幽霊

狐藤夏雪

とある街の幽霊

 イタズラに烏へ石ころを投げつけた。すると烏は飛び立って、地で跳ねた石ころは街娘の白い御脚をかすめていった。穢れなき白に血がにじむ。「やってしまった」そう思った。だが娘は表情をピクリとも動かさず去った。まるで傷などないかのように、私と私の動きなど存在しなかったかのように。もちろん相手がこうでも謝罪の言葉は心で渦巻く。痛みを知るからこそ、誰かを傷つけることを好みはしない。これは理性があるならたぶん誰だって抱く共感だ。だとしても渦巻いた言葉は口から出てこない。私が口にしてもすべて無駄なのだ。私の存在は娘の肌より白く透き通っていたからだ。

 この街の誰もが私を覚えていない。記憶からも感覚からも形而上からもすっかりないことにされている。まさに幽霊だ。しかし街を出れば私は何者かなのだ。ここでは誰も感じないとしても、鮮やかな薔薇色が普遍的に私の存在を証明する。街がすっかり忘れても、私は間違いなくここにいる。この街の風習さえなければ、いや風習よりも呪いというべきものがなければ、多くの者が私を「幽霊なわけないじゃないか」と笑ってくれるはず。

「見るもよし、かおるもよし、もの好きならジャムにして食べてもよし、艶やか新鮮なお花はいかがですか?」

 花屋の声が石畳に響く。聞こえるのは花屋の声だけではない。街の人々は今日も騒がしく、笑い泣き怒り、それぞれの普通の生活を送っている。空さえ澄み切った晴れ模様で私の心の奥まで照らしてくれそうだった。私はまぶしい生の営みを眺めつつ、乙女の薔薇色をたどって浮浪者のようにうろついていたが、ふとあることを思い出し、花屋の店先で立ち止まった。

 今日は8月15日、唯一の友に夕食へ招かれていた。ごちそうになるのだ、礼儀として何かしらのプレゼントは持って行くべきだろう。だとしても特別なものは持って行かない。いつも遊びに行くときは赤薔薇の花束だ。今日は一応特別な日だから二束にしよう。玄関の隅っこに空いた瓶があったはずだ。瓶だって食卓のやつばかりズルいと埃を被り誇りを失いかけたやつがたぶんある。

 私はパン屋のおばあちゃんと談笑する花屋の横を抜け、赤薔薇の花束を2つ手に取った。薔薇の香りはいつも甘い。昔から濃厚なこのにおいは好みではないが、今では何より生を実感させてくれる。こんなにも鮮やかなにおいなのに、花屋は花束を持った私が通ったことに気づかない。ここでお世話になるのも今日で最後になる。イタズラ心から、お金の代わりに「幽霊はここにいる」と書いた紙を娘の指に括った。

 花屋の次は青果屋に寄る。夜までまだ時間がある。私には大きな自由があるのだ。おなかの虫を悲しませて、我慢したまま散歩するなんて性に合わない。コインを渡す客と果物を袋に入れる店主を尻目に、私はリンゴを2つ頂いた。袖でルビーと見間違えるほどツヤツヤに磨いて、その表面に勢いよく歯を立てる。コリッと果汁が霧と散って、口にも鼻腔にも心地よい甘酸っぱさが広がる。

 今日という日もなんと素晴らしいのだろう。リンゴや薔薇の鮮やかな赤も、甘い香りも、甘酸っぱさも、かじったときの食感や音も、何もかもが私の今の生を祝福してくれているようで喜ばしい。

 だがこの街で私の生を祝福するのは、私と唯一の友だけだ。

 私は「幽霊」とよばれている。正しく言えば、私が今置かれている立場を「幽霊」と言う。幽霊は特権だ。街のモノの多くを好き勝手できる。さっきみたいに店の商品をタダで持って行くことができる。好きな場所に住むこともできるし、街の長に言えば住民に致命的なこと以外なんでも命令できる。3人までなら、幽霊になる前に恨んでいた人を殺すことだってできる。その他にもたくさんできる事があるが、語る価値もないことばかりだ。

 こんな特権と引き換えに、私はこの街から存在を抹消されている。私は確かにここにいるし、住人に触れることができる。だが住人たちは何かに憑かれたように私を無視する。頬をはたいても痛みすら感じていないように去る。私を大切に育ててくれた父すら、目の前で泣こうが喚こうが粒ぞろいの思い出を語ろうが、眉一つ動かさない。ただの無視ではない。きっとみんな幽霊か何かに憑かれて、私を感じられなくなったのだ。

 だが私を唯一知る者もいる。それがたった一人の友、この街を治めるスピリットという女だ。彼女はいつも目元を隠す白い仮面を被り、全身を白い法衣で覆っている。住人たちは神を忘れ、ブラウス、ジャケット、エプロン、ベストといった服装なのに、街を治める彼女だけが何か知らの神を見ているようなファッションである。私は他の全住民の分も彼女が神を信じているのだと思っている。街の幸福を祈っているのだ。ゆえに街の長として崇拝されている。

 幽霊だの神だのここまで非科学的な事があるかと疑いたくなる。だが、実際にそれが起こっている。私は透明だし街は幸福に満ちている。私はかつて科学の奴隷だった。はっきり感じられること、わかりやすいものこそすべてだと思っていた。そんな私でも幽霊に対する住人の異常な振る舞いや、スピリットの神聖なカリスマに、オカルトを信じるしかなくなった。

 それにしてもオカシイ。

 今日は8月15日だ。それなのに人々は至って普通の生活を送っている。そこらの店の者も未亡人も金持ちも誰もが石畳の上で、ああだこうだと談笑している。あまりにも明るい。今日、誰かが新たな幽霊になるというのに、私が3年の任期を終えて死のうとしているのに、感じられなくなった誰かの友あるいは息子が死ぬというのに、3年先に死ぬ宿命を背負う辛い特権が身に降りかかるかもしれないのに、街は恐怖や悲しみに蒼く染まっていない。

 3年前、私が幽霊になる直前は底抜けに暗かった。そのまた3年前も暗かった。それが今日はどうなっているのか。特段明るいわけではないが、特別な日なのに普通過ぎる。この街の者なら幽霊という特権と制度だけは知っているはずなのに、こうだとどうも私の死を皆が喜んでいるようにも思える。

 ふと残り十数時間の寿命を思い涙をこぼす。点々と私の存在を示すシミを見る者も、それをたどってみる者もいないのだろう。そのままシミは澄んだ陽光に蒸発して消え去る。私は何も残せずすっかり消えるのだ。泣こうが喚こうが誰にも認識されず、声や涙が無駄になるだけ。それに人前で声をあげて泣くなんて、知られなくても恥ずかしい。泣き声を殺そうと口に詰め込んだリンゴは涙で甘じょっぱかった。

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