三、

「それでは、会議を開きたいと思います」

「うおん」

「みやあ」

「しゃべれんのあたしだけで会議になるか!」

 今あたしたちがいるのは、どっかの家の中。殺風景なダイニングの床の上で、三人で顔をつきあわせている。ん?三「人」? まあいいか。

 あの逃走のあと、イヌ人間とあたしは物陰に隠れつつ慎重に進んだ。幸い道中巨人に見つかることもザコ怪人どもにも出くわすこともなく、塔へ着実に近づいていった……んだけども。

 もう塔までさほどの距離もないだろうというところで、予想だにしない問題にぶち当たったのだった。

 それで一旦手近な家に潜り込んだ。そしたらタイミングよく、ネコ人間が追いついた――陽動のために跳び回っていただけらしい――ので、フルメンバーで作戦会議となった。

「……で、聞いてないんですけど。住宅街が途切れるなんて!」

 そう、ここまで延々と続いていた家並みが、塔を目前にして終わってしまったのだ。

 その先、というか今いるこの家から先は、物陰一つない真っ平らな灰色の荒地になっていた。その中にぽつんとピンクの塔が立っている。見晴らしは抜群だ。巨人もよく見えるだろう。最悪だ。

「ねえ、他の方法ないの?」

 訊いたところでこいつらは首を傾げるだけだけど。もう何度も訊いたし。

「……やるしかないかあ」

 やるしかなかった。イヌもネコも黙ってうなずく。

「それじゃあ、巨人がいない時に住宅街を出るってことで。そんでとにかく走る。よし会議終了! くそったれ!」

 立ち上がってやけくそ気味に準備運動を始める。やれることはやっておきたいじゃない。

「あのさあ」訊いておけることも訊いておきたかった。

「最キモチャンピオンの話だと、ここにいる変な奴らって中身は人間なんだってね。望んだ姿かはともかく、あれはガワみたいなもん――っていうのはマジ?」

 イヌとネコは黙って座ったままで答えない。しかし首も傾げない。

「で、あたしがぶん殴って飛び出させた光の玉が本体で、黒い空を突き抜けて外に出ると元の姿に戻る――ってことであってる?」

 アキレス腱を伸ばしながら返事を待つ。やがて二体は観念してうなずいた。

 やっぱりか。

「つーことは、つまり」

 屈伸運動に切り替える。

「あたしも、ってことだよね。ま、金髪長身女子高生は調子よすぎか。どうりで鏡見てもあんまピンとこなかったわけだ。てかそうなると女子高生なのかも怪しくなってくんな……。どうしよう、女子高生になりたいおっさんだったら。はははは」

 静かな部屋に乾いた笑いだけが響く。

「塔を上って出た場合はどうなんの? あたしは。もしかし案外このガワのまんま……てことはないか」

 今度はどっちも答えない。結局、答えないのが答えになってしまうのに。

 今の金髪女子高生が本当のあたしが望んだ姿だったとしたら、それを手放すことになるのか。正直覚えてないんで残念とかという気持ちもないけど。

「つーか……なりたい姿がこれって、うっす! 無個性! ペラペラじゃんあたし! なんかはずかしっ!」

 腕立ての態勢が崩れて床に突っ伏して身悶える。ホコリとかたまらないんだね、ここ。やがて気を取り直して立ち上がる。

「それでいうと、あんたたちは何なの? 動物になりたかった系?」

 イヌネコはそろって首を傾げてみせた。ここでかよ。

「ふん。まあどうでもいいけどさ……じゃ、そろそろ出るか」

 そう言うと二体も立ち上がった。

 よし。大きく深呼吸して、気合を入れてから、玄関のドアを開ける。

「あ」

 開けるなり、目の前に異形が立っていた。

「うわあ!」

 反射的に殴って、そのまま昇天させてしまう。

「び、びっくりした……。いきなりすぎてどんなやつかも分かんなかった。こりゃあ慎重に……」

 あたしが声を上げる前に、イヌとネコは飛び出してあたしの前に立った。

 家の前を、数十の異形が取り囲んでいた。

 特に合図もなく、三人は同時に駆けだした。

「もうこのまま行くっきゃないか!」

 前方の相手だけをぶん殴って包囲を突破した勢いのまま、遮るもののない荒地に飛び出す。巨人の姿は――

「いない! ついてる!」

 あたしとイヌネコは追いついてくる足の速い奴だけを相手にしながらひたすら駆けてゆく。ピンクの塔を目指して。

 どれだけ経ったか。遥か彼方に見えたそれも、どんどんと近くなってくるのがわかる。やがてふいに、追手の気配がなくなった。

「引き離した?」

 後ろを振り返ると、ザコ怪人たちは追ってくるどころか、てんでバラバラの方向に散っていた。

「げげ!」

 散り散りの群集の奥に、巨大な影があった。空に溶け込む黒い体の巨人――あいつだ。怪人たちは逃げ惑っているのだった。わき目もふらずにまっすぐにこちらを向かってくる巨人から。

