お前は間違いなく殺される
サウスランド郊外にある高原には、広大な敷地をもつ牧場がある。
表向きは観光地、裏の顔は闇の世界では名を知られる使役術のコンビニエンスファームだ。ここに来て、相応の金を払えば、他人から盗んだ違法モンスターでも、勝手に持ち主の名義を変えてしまうことができる。
世の中でモンスターを使役する職業:テイマーが流行しだしてからは、サウスランド牧場の価値はうなぎのぼりであった。
そんな牧場の奥地には、こじんまりとしたちいさな納屋がある。
普段は牧場主以外の立ち入りがまったく無いそこに、今夜は特別な来訪者があった。
「来たか」
両開き扉をノックすらなく勢いよく開かれたのを受けて、クラッツィオ・トモラッダは書き物をしていた手をとめ、インクペンを片手に、肩越しにちらりと扉を見やる。
夜の闇を背にした人影が6つたっていた。
彼らがスーっと横にずれていく。後ろから、いかにもなオーラをまとった厳めしい顔つきの男が前へ進みでてくる。
50代前半、仕立ての良い黒いコートとハット、綺麗に染め上げられた白髪。すべての指に黄金の指輪がはまっている。口まわりには整えられた白い髭ををたずさえており、じりじりとした赤熱をともした太い葉巻をくわえていた。
クラッツィオは「こいつ。いつも葉巻くわえてんな」と思いながら、体の向きをかえて、足を組んだ。顎が疲れんだろ。
「こんばんは、ベイブさん。こんな夜更けに何用ですかな」
クラッツィオはまるで見当もつかないといった風に小首をかしげて、葉巻男──ベイブと呼ばれた男へ顔をむける。
「クラッツィオ、わかっているだろう」
ベイブは帽子をはずし、悩ましいようにこめかみあたりを指で掻く。
6人の黒服たちは、外套の内側から枯れ枝のような魔法の杖をそっととりだして、その先端をクラッツィオへ向ける。
クラッツィオは杖を向けられているにも関わらず、落ち着いた様子だった。
「息子を殴ったらしいな」
「はい、殴りました」
「……理由を聞こう」
「奴は、あなたの息子さんは……アダム・アーティの馬を盗み、そして、使用人である祖父を殺しました」
静寂だった。
クラッツィオの言葉を最後に世界の時間がとまったのかと思えるほどのだった。
ベイブの細く鋭くすぼめられていた瞳が、一秒ごとに大きく見開かれていく。
目を丸くした彼は、しだいに口も呆けたように半開きになった。
火のともっていた葉巻が納屋の土のうえにツンっと落下した。
40年付き添った妻に突然別れ話を切り出されても、ここまでまぬけな面をさらすことはないだろう。
それほどの衝撃がベイブを襲っていた。
ひとしきり放心状態に揺られたベイブは、ごくゆっくりとした所作で、額に湧き出てきた脂汗を手のひらでぬぐい、そのまま白い髪をなでつける。
深く、長く、細く息をはき、立派なくちひげを手で覆い隠して、
「ああ…………なんてことだ…………」
弱く、か細く、ちいさな声でそうつぶやいていた。
────
深夜中、ベイブは自室で暖炉の炎を見つめていた。
どうしてこんなことになってしまったのか。その答えを揺れる炎に探していたのかもしれない。
まったく予期していなったような不幸のワケを知ろうとするのは──例えばそれは、天上から雷が落ちてくる理由をたずねるようなものだ。
誰も答えてはくれない。
だが、幸いと言うべきか、此度の不幸を招いた人物ならはっきりしていた。
──トントン
「入れ」
軽快な扉のノックを受けて、ベイブはすぐに返事をした。
手にもつ琥珀色の蒸留酒をのどのおくに流しこみ、首の骨を鳴らすように、くるりと頭をまわす。
部屋に入ってきたのはガーヴだった。
表向きは魔剣ジョルジャックを操るA級冒険者パーティ『黒い翼』のリーダーであり、将来スノーザランドファミリーのボスになる男である。
「親父、こんな夜に呼び出すなんて珍しいな」
「ああ。話しておきたいことがあってな」
「へえ、話……なんの話だよ?」
「なんだと思う?」
ベイブはひとり掛けのソファから立ちあがり、上機嫌な顔つきで微笑みながら、ガーヴの前に立つ。
ガーヴは赤髪をなでつけ、なにごとかすこし思案して口を開いた。
「S級パーティとの共同クエストの話、かな」
「ほう。お前はそう思うか」
「2年でA級冒険者になって、S級への足掛かりももう作った。結構うまいことやってるだろ?」
「そうだな。上々だ」
「へへ、だろ? 親父はこの世界はコネクションが大事だって言ってたから、表世界でも動きやすいように、人脈には細心の注意をはらってきたんだよ」
「細心の注意、か。賢明だ」
ベイブは重厚な書斎机に浅く腰かけ、なにから話そうか、まよったように視線をさまよわせる。
「それで、あの盗賊はどうした」
「……え?」
いきなり話題を転換され、ガーヴは素っ頓狂な声をもらした。
「盗賊だ。『黒い翼』がどん底の時に用意してやっただろう。彼とはうまくやってるか?」
「……ああ、まあ、そうだな。あいつのことについて親父に話をしなくちゃいけねえ」
「話か。お前の口から聞かせてくれるのか」
ベイブは腕を組み、目で先をうながす。
「あの盗賊だけどよ。使えねえから除名処分にしたんだ」
「…………なに?」
思っていたのと違う言葉がかえってきて、ベイブは己が耳を疑った。
