虎の威を使う虎
「まだ名乗っていないって? そもそも誰って? そんなに知りたいの? 仕方ないわね。竜の学院鉱石学部の魔術師よ。マーキュリー、私の名前。姓は覚えなくていいわ、アーティくん」
氷のような少女──マーキュリーのあとを追ってやってきたサウスランドシティの街中で、俺はようやく彼女の概要を知った。
竜の学院……たしか大陸中から才能ある魔法使いたちが集まるっていう魔法魔術の総本山みたいな場所だったはずだ。ここゲオニエス帝国からはかなり遠い国だ。
彼女はそんな遠いところから来たのか。
「俺のことはそのクライアントから?」
「ええ。私は豊かな知識をもってるけど、外国のへんぴな地方で名を馳せている程度の殺し屋なんてさすがに知らないし、興味もなかったもの。あっ、ごめんなさい。あなたという人類の汚点から目を背けたくなってしまった私の弱さを許して」
「最後のが余計なんだよ」
なにが「あっ、ごめんなさい」だ。わざとらしい。
口を開けば悪口ばかりいいやがって。
ファーストコンタクトの時はそうでもなかったのに、話すたびに馴れ馴れしくなっていきやがるからに。完全に舐められてる。
「で、これどこに向かってんだ」
「村よ。サウスランドシティから馬で3日の距離にある村」
「遠いな。そこに世界を滅ぼす魔人でも封印されてるのか?」
「行けばわかるわ。あなたが何を求められているのかが」
ふと、マーキュリーが足を止めた。
彼女の視線をおいかけると、路地裏の入り口を見ているようだった。
そこには、驚くべき光景があった。
今まさに数人の荒くれ者がちいさな少女の口を塞いで、路地に連れこんでいく事件発生の瞬間であった。
「アーティくん」
「ん」
「知ってるかしら、ヒーローの資質」
「なんの話だ」
「事件に遭遇する才能よ」
「お前が何を言いたいのかわかった気がする」
あの少女を助けるか、否か。
俺にはその選択肢が与えられているとでも言いたいんだろう。
「だったら、俺はあの子を救わない」
「びっくりしたわ。あなたがそんなクズだったなんて」
「わからないのか。見ろよ。通りを歩いて、みて見ぬふりをする人々を。多くの人間にとって、危険な連中に目をつけられることは、大きなリスクになんだ。だからみんな内心では助けたくても、行動できない」
「なおさら意味不明だわ。あんなチンピラごとき、あなたにとって、いったいどれほどの危険になるというの?」
「意味がないってだけだ」
「あの子、殺されてしまうかもしれないわ」
「そうかもしれない。だが、あんなのサウスランドシティじゃ日常茶飯事なんだ。この町に限った話でもないか。明るみに出ないだけで、世界じゃそこらじゅうで悲劇が生まれてる。今ここで彼女を助けても、なにも変わらない。自己満足で終わるだけで、すべては不毛だ」
「あの女の子を救えるわ」
「彼女は助かる。だが、明日にはまたきっと誰かが襲われてる。俺はその現場に遭遇できるかわからない。もし遭遇したら、また助けなくちゃいけない。じゃないと嘘になる。言ってる意味わかるだろう。途中でやめたら、それは真実ただしい正義じゃないんだ。一度助けたら一生助けないといけない。それが出来ないのなら、そんな薄っぺらい正義感をふりかざすのはやめちまえ。気持ち悪いだけだ」
一度、人を殺したら一生それを胸に刻まないといけない。
俺は未来永劫、殺し屋として血で血をあらった過去からは解放されない。
もう背負いたくないんだ。叶うなら、あまりにも超現実的な過去を忘れて、綺麗な魔法を胸にだいて、脳内お花畑で生きていきたい。でも、それは不可能だ。
「だから、俺は助けないんだ」
マーキュリーはじっと俺のことばに、ピンと耳をたてて、納得したようにうなづく。
「パンを食べたことはあるかしら」
