れたハンクを尻目にイルバは堂々と語った。

 ‬

「エバンは俺の息子だけどな、今三歳になったばっかりでさ〜。帰る度に駆け寄ってきて……」‬


 ‪子供っぽいところも多いイルバだが、これでも一児の父だった。‬家族の事を語ると、普段より笑みが柔らかくなる。


「しばらく会ってないからなぁ……大きくなっただろうなぁ」‬


 ‪一人故郷に思いを馳せるイルバを差し置いてハンクが身を乗り出す。


「それだったら俺の町にも寄ればいい。トラクの方が近いしな」‬

「そりゃあいいな。おまえも息子いるんだろ?」‬

「あぁ。おまえんとこより一つ下のゼノだ。あいつ母ちゃんにべったりでさ……俺になかなか懐かないっていうか……」‬

「あ!村に来たらミーザの手料理食べさせたいなぁ!最高なんだぜ」‬

「勝手に話を進めるな」‬


 ‪二人の会話はとても戦地に赴く兵士のものとは思えない。‬

 ‪男親たちはカイトスのつぶやきも聞こえないのか、さらに話に花を咲かせる。

 これはしばらく終わりそうにないな、とカイトスはその場を離れようとした。


「なぁ、おまえも顔出しに行った方がいい所あるんじゃないか?」


 不意にイルバが問いかけた言葉にカイトスは立ち止まり首だけで振り向いた。


「今ここにいるのも、支えてくれた人がいるからじゃないか。感謝を伝えるってのもいいもんだぜ」


 入隊してからというもの、孤児院には一度も連絡をしていなかった。

 口にした事はないが、イルバは何となくそれを感じとっていたのだろう。


「一人で行きにくいなら、俺もついていくぜ」


 そう言ってカイトスの肩に腕をかけて破顔した。


「別に……一人で行けないわけじゃない」


 ふてくされたように答えたカイトスだったが、その声は以前より柔らかい雰囲気が混じっていた。

 当の本人は気づいていないようだったが。




 *




「アルタイル隊の加勢、感謝します。現在前線は国境沿い。相手は二つの勢力に分かれて攻めてきています。スピカ隊は北側。そのためアルタイル隊には南からの軍勢を抑えていただきたい」