「クエストの時、ほんとうになにもしねえんだよ。まじだぜ? ダンジョンの罠を解除してるとかぬかしてるけど、一度も罠なんかかかったことねえし。危険なモンスターを先に処理しといたとか、これまで手こずったモンスターなんていねえってのによ。へへ、親父はずいぶん高く買ってたらしいけど、実態はひどかったぜ。だから、『黒い翼』にはふさわしくないと思って除名したんだ」
ベイブは言葉を失ってしまっていた。
すべて無駄だったのか、と。
自分は息子に期待しすぎていたのか、と。
『黒い翼』は表向きも、裏向きも特別なパーティなのだ。
サウスランドの4つのファミリーから若い衆をあつめて結成されたパーティ──それが『黒い翼』だ。常に血塗られた歴史を歩んできたこの地方のマフィアにとって同盟の結束を強める期待が込められていた。
ガーヴには、リーダーとしてうまくパーティをまとめる役目があった。
しかし、うまくいかなかった。否、最悪と言ってよかった。
パーティの構成員それぞれが各ファミリーの跡継ぎ候補であるために、皆、我が強く、とてもじゃないが、未熟なガーヴの手腕ではまとめられなかったのだ。
個々人の能力は高いはずなのに、目も当てられないほど、何の成果も残せない『黒い翼』。惨状を見かねたベイブは、無能な息子のためにひとつの策を打った。
それが当時、闇の稼業からから足を洗うとして、裏社会を騒然とさせていた殺し屋アダム・アーティだった。
たった数年のあいだにアダム・アーティが築いた伝説と屍の数は、裏社会の誰もが恐れおののく逸話である。彼ならば神すら殺すだろうとうたわれたほどだ。
今後、数十年に渡り『女皇』のもとで仕事をしつづけると思われた彼は、ある日、突然闇の世界から抜け出したいと言い出した。それを許した『女皇』にも驚きを隠せない。
そんなタイミングで、アダム・アーティにとって軽い仕事である『黒い翼』のおもりを依頼できたのは、ベイブ・スノーザランド最大の幸運だったと言える。
ベイブの期待通り、年間100件を超える依頼をこなす不可能を可能にする男の手によって、『黒い翼』は事実上管理され、昇級のためのクエストをこなし、雑務をアダムが請け負うことで、わずか2年でA級冒険者としての地位を獲得した。
だと、言うのに……そうだと言うのに……、
「親父? なんだよ、黙って──」
ベイブは眉根をよせ、ひどく憐れな者を見つめるまなざしで、ガーヴの肩に手をおいた。ベイブは穏やかな微笑みをつくる。いぶかしむ表情のガーヴは、それを受けて安心したようにニコニコ愛想笑いをあわせる。
が、その瞬間、ベイブはキッと顔つきをかえ、怒髪天を衝く形相でガーヴの顔面をなぐった。
「ぐはっァ?」
目を白黒させ、ガーヴは父親の突然の怒りにおびえる。
ガーヴは必死に頭を働かせながら、父親が怒っている理由を探す。
ひとつだけ心当たりがあった。
盗賊だ。アダムだ。あいつはやたら無能だった。
わざとらしいくらいに何もしてなかった。
つまり、アダムの無能さは故意的なものだったんだ!
奴の無能さにいちはやく気付き、追放する……親父が望んでいたのはこれだ。
アダムは試金石だったのか。俺の上に立つモノとしての器を見定めるための。
すべての謎が解けたような、すっきりとした気分だった。
「お、親父、盗賊の無能にもっとはやく見抜けってことだったんだな! いや、本当は出会った時からただものじゃないような気はしてたんだが、俺は部下を簡単に切り捨てることになれてなくて……」
「もう黙れ」
ベイブは重厚な書斎机の、氷水でなみなみと満たされた灰皿に、赤くなった拳をひたしながら、ちいさく首を横にふっていた。
「お前のせいでスノーザランドは終わるかもしれない。私の積みあげてきたすべてが無駄になるかもしれない」
「そ、そんな、なにを大げさな……」
「アダム・アーティ。彼と仲良くしろといっただろう。聞いてなかったのか? それとも忘れたのか?」
「い、いや、だから、あいつは試金石なんじゃ……」
ベイブは静かに、されどよく聞こえるように、そして、宣告するように告げる。
「ガーヴよ……お前は間違いなく殺される」
「なっ……」
「私が怒っているのは、お前の軽率さだ。昨晩、強盗したようだな。アダム・アーティから馬を盗んだだろう」
「っ……。で、でも、馬盗んだだけじゃねえか」
「あぁ、愚かな息子よ。よく聞け。お前が盗んだのは馬じゃない」
「……」
「アダム・アーティの馬だ」
それって馬じゃん。とガーヴは言いたくなった。
だが、牧場でもおなじような文脈で、ひどく重苦しく言い直されていたため、その言葉には字面以上の意味がこめられているのだと察することができた。
「なんだよ、なんでもねえだろ、あんな盗賊……」
「……そのなんでもない盗賊は、アダム・アーティだ」
ベイブはそれだけ言うと、なにか物音を聞きつけたように、ふと、明後日の方向へ視線をむけた。視線の先にあるのは、なにもない天井だけ。
「運命はある。彼が動いた時、ひとつの死が確定するのだから」
そう優しく、諦めたように語るベイブの瞳にひかりは宿っていなかった。
「お前はその他大勢の平凡な人間からならなにを盗んでもいい。スノーザランドのチカラを正しく使えば、多くの問題は問題ではなくなる」
「あ、ああ、そ、そうだよな」
「だがな、あの男だけは……アダム・アーティだけはだめなんだ」
ベイブは無残に殺される息子の姿をたやすく想像することができてしまった。
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