二、

 ピンクの塔みたいなもの――面倒臭いので単に「塔」と呼ぶことにする――へ歩き出して、やっぱりここは異常な場所だと実感した。

 なにせ、どこまで行っても住宅街のままだった。交差する道を覗いても、見通せる限り高い建物も広い道路も、公園も、駅も、畑も、店らしいものも全然ない。ずっと家しかない。こんな無限住宅街、現実世界に存在するわけがない。

 ためしに家の中にも入ってみたけど、人が住んでいたような形跡は何一つなかった。その時、髪を整えようと鏡を見たら、そんな必要ないくらいストレートロングの金髪はサラサラだった。これ地毛? なかなか悪くない顔や馴染みがある気もするブレザーを見ても、結局何も思い出せなかった。

 それにしても。かれこれ三十分くらい歩いているけど……全然慣れない。

 イヌ人間、ネコ人間にだ。受け入れてはみたものの、着ぐるみシルエットでありながら生々しいディテールの姿を見慣れることができない。見るたびにギョッとする。イヌネコモチーフでこんなにかわいくないなんてある?

 そんなのと、静かな住宅地をずっと無言で歩いてる。気まずくて仕方がなかった。

「お」

 その気まずい空気を破るものが進行方向から現れたので、あたしは正直ほっとした。声にもそれが漏れ出ていたと思う。

 それ――いやそれらは、こちらに気づいて駆けてきた。

「さっきの奴だけじゃなかったか。しかも二匹」

 今度はコンビだ。一匹は鉄板を組み合わせたようなロボ。でかくてごっつい手が特徴だ。もう一匹は、体の半分を占めるでかい顔が強烈な――なんかたぶん、恐竜。どっちも腰から下は人間だ。一応金属っぽかったり鱗が生えてたりするけど、間に合わせみたいな印象は拭えない。

「もっといんのかね? 今度は抜け駆けすんなよ……っておいこら!」

 イヌネコどもはこっちの話の途中で飛び出しやがった。「待て」もできねーのか!

 こちらが慌てて駆けだすより早く、イヌはロボ、ネコは恐竜に一撃を食らわした。仲良く吹き飛ぶロボと恐竜。しかし受け身をきれいに決めて素早く立ち上がる。そして――

 ロボは右の、恐竜は左の、横道に飛び込んだ。

「え? 逃げた?」

 イヌとネコと女子高生相手ならとナメてかかったら、想定外に強かったってところだろうか。

「なんだビビりかよ。どうする?……あ、おい!」

 右へイヌが、左へネコがそれぞれの獲物を追いかけて、遠ざかっていく。

「所詮動物か……」

 残されたあたしは零コンマ二秒ほど考えて、普通に塔に向かって歩き出した。

「ま、いっか」

 というか、戻ってこない方がむしろいい気がする。キモいし。

 そうしてしばらく一人で歩いていたあたしは、前方に人影が立っているのに気づいて肩を回した。

「よっしゃ、一匹か」

 今度は抜け駆けする奴もいない。ゆっくり近づきながら、相手の品定めをする。

「んん?」

 その姿をはっきり確認して、あたしは少し困惑した。そいつはほぼ人の形をしてたから。

 全体的には中肉中背、しかし筋肉もりもりのそこそこマッチョ。頭は普通サイズで、騎士っぽい仮面をつけてる。ボディは概ね厚手のファイバーっぽいピチピチタイツで腰には剣。全体的にシルバー地に赤とか青とか黄色とかラインが入った派手な色合いをしている。雑な印象で言えば、アメコミ原作の映画に出てきそうな感じ?

 それ、版権とか大丈夫なヤツ? その辺詳しくないから知らんけど。

「おや? おやおや?」

 そいつはあたしに気づくと、大げさに驚いたようなジェスチャをしてそう言った。それを聞いてあたしの方も少し驚いた。

「お、しゃべれるの?」そこに驚くのもおかしな話だけれど、仕方がないじゃない。

「そりゃしゃべれるとも。でもその気持ちはわかるよ。俺もここに来てから会ったまともな人間は、キミが初めてだ」

 本当にしゃべれるようだ。意思の疎通ができるなら、いきなりぶっ飛ばすわけにもいかない。

「俺は“ジーク”だ。初めまして」

 名乗りながらゆったりとした足取りで近づいてくる。

 ほう挨拶までできるのか。いやそれが普通でこれまでがおかしんだけど。でも……。

「ジーク? あ、いや、あたしは……実は何も覚えてないんだよね。ここがどこか知ってる?」

 ふむ、と顎をさすりながらあたしを観察するように眺めるジーク。いやなんだその名前は。

「来たばかりかい? それなら記憶の混乱があっても仕方がない。心配ないさ。そのうち思い出すことは思い出すし、思い出さなくてもいいことは思い出さない……お、そうだ、ここのことだったね。ここは「黒い穴」の中さ」