「どうしてどいつもこいつも、うちらを追ってくんの!? なんかした!?」

 聞いたところで誰も答えるはずもない。でも言いたいだろうが。

 巨人の足取りは遅く見えるが、歩幅は段違いに広い。こちらが塔に近づくより早いペースでこちらに近づいてきている。

「あとちょっとなのに!」

 本当にあとちょっとで届く。塔のディテールがだいぶはっきりとしてきている。でもわかる。やばい。

 突然イヌとネコが止まった。

「はあ!? 何やってんの!?」

 こっちも止まりかけると、行けというジェスチャをする。

 意図は分かる。さっきのように囮になって撒くつもりなんだ。遅いあたしは足手纏いだ。巨人はどんどん迫ってくる。

「くっそ! うまくやれよ!」

 ムカつくくらいかっこいいサムズアップをする奴らに背を向け、一人駆ける。それがあたしにできること。早くあたしが着けば、あいつらも来ることができる。

「うんぐりゃどぅえい!」

 意味不明の雄叫びを上げながらあたしは全力で走った。

 そして、ついに。

「なにこれ?」

 目の前にある塔は、建物とは言い難いものだった。それは、無数のハシゴが束ねられ寄り合わさった奇怪な構造物だった。つまり。

「このハシゴを登れって?」

 自らの手と足で、黒い空まで。

「ああもう、ここまで来たらやってやらあ!」

 躊躇している余裕なんかない。スピードを落とさずに駆けてきた勢いで、突っ込むようにそのままハシゴに手をかけた。その途端、地響きが近くで聞こえた。振り向くまでもない。あたしはめちゃくちゃなスピードで登りだした。

 だいぶ登ってから見下ろすと、真下で巨人が棒立ちで見上げていた。いつのまにか巨人の届かないところまで来ていたのだ。ここからじゃな見えないけど、イヌとネコは登ってきてるのかな。

 巨人がよじ上ろうとしている様子はない。

 ならもう後はひたすら登るだけだ。どれだけの高さがあるかは知らないが、いずれ辿り着くと思えば楽なもんだ。

 なのに。だんだんと手が重くなっていく。疲れたわけじゃない。

 あれ?あたし、戻りたくない? いやいや、こんなところにいたくないし。でもこのまま行っちゃいけないような――。

 正体不明のダウナー気分に襲われて戸惑いながらそれでもゆっくりと登っていると、ふいにある記憶が頭によぎった。

 それは草一つ生えてない地面に水たまりのようにできた「黒い穴」の光景だった。それがゆっくり迫ってきて、視界が黒一色になる。

 それはあたしが「黒い穴」落ちた時の記憶だ。

 それをきっかけに、はしごを一段登るごとに記憶が少しずつ蘇っていく。そしてそうなるたびに手が重くなっていく。ああそうか。

 ――あたしは、やっぱりこんなんじゃなかった。

 友達がいた。とても仲良くて、大事な人だった。

 彼女は中身も外見もとてもきれいな人で、素敵な人で、何も取り柄もない、頭も性格もセンスも悪い私とは不釣り合いな気がしていた。

 それでも一緒にいたかったから、そんな自分を必死に誤魔化して、いきがって、強がって、釣り合う人間であるふりをしてた。ガワを被っていた。あの時も。

 噂で聞いた「黒い穴」を二人で見に行った。本当は信じてなかったし、山の中だったから怖かったけど、好奇心旺盛な彼女に失望されたくなって、無駄にテンション高くふるまって、彼女をリードしながらそこに辿り着いた。そしてそれは本当にあった。

 何もない地面に、土俵ぐらいの大きさの真っ黒い円が貼りついていた。文字通り穴なのか、液体なのか膜なのかも判然としない、光を拒絶した漆黒の面だった。それは余りにも不気味で私は怖くて仕方なかったけれど、興味津々な彼女の前で平気なふりをしていた。それで「黒い穴」の前で、自分だったら何になりたいたいとか、冗談を言ったりしてて、そんな些細な会話から――彼女の好きな人の話を聞いた。 

