クライアントと氷の使者とシェフ


 鼻孔をくすぐる柔らかい香りで俺は目覚めた。


 匂いにつられてベッドからするりと出る。この美味しそうな香りの発生源を突き止める必要があると思った。本能にだけにまかせた頭の悪い行動と分かっていながらも、俺の足はリビングまで最短ルートでむかっていた。


「ドラゴンブレス風虹色ラビッテのボンバーダステーキでございます」


 気がついた時、俺は席に着き、ナイフとフォークをカチャカチャ鳴らして肉厚のステーキを切り分け、旨味と脂のしたたるさまを恍惚として見つめてしまっていた。

 なんたる暴力。なんたる威力。口に入れた瞬間、繊維の隙間に隠れていた濃厚でいえしつこくない香りがはじけ飛んだ。


 この旨味はすばやくDNAに届く。

 うますぎて外見上で服まではじけ飛ぶ錯覚に襲われたほどだ。


 すぐ隣に白く長いコック帽をかぶった精悍な顔つきのシェフがたっているのに気がついたのは、ステーキを完食したあとだった。うますぎる!


 プロの殺し屋として、要人を狙う機会の多かった俺は、隣にシェフが立つような場面も経験したことがあった。

 ゆえにコミュニケーションに問題を抱えていようと、事務的に「ごちそうさま。美味しかったよ」と言えた。


 逆に言えば、それ以上は気の利いた言葉を見つけられない。


「あなたの馬ならここにいるわ」


 そう述べる声とともに、黒い封筒が机の反対側からスーッと滑ってきた。

 資料が入るおおきめの物だ。


 声の主は例の少女であった。

 犬耳が生えた氷のような少女が、ひじを抱いて対面に立っていた。

 

 俺が話を聞かないから、単刀直入にきりだしたわけだ。

 大正解。その術は俺に効く。


「ありがとう。ちょうど探してたんだ」


 親切な隣人に礼をいうかのように、気さくな手で黒い封筒を受け取ろうとする。

 が、少女はバシッと上から押さえつけてしまう。


「これは報酬。まずは私の依頼を受けてもらうわ」

「俺が誰だか忘れたのか? 殺し屋だ。なんならお前を殺して封筒を奪うような危険な考えと、選択肢と、それを選ぶ経験と、選べる能力をもった人間だぞ」

「でも、そうしない。あなたは依頼以外で人を殺したことがないと聞いたもの」

「それは嘘だ。ほかにもわりと殺してる」


 本当だ。訓練時代にたくさん殺人の練習をさせられた。

 

「昨日もちょうど依頼以外で殺してる。私情でな。わかるか? 俺はそういう人間なんだよ」


 感情を宿さない綺麗な顔がわずかにこわばったように見えた。

 恐ろしいか。そうだろうな。その顔は何度も見てきた。わかるわかる。わかりすぎてワカメになる。なにそれ訳わかんねえ……。


「でも、あなたは殺さないわ」

「……自殺志願者ですか?」

「違うけれど?」

「そうですかい……」


 一拍置いてから、俺はすばやく黒い封筒を奪い取ろうとする。

 が、少女は俺の手からするっと封筒を抜き取ってしまう。


「その手は喰わないわ」

「忌々しい奴め」

「ふふん」

 

 少女は控えめな主張の胸を自慢げにそらす。

 慎ましいことこの上ない。


「今気づいたのだけれど、あなたとても死んだ目をしているのね」


 やかましいわ。とても死んだ目ってなんだよ。そんな言葉は無い。


「デザートです」


 となりのシェフが魔法王国の貴族が食ってそうなオシャレな一品を机にだす。

 