「なんの話をはじめようとしてるんだよ」
「答えなさい」
「……ある。みんなそうだろ」
「本当に?」
「ないやつなんているのか?」
「そう。それじゃあ、あなたはこの世のありとあらゆる種類のパンを食べたのね」
「……? いったい何を」
「まさか食べていないのかしら。この世に存在するすべてのパンを食べていないのに、パンを食べたことがあるだなんて語っていたの?」
「いや、語ってはないが」
「嘘をつくなら死になさい」
「ええ……」
なんだよ、まさか、こいつパンの話と俺の助けない理由がおなじだとか言って、教えを説くつもりじゃないだろうな。
「そのとおりよ」
「なにナチュラルに心読んでんだよ」
「あなたは動かない理由を探してるだけでしょ」
「行動したあとの未来を推測してるんだ」
俺が孤独をつらぬいているのも、他者に話しかけないのも、いつもひとりなのも、全部の想像力ゆえだ。俺は他人に価値ある時間を提供できないことを知ってる。
「だから、自分の中で結論をだして、正当化するのね」
「だから、心読むなよ。なんの魔法だ」
「魔法じゃないわ。あなた程度なら顔を見ればわかるだけ」
「これでも情報を引き出されないように訓練受けてるんだが……」
「とにかく、まず行動してみるべきだわ。いずれ結末が嘘になろうとも、あなたが目の前で困難に陥った人を助けたいと思っているなら、それはまぎれもなく真実にして本物の正義なんでしょうし」
「……説教臭いやつだな」
俺はうえの人間に逆らわないよう調教されて生きてきたが、基本的に他人の思いどおりに動くの嫌いだ。『黒い翼』の時みたいに、なんとしてもしがみつきたい理由でもない限り、命令なんてされたくはない。
命令されたくないから、自由を手に入れたいから、表世界にでてきた。
そんな超現実的世界だけが世界じゃないと期待してここにいる。
ましてや、こんないけ好かない年下に説得されて、動こうものなら俺という人間の矜持は粉々に破壊されてしまうだろう。
「そういえば、シェフを屋敷に置いてきてしまったわね」
唐突に、マーキュリーはそう言って踵をかえし、来た道を引きかえす。
なんのつもりだ、こいつ。
「アーティくん、あそこのレストランで待っていて」
「俺はもう食ったが。というか食わされたが」
「私とシェフはまだよ。身勝手なこと言ってると友達できないわ。ああ、友達なんていなかったわね、ごめんなさい」
「謝るなら1%くらいは謝意をこめろ」
「黙りなさい」
「……」
「人間関係で大事なのは協調性。人殺しすぎてそんなこともわからなくなってしまったわけではないでしょう。もしそうだとしたら、まだ、ドブネズミのほうが社会集団に属する能力があるわ」
さんざん俺を罵ると、彼女はこちらの言葉も待たずに、尻尾をふり乱して行ってしまった。自分勝手。性格最悪。お前こそ友達いないだろう。
彼女の背中が見えなくなった。俺はすぐに駆け出した。
路地裏は暗く、狭い。
人が3人並んだらいっぱいいっぱいだ。
俺は石畳みに視線を落として、水たまりからつづく真新しい足跡を追いかける。
痕跡に導かれるままに小汚い扉の前にたどりついた。
ドアを押し開く。視界に入ってきたのは、横たわる少女と、それを囲む3人の男。
「邪魔する」
「ッ、ちょ、てめえ、なに勝手に入ってきてんだよ!」
3人のうち一番小柄な男が叫ぶ。
「ドアが開いてたもので」
「ドアが開いてたら入っていいのか?! ああん!?」
詰め寄ってくる小柄な男を無視して、女の子へ視線をむける。
女の子は身なりが綺麗だった。清潔な服を着ている。
髪の毛は白く、さらさらだ。裕福な家庭の子供らしいと見える。
となると、彼女の親が、こんなチンピラまがいの反社会的な事務所から金を借りている可能性は低いように思える。
