一億の男


 盛大に散らかった屋敷を見てまわり、寝室に戻る。服を着替えた。フロックコートである。内側は2つボタンのベストをシャツのうえに着る。パンツを履いてブーツを履けば、それなりに立派な紳士に変身完了だ。


 伝統的暗殺者の装飾では、職業:盗賊の冒険者としてなら通るが、これから向かう場所にはすこし不適切だ。そうでなくとも、普段使いするには違和感を見るものに与えてしまうことが多い。


 最低限の装備を自宅で整えて、俺はサウスランド牧場へおもむき、そこで足としての馬を購入した。

 その足でサウスランドシティへ戻り、澄んだ空気が心地よい朝のうちに暗殺ギルドへと向かった。


 サウスランドシティ暗殺ギルドは、5階建ての石造の建物である。古い時代の建築様式を取り入れており、なかなかに洒落た建物だ。知らぬ者が見れば高級宿屋とでも思うだろう。


 実際にそういう側面もある。

 表向きは会員制のカジノ付き高級宿屋という名目で通っているくらいだ。


 もちろん、看板にデカデカと暗殺ギルドとは書かれていない。


 裏の名目上は『ハンターズオアシス』だ。

 殺し屋たちには、単にオアシスと呼ばれることの方が多い。


 暗殺ギルドのひろびろとした玄関ホールをまっすぐ進むと、受付にたどりつく。

 

「ようこそ! ハンターズオアシスへ!」


 穏やかな微笑みをたたえる愛らしい受付嬢が迎えてくれた。

 俺はその顔を見て、すこし訝しむ。マムのところにいた子に似ていたからだ。


「宿を取りたいんだが」


 俺は不自然にならない程度に、受付嬢の顔をガン見する。あの子か? いや、でも向こうは気がついてないな。人違いか?

 内心で「殺し屋として慕ってくれてたし、話しかけてくれたりしないかな?」とか、相手からのアプローチを待つ、何様コミュ障をこじらせつつ、俺は、滑らかなカウンターのうえに死の通貨を1枚すべらせるようにスーッと差しだす。

 受付嬢は表情ひとつ変えることなくそっとソレを受け取ると、代わりに鍵をカウンターのうえに置いた。

 

 部屋番号を告げられ、俺は鍵の番号が間違ってないことをチラ見して確認し、受付嬢に一言「どうも」と言って、カウンターを離れる。

 

「アーティ様」

「……」


 え? なに?

 とか間抜けに返しそうになるのをグッとこらえる。あくまで俺は殺し屋。特にここじゃそれなりに風格ある人物として通っている。


 厳しい雰囲気を崩さず、半身でふりかえって受付嬢のどことなく明るくなった笑顔を見やる。


「おかえりなさいませ」


 おかえり、では無いんだよなぁ。


 事情を説明するのも面倒だ。

 適当なことをいってアダム・アーティの帰還を期待されるもの、な。

 

 俺は黙したままうなずき、特に声をかえさずにその場を立ち去ることにした。


 うーん、やっぱ人違いかなぁ。

 聞けば答えてくれたかなぁ。

 でも、それって、久しぶりに再会を口実に口説いてるみたいでウザイよなぁ。


 考えた末、いつもどおりの結論を得る。

 寡黙を選んでよかった。何も聞かなくてよかった。

 そうして、やはり思考の帰結はコミュ障万能理論を補強するだけに終わった。



 ────



 俺は部屋には向かわず、その足でオアシスの地下で運命されているカジノへと向かった。


 カジノの出入り口はいくつかある。


 たとえば、オアシスの建物の横にあるアパートのある部屋のタンス裏から行ける。

 たとえば、トイレの個室の便器の奥の隠し扉からも向かえる。

 たとえば、オアシスの下を流れる水道からハシゴが掛かっていたりもする。


 とはいえ、これらは入るための道というよりは、出るための道なのだが。


 暗殺ギルドの本部ではなにがあるのかわからない。

 上位組織に粛清されるかもしれない。ハンターズ以外の、他の暗殺ギルドが殲滅戦を仕掛けてくるかもしれない。


 血で血を洗う現場ゆえ、客様にはこうした逃げ道をカジノ側がサービスで用意してくれている。カジノに信頼されるとより多くの情報を解禁してもらえるようになる。

 

