イヌとネコとガワ破りロストガール

殻部

一、

 ども、あたしの名前は――わからん。

 だって思い出せないんだから仕方ない。名前だけじゃない、なんにもまったく全然覚えてない。スマホとか財布とか、手掛かりになりそうなもんも持ってない。制服みたいの着てるから、女子高生の可能性は高し。あとなんか金髪っぽい。背も高いんじゃないだろうか。顔はまだ見てないからどんなか知らない。

 気がついたらあたしは、真っ黒い空の、無人の住宅街にいた。夜ってわけじゃない。スミを塗ったみたいに黒い空なのに、住宅街は昼間のように明るい。意味不明。なんなのこれ?

 そして今、さらにわけわかんないことに、この住宅街で「イヌ人間」としか言いようのないモノから逃げ回ってる。イヌ人間ってなんなの?と言われても困る。そう言うしかないからそう言っているだけだ。

 そいつは柴犬の体を人間の形に捏ね上げたみたいな奴で、大きさは人間の大人ぐらいある。着ぐるみでは?と言われればそうかもしれない。人の頭がすっぽり入りそうなほど頭部が異常にでかいし。でも顔とか毛並みとかは生々しくリアルな柴犬なの。な? イヌ人間としか言いようないだろ? キモくない?

 そんなキモ過ぎクリーチャーに追いかけられて、無音無人の住宅街を駆けずり回っている。そいつはイヌのくせに走ってこないけど、イヌだけに鼻が利くのか、どう撒いても必ずあたしを見つける。隠れるのも無駄。何べん見つかったことか。

 それで今改めて思ったけど、あたしってずっと走ってるのに体力無尽蔵? 体がめちゃ軽い。すごくない? それでいいこと思いついた。つーかなんで今まで思いつかなかったのか。視界にイヌ人間がいないことを確認してから、手近な塀に手をかけた。あたしは手に、なぜか金色の、ごつい手袋をしいてる。なんかヒーローみたいでカッコイイけど制服には似合わないな。それでひょいっと塀に乗ってから、ひさしを足掛かりにしてひょいひょいとあっさり二階建ての家の屋根に上った。

 あいつがとことんイヌなら、屋根には上れないし気づかないはず。完璧だ。

 身をかがめて屋根にへばりついてると奴の足音が近づいてきた。静かだからよく聞こえる。近くで止まって一瞬焦ったけど、すぐにまた歩き出した。どんどん足音が遠ざかっていく。

 よし、と顔を上げたら、目の前に二本の足が。薄いグレーと濃いグレーの縞模様が入るその足を上へ辿っていくと、毛に覆われた体と、でかいネコ頭があった。

 ネコ――?

 そう、あたしを見下ろすそれはやっぱり「ネコ人間」としか言いようがないモノだった。サバトラの。

 そうだね、イヌがいるならネコもいるよね、なんて悠長なことを思えるわけもなく、あたしは声にならない悲鳴をあげながら後ろへ跳んだ。でもそこに着地すべき屋根はなかった。あたしはきれいな弧を描いて頭から落ちていく。本当にこういう時ってスローモーションみたいに感じるんだね。謎のキャンペーンで増量中の運動神経も、空中では無意味。下は道路か最悪塀の縁。わけわかんないうちにお終いかよ、笑えないけど笑えるーとか冷静に考えているあたしに向かってくるネコ人間。あれ?こんな光景どこかで――。

 一瞬の間に、がっと抱えられてくるって回転したかと思ったら、すたっと地面に着地した。気が付けば黒い空とでかいサバトラの顔が視界一杯にあった。

「みゃにゃにゃ?」

 話しかけるように鳴いてくる。ネコ人間語は知らないけど、言いたいことは分かった。

「うん……だいじょうぶ」

 ネコ人間の手を借りて起き上がる。なかなかいないだろうなネコの手借りた人間。ネコ人間の後ろには、おろおろしているイヌ人間もいたが、あたしはもう逃げなかった。

「ありがと」

 いかにも「礼には及ばんよ」的に「ふぎゃあ」と鳴くネコ人間と、あからさまにホッとしているイヌ人間。

 少なくとも分かった。こいつらはそんなに悪いもんじゃない。イヌ人間が走って追ってこなかったことにも、納得がいった。キモいけどな。キモいから逃げたので誤解はない。だから謝らんぞ。