チンピラが借金の形に債務者から子供を奪うのはままある話だが、今回はそういうわけじゃないだろう。
そもそも、通行人Aにすぎない俺に目撃されるくらい雑な犯行だ。
計画性も薄い。
となると、衝動的なものである可能性が高い。
「お前たちがどこの者か知らないが、善良な市民に無暗に手をだすのはファミリーに迷惑をかけるんじゃないか」
「知ったような口きいてじゃんねえよ、ガキが」
小柄な男が俺の胸倉をつかんでくる。
その背後から「まあ、落ち着けよ」と、小柄な男の肩に、細身の男が手を置いた。
「やあ、ぼうや。サウスランドシティにマフィアがいるのを聞きかじって正義の心に目覚めちゃったのかな? だとしたら、今のうちに引きかえすことをおススメするぜ」
細身の男は俺の背後のドアを指さす。
「ぼうやが思ってるほど世界は綺麗にできてないんだ。大人になればたくさん汚いものを、それこそ地獄があることを知ることになる。──その前に死にたくはないだろう」
細身の男は短剣をとりだした。
薄っぺらいくせに俺とおなじ主張をもっている。
まあ、もう捨てた主張だが。
「あんたよりもっと酷い汚濁の海を泳いできた。だけど、綺麗なものはあると思う。崇高で美しいものはあると思う」
でなければ、この現実的すぎる世界に価値なんてない。
「そうか。んじゃあの世でほざいてな!」
鋼の鋭利が突き出される。
捕らえられていた少女が目をつむったのが見えた。
「だからリスクが高いんだよなぁ」
「なっ!?」
善良な市民を害するのがクズなら、それを助けられるのもクズしかいないなんて、この世界はほんとうに皮肉な構造だ。
細身の男はゆっくりと手をもちあげる。
それは先ほどまで彼が短剣を握っていた手だ。
しかし、今となっては手首があらぬ方向へ曲がっている。
「リストを外した」
「あ、ああ、ああああああ!!?」
泣き叫び床の上を転がる細身の男。
関節を外しただけだが……初体験な者にとっては耐えがたい激痛か。
驚愕して固まっている小柄な男は、たかが外れたように「てみゃああああ!!」と咆哮をあげながら、椅子をもちあげて殴りかかってくる。
軽くいなして、肩の関節を外すことで無力化する。
残された不健康そうな男は、震えあがって這いつくばる。信じられないようなものを見る目だ。
「て、て、てめえ、こんなことしてタダで済むと思ってんのか……!? 俺たちは天下のスノーザランドだぞ!!?」
おや?
こいつらスノーザランドファミリーなのか?
しかし、俺の事を知らないと見える。
まあ、ガーヴが知らなかったくらいだし、組織の木っ端や、興味のないやつは知らないか。
俺はそんなことを思いながら、少女に近寄る。
きめ細やかな金髪をした可愛らしい少女だ。まだ12歳くらいだろうか。
「あ、あわわ……」
「助けにきたんだ。さあ、お兄さんここをでよう。そして、騎士団にこの悪い大人たちをつきだすんんだ」
少女は震えていたが、こくこくと首をふって理解をしめしてくれた。
頭の良い子だ。子供は苦手だが、物わかりが良ければ悪くはない。
と、そこへ、ドアの開く音がした。
俺が入ってきたのと別のドアである。
黒いスーツを着た、身なりの整った男だ。
チンピラたちとは風貌が違う。
「あ、兄貴いい!!」
不健康そうな男が懇願するように声をあげる。
床の上でのびていたほかの二人も「兄貴ッ!」「アニキィ~!」と、示し合わせたようにコーラスを作りあげていく。
兄貴と呼ばれた男は、現場の状況を見て、目を白黒させていた。
が、不健康そうな男が、兄貴へ事情を説明するなり、彼の視線が俺にむいた。
「あいつです、あいつがいきなり殴りこんで来やして! 無抵抗な俺たちを一方的にボコボコに!」
脚色をまじえて告げ口すな。
