無詠唱の魔法使い


 深い夜というよりも、かなりはやい朝と言うべき時間帯のできごとであった。


 近所では有名な大きな屋敷の柵をこえて庭に侵入する黒装束の影があった。

 その数は20人ほど。黒いマスクをしフードで顔を隠している。

 腰に剣をさげ、クロスボウを手にしていた。

 ずいぶんな武装集団である。


 黒づくめの集団は、屋敷を四方から囲むように展開して、すぐに屋敷は完全包囲された。


 リーダー格の男は、手に魔法の杖をもち、仲間たちの侵入するのを後方から見届けてから、自分もゆっくりと屋敷へ足を踏みいれた。


 与えられた任務はサーチ&デストロイ。

 至極シンプルであった。


 リーダーの魔法使いは思う。

 これまでスノーザランドの私兵として、数々の邪魔者を片付けてきた。

 今回だって楽勝だろう。

 20人もマスクメンを送りこむなんて、ボスは過剰に心配しすぎだ。


 魔法使いは、腰をわずかに落として足音を殺し、突き出すように杖を構えて、敵の姿をとらえたら、決して的を外さず魔法を放てるように慎重に屋敷のなかをクリアリングしていく。


 すぐ横には、クロスボウを構て、腰を落として静かに進む仲間が3人いて、お互いをカバーするようにフォーメーションをつくっている。


 裏口から侵入し、キッチンのクリアリングを完了する。

 しんと静まりかえった暗闇であるが、窓からうすく朝焼けの明かりが、差し込んできており、目を凝らせば室内を見通すことはできた。


 キッチンスペースをぬけて、リビングへとやってくる。二階とは吹き抜けでつながっている。異様に高く感じる天上からは、前衛的なデザインのシャンデリアが垂れさがっていた。


 リビングにはクロスボウを構えた仲間が集まってきており、各方面からクリアリングをして、ここで落ち合ったのだった。


 どうやら一階はこれでクリアらしい。


 となれば次は二階だ。


 魔法使いの男は、クロスボウを構える仲間にうなずく。先行しろ、という合図だ。


 二階へと昇っていく階段の、その両脇にマスクメンは待機するなか、先行するように指示を受けたマスクマンだけは意を決した。


 不運なマスクマンは思う。

 大丈夫。背後から仲間が援護してくれる。

 それに、リーダーは有名魔法学校で魔法を勉強した真のエリート魔法使いだ。

 なにかあればかならず対処してくれる──


 マスクマンは己を鼓舞しながら、階段脇からとびだす。クロスボウの照準を階上へ、二階の踊り場へとむけた。


 ハッとを息を呑んだ。


 薄暗い中、目が慣れていた。

 だから、クロスボウのアイアンサイト越しに見えた。

 自身へ短杖をむけて直立している人影が。


 瞬間、風が吹き抜ける。室内でだ。静寂そのものだったはずの空間でだ。いきなりビュンッと突風がふいたような暴力的な風音が響いた。

 

 その音が聞こえると同時に、先行する仲間に続くマスクメンの顔に、ビチャッと鮮血がふりかかった。

 ただの湿り気だったそれは、鼻が匂いを知ってしまえば、砕けた脳漿の臭いにほかならない。


 頭に風穴を開けられた物言わぬ死体が、階段下に落下して、ようやくマスクメンたちは慌ただしく動きだした。


「矢か!」

「違う、魔法だ、風の魔力を感じた」


 魔法使いの男は、練り上げられた魔力の練度の高さを、魔法感覚でとらえていた。


 結果、アダム・アーティが使ったのが、ごく初歩的な風属性一式魔術であることもわかってしまった。


「ははっ、しかし、一式魔術とは……お前たち、敵は存外、恐れることはないかもしれない」

 

 魔術は初等魔術である一式から、神代の魔術とうたわれる七式までで、その術の難易度、効果範囲、威力など、まったく違うものだ。

 