「というか、この人は?」

「私が連れてきたの。シェフよ」

「いや、それはわかるんだ。でも、ただのシェフじゃないだろ」


 シェフと少女はキョトンとして顔を見合わせる。


「そう見えるの?」

「……。その帽子すこし重そうだな」


 俺はシェフの顔をうかがいながらつづける。


「それにコックコートは布で出来てるのにやけに張ってる。重たい物、たとえば金属製のナニカを内側にしまいこんでるとか……包丁よりよほど大きな刃物かな。知らんけど」

「そうですか……流石です、ミスター・アーティ」


 シェフはにこりと微笑む。


「お会いできて光栄です、私はシェフ。暗殺ギルドでは『死の料理人』と呼ばれています」

「丁寧にどうも。……もしかして名前もシェフ?」

「偽名ですが、本名を使う予定もないのでそう思っていただいて結構です」

「はあ」


 殺し屋なのは雰囲気でわかってた。

 特別驚くようなことじゃない。

 ていうか俺ステーキ食べちゃったけど平気かな。

 平気じゃないよな。だって『死の料理人』だもん。


「ご安心を。私は料理にだけは真摯です。けして毒殺などという方法はとりません」


 変なポリシーのある殺し屋は強い。


「毒を盛るのは刃物だけです」


 いや、毒殺専門やないかーい。

 ついつい声を荒げそうになるのを堪える。ツッコミ待ちだったら申し訳ない。


 にしても、これはちょっと面白い展開じゃないか。


「ははは」

「なにを笑っているのかしら。気持ち悪い」

「……。んっん。お前、さっきはずいぶんと自信たっぷりだったようだが、内心じゃかなり怖気づいてたんだろう?」


 俺は得意になって少女へ言った。


「どうしてそう思うの?」

「お前は最初は護衛をつけてなかった。だが、今は腕利きの殺し屋を、給仕に見せかけてしこんできた。つまり、俺とのファーストコンタクトで殺し屋相手にひとりで交渉するのが怖くなったわけだ。違うか?」

「違うわ。彼が遅刻してきただけだもの」

「そして、ミスター・アーティ、私は変装しているのではなく、これが仕事姿なんです。表向きは高級レストランのオーナー兼シェフですので」


 推理が外れた。

 

「ふ、ふん。まあ、そういうことにしておいてもいいだろう。ふむ」


 そう言って、俺の傷口を広げたくて仕方がなさそうにしている少女をけん制する。

 これ以上ダメージが広がらないうちに話題を変換しよう。


「ところで──」

「間違えたのだから、謝ったらどうかしら?」

「ところで、俺への依頼というのは?」

「……。まあいいわ」


 少女は黒い封筒を背後へまわして席に着く。

 俺はデザートをパクっと平らげてシェフに皿をさげてもらう。


「ごちそうさま」

「お粗末様です。6万マニーになります」

「金取るのかよ」

「当然です。プロですから」


 全力の迷惑そうな目を少女へ向けると「私はあなたのママではないのだけれど」と、彼女は嫌味っぽく言った。自分で食った分は、自分で払えってか。


 仕方ないので元クエスト準備室の金庫から死の通貨をワンカートン取り出して、紫の輝きをもつコインを一枚シェフに渡す。


「釣りはいらない」

「ありがとうございます」

「あなたってやっぱりお金持ちなのね。殺し屋って儲かるの?」

「儲からないと誰もやらないだろ、こんな危険な仕事」


 とはいえ、俺の現状の資産は、俺が現役時代の総報酬額に比べたら微々たるものだ。今あるのはマムが餞別に持たせてくれたお小遣いにすぎない。


「で、その封筒はどうしたらくれるんだ」

「クライアントはあなたの力をこのまま腐らせるのはもったいないと考えているわ」

「つまり、殺しだろう。だとすれば、やはり帰ってもらうしかない。クラリスは自分で見つける」

「見つからないわ。わかってるんでしょう?  あなたの仲間は優秀な情報屋なのに、まだ足取りを掴めていないんだもの。きっとクラリスの持ち手は、アダム・アーティの馬だと知って隠ぺいをしているのよ」

「でも、時間をかければ見つかる。俺はプロだった。経験上、物も人も完全に隠すことは不可能だと知ってる」

「間違えてはいないわ。現に私のクライアントはとっくにクラリスを見つけているのだし」


 クライアント。裏社会に精通した影の有力者なのは間違いなさそうだ。


「それとひとつあなたが勘違いしていることを訂正するわ」

「勘違い?」

「クライアントはあなたの力を善行に使ってほしいだけらしいの。あなたは変われるわ。犯罪者同士の争いや、犯罪者たちが事実を闇に葬り去るための実行犯ではなく、もっと綺麗なヒーローに」


 全身がかゆくなる歯の浮いた勧誘だ。

 馬鹿馬鹿しい。


「私は興味ないけれど、私のクライアントはあなたにもっと有意義な使命と、人生の意味をあたえたがっているわ。そういう意味では、私もあなたに同情しているのよ。他人の悲劇を積みかさね、私腹をこやす犯罪者たちのために、人殺しすることでしか生きられない憐れな生物にも、なにか別の生き方があってもいいと思っているわ」