 その時どう思ったのか、自分でもよく分からない。この時まで知らなかったことがショックだったのか、彼女のことを何でも知っていると思い上がっていたことに打ちのめされたのか、普通に好きな人がいることにがっかりしたのか、嫉妬したのか、寂しくなったのか。

 とにかくふっと何かが抜けてしまった気がした。ガワがボロボロと崩れていったような感覚になった。

 そうして帰る途中「ちょっとトイレ」とか言って、先に行かせて。

 私は駆け込むように「黒い穴」に落ちた。

 生まれ変われたらと。そうでなければ、いなくなりたいと――

「……何やってんだろ」

 戻っても意味ないじゃん。

 そう思ってしまった瞬間、手に力が入らなくなった。

「あ」

 するりと手が滑って、体が宙に放り出された。

 ああ、また落ちちゃった……でも今度こそだめだな。下には巨人がいる。巨人に潰されたジークからは光の玉は飛び出さなかった。

「まいっか……」

 いろいろ諦めて、落ちながら黒い空を見上げる。あの時のように。

「――あ」

 最後に思い出した。「黒い穴」に落ちながら、こうして空を見上げた時。

 私に向かって伸ばされた手が。あれは。

「なんで、なんで今……!」

 最悪だ。何に気づいても、もう遅い。

「バーカ!」

 ばすっという気の抜けた音と共に、何か軟らかいものに落ちた。

「え?」

 起き上がって、そこが両手で何かを受け止めるように広げられた、巨人の掌の上だと気づいた。血の気が引いたが、巨人は動かない。白い目が黙ってあたしを見ている。そうして、唐突に。

「あ。ああっ」

 わかってしまった。今度こそ全部。

「あたしは本当に馬鹿だ」

 巨人の目を見つめる。

「――ちゃん」

 衝動的に「黒い穴」に落ちた時、手を伸ばしてきたのは、すぐに後を追ってきた彼女だった。あの人はなんの躊躇もせずに飛び込んで私を助けようとした。

 その時やっと自分の馬鹿さに気づいて、落ちながらめちゃくちゃ腹が立ったんだ。自分に、そしてそんな私に手を差し伸べようとするあなたに。

「ぶっとばしてやるって思ったんだ。あんまりムカついたから。そして絶対二人で帰ろうって」

 そうか、それでこのグローブが。

「あんたはあの時何を願ったの? そんないかつい姿になっちゃって」

 いやわかる。わかっちゃう。どんなものからも守る力が欲しかったんだ……私を。

「知らなかったな。あんたがそんな重い気持ちの持ち主だったなんて。はは」

 知らないことばっかりだ。まだ私たちの間には。

「ありがとう。何度も助けてくれて」

 一瞬だけ、ここで無敵の二人のまま誰にも邪魔されずに一緒にいるのもいいかなって思ったけど……そうもいかないか。

 金色のグローブを撫でる。

「帰ろ。そのために願った力だもの」

 いつの間にかあたしの隣には、イヌ人間とネコ人間が立っていた。

「この子ちょっとでかいからね。手伝ってもらうよ」

「うわん」

「みゃお」

 二体はあたしを支えて飛び上がった。

「先に待ってて。今度は必ず戻るから」

 あたしの拳は巨人の胸にめり込み、そこから巨人の体はひび割れていく。あたしたちが着地すると同時に背から光の玉が飛び出して、空へと消えていった。

「はあ……余韻に浸ってる場合でもないね」

 空から視線を外して住宅街の方を見ると、巨人がいなくなったことで、ザコ怪人たちが再び押し寄せてきていた。

 イヌとネコがあたしを庇うように前に立つ。その間に割って入って、何か言いたげな二匹の背を叩いた。

「もちろん帰るけど、もう急ぐ必要はないし、手伝ってあげんよ」

 二人は一瞬目を丸くしたが、何も言わずに前へ向き直った。

「あんたたちさ、ここをどうにかする気なんだろ?」

 この二人はあきらかに目的を持ってここにいる。

「これは勘だけど……もしかして、このふざけた場所の関係者……とか?」

 二体はあからさまにぎくりとした。あたしは意地悪な笑みを浮かべた。

「ふーん。なんかやらかした感じ?後始末? まああの怪人たちのようすとか、この作り込みきれてない世界とか、失敗臭というか狙ってっこうなった感じしないもんな。こうなると気になってくんなー。とっとと全部送り返したら、あんたらもぶっとばして本当の顔拝んでやる」

 イヌ人間とネコ人間の、何とも表現しがたい鳴き声が返ってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

イヌとネコとガワ破りロストガール 殻部 @karabe_exuvias

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