 前線から離れ、スピカ砦で援軍を待っていたのはアストラエア率いる女性隊員も多くいる中隊だった。

 王の姪であるアストラエアは二十四。美しい長い金髪を結い上げてまとめている。

 肩には矢筒をかけ、左手には流れる風のような形をした藍色の弓が握られていた。

 男性隊員よりやや軽装なのは、近距離で戦い続けるより、攻撃しては離れる機動力を得るためだろう。


「あれがポルックス様の娘……アストラエア」

「きれいな人だなぁ……。まぁ、俺のミーザの方が美人だけど」


 その美貌に、ほぅとため息をついたハンクの横で、イルバは堂々とのろけた。


 その後はスピカ中隊長とアルタイル隊長が手短に方針を相談し、ほとんど休む時間もなくカイトスらは戦場に飛び込んだ。

 アルタイル隊が参戦する事で、オリトン国は一気に優勢になる。前衛をアルタイル、後衛をスピカが担う布陣だ。


「射抜け、風藍かざあい!」


 後方からは馬上のアストラエアの援護射撃が飛んでくる。不思議な事に、その矢は絶対的に仲間には当たらず、風に乗るように真っ直ぐ敵を射抜くのだ。

 単に腕がいいだけではない。その矢が藍色の風を放って流星のように飛んでいくのを多くの者が見ていた。


「こりゃ驚いた。あの弓も神器か!」


 ちょうど敵兵を倒したハンクが藍色の流星を見上げて目を見開いた。


「さすが王族の血を引く方だ……神器に選ばれるだけある」


 イルバが肝心したのはアストラエアの技術だった。武術は父ポルックスに鍛えられたのだろう。

 現在ポルックスは前線にこそ出てこないが、スピカ隊の強化、指導に力を入れているという。頼もしい後継が育った事で補助に専念できる。

 当の本人はまだまだ戦場で立ち回りたい思いもあるかもしれないが。おかげで女性隊員たちは馬術と弓の技術に特化している。


 初めての戦場に戸惑いもあったが、カイトスは日々の修練を十全に発揮した。

 他の近い年頃の若い兵士とは比べものにならない。

 近寄る敵兵は残さず打ち倒された。


 その戦いは数日間続いた。

 結果、前線は国境を越え、相手が投降するのは間近となった時だった。

 前線より後ろにいたカイトスは、終幕を迎える戦場を眺めていたのだが、突如背中を押されて倒れ込んだ。

 何事かと体を起こそうとして目に飛び込んできた情景に体が硬直する。


 イルバの鎧の隙間に一本の矢が突き刺さっていたのだ。


「イルバ!!」


 紛れ込んでいた敵兵が最後の力を振り絞って放った矢からカイトスを庇ったのだ。

 油断していた。

 思わぬ事態に頭が真っ白になる。

 疲弊した体に鞭打ってイルバの上半身を起こしてやった。


「何故……何故庇ったりした!」


 イルバはただ、いつものように笑顔を浮かべた。その顔は蒼白だ。


「そりゃ……守らなきゃ、ダメだろ」

「なんで……」

「これ……村まで頼む」


 弱々しい声でイルバが指した物は、腰に提げられた自身の武器だった。


「な、何言ってんだ!このくらいで!それに……それはあんたの仕事だろ」

「どうやら、毒矢みたいだ。もう、頼むしか……ない」


 全身が震えた。

 鬼神のような形相で矢が飛んできた方向を睨むも、敵はすでに息絶えた後だった。

 改めてイルバに視線を移し、喉に詰まりそうになりながら言葉を紡ぎ出す。


「こんな所で弱音を吐くんじゃない!俺に、家族を紹介するんだろ!?……一緒に俺の故郷に行くんだろっ!?」


 次第に虚ろになっていく緑色の瞳に焦る。


「あんたがいなくなったら……家族は……」

「エバンは俺の息子だ。きっと……いい男になってミーザを守ってくれる」‬


 ‪ だから大丈夫だ。そう掠れた声でイルバは必死に言葉を紡いだ。


‪「あぁ、でも……」‬


 ‪聞き取ろうとしてカイトスは顔を近づけた。何一つとして聞き逃す事がないように。

 ‬

「一度でいいから……おまえの笑った顔……見たかった、かな……」‬


 ‪それっきりだった。‬

 ‪その言葉を最期に、イルバの全身から力が抜けた。‬

 ‪無邪気な緑色の瞳は閉ざされた。

 大きな手のひらはもう動く事はない。‬

 ‪その顔は見慣れたいつもの笑顔だった。

 あまりに穏やかで、単に眠っているように見える。

 しかし、揺すっても声をかけても、何の反応も返ってはこない。

 これはただの抜け殻だ。

 ‬

 ‪視界が水中のように揺らめいていた。‬


「何で……何であんたはこんな時にまで笑うんだ」‬


 ‪戦の終わりを告げる鐘が戦場に鳴り響き、兵士たちが勝利の雄叫びを上げた。‬

 ‪カイトスの慟哭は、その声にかき消された。‬

 ‪恐ろしいほどの喪失感に、今になって気づかされた。‬

 ‪カイトスにとって、イルバは兄のような、あるいは父のような存在だったのだ。

 ‬

(イルバ……あんたにまだ、聞きたい事がたくさんあったんだ)‬


 ‪ようやく異変に気づいた隊員たちがカイトスの周りへ駆けつけてくる。‬


「カイトス……イルバ」

 ‬

 ‪二人の状態を見て、ハンクは愕然とした。

 ‬

(どうしたらそんなに笑えるのか、どうしたら人と接していけるのか……)‬


「おい!しっかりしろ。おまえだって負傷してる!早く手当てに……」‬


 矢が刺さったまま倒れ伏したイルバの前でうなだれているカイトスの肩を掴むも、声をかけても反応がない。

 ‪ただ涙で顔をぐしゃぐしゃにし、放心状態になっていた。

 ‪ハンクは仕方なく他の仲間たちと共にカイトスを立ち上がらせ、無理やり砦へと歩き出した。

 ‬

(……何故手遅れだとわかった時に、失ったものが大切だった事に気づくのか──……)‬


 ‪運ばれていくイルバの身体を見つめていたカイトスの意識は、そこで途切れた。

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