死んだ街の伊達男


 街並みは灰色でどの建物も同じように見える。統一感がある、整然としているといえば聞こえがいい。でも、私は死んでいると言う。この街は間違いなく死んでいる。誰もが決まった周期で恐怖と悲しみを抱く。また機械のパーツを外すかのように、街や住人の記憶から私が外れてしまう。老人がボケて忘れるにしても、おぼろげには覚えているものだ。生きているものは歪んでいる。整然として綺麗に一部が消え去ったりはしない。ひとりが消えても変わらない街。そう言葉にするとひとりひとりの住人さえ灰色の建物たちと同じに思える。私が消えて空き地ができても、そこには同じような灰色の家が建つのだろう。

 まったくもって生き物より単なる物だ。科学や機械みたいに整然として美しいが死んでいる。その癖して科学や機械がある程度否定する宗教が街をまとめている。

 幽霊とスピリットは宗教だ。幽霊はかつてこの街に病が流行ったときに、ひとりを神への捧げモノとしたことが始まりらしい。神が受け取る日まで、下賤な人間の所有物ではないと証明するために、他の街の者は捧げ者に絶対不干渉を貫いた。その際に唯一神と捧げ者を繋いだ神官だけ、その者に干渉できた。不干渉を続けて3年後の8月15日の夜、おそらく16日の午前0時ごろ、捧げ者は死んで神の手に渡った。神官はそれをすべての街人に告げ、実際に病は落ち着いた。三年後に病の流行が再びやってきた。これも神官と捧げ者により落ち着いた。これらから、神官は街の長となって三年ごとに住人を神に捧げ、捧げ者は存在しないようにされるために「幽霊」とされたという。

 宗教なんて矛盾だらけだ。捧げ者の神話は、街の者が意図的に無視している。でも私はどうなんだ。あからさまに異常な無視だ。誰の心も動かせない。物理的に働きかけても、住人は何事もなかったかのようにふるまう。

「あっ、と」

 ふいに裕福そうな紳士にぶつかってしまった。これでまた実感する。

 私は大きくバランスを崩し、花束を落とした。対して紳士は一瞬だけ身じろぐが、目線を空に向けたまま「本日も快晴なり」とつぶやいて去っていった。一応、反応したのだろうか。いや、そんなわけはない。やはり、私は街に存在していない。感じても認識されない。今更ながら、これは本当にどうなっているのだろうか。

 花束を拾い、崩れがないか確認する。大丈夫そうだ。

 またぶつかって花が無事な保障はない。街中にいてもやることなんて、歩きながら結論の出ない幽霊とかの制度をうだうだ考えるくらいだ。それで人だの何だのにぶつかって、薔薇がバラバラになっていく。親愛なるスピリット様へのプレゼントだ。せっかく二束あるのに一束分だったら意味がない。今日は特別な日。私が神に捧げられる日。お世話になった彼女に最後の感謝を伝える日だ。

 急ぎ足で進めば、直進する住人を軽快に避けるのも楽しく童心に帰る。ブラウスの袖をまくって、やる気十分でステップを踏む。薔薇の香に「ひとりだけ」の街、風や人々の声もどこかリズミカルではしゃいでしまう。これじゃあ恋人の元へ向かう伊達男だ。思えばスピリットはイイ女だ。唯一友愛を向けてくれるから勘違いしてるだけかもしれないが、それでもいい。今が楽しければいいのだ。もう死ぬのだから。

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