「黒い穴……」

 その言葉には聞き覚えがあった。同時に、地面に広がる黒い水たまりのようなもののイメージが頭に浮かんだ。

「きっとキミも、噂を聞いてやって来たんだろう」

「噂?」

「ここで、なりたいものになれるって」

 なりたいもの――その言葉に妙に胸がうずいた。

「……どういう意味?」

「そのままだよ。「黒い穴」に入った者は、望んだ姿と力を手に入れられる。そして、それは本当だった」

 突拍子もない話だけど、嘘を言っているようには見えない。少なくともこいつはそう思ってここに来て、そのなんとかマン的な格好になったんだろう。でもだ。

「これまで見たのは、首長ラブカ人間とか、上半身だけロボ人間とかだよ? あれがなりたい姿とは思えないんだけど」

「思いが足りなかったんだ」

 ジークとやらはきっぱりと言った。

「雑念と弱気は変身の邪魔をする。しかし失敗にしたって信じられないがな。普通ならカッコイイ姿や美しい姿、可愛い姿になりたいもんだろう? 俺や、キミみたいに」

「え?」

 ジークの言葉で、あたしはこれまで考えてもいなかったあることに思い至った。

 こいつの言ってることを全部信じたわけじゃない。だけどこいつらがそういうことなら……。

 頭をよぎったある可能性に戸惑うあたしの肩に、どこまでオリジナルか知れないデザインのヒーローは手をかけた。

「だからもっと美しいものが溢れる場所かと思ったんだが……見るのは化物ばかり。だけどそんな中にキミが現れた! キミと俺は選ばれたのかもしれないな。この何人も侵すことのできない世界で――」

「……ああん?」

 あたしは肩から背中に降りかけてくる腕を掴みながら睨んだ。こいつ……。

「今お前――尻触ろうとしたろ?」

 そう言った瞬間、仮面のヒーローは弾けるようにあたしの手を引きはがした。

「はあああああああ!? ななななな」

 ジークは奇声を発し駄々っ子みたいに足を何度も踏み鳴らした。

「生意気な女だなあ!? k※$◎q%*t#Дgg! わからせてやる!」

 何言ってんだ?と思った瞬間目に火花が散った。

 いきなり殴られたことに気づいたのは、仰向けにぶっ倒れてからだった。

「……は?」

 あまりのことに少しの間ぽかんとなった。

 殴られたことにじゃない。こいつはいかにもそんな感じだったから、それは予想していた。予想しててそれなりに身構えていたのに食らったことにびっくりしたのだ。

 速え。攻撃の速さじゃイヌネコより上かもしれない。

「はぁはぁ。わわわわからせるっっ。はぁ」

 わめきながら奴は覆いかぶさろうとして、それはかなわなかった。

「ぶへえっっ」

 あたしが仰向けのまま両足で蹴り上げたからだ。奴の腹がゴムみたいにひしゃげて、その反動で吹っ飛んでいった。

 速いだけだ。

 背中をはたきながら起き上がる。奴の拳はほとんど効かなかった。これは自分も意外だったけど、どうやら頑丈さとパワーはこっちの方が上みたいだ。

「つまり、なりたい自分とか、思いの強さとか言いながら、あんたはここに法の届かない出会い系のつもりで来たわけだ。きっも。これまで会った中でも最キモだ。優勝おめでとー」

 ぺちぺちとあたしが拍手する中ジークはしばらく悶絶してたが、何かぶつぶつ言いながら立ち上がってきた。

「……許さん」

 そう言って、腰に下げていた剣を抜いた。あー、それ使えるんだ。そして一気に詰めてくる。やっぱ速い。避けきれないなこりゃ。

「へ、へあ!?」

 ジークは間抜けな声を上げて、打ちおろした自分の剣をまじまじと見た。あたしの手に受け止められている剣を。受け止めたっつーか、ただ手を前に出しただけだけど。

 剣を掴んだ手に力を入れる。みるみる剣は黒ずんで、ボロボロになっていく。

 全部分かったわけじゃないけど、あたしのこの金ぴかグローブの拳は、キモい連中にめちゃくちゃ効くっぽい。その力の最大の効果が、あの強制脱皮みたいな現象なんだと思う。

「今度は本体な」

 あたしは拳を振りかぶる。

「大サービスだ。い……昇天させてやるよ」

 イかせてやるよと言いかけて言い直した。何でかは知らない。記憶がないので。

「ぎべええええ!」

「うえ!?」

 あまりにも不様な悲鳴にこっちが怯んでしまった。そしてその隙にジークはこれまた不様な格好で逃げ出した。

「てめえは逃がさん!」

 と、追おうとしかけて、強い違和感を覚えて反射的に止まった。その原因はすぐにわかった。

「塔がない?」

 どこからでもうざいくらいに存在を主張していた、あのピンクの塔がなくなっていた。いや違う。遮られているんだ……何かとてつもなく大きなものに。

 あたしは目を凝らして、そしてちびりそうになった。ちびってはいない。

 ジークも「それ」に気づいたのか、足を止めて呆然と見上げていた。

 黒い巨人。それ以外に形容しようがない。

 空に半ば溶け込むようなそれは、ディテールもシルエットも判然としないほど黒かった。でもかろうじて人型なのは分かった。上空に二つの白い穴のような目があるところが、きっと頭だろう。そいつは片足をあたしたちのいる道に、もう片方を一本隣の道に乗せて立っている程、激烈でかかった。

 その足が音もなく浮いて空に溶け込んだ。そして次の瞬間、黒い柱が目の前に落ちてきた。ジークの上に。

 白い穴がこっちを見た。次はあたしの番か――と他人事のように思った時。

 視界が茶色くなった。毛深い茶色に。

「あ、あんた……!」

 目の前にイヌ人間が立っていた。その肩越しにネコ人間が巨人の方を向いて立っている。あたしが何か言う前に、イヌはあたしを担いで駆けだした。

「え?」

 遠ざかる景色の中で、ネコが巨人へ向かっていくのが見えた。

「いや無茶でしょ!?」と叫びかけるあたしの口を、肉球がふさいだ。

 巨人の姿が完全に見えなくなるまで、イヌはあたしを抱えながら住宅街を疾走した。

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