 ただ、一式はナイ。ほんとにナイ。

 一式魔術を披露するなど、魔法使いとして恥ずべきことと思ってる者もいるくらいだ。

 一式の魔術はごく基礎的な式のせいで効果が単純で、引き起こす現象にも限度がある。

 だから、魔法使いが実践で使うなら、多節式となる二式以上の魔術が基本となる。


「素人めが。いいだろう。この俺の魔術の最大火力で吹っ飛ばしてやる」


 魔法使いの男は杖を軽く握りしめ、詠唱をはじめる。高速詠唱はできないが、それなりに魔術の発動速度ははやい自信があった。


「神秘の理を御する者よ 源泉より湧きいずる炎々たる猛威となり 混沌の片鱗を見せたま──」


 言いかけたところで、シュタっと、何かが視界の端におりてきたのをとらえた。


「ん?」


 見れば、マントのようにはためく黒い布が、おおげさに重厚ななびいていた。


「ひ、ひいい?!」

「「きたぞ!」」


 フードを目深にかぶる黒い狩り人は、舞い降りるなり、まず一番近くにいたマスクメンの頭を風の弾丸で撃ち抜いた。血潮が飛び散る。


 ──これで8人目……ぁれ、思ったよりいるな……。


 そんなことを思いながら、黒い狩り人は近接戦闘対応型の構えで持つ杖先を、敵へあわせる。


 間髪入れず、階段下に群がっていたマスクメンたちの頭に、正確に風穴が穿たれていく。


 瞬きする余裕すらなく、6人のマスクメンが糸の切れた人形のように、膝から崩れ落ちていく。


 ──14人。やっぱ多いな……。


 恐ろしく速い身のこなし。

 どんなプロでも見逃しちゃってるね。


「化け物か……っ!? さがれ! さがれ! 近づくな!」


 マスクメン2人が動く。混戦状態をいいことに、狂喜乱舞で暴れまわる獰猛な獣を黙らせるべく、クロスボウを構えた。


 魔法使いの男は、術者としての本能で、バックステップをして階段下から距離をとりつつ、詠唱をおえて、発動しかけていた≪火炎弾≫をホールド状態にして、発動を遅らせる。


 これで数秒発動を遅らせる!

 なあに、自分が魔法の効果範囲から脱出するまでの我慢だ。

 使えない仲間ごと吹っ飛ばせばこちらの勝ち。

 ははは、俺は名門レトレシア卒業のエリートだ。

 こんな犯罪組織の下っ端をしている奴らとは違んだ。

 それくらい許されて当然だ。

 

 魔法使いの男がクズの思考をしている視界のすみっこで、マクスメンたちから、ちいさな矢が2本まっすぐに『狩り人』へむかっていく。


 『狩り人』は「こっちこい」と、マスクメンひとりの首根っこをつかみ、足を払って体勢をくずさせると、そのまま盾にして、矢を受けるてしまった。


「「なっ?!」」


 躊躇なく行われるえげつない回避手段にマスクメンが動揺する。

 『狩り人』はフレドリーファイアされた可哀想な奴を背負い投げして、今しがたクロスボウを射ったマスクメン2人へ叩きつけた。

 

 床のうえでうめき声をあげて伸びる3人。

 『狩り人』はその隙をのがさず、3人の頭部へ、風の弾丸を撃ちこみ、確殺をいれた。


 ──17人。ぁれ、多すぎでは?


 残るはマスクメンは3人。


 マスクメン2人が、仲間たちにトドメをするため、わずかに硬直した『狩り人』へクロスボウの照準をあわせてトリガーを引いた。


 高速でせまる矢をじっと捕らえる黒い視線。


 あわや命中……と思い掛けた瞬間、『狩り人』は羽虫でも払うかのように、手の甲で矢をたたき、いともたやすく受け流した。


 思わず場に「ぇぇ……」と諦めを含んだ声が漏れる。


 もはやクロスボウではダメだ。

 そう思ったのか、剣をぬいて斬りかかるマスクメン。彼らに後退の2文字はない。


 と、その時だ。

 魔法使いの男は、キープしていた火属性式魔術を解放したのは。


「これだけ離れれば充分! 燃え尽きろッ──≪火炎弾≫!」


 赤い魔力の粒子が、火の香りとなって空気を焼く。肌をじりっと照り焼く感覚は、この場のすべてに真夏の太陽を思い出させた。


 直径40cmほどの火炎の球体が、紅い尾を引きながら『狩り人』へ飛んでいく。

 マスクメンをひとり巻き込み、焼き殺しながら、なおも突き進んでいく。


 『狩り人』は、向かってくる火炎球に杖を向けた。


 すると、不可思議なことが起きた。

 フライパンでオムレツをひっくりかえすかのようなスナップで、火炎の魔力の射線をずらしてしまったのだ。

 火炎はリビングの天井に着弾すると、屋敷全体を揺らすほどの衝撃で爆発してしまった。


「なッ?! なんの魔術も詠唱してないのに! ありえない……っ」


 不可能な話だった。

 魔術へのレジストは魔術で行う。それは、魔法使いの常識なのだ。

 火の玉で攻撃されたら、水の盾でレジスト。

 土の弾丸には、土の壁でレジスト。


 それぞれの魔法特性を理解したうえで、効果的にレジストし、逆に反撃をくわえるのが本当の魔術戦のはず。


 それなのに、ただ杖で触っただけ凌がれただと?