「どこから目線なんだよ、お前たちは」

「もちろん上からよ。私はあなたみたいな下等で、下劣で、醜い境遇の可哀想な人間とは違うもの」

「お前それほかの殺し屋のまえで言わないほうがいいぞ」

「大丈夫よ。私は殺されないわ」

「その自信はなんだ」


 開口一番、まっさきに殺されそうなんだが。


「私って可愛いでしょ? それに有力な貴族だし、すごく頭もいいのよ。竜の学院では成績もトップなの。剣術、魔術、芸術、音楽、科学、あらゆる分野で天才と呼ばれてきたわ」

 

 う、こ、こいつなんて自画自賛女なんだ……。

 

「それが本当だとしても──」

「本当よ。殺しをやらせれば、3日もあれば、きっとあなたより優れた殺し屋になれるわ」


 少女の声は確信しているようだった。

 自分が何者よりも優れた万能の超天才であることを。

 自分がもっともすぐれた人間であることを。


「だから、殺されないのよ。私には無限の価値があるのだから。あなたそんなこともわからないなんて、人を殺し過ぎて馬鹿になっちゃったのかしら」

「うん、お前ぜってえろくな死に方しねえわ」


 あきれて物が言えない。

 よくもここまで唯我独尊な性格を形成できたものだ。

 普通ならこうなる前に、だれかが優しくプライドを折ってやるものではないのか。

 いや、普通を知らない俺が言うのもなんだけどさ。


「で、善行ってなんだよ。ゴミ拾いでもしろってのか」

「世界を救ってほしいのよ」

「……畑違いだ。そういうのは冒険者に頼めよな。英雄様とかに」

「あなたは冒険者でしょう?」

「元・冒険者だ。ろくでもないパーティは解散したんだ。メンバーが行方不明でな」

「ならソロなのね。ちょうどいいわ。フットワークが軽そうで」


 そう言うと少女はたちあがる。

 そのまま穴の開いた壁から外へ向かおうとする。


「帰るのか?」


 俺は彼女にたずねる。


「なに寝ぼけたこと言っているの。冗談は顔だけにして。あなたも来るのよ」

「顔も冗談じゃないんだよなぁ……。てか、普通に行かないが」

 

 少女は黒い封筒をもちあげる。


「殺し屋アダム・アーティに頼んでるんじゃいわ。あなたに頼んでるの。ただのアダム・アーティに。世界を救ってって」


 なんだよ、世界を救えって……。 

 

「抽象的にすぎないか? もっとはっきり言えるだろう」

「百聞は一見に如かず。自分の目で見て判断して、そして、あなたの意志で行動しなさい」


 自分の意志。

 耳の痛い言葉だった。

 俺に意志なんてあっただろうか。

 俺は自分で選んでここまで来たのだろうか。


 ふとした少女の一言に、沈思黙考をさせられていると、彼女は我が意を得たりとばかりに言葉をつづけた。


「これまでだいちゅきなママの命令で人を殺して、今度はいけすかないマフィアの庇護のもとで、偽りの冒険者ごっこをやらされて、なにひとつ自分で選んでこなかったのでしょう」

「……。くそ。そういう言い方もできなくもないこともない、かもしれない」


 マトモになる。

 それはいままでの人生を振りかえるに、ただ足を洗うだけの消極的な生き方ではかなわない事なのかもしれない。


 大きな減点を打ち消すだけの加点が必要なのかもしれない。

 自分で選んでこなかった分だけ、選択しないといけないのかもしれない。


「まあ、暇だし、やることもないから……聞くだけ話を聞いてやるよ」


 シェフが「どうぞ」と俺の愛杖であるブラックポーラーとタングナイフを渡してきていた。どこから持ってきた、おい。


「お気になさらず」

 気にするわ。


「そんな目でみないでください。机に置いてあっただけですから」


 そういえば、昨晩は疲れたまま装備を放りっぱなしにしてたんだっけか……。


 俺は黙したまま杖と刃を受け取り、のっそりと腰をあげる。

 少女の澄ました顔が、すこし得意そうになった。

 むかつく顔。ほんとに嫌なやつ、嫌なやつ、嫌なやつだ。


「なにをぼーっとしているの。かかしに転職するつもりかしら?」

「ちげえよ。さっさと連れて行けよ、世界を救うんだろ。もっと急げよ」

「あなたに言われたくないわ。呑気にランチしていたくせに生意気よ」


 俺と彼女は言いあいしながら屋敷をあとにした。

 ふりかえるとシェフが穏やかな顔で見送りにたって手を振ってきていた。


 あんな怪しい男を我が家に残して平気だろうか……。

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