ベイブ・スノーザランド
その夜、ベイブは震えていた。
血の気の悪い顔で、重厚な書斎机のうえで手を組む。
太い指には黄金の指輪がこれでもかとはまっていた。
その太い指で葉巻をとりだし、口にくわえながら火をつける。
息を数回はきながら葉巻に火をともした。大きく吸う。煙を吐く。
彼は小刻みに震える手で、葉巻を口から離した。
と、その時、扉が開いて、部下が入ってきた。
「……」
ベイブは充血した目で、部下を見つめる。
暖炉で薪のはぜる音がパチパチと耳障りだ。
「……はやく言え。どうなった」
「ボス、ボス……」
「はやく報告しろと言っているッ!! 何度も言わせるなこのトンチキがッ!」
「ぅ……尾行の報告ですと、アダム・アーティの暗殺は…………失敗したようです」
「くそオォおおおおおおおおおおおおおお!!!!!! うがああああああ!! ああああああああああああ!!! がああああああああ!」
狂瀾怒濤の豹変ぶりを見せ、ベイブは重厚な机を思いっきりひっくりかえす。
「だから言ったんだッ!!! あの男を殺せるわけがないッ! あの脳なしクソ野郎どもめッ!!!!! 条件反射と虚栄だけでいきるバカがあああ! その腐った肛門から内臓引きずり出してアシッドスライムを流し込んでやるッ!!!! 本当に愚かなやつらだッ!!!!!! 私だけにすべての責任を押し付けやがってぇええええええ!!!!!! ふざけるなああああああああ!!!!!」
頭をかきむしり、棚からウィスキーをひっぱりだして、ラッパ飲みして、熱い息を吐く。
大きな物音に集まってきた黒服のマフィアたちが、心配そうに扉のあたりで人ごみを作っていた。
「ははははっ! もうおしまいだーっ! あっははははははーっ! 全部おしまいだよ、完全に詰みだ!!!」
「ぼ、ボスまだ諦めるのははや──」
「馬鹿か貴様ッッ!!」
ベイブはウィスキーボトルを投げつける。
「先日の一件でなにを学んだッ! わからんのか、アダムは最強の殺し屋だ。私がこの40年間生きてきて、あれほどやばい奴には会ったことがない!! お前は耳も悪ければ記憶力も悪いようだから何でも言ってやる、アダム・アーティは最強の殺し屋だ。だれであろうとあいつからだけは逃げられない。神ですら、アダムから逃れるすべはない!!」
ベイブはネクタイを緩め、不思議と満足そうな顔をしていた。
「私は知ってるんだ。やつの凄まじさをな、嫌と言うほどに」
「戦うのが無理ならば、今すぐにお逃げになってくだ──」
「無駄だ。逃げられん」
ベイブは神妙な面持ちで、耳をすますようなジェスチャーをした。
「聞こえるか、お前たち」
「な、なにをですか?」
「狩り人の足音がだ」
────
「ずいぶん人が少ないんだな」
「私以外はみな逃がした」
1週間ぶりにきたスノーザランド屋敷、そのボスの書斎に足をふみいれる。
ここまで人っ子ひとりにも会わなかった。
「てっきり引っ越したのかと思ったよ」
「まさか。スノーザランドは三代も前からこの地にいるんだ。今更どこへいくという」
ベイブは穏やかに微笑む。
俺は床についた濡れたシミに視線をおとす。
「すまんな、散らかっていて。これでも整えたんだ。君を迎えるために」
「そうか」
ベイブはたちあがり、戸の壊れたキャビネットからウィスキーと、グラスを2つとりだして、机に置いた。
「待ってたよ、アダム」
深くため息をつき、ベイブは琥珀色の綺麗な液体でグラスを満たす。
もう1個のグラスにも同様に注がれる。
「ベイブ、あんたとはそれなりに付き合いがある。マムのところにいた時からだ」
「そうだな」
「あんたがこんなに馬鹿だったなんて思わなかったよ」
ベイブは沈痛そうな表情でうなだれる。
「アダム……君は特別だ」
「言い訳しなくていいのか」
「はあ……言い訳など、なんの意味もない。すべては失われる」
ベイブは身なりをしきりに気にして整える。
その表情には迷いが浮かんでいたが、意を決したように話しだす。
「これはひとりごとだ」
「……」
「サウスランド・ジェントルトンはアダム・アーティを殺す。組織への抵抗がひとりの殺し屋にとって可能だという前例をつくれば、我々組織が『殺し屋』を飼う構図が失われるからだ。やつらは、アダム・アーティを恐れている」
「……」
「はは…………はははっ………本当に馬鹿な連中だッ!!!! 待っていろよ、すぐにお前たちのもとへも『狩り人』が姿をあらわすぞッ!!!! ──」
俺は風の弾丸を放った。
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