 魔法使いの男は、なかば放心状態になってしまった。


 その間に、『狩り人』は残るマスクメンの頭を風で撃ち抜くと、床のうえで動かなくなった焼死体の頭も丁寧に確認のための1発いれた。


 最後に、艶消しのされた美しい黒杖は、魔法使いの男へ向けられる。


「お前で20だ」

「はあ、はあ、ま、待ってくれ、殺さないでく──」


 最後まで言い切らずに言葉はとぎれる。

 残るのはビュンッという小気味良い風切り音の余韻と、ガシャンッと、おおきな音をたてて派手に砕けちるシャンデリアの悲鳴だけだ。


 

 ────



 水属性式魔術で火が燃え広がらないように消化をしていると、彼らはすぐにやってきた。


 ドンドンっと鳴らされるドアのほうへおもむき、片手に杖をもったまま、ゆっくりと扉を開く。


「あらぁん♡ 前より目が腐ってなあーい?! すこし見ない間に、こんな素敵なやさぐれ男子になってるなんてー!!! あたし感激しちゃうぅ~!!」


 玄関先に立っていたのはバケモノだった。


 狙ってやってるのかわからない生理的嫌悪感を禁じ得ない口まわりの青髭は、もはや生物兵器といっても過言ではない。

 さらに怖いのは、身長190cm、肩の筋肉の発達が著しい巨漢なのに、丁寧に編み込まれた長い三つ編みが、その分厚い胸襟のふくらみを再認識させるように垂れさがっていること。

 

 ああ、なんたる悪夢。ジーザス。

 なにを間違えればこんな悲しい怪物が生まれるんだ。

 

「本当に久しぶりねえ、アダムちゃあん♡」

「あぁ……そうだねペニー。それじゃ仕事を頼むよ」


 俺は言外におしゃべりをする気がないオーラを最大出力で発動して、会話イベント強制的にキャンセルする。「うふふ♡ もう連れないんだからあ~」と、ソーセージみたいに太い指で、俺のほほをプニッとしてくる。ダメだこいつオーラが効かない。


「ああ、ペニー。久しぶりに会えてほんとうにうれしいよ。でも、俺にはまだやることがあるんだ。……だから仕事をしてくれ」

「んっふぅ。わかったわあ。──ほら、あんたたち、行くわよ」


 ペニーは名残惜しそうに俺の肩に手をおいて、そのまま背中をなぞると、屋敷のなかへ入っていく。

 彼のうしろからは、無表情で不愛想な大男たちが連なる。

 彼らが持っているのは、モップにバケツなどの掃除道具、あとはきっと洗剤とかお客をくるむための布とかが入ってるだろう重そうなトランクなどだ。

 

 『殺し屋』が仕事したら、たくさん死者がでる。

 『掃除屋』の仕事は、そんな彼らを見送ってあげることだ。


 ほどなくしてペニー率いる『掃除屋』軍団は玄関からひきあげていく。


 玄関外に止めてある、サイズ感の壊れたアホほどデカい馬車のなかには、先ほど葬った20人が乗せられているんだろう。


「ちょっと、10人って聞いてたんだけどぉ~♡」


 からむ余地をめざとく見つけ、ペニーは俺の胸をソーセージでつついてくる。ええい、うざったい。指毛が濃いんじゃ指毛があ。


「んっん……助かったよ、ペニー」


 俺はクレジット20枚をペニーの手に握らせる。かなり多めの支払いだ。けど迷惑かけたので、これくらいは気前良く花をつけてあげよう。というか足りないと「うふん、不足分は身体で払ってもらうわあん♡」とか言って、後ろから掘られる可能性が多分にあるので、そのためのリスクヘッジとしては安い出費だ。


「それじゃ、ペニー」

「アダムちゃん、あなたのお仕事を手伝えて光栄よ」

「……そうか」

「ねえ、アダムちゃん、あなた足を洗ったって聞いたけど」

「……。洗ったよ。俺はもう殺し屋じゃない」

「ふーん。……うふふ、でもどうかしらあ~♡ また、すぐに『見送り』の依頼される気がするわあ~♡」


 ペニーは朝日を背に、そんな戯言をぬかしながら、サイズ感の狂ったデカすぎる馬車に乗り込み、そのまま俺の屋敷から去っていった。


 できれば、二度と会いたくないものだ。

 いや、ほんと。これっきりにしていただきたい。そろそろ掘られそうで怖い。いや、まじで。マジよりのマジで身の危険を感じるから。

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