「ほう、おもしれえな。俺たち天下のスノーザランドに喧嘩を売りに来たって分けかよ、ああ?」
兄貴さんが俺に近寄り、顔を急接近させてメンチ切ってくる。
じっと見つめかえす。
そんな時間が5秒ほどすぎると「……ん?」と、困惑した声をもらして、兄貴さんがあとずさった。
俺の顔をまじまじと見つめては、だんだんと動揺の色を濃くしていく。
木っ端たちは「アニキ……?」「兄貴?」「ど、どうしたんすか?」と、同じく狼狽した様子になっていく。不安が伝染していた。
「あ、あ、て、てめえ、もしかして……あっ、違う、お前は……あなた様は、もしかして──」
「そうか。わかってくれたならいい」
俺は兄貴さんの言葉を遮り少女の手を握って出て行こうとする。
「ま、待ってください……ッ!!! そちらのお嬢様はもしやあなた様の娘さんだったのでしたか?! こいつらがそちらのあなた様のお連れのかたに、なにかご無礼を!?」
兄貴さんはすがりつくよにスライディング土下座をして、俺の足元から見上げてくる。
ちょっと面白い状況になっているので遊ぶ。
「ああ、困るんだよなあー! うちの子を攫われたらよー!」
「ッッッ!!!? うちの子をォォ!!?」
「それに短剣で斬りかかられたりー」
「たんけッ、斬りかかるるぅう!!?」
「椅子で殴られたりもしたなあー」
「いすゥゥゥ!!!!!」
兄貴さんは血相を変えて、倒れた椅子と凝視し、落ちている短剣に悲鳴をあげる。
「君さあー知ってんでしょー?」
普段絶対しない粘っこい喋りで、兄貴さんの肩に手を置く。
いや、誰だよ俺。声キメえな。
兄貴さんは瞳を潤ませ「大変申し訳ありません……このことは、ボ、ボスにだけは……ボスにだけは……」と、ちいさく俺の耳元で繰り返していた。
「まあー、それもぶっちゃけ君次第だよねえー?」
「っ! お、おい、てめえらさっさと誠意込めてこの方に謝れえええ!!」
「ちょっ待てよー」
俺は兄貴さんの肩を抱き寄せる。そして、できる限りの粘っこいいやらしい声で「今更、謝ってすむと思ってるん?」と、”るん”にアクセントを置いてクソうざいイントネーションで言う。
「は、ははあ……っ、それじゃ、あの愚か者どもにはしかるべき処遇を用意します……」
「ん。いんじゃないん♪」
「で、では、そういうことで……あの、本当にボスにだけは──」
「うんうん、わかったわかったー。まっ、そういうわけだから今後はまじ気をつけなって感じ? ちゃお!」
俺はそう言って、堂々とした足取りで部屋を──スノーザランドの事務所をあとにした。背後でドサッと崩れ落ちる音が、兄貴さんの心労そのもを表しているような気がした。
にしても、我ながら終始クソウザだったな。
「はあ……………不毛だ」
やっぱり、なんの意味もないじゃないか。
「お、お兄さん、あ、ありがとう、ございます、助けて、くれて……」
「……。ああ」
ありがとう、か。
俺は顔をあげる。
空は澄み渡るように青い。
俺はこんな空のしたで平気で血まみれの殺しが行われていることを知っている。
だから、ちいさな命を救ったことが、なんだかお遊戯をしているような風にさえ思えてしまう。
だけど──。
ひとつの悲劇を防ぐことができたのは、たしかな事実だと受け入れてもいいかもしれない。
この救済が、現実的すぎる世界にとって、どれほどの意味があるのか測りかねるが……すくなくとも綺麗な出来事を生みだせたはずだ。
荒野に一凛だけ咲いた花の気分だ。すぐに枯れて種は耐えてしまう。そうとわかっていても、咲き誇っているその瞬間だけは、たしかに本当だ。
その本当が俺にはあまりにも美しく見える。
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