 カジノへ入ると、まるで別世界に来たような感覚を覚えた。


 艶のある木素材と、緑色の高級感あふれるラシャで、シックなデザインに仕上げられた遊戯台がフロアの随所に設置されている。遊戯台ではディーラーと客がゲームを楽しんでいた。雰囲気としてはカジノというより、大人なバーに近いかもしれない。


 カジノ全体に厳粛でプロフェッショナルな空気感が漂っている。

 この空気は変わらない。


 しかし、朝だというのに。ここいくると本当に時間の感覚がおかしくなる。

 

 俺はゆったりした余裕をもった足取りで、遊戯台とドリンクをお盆に乗せて配るボーイのあいだを縫って、奥へ奥へと向かう。


 目的の人物はすぐ見つかった。


 小柄な老齢の男で、俺より頭ふたつ分ちいさい。

 仕立ての良い深紅のスーツが良く似合っている。


 彼は奥のこじんまりとしたスペースで若者とカクテルをのんでいた。

 ちかづくと、向こうから気がついてくれた。


「これはこれは珍しい男が来たな」


 そう言うのは俺の探していたカジノ支配人のゴフテッドだ。

 彼とはなしていた若い男は、品定めするような視線をこちらへむけてくる。


「ライダーくん、失礼だがすこし席を外してくないかね」

 

 ゴフテッドが言うと、ライダーと呼ばれた彼はのそっと腰をあげ、俺の横をぬけて向こうへいった。すれ違いざままで、視線は俺の瞳をまっすぐに見つめていた。


 さっそく嫌われた。俺は確信する。

 ぼっちは言葉を使わないコミュニケーションの達人だ。

 とりわけ、殺し屋たちからの初対面嫌われる率は異常。出る杭は打たれるなんて程度じゃなく、もはや撃たれまくってハチの巣にされるレベルだ。


「アダム君、座りたまへ」


 俺は腰を下ろしながら「ガーヴ・スノーザランド」とだけ言った。


「平穏を壊された気分はどうだね」

「耳がはやいな」

「当然。私をだれだと思っている」


 カクテルをひと口飲みながら「ガーヴ君なら屋敷から移動してはいない」と、彼はつけたした。


 ゴフテッドは話がはやくて助かる。

 俺のような人間にとってはこれくらい簡潔なのが一番いい。


 俺はクレジットを5枚机に置いて席を立つ。


「アダム君」


 俺はふりかえる。


「また、この世界にもどるのかね?」

「……いいや」

「そうか……。残念だ」


 ゴフテッドは演技腐ったしんみり顔をつくると、視線を俺からはずしてスーッと遠くへむけた。


 彼の視線の先には巨大な掲示板があった。


 ──殺し屋が暗殺ギルドから任務を受注する場合、冒険者ギルドで冒険者がクエストを受けるのとはすこし訳が違う特殊な形態がそんざいする。


 それは冒険者たちにとっての緊急クエストに似ている。

 早い者勝ち、達成すればギルドからの信頼爆あがり……暗殺ギルドではそのようなクエストならぬ殺しの一斉募集は『死の公募』と呼ばれている。


 とある公募依頼が10分後から有効になるらしく、掲示板前の広場では、殺し屋たちがそわそわしているのが見てとれた。


 しかし、困ったな。大マフィアに狙われるとこうなるのか。

 

「……公募は暗殺ギルド側からしかだせないんじゃないのか?」

「金を払えば枠を貸し出すことは可能だとも。大マフィアならその資金を捻出することも、まあ、できなくないだろう」

「なるほど。だから俺の顔が掲示板に乗ってるのか」

「ベイブ君は本気だ。公募枠1時間500万マニーで、それを半日分買った」

「6,000万……か」

「そして、達成者への報酬は4,000万。わかるかい? あわせて1億マニーだ。それをポンっとだしたんだ! 君を殺すために」


 ゴフテッドはスナップを効かせて、こつんっと机をたたく。やたらテンションが高い。


「まさしく『億の殺し屋』にふさわしいだけの本気っぷりだろう? 彼はその時間をつかってどこか遠くへ息子を逃がすだろう」


 しわだらけの顔が、1年ぶりに孫の顔見たように楽しそうに歪んだ。


「ハンターズオアシスにいれば、殺し屋たちは仕事できない。だが、ここで公募の終了まで引きこもっていてはガーヴ君には逃げられる。さて、どうする」


 俺は「そうか」とだけ返して、彼に背中を向けた。


「やはり、君はいつだって狩る側の人間だ。──幸運を祈る、アダム・アーティ」


 あまたの視線を背中に感じながら、俺はカジノをあとにした。

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