 受け入れがたいけど、まあ受け入れよう。それより落ちた時に何かを思い出しかけたことの方が大事だ。まだモヤがかかったみたいだけど一つだけはっきり分かるのは。

「……たぶんあたし、あそこから落ちてきたんだ」

 黒い空を見上げる。

「それで何かをするつもりだったような……ねえあんたら、ここ何なの?」

「ウワワワン」

「みゃみゃみゃ」

「マジでしゃべれないんか。それやっぱ着ぐるみじゃないんだな。いや答えなくていいよ。ま、こっちの言葉が通じれば……ん?何?」

 急に同じ方向を見たイヌ人間とネコ人間の視線を追う。

「うっわ、うっわ」

 道の向こうからやって来るモノがあった。

 それは一応人型で、でも全身が濃い灰色のざらざらした皮膚に覆われていた。それだけでもけっこうなもんだけれど、特筆すべきは頭で、太い首がくびれなく伸びて前へ垂れ、その先端の裂けたような口の中に針を重ねたような歯が並んでいた。互いに離れた位置にある丸い目は、どこを見てるか判然としない。

「うっわ」

 思わずもう一回言ってしまった。

 知ってる。あれは深海魚のラブカってやつだ。体は人型だけど。今度はラブカ人間ときた。

 そしてなぜか分かった。

 あれは絶対にヤバイ奴だって。

 さっき間違えておきながら言うのもなんだけど、いや間違えたからこそ分かる。あれはこっちのイヌネコとは全然違って、純粋に害意しか感じられない。

 そうしてあれを見て、また確信めいたものが湧きあがった。

「……なんとなく思い出した。あたしがここでしようと思ってたことは」

 拳を作って自分の掌を軽く打つと、力が漲るのを感じた。

「こういうのをブッ倒すこと。たぶん」

 あたしにはその力がある。このいかつい金ぴかグローブは、このためにあったんだ。たぶん。

「よっし……って」

 気合を入れたあたしが一歩踏み出すより前に、両脇からイヌとネコが飛び出した。

 獣らしい唸り声を上げながら一気に距離を詰めた二体は、すぐさまラブカ人間と戦闘に入る。戦い慣れしているのか、二体は巧みな連携でラブカの長い首による噛みつき攻撃を避けながら、ざらついた鮫肌に牙と爪をたてていく。

「すげ……じゃねーよ! 抜け駆けすんな!」

 一瞬見とれてしまったけど、決めるのはあたしだ! たぶん! 何も考えずに突っ込んでいく。

「うりゃあ!」

 あたしが金色の拳を打ち込む瞬間、イヌは腕に取りつき、ネコは首を押さえつけて、ラブカの体をあたしの前に晒した。なんだよ、わかってんじゃん。

「イカくせえんだよ! おらぁ!」

 一応言っとくけど、放った言葉には意味がない。ラブカはイカをよく食べるというのを思い出したから、因んだだけだ。イカ臭いとか知らない。記憶がないので。

 ゴムを打つような感触が拳に伝わって、手応えを感じた。

 一瞬の間のあと、ラブカ人間は奇声をあげて暴れだし、押さえつけていた二匹が振り飛ばされた。

「効いてない? あたしやっぱり非戦闘系女子!?」

 やらかしちゃったかな、逃げっかなとか思っていると、ラブカの動きが急停止した。

 次の瞬間、背中が裂けるように光が漏れ出したかと思うと、でかい光の玉が勢いよく飛び出して、黒い空を突き抜けていった。

「な、なに?」

 同時に、ラブカの体は抜け殻みたいにぺらぺらになって地面に落ち、やがて粉々になて消えた。

「……やったんだよね? これあたしがやったんだよね?」

 根拠のない直観だけで半ば衝動的に動いたけど、本当にいけるとは。ちょっと呆然としていると、ぱふんぱふんと気の抜けた音がした。見ればイヌ人間とネコ人間が手を叩いていた。

「肉球の拍手、しょっぼ。まだよくわかんないけど、これをするためにあたしはここにいるってことなのかな? で、こいつぶっ飛ばしてミッションクリア? あ、まだ二匹いるか」

 あたしが拳を構えると、やつらは慌てて手と首をぶんぶんと振った。

「……だいたいあんたらは何なの? あたしのこと知ってる? 何か用があって追いかけてたんでしょ?」

 二匹は顔を見合わせて、同時に首を傾げた。

「あんたらもそんな感じなの……?」

 なんもわからん奴しかいないのかよ。

「んじゃあ、わかんないんじゃ埒あかないし、これでひとまず終わりってことにして帰る?」

 もとの世界へ帰れば思い出せるかもしんないし、そうでなきゃ病院とか行くべきだし。そんでやり残したことがあるなら、思い出してから来るしかない。

「つーても、どうやって帰ればいいのこれ?」

 イヌネコはまた見合ってから、今度は同じ方向を指さした。

「あー、あれ」

 住宅街のずっと向こう、黒い空に刺さるように、ピンク色の細長い物体があった。幾つもの細い棒を寄り合わせた塔のようにも見えるそれは、実は最初からずっと見えてて気になってはいた。

「あれに上るってこと? 確かに落ちて来たんだから、上に行けばよさげだけど……」

 こいつらがどこまで確信を持ってるかは怪しい。とはいえ他に考えもない。

「しゃーない